第7話 魔術

「敵襲―!、敵襲だ!街道を挟んで向かいの崖、中腹から魔術がくる」


ルシアンが天幕から出て大声を張り上げる。


誰も気づかなかった岩の窪みから、赤い光が膨れ上がる。


魔眼を持たない者であっても分かるほど、『ファイアボール』の魔術で作られた炎の球体は凶悪な大きさと存在感を放っていた。


魔術師は闇に紛れるような黒衣のローブをきていたのだろう。

岩棚に立ち、こちらを見下ろすように立つ魔術師・・・フードを目深に被っているため顔は分からない。


ただ、こちらに向けて突き出した、右の掌の上に浮かんだ火球の光に照らされてその姿が見えた。


黒いローブは身体のラインに沿って流れ、 詠唱とともに起きる呼吸が、女性特有の曲線を浮かび上がらせる。 魔術師・・ソーサラー、——いや、ソーサレスだ。


「全員伏せろ!火球がくる!」

天幕から飛び出てきたメリダの叫声が響く!


その瞬間、ファイアボールが野営地に直撃した。


糧食を積んだ馬車が弾け飛んだ。

魔術のファイアボールが、火矢などより凶悪なのはその破壊力だ。


凄まじい熱量と重量をもった『巨大な鉄球』が高速で飛んでくるようなものだ。


その犠牲となったのはガーゴイル団のレオンという男だった。

彼の不幸は『糧食馬車内』で休息をとっていた事だった。


まだ二十歳そこそこの青年は左腕だけを残してこの世から消失した。

彼の左手がはめていた革の手袋が高熱で溶け、断面は炭化している。


直後、煙玉が野営地に投げ込まれた。

濃い灰色の煙が瞬く間に視界を奪う。

その異常な煙の量、視界の利かなさ、風で散らない不自然さ。

初日の襲撃の際、盗賊団が撤退に使った魔具の煙玉と同じだろう。


「散開するな!視界が悪い、近くの味方と背中を合わせろ!」

メリダの声が響くが、後手に回った感は否めない。


追加で更に投げ込まれた煙玉が四個。

魔術的に作られた煙は風でも流れず、野営地を全体を覆い、月光すら遮断した。


「ルシアン!」


煙が野営地を完全に覆う前、ルシアンが一番合流したかった相手は、向こうから見つけてくれた。


「クレア!ソーサレスだ!」


「分かってる、崖上よね!でも煙で——あぶない!!」

クレアは咄嗟にルシアンを抱えると、大きく跳び、距離をとった。


直後、二発目の火球が放たれる。

今度は野営地の中央、ルシアンや仲間たちが立っていた場所に着弾した。

地面にクレーターが出来る。


「ぐあああぁぁ!」


ファイアボールの熱波がサイクロプス団の若い傭兵を包む。

必死に転がって火を消そうとするが、魔術の炎は簡単には消えない。


仲間が土をかけ、ようやく火が収まった時には、既に息はなかった。


「クソッ!煙で何もみえねえ!」


ブロスが対魔術師用の破魔石の矢を番えるが、濃灰色の煙のせいで崖の上どころか、一メートル先も満足に見通せない。


ルシアンの魔眼だけが、煙を透かして赤い光を捉えていた。ソーサレスの位置は最初から変わっていない。

その赤は...死を警告する赤は、今まで見たことがないほど禍々しい深紅に見えた。


その時、煙の中から剣戟の音が響いた。盗賊団が地上からも攻撃を仕掛けてきたのだろう。


「クソッ!やはり本隊もきたか」


メリダの怒声が響く。

「視界が悪すぎる!背中の味方以外は敵と思え!あるいは馬車を背にして戦え!商人の方々は絶対に馬車から出ないように!」


「しかし、また魔術を撃ち込まれたら...」

ハーベットが馬車の窓から顔を出し、不安な声を上げる。


