第3話 カワイイカノジョトカイモノ

クレアが『緑竜の翼亭』を出てからちょうど半刻後、

彼女は約束通り傭兵ギルドの前に現れた。


「あ……お疲れさまです」


「ま、仕事だからね」

二人は揃って『傭兵ギルド』に入る。


受付には馴染みの女性職員、サナ・リリアムが座っていた。


「あら、ルシアンこんにちは……なんだか今日は可愛らしい女の子といっしょね」

揶揄うような、好奇心に満ちた目でクレアを見たサナだが、その姿が脳内の検索にヒットしたのだろう。


「……もしかして、そちらの方はクレア・ライネル様では?」


「ええ、ご明察です。今日は彼女の所属するサイクロプス団との合同依頼の報告と届け出にきました。」


「サイクロプス団と?それは、おも...珍しいですね」


(いま、絶対に面白いって言おうとしたな)


ルシアンは団長同士の話し合いで決めた報酬の分配、護衛任務につく三十名の登録をした。


傭兵ギルドはイングラス王国のみならず、各国の大都市にはたいてい存在する。

重要な役割はいくつかあるが、今回のように傭兵団同士の約束事…報酬の分配などが口約束にならないように間に仲立ちとして入る。


また、基本的に運営資金の半分が地を治める国から出ているため、他国の傭兵ギルドとは『重要な情報』のやりとりは禁じられているものの、都市間、国家間で一定の情報網がしかれている。


傭兵は、いつ命を落としてもおかしくはない職業だ。

ギルドの重要な役割のひとつは各傭兵団にどこの誰が所属しているかを極力正確に把握しておく事だ。


万が一命を落とした時、それを伝えるべき家族がいるのかどうか。

遺品や遺産がある場合誰に届けるか、そういった事を管理し、履行する。


ギルド職員、サナ・リリアムは几帳帳に記録を取り、最後に書類をこちらに向けて差し出す。


「では最後に、こちらにサインをお願いします」

ルシアンがペンを取ろうとした時、クレアが横から手を伸ばした。


「私が書くわ」


「え?」


「サイクロプス団の側の代表は私で、元々うちの団にきた依頼だからね」


クレアはスラスラと名前を書き込んだ。

イングラス王国の宗派の垣根を超えて『教会』が最低限の教育機関として存在するため、識字率は八十パーセントと低くない。ただ、自分の名前以外の文字が書ける者は四十パーセントいるかどうかだ。


(意外と言ったら怒られそうだけど、綺麗な字だな)

そう、彼女の文字には水準以上の教養が感じられたのだ。


「ありがとうございます。それでは、無事のお帰りをお待ちしています」

サナに見送られ、二人はギルドを後にした。


「さて!この後はどうするの?」


クレアに聞かれて、ルシアンは指を折りながら確認した。

「えっと、まず糧食の手配。一日三食で、三十人だから、一日九十食。十日間だから九百食。予備もいれて千二百食かな。量が量だから、商店じゃ買付けは難しい…です。だから問屋を直接回ります」


「そんなに多いの?」


「そんなにって……サイクロプス団はうちよりずっと大きいから、このくらいの注文は日常茶飯事じゃないんですか?」


「うちは分業だからね。事務担当者がいるのよ」


「小麦や肉の問屋を回った後は、薬師ギルドに立ち寄って、最後に錬金術師の爺さんの家に行く感じかな……です」


「うぇ~」


「戦いは準備から、『死にたくなければ、刃を磨け』っていうでしょう」


「分かってるけど、正直苦手なのよね。剣を振ってる方が楽だわ。」


サルタニアの大通りを歩き始めた。

午後の日差しが石畳を照らし、商人や職人たちが行き交っている。クレアは見事なスタイルを黒のビスチェにホットパンツという非常に男の目を引く軽装で包んでいる。ただ、腰に下げた二振りのショートソードと、隙のない歩き方のせいか、彼女に声をかけようとする勇者は現れそうもない。


