第5話 強者の世界


武装した『盗賊』とおぼしき男たちが商隊を遮るように取り囲むのを見て、クレアが小さく笑った。


「随分と大所帯ね」


余裕然とした態度をとるクレアだが、内心は穏やかではなかった。


相手を倒すだけであれば何の不安もない。

どこかに魔術師がいるかもしれないという懸念はあるが、切り結べる相手であれば後れをとるつもりはなかった。


魔術にしても、密集した戦いの中で行使するのは難しいだろう。


心配なのは、自分の後方、約五十メートルほどに間延びした商隊の馬車列だ。

今、目に見えている相手が全てとは限らない。


正直なところ、サルタニアから半日の距離で襲撃に遭うのは想定外だった。

これまでの被害は全て道中の半ばを過ぎた『王都寄り』で発生していたからだ。


盗賊の拠点は王都寄りにあるのだろう__

そんな先入観と、これまでの襲撃場所が『こんな道中の序盤に?』という思いをクレアに抱かせていた。


三十人で守り切れるだろうか。


______


”トン”


そんな音と共に、取り囲む男たちの一人の額に矢が生えた。

男は膝から垂直に崩れ落ちる。


クレアが左を見るとルシアンがロングボウを構え、二射目を放っていた。


一人目が眉間を射られたのを見ていただけに、二射目のターゲットになった男は避けようと反応した。


反応したが、今度は額より的の大きな胸を射抜かれて行動不能になった。


「やるじゃない」


自嘲とルシアンの判断力への称賛が混ざり、自然と笑みがこぼれた。

クレアも二対のショートソードを構えた。


ルシアンの左目に映る男たち。

死に繋がる害意は『視野』に入れば赤い光として目に入る。

それは、対象が物陰に隠れていても見えてしまう。


つまり、森の草木の影に身を潜めている相手も、視野に入ればある意味丸見えなのである。


(二十八名、こちらの護衛とほぼ同数か、良くないね)


ルシアンは、最初に現れた着流しの男に害意があるのを見てすぐに、周囲を警戒し敵の配置を冷静に確認していた。


着流しの男の後方から現れたのが十七人

そして、荷馬車の側面に回り込もうとしているのが左右五人ずつ。


当たり前の話だが、戦いにおいて数は力だ。

同数同士が激突した時は、技術によほどの開きがなければ消耗戦になる。


(だから数を減らす!)


そう判断するやいなや、背なのロングボウを構えて速射したのである。


魔眼のお陰で、余計な問答や、相手の害意の有無を確認する必要がないのは大きなアドバンテージだ。


もしかすると、こちらに交換条件を出すかもしれない。脅してくるかもしれない。

もしかすると、見てくれが剣呑なだけの善良な人々かもしれない。


魔眼はそんな思考によるタイムロスを省いてくれる。


(まさか、相手がこちらの口上前に問答無用で攻撃してくるとは考えていなかった)