「魔術はそうそう連発できるものではありません!今は煙に紛れて襲ってくる盗賊の方を警戒してください」


メリダはそう告げると、バトルアックスを構えてハーベット達が乗る主車の扉前に立ち周囲見渡す。


「ぐわぁ!」

ガーゴイル団のもう一人が悲鳴を上げた。煙の中から現れた盗賊の刃が、彼の胸を貫いていた。


そして濃煙の中、ルシアンだけは、最悪の状況に気付けてしまった。


そう、高みから、二度の火球を放ったソーサレスが三度目の詠唱を始めたのだ。


「あれだけの威力のファイアボールを二発も撃っておいてまだ魔力が尽きないのかよ?」


詠唱する声が聞こえた訳ではない。

ソーサレスを示す赤い光が深紅に変わり、膨れ上がったのだ。


(このままじゃ全滅する)


「クレア、崖上のソーサレスに破魔石の矢を射る!」


「この煙で当てられるの?」


「場所は魔眼で特定できるけど、角度が悪い。恐らく目視しなければ崖に阻まれて当てられないと思う」


「じゃあ、どうする?」


「馬車の上に登って、煙の上に出て撃つ!守りを頼める?」


「任せて!近づくやつは即座に切り捨てるから」


ルシアンは手探りで積み荷車を見つけると、車輪に足をかけて一気に幌の上に登った。


(足場が布なので踏ん張りがきかないな……でも!)


煙玉から生じている魔法の濃煙が揺蕩っているのは、地上二メートルほどまで。馬車上までは届いていなかった。


「クレア、手を!」


馬車下のクレアに手をのばす。

「大丈夫!」


クレアは馬車上まで一足飛びで上ってきた。


(とんでもない、瞬発力だ)

思わず苦笑がこぼれる。


場所は変わって、崖の中腹。

崖下の商隊の混乱を見てソーサレスが呟く。


「もう一度ファイアボールを撃ち込めば十分かしらね。荷馬車は避けたつもりだけど、お目当ての本が燃えてたら大変__ッ!!」


右手の上で転がすように操る巨大な火球を、馬車を引く馬たちに向けて放とうとしたその時_鋭い風切り音と共に、自分の肩口を矢がかすめた。


黒いローブの薄い布地が裂けて、膨れ上がっていた魔術の火球が霧散した。

露出した白い肌に赤い血の筋ができる。


「痛っ…私の位置をどうやって?・・・『ヒーリング』」


(あら……治癒魔法の効きが悪いわね。破魔石?)


肩の傷口にかけた治癒魔法(ヒーリング)の効果が悪い。

マナの働きが鈍いのを感じた。


「まあ、これくらいなら、少し経てば問題ないか。矢を撃ってきたのは、あの子ね」


黒衣のソーサレス、『イリス・クレナ』が崖下に眼をやると、あっさりと馬車の屋根、幌の上に立ち、こちらに向けてロングボウを構えている青年、ルシアンを発見した。


そして、彼を守るように隣に立つ女性、クレアのことも。


「な......!」


イリスは目に捉えた二人を見て絶句した。


イリスは魔眼持ちだった。

彼女の魔眼『魔視の瞳』に映る光景——男の子の左目から漏れる特殊な波長。

そして女の子から溢れる二色の魔力。


「あの男の子は目に魔力が集まっている……恐らくは魔眼持ち。魔術師ではないようだけど、凄まじい魔力量ね。そして、あり得ないのはあの女の子……あんなに強く二柱の神と共鳴している人間を初めてみたわ」


イリスはまるで希少な『宝石』を見つけたように心が踊るのを感じていた。


だが、ルシアンからすれば、イリスの内心など知った事ではない。

馬車の幌の上で二本目の矢を番えた。


一射目は、幌馬車の上でバランスを崩し、眉間を狙った矢がわずかにそれてしまった。


(次の魔法を撃つ前に......)