「ねえ」

歩きながらクレアが呟いた。


「脇腹、マシになった?」


「ポーションのおかげで痛みは引いたよ。ありがとうございます」


「別に~......やったのは私だし」

そう言いながら、クレアは少し安堵したような表情を見せた。


―――

大通りには商店、露店が多く立ち並び、昼時だからかどこも活気が感じられた。

ただ、今回目指すのはここではない。


「小麦の問屋はこっちです」

ルシアンが先頭に立って歩く。クレアは黙ってついてくるが、時々立ち止まって店先を覗き込んでいた。


「ねえ、千二百食分って、どのくらい?」


「小麦の大袋で二十袋くらいでしょうね」


「小麦だけでそんなに?馬車に乗るのかな……」


「多分、15台の馬車のうち、少なくとも3台は糧食やら交易品以外で埋まる計算なんだと思います」


「ふ~ん、まぁお腹を減らして歩きたくはないわよね」


小麦問屋の店主は、唐突に入った予想以上の大量注文に驚きながらも快く引き受けてくれた。

「それでは、明後日の早朝、北門まで運ばせますよ」

「お願いします」


その次は肉の問屋。塩漬けの干し肉を大量に注文する。

こちらも明後日の朝の配達を約束してくれた。


薬師ギルドでは、傷薬と解毒薬を仕入れなければならない。

ギルドといっても、サルタニアの薬師ギルドは小規模で、さながら商店に近い。


「おやじさん、傷薬を1小隊分と、念のため解毒薬も買っておきたいんだけど」


サルタニアのギルド長でもあり、薬師の男は薄くなった頭髪をなでつけるように思案して答えた。


「盗賊共が使う毒か…、まあ『ムクロ根の液』か『クサリ花の油』ってとこだろう」


さすが、小規模とはいえギルド長だ。入手のし易さや扱いやすさなどから盗賊達が使いそうな毒をすぐにピックアップしてくれる。


「どんな症状が?」


「ムクロ根は、傷口が青く腫れあがる、10分以内に呼吸困難になって死ぬ。クサリ花は、激痛だ。人によっちゃ幻覚を見るらしいが俺は知らん」


「使える解毒薬はある?」


「ムクロ根には青陽汁、これを患部に塗ったあとに舌下に一定量含んでおけ。毒を受けてから10分以内だ。クサリ花には影木の煮汁を同じく患部に塗りこむ。その後同じく口に含んでおけ。」