着流しの男、盗賊団の副頭目は苦々しく舌打ちした。


『我々に積み荷を渡してもらおう。素直に従えば、命までは取らない』


こういえば、護衛の傭兵らしき者たちも、雇い主である商人に伺いを立てるだろう。

その間に、こちらの包囲を完了させる予定だった。


商隊側の傭兵どもが、問答無用で攻撃してくるとは完全に予想外だった。


「開戦だ!敵は左右の森にも展開している、後方に注意しろ」

メリダの声を合図に傭兵団員全員が武器を構え、臨戦態勢となった。


ーーーーーーーーーーーーーー


改めて、ルシアンの魔眼に赤く映るものは、自分の命にとって害意があるものだ。


危機のレベルは赤の濃淡で示される。魔眼をもつ事によるもう一つのアドバンテージは、強者が濃い赤に、弱者が薄い赤で示される事が多いという点だ。


勿論、これは確実ではない。

害意がルシアンにどの程度向いているかで濃淡が変わるからだ。

とは言え、戦わずして相手の危険度のヒントが得られるのはありがたい話だ。


一射目、二射目と矢を射たのは弱者である可能性のある男たちだった。

果たして、ろくな反応もできずに倒れてくれたので役にはたつのである。


向き合う盗賊団の中で、濃い赤に映るのは初めに現れた着流しの剣士。

見える色は血のような深紅。

経験上、ルシアンが一対一の勝負を挑んで勝てる相手ではなさそうだった。


そんな相手を見た時、普段であればルシアンは距離を取る。


だが...…


「あれがクレアの本気......」


思わず声がもれた。


腰の両側から抜き放たれた二振りのショートソード。

鈍い輝きを放つ刃が、陽光を反射して白く光り、彼女が抜剣したのを教えてくれた。


次の瞬間、ほんの瞬き一つの後、クレアの姿は十メートル以上先にあった。

同時に最前列の盗賊の喉元に右の剣が吸い込まれる。


彼女の二つ名よろしく首が落ちた。

悲鳴を上げる暇もない。


クレアは頭を失い倒れゆく男の肩を踏み台にして跳躍し、空中で身を捻る。

左の剣が弧を描き、二人目の頸動脈を正確に断ち切った。


クレアの着地を狙い、三人目が横から斬りかかるが、クレアは身を更に低くし前転するように回避した。

回避しつつも相手の膝裏を切り裂く。


四人目がクレアの右後方から槍を突き出す。クレアは背後から迫る槍の穂先を身体を回転しながら躱し、自分の頭の横を通過した槍の柄を掴み、引き寄せた。

バランスを崩した男の顎に、強烈な右膝をたたき込む。

男はへし折られた歯と血を散らしながら仰向けに倒れた。


百九十センチを超す巨漢の男が、次々と倒れていく仲間の姿に、恐怖と怒りがない交ぜになった喚き声をあげながら、得物を捨てて素手で彼女に掴みかかった。


羽交い絞めにさえすれば......そう考えたのだろう。


巨漢に向き直ったクレアは素早くショートソードから手を離すと男の突き出された両の手首を素早く掴んだ。


身長差は三十センチ、体重差は百キロほど、純然たる体格差を見れば異様な光景だった。

クレアは相手の手首をつかんだまま、右腕左腕の関節の可動域の外に捻り上げた。


『ボコン』


巨漢男の両肩が外れる音がルシアンの耳まで届く。

悲鳴を上げるより先に、止めとばかりに鳩尾のあたりに荒々しい前蹴りを入れて蹴り飛ばす。巨躯が宙空に浮かび上がり、三メートルほど先に仰向けに倒れて気を失った。


かわした槍が僅かながら掠ったのだろう。クレアの髪留めが切れて、結い上げていた赤銅色の髪が肩から背中へと流れ落ちる。


この間、僅か数秒。革の胸当てに包まれた豊かな胸が呼吸とともに上下するが、息が上がっている訳ではない。口元には笑みが浮かび、琥珀色の瞳がいつもより鮮やかさを増してみえた。


一呼吸の間に五人が戦闘不能にさせられた盗賊団は戦慄していた。


そして、やや後方で弓をつがえながらクレアの戦いざまをみたルシアンも同様だった。


(次元が違う)


純粋な速さ、膂力、反応速度、勘の良さ、全てが女性のそれではなかった。


この世に生を受けたものは、望むと望まざるとに関わらず『いずれかの神』の加護を受ける

そしてその加護を認識し強く共鳴する事ができる者がまれに存在する。


その者は特殊な才能に目覚める事がある。


一番分かりやすい例がが魔術だ。

魔術は神の御業を人の身で起こすものと言われている。


クレアはの並外れた膂力を見るに、恐らく戦いの神と言われるメイスとの共鳴力が高いのだろう。


そして、ドノヴァンが言っていた通り、闘技場でクレアと戦った時は『手加減』してくれていたのだろう。


(もし戦場でクレアと敵同士で会ったら、俺、瞬殺されるな)

背中に冷たい汗がつたう。


最悪の想像をしながらも、クレアに足を切られて呻く男に矢でとどめを刺す。


ぐるりと周囲を見回すクレアの視線に押されるように、盗賊達は数歩後ずさりをする。


_____


後方では、商隊の馬車列を守る戦いが始まっていた。


「やはり来ましたか...…商会から古書を買い付けを依頼された時から嫌な予感はしていたのです」

ハーベットが盗賊団が現れたのを察知して呟く


「絶対に馬車から顔を出さないでください!必ず守ります、荷台に伏せて!」


メリダの怒声が響く。

身を乗り出して外の様子を見ていた商人たちが慌てて中へ引っ込むのを確認すると、彼女はバトルアックスを構えた。


女性らしさを保ちつつも、逞しい二の腕が膨れ上がり、決して軽くは無い斧を軽々と肩に担ぐ。


「ドノヴァン、右側を頼む!ブロス、左の三人は任せた!」


商隊の右側に回り込もうとした盗賊たちに、ドノヴァンが立ちはだかった。ブロードソードとラウンドシールドを構える姿は、教科書通りの戦士の型だ。


「ガーゴイル、森に数人だ、陣形を崩すな!」

叫びながら最初の一人の斬撃を盾で受け、そのまま体重を乗せて押し返す。よろめいた相手の胴を、横一文字に薙いだ。極力切り結ばずに、崩して斬る。確かな実力に裏打ちされた剣技だ。


左側では、ブロスが器用に立ち回っていた。

左手に持ったショートソードで一人目の剣を受け流し、懐から抜いた投擲用のダガーを後方の男に投げる。


太腿にダガーが刺ささり悲鳴を上げる盗賊の胸に、空かさずサイクロプス団の傭兵が槍を突き刺した。


(さすがは天下のサイクロプス団員......視野が広いね)

ブロスは自分の動きに連携してきたサイクロプス団に内心で舌を巻いた。


「後方警戒! 回り込まれるぞ!」


メリダ自身も戦っていた。バトルアックスの重い一撃が、盗賊の剣ごと相手を叩き潰す。純粋な膂力で相手を圧倒する、豪快な戦い方だった。


「ぐぁ...」


盗賊の断末魔が上がる。


クレアは更に一人、都合七人目を倒していた。

が、怯え守勢に回った敵を相手どるのはさすがのクレアもやり難いようだ。


その時、ルシアンは今まさにクレアに切られ倒れ行く盗賊の一人が、首に下げていた何かを握りしめて倒れるのを見た。


(木彫りの像?)