ルシアンは矢を放った。今度こそ、正確に額を狙って。


だが——

イリスの右手が、信じられない速度で動いた。飛来する矢を、素手で掴み取る。


「なっ……!」


ルシアンは愕然とした。


魔術師は学者然とした者が多い。それなのに、この反射神経は戦士のそれ以上だ。


イリスは、掴んだ矢を見つめた。

破魔石の矢じり。先ほど肩を掠めたものと同じ。


「あら、危ないじゃない」

矢を素手で掴み取りながら、楽しそうに笑う。


彼女は矢を崖下に投げ捨てた。

そして、フードを少し上げ、月光に照らされた瞳でルシアンとクレアを見つめた。


改めてイリスは自身の魔眼に魔力を注ぎ、二人を注視した。


ルシアンの左目から漏れる特殊な魔眼の波長、それは今までに見たことがない波長だった。


そして、クレアから放たれる魔力——色で言えば赤と紫、二つの色が螺旋を描いて混じり合っている。


(メイスの赤、そしてもう一つは……サルタン、ラヌ、ナイア、ノウラ、シーナでもない。チェルダロ?……いや、まさかモスかしら!?二柱と等しく共鳴しているなんて本当に信じられないわ。これは本当に面白いわ。でもそろそろ潮時ね)


「離脱するとしましょう」


イリスは短く呪文を詠唱した。


『また会いましょう、興味深い少年。私の名前はイリス・クレナ。そちらのお嬢さんも、こんなところで死なないでね。二人とも、とても貴重な存在だから』


ルシアンとクレアの頭に、直接声が響いた。伝心の魔術(ウィスパー)だ。

そして、イリスの姿は岩陰に消えた。


「今、頭の中に……」


「ええ、私にも聞こえた、あのソーサレス、ただ者じゃないね」

クレアが険しい表情で崖を見上げた。


その時、馬車の下ではいたるところで剣戟がはじまっていた。


「盗賊の本隊だ!数が多いぞ!」


メリダの怒声が響く。

「馬車を盾に!円陣を崩すな!」


必死の防戦の中、徐々に薄くなってきた煙の中から、ひと際大きな影、巨漢の男が現れた。

両手持ちのバスタードソードを構えた男、顔には無数の傷跡、左目には赤い宝石を埋め込んでいた。


「女戦士か、強い女は好きだぜ」

メリダに向けて男が獰猛な笑みをみせた。


「俺はガルヴァンだ、お前名前は?」


「メリダ、この商隊の護衛指揮をしているよ。あんたが盗賊の頭目かい?」

メリダはバトルアックスを構えた。


「そうだ。おとなしく降伏するなら、お前だけは助けてやってもいい」

男の視線が、メリダの身体を舐めまわした。


「ガタイも器もでかい女、実に俺の好みだ」


メリダは冷たく笑った。

「生憎だけど、趣味の悪い男は願い下げなのよ」


「はっ!気の強いところも良いな。そして気の強い女が俺に懐くのが最高なのさ」


ガルヴァンのバスタードソードととメリダのバトルアックスが激突した。

二合、三合と打ち合うたびに火花が散る。


単純な力なら互角。いや、わずかにガルヴァンが上だが、メリダも歴戦の戦士だ。

重量のある長物同士がぶつかり合うエリアは敵も味方も、余人が入る事を拒んでいた。


ルシアンとクレアも馬車から飛び降り、戦闘に加わった。

煙が徐々に薄れ始める。月光が差し込み、戦場の全貌が見え始めた。

クレアの二刀が閃く。盗賊の首が飛ぶ。


ルシアンも武器をブロードソードに持ち替えて、別の盗賊の胸を貫く。

ドノヴァンとブロス、他の傭兵達も必死に戦っていた。


戦士としての練度は圧倒的に傭兵達が上、ただ盗賊団の数は倍以上だ。

一対一なら負けなくとも、二対一、三対一で対応できるものは限られる。


「ぐあっ!」

二人を相手どっていたサイクロプス団の壮年の傭兵が、同時に突き出された左右からの剣に交差に貫かれて倒れる。致命傷だ。


「そんなっ!ニックス!」

身近な仲間が倒れる姿に、クレアが歯がみをする。


商人たちに犠牲者を出すわけにはいかない。

クレアもルシアンも、彼らの主車から離れて自由に遊撃できないでいた。


一方、メリダと頭目ガルヴァンの戦いは激化していた。

戦斧と大剣、どちらも両手持ちの武器だ。


その重量が乗った攻撃で相手を守勢に追い込み攻めで押し切る。

そのためには、相手の隙をつき、天秤を少しでもこちらに傾けたいところだが、互いに決めてに欠いていた。


二十合ほど打ち合った時、ほころびが生じた。

横なぎの斬撃を、斧の刃で受けた時、メリダのバトルアックスにヒビが入っのだ。


もう後一度、自分の攻撃を受けさせれば女の斧は使い物にならなくなる。


その考えがガルヴァンの攻撃を、力に任せた雑なものにした。

メリダは、ガルヴァンの上段からの大振りな一撃を、武器で受けずに紙一重で躱した。

剣線に触れたメリダの美しい金髪が僅かに宙に舞う。


だが、髪と引き換えに得た優位が勝負の明暗を分けた。

相手の死角である左側から脇腹に斧の柄を叩き込む。


「ぐっ!」


よろめいたところに、メリダは渾身の一撃を振り下ろした。

斧の刃が、ガルヴァンの肩口から胸をまでを斬り裂いた。

鎖帷子が裂け、血が派手に噴き出した。


主に勝利をもたらしたバトルアックスは、斧の上半分が割れてガルヴァンの体内に突き刺さった。

ガルヴァンは膝をついた。


「見事なもんだな……女」

血を吐きながら、ガルヴァンは笑った。


「…これで終わりじゃないぜ。うちの副頭目、ドーンがいる。」


「副頭目?」


「ああ……あいつは……俺以上にしつこい......」

最後まで言い終える前に、血を吐いてガルヴァンは倒れた。


「と、頭目がやられた!一時撤退だ!」

ガルヴァンが倒れる姿を見た盗賊たちが逃げ始める。

今度は死体も回収せず、我先にと逃げていく。


「ふん、あたしのバトルアックスはくれてやったんだ。あんたのバスタードソードはもらっていくよ」

そう言うと、メリダはガルヴァンが振るっていた両手剣を拾い上げて肩に担いだ。


煙が完全に晴れた時、戦場には多くの盗賊達、そして傭兵達の死体が転がっていた。


「被害を確認しろ」

メリダの声は重かった。


ガーゴイル団のレオンを含む五名。皆、若い団員だった。

サイクロプス団の三名。

合計八名の命が失われた。


盗賊団の死体は頭目のガルヴァンを含めて十八人。頭目を倒したとはいえ、こちらの被害は甚大だった。


「糧食は?」

「水以外はほぼ全滅です」

襲撃の盾になるように、連結していたことが仇になり、三台の糧食馬車の内二台は火球で完全に破壊されていた。残り一台に積んでいた水樽が無事なのは救いというべきか。


「王都まであと二日……か」

メリダは苦渋の表情を浮かべた。


「盗賊団は、副頭目の男と、まだ数十人余りが残っているはずだ。そして、あの魔術師も。状況は非常に悪い。そして、明日の夜またくるだろうね。」


商隊の雰囲気は重かった。

特に傭兵達はみな、盗賊団が再度くることを確信していた。


「全員、休める者から休め。日が登り次第、移動を始めるぞ」

メリダの指示に、疲れ果てた傭兵たちが動き始めた。


ルシアンは、死んだ仲間たちの遺体を見つめた。

レオンの左腕だけが、炭化して転がっている。


「埋葬してやりたいけど、この岩だらけの峡谷を抜けないと埋める土が足りないな......」


クレアが隣に立った。彼女の顔にも、返り血が飛んでいる。

「あと一日で峡谷を抜けるわ。」


仲間の死体を見つめるルシアンの手をクレアが握った。


護衛三十名から、生き残りは二十二名。

食料ほぼなし、水はおよそ一日分。


敵は副頭目を含めて数十名以上。 謎のソーサレス付き。


商隊は暗雲の中、次の一歩を踏み出そうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る