同じくそれを見た着流しの男...恐らくはこの盗賊団のボスであろう男が顔をしかめた。

「撤退だ!死体は全て回収しろ!」


男の声に、盗賊たちが一斉に動き出した。

懐から取り出した玉を地面に叩きつけると、ボンッという音と共に濃い灰色の煙が凄まじい勢いで周囲に広がった。


(煙が風で流れない。普通の煙幕ではない、魔具の類か?)


盗賊の生き残り達は煙に紛れて倒れた仲間の死体を担ぎ上げていく。

それだけではなく、倒された者達が使っていた剣や盾、切断された衣類や四肢や頭部に至るまで、手際よく回収していく。


クレアが斬り落とした頭の一つを回収しようと盗賊の一人が駆け寄った。

頭にバンダナのように巻かれた布が、血に濡れて赤黒く変色している。

仲間の頭部へ手を伸ばした瞬間——


「ぐあっ!」

上がる悲鳴、ルシアンの矢が、男の肩を貫いた。


ルシアンの魔眼は『視野』に害意のある存在がいれば感知できてしまう。

灰色の煙幕の向こうに動く赤い光に向かって矢を放ったのだ。


逆に害意が薄れると感知できなくなる。逃げに徹し、完全に交戦する気を失った相手を見つける事はできない。


男が手に取ろうとした、胴体と泣き別れた頭部がごろりと地面を転がり、頭髪に巻かれていた布がほどけた。白地に金糸で刺繍された紋様。


「その頭は諦めろ。早く撤退しろ!」

煙の向こうから、ボスらしき男の声が響く。


数分経つと、その場に不自然に揺蕩い続けた煙が不意に消失した。

地面に残るのは赤いシミ、そして首がひとつ。


それを除けば、戦いの痕跡はまるで無い、見事な撤退だった。


メリダが額の汗を拭いながら被害状況を確認していく。

「こちらの負傷者は三名。いずれも軽傷だ」


「あいつら、ただの盗賊じゃないな」


ドノヴァンが剣を鞘に納めながら呟く。ブロスも同意するように頷いた。

「撤退の手際が良すぎる。それに仲間の遺留品を几帳面に回収するなんて、

盗賊のやることじゃないねぇ」


ルシアンは転がった頭の側にしゃがみ込んだ。

血に濡れた布を手に取り、刺繍された紋様を見つめる。

記憶の奥底で何かが引っかかる。幼い頃、生家でみたような......


「ルシアン、悪いけどこれ持っていて」

寄ってきたクレアが革の胸当てを外してルシアンに押し付けた。


見ると赤銅色の髪や顔に返り血が飛んでいる。


薄い麻のチュニック一枚になった彼女は、手ぬぐいを取り出して首筋の汗と血を拭い始める。汗で布地が肌に張り付き、身体の線がくっきりと浮かびあがり、思わずルシアンは視線を外す。


腕を上げて髪をかき上げる仕草で、横から見える胸の膨らみが強調される。

十分過ぎるほどに女性らしい姿と盗賊を蹂躙していた姿のギャップは直ぐには整理できそうになかった。


「ルシアン、さっきの戦い...煙の中でも敵の位置が分かってたでしょ?」


「え、あ......」

鋭い質問に、ルシアンは言葉を詰まらせた。


「ん?何か拾ったの?」

クレアは、それ以上追及する事なく、ルシアンの横にかがみこむ。


戦闘直後で少し上気した頬が、片の手のひらの距離に近づき嫌でも意識させられる。

あんな戦いの後でも良い匂いがする気がする。


(クレアって美人だよな......)


ルシアンは慌てて視線を手元の布に落とした。


「あ、うん。盗賊が頭に巻いていた布なんだけど、この紋様に見覚えがあるような気がして」


「ふーん。こういうの、私も詳しく無いけれど......どこかの教会で見た気がする。違うかもしれないから気にしないで」


クレアは興味を失ったのか、直ぐに立ち上がった。

ルシアンから胸当てを受け取ると、身に着け直す。

その何気ない仕草に、何か引き付けられるものを感じる。


「とりあえず、持っていったら?後で調べればいいじゃない」

クレアはそう言って、メリダたちの元へ歩いていった。


ルシアンは布を懐にしまいながら、自分の鼓動が少し早いことに気付いた。

恐らく戦闘の興奮だけではない。


そして、この布は…うっすらと緋色に光ったように見えた。

クレアに次いで、こんな布に何かあるのか?


『後で調べればいいじゃない』

クレアが何気なくいった言葉......。


(この仕事が終わったら調べてみるか)


そう思って、ルシアンは布を懐にしまった。

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