「ありがとう、勉強になったよ。それぞれ解毒薬を10ずつお願いします。」


薬師ギルドを出ると、日が傾きはじめていた。

二人の影がちょうど身長ほどまでのびている。


「あんた…ルシアン、こういうの慣れてるんだね。」


「小さい傭兵団だから、雑用は年少者の役割ってだけですよ」


「ううん、父さんに言われて、買い付けなんて面倒だと思ったけど、割と面白いよ。」


昨日、闘技場で向き合った時とは全く別の、素の笑顔。

16歳の少女の笑みにルシアンは思わずドキッとした。


―――

最後に向かったのは、街の外れにある苔むした貧相な家だった。

看板も出ていない、まるで廃屋のような建物。

ただ、屋根に突き出た煙突からは煙が出ているので人は住んでいるのだろう。


「こんなところに?」

クレアが眉をひそめる。


「ええ、物好きな錬金術師の爺さんの家です。魔術にも詳しいのでうちの団では割と世話になっているんですよ。」


扉を叩くと、年老いた男性が顔を出した。


「なんだ、ガーゴイル団の小僧か」


「こんにちは、今日は『破魔石の矢』が欲しいんですが」


「とりあえず入れ」

くいっと、あごで家の中に入る事をうながす。


狭い部屋の中には、所狭しと怪しげな物が並んでいる。


一見すると美しいからだろう。

青く明滅する水晶に触ろうとクレアが手をのばすのが見えた。


「あ!触らない方がいいです、以前それを触って感電、気絶しましたから。」


「あっぶな!なにこれ?雷の魔晶石かなにか?」

それを聞いて、クレアはビクッと大げさに体を遠ざける。


「さぁ…」

ルシアンもその正体を知らないので、苦笑するしかない。


錬金術師の爺さんは奥の部屋から細長い筒を持ってきた。

中には大理石のような、白に近い不思議な色の『矢じり』がついた矢が十本入っている。


「ほれ、破魔石の矢、十本で銀貨五枚だ」


「高いですね、以前は銀貨三枚でしたが?」


「破魔石自体、出回っていないからな、時価だ。それに加工も難しい」


ルシアンが思案していると、クレアが口を開いた。

「でも五枚は高すぎない?」


「市場に少ない時に値上がりするのが経済ってもんじゃよ、お嬢さん」


「うちの傭兵団で、破魔石を見つけたら、市場を通さずに卸してあげる。だから銀貨四枚でどう?」


「傭兵?お嬢ちゃん、どこのもんだ?」


「サイクロプス団、団長ゴリアテの娘よ。知ってる?」


「当然じゃ」

爺さんは今まで見向きもしなかったクレアを値踏みするように見る。


「ふん、父親には全く似とらんな。だが銀貨四枚か......いいだろう。忘れるなよ?」

テーブルに置かれた銀貨四枚を受け取ると、代わりに丁寧に束ねた『破魔石の矢』をルシアンに差し出した。


錬金術師の家を出ると、クレアがため息をついた。

「やっぱり面倒ね、こういうの」


「助かりました。ありがとうございます。」


「別に、なんか役に立たないとホント付いてきただけになるしさ。それより!なんで、私に対して変に丁寧な話し方なの?同い年くらいでしょ?普通に話しなさいよ!」


少し、いやだいぶ不満気なのが分かる。


「あ~、いやでも……」


「なによ、私があんたに何かした?」

といって、クレアは直ぐに昨日の事を思い出した。


「____いや、したわね色々……」


「あ、あれは試合だったし、弱かった俺が悪いというか、なんというか」


「……」


「もらったポーションのお陰で元気になったし」


「じゃあ、私が怖いとかじゃないのね、普通に話せるのね」


「はい…いや、うん…それでよければ」

一瞬、ルシアンの脳裏に、深紅の死の暗示をまとった闘技場のクレア、そして鮮やかな緋色に見えたクレアの姿がよぎった。


「じゃあ、これから暫く一緒に行動するんだし、普通に話してよね」


「わかったよ」

ルシアンもぎこちなく微笑んだ。


―――

時刻はもう夕刻だ、露店で『酒を出さない店』は店仕舞いをはじめるところが多い。

クレアが小さなパン屋の前で足を止めた。

パンと素朴な焼き菓子が並んでいる。


「おばちゃん、これ三枚」

迷わず、蜂蜜入りのクッキーを指差した。


「あいよ、ちょうど完売だ、鉄貨2枚でいいよ」

女店主が愛想よく包んでくれる。


「甘いもの、好きなの?」


「甘いものが好きじゃない女の子なんているの?」

そう言いながら、クレアはクッキーを一枚口にほおばると、ルシアンにも一枚突き出した。


「ありがとう」

そういって口に入れた蜂蜜クッキーは優しい甘さだった。


大通りを北に向けて歩くと、今回の依頼の出発地でもある、サルタニアの北門付近の

大きな宿屋の前に着いた。

目下、ここにサイクロプス団が寝泊りをしている。


「これで、出発の準備は整いました…整ったね」


「ええ、お疲れさま、本当に勉強になった」

クレアが最後のクッキーを食べ終えて、満足そうに息をついた。


「明後日からちょっとした旅になるね」


「そうね」


しばらく歩いて、クレアが思い出したように振り向いた。

「あ、ポーションで傷を癒した時は体力が消耗するから、今日明日はゆっくり休みなさいよ」


「ああ、ありがとう」

うっすらと感じていた倦怠感の正体はポーションだったのかと納得する。

考えてみたら、自然治癒を加速している感覚があったし、そういうものなんだろう。


「あーあ、一緒に仕事をするって知ってたらもう少し手加減したんだけどな」

クレアは苦笑いを浮かべながらルシアンの脇腹をつつく。


やめろよ…と言いつつ、聞きたかった事が口から出た。

「それでも、手加減してくれたんだよな?」


「まあ、ね」

一瞬、何と答えるか考えたのか、彼女の視線がさまよった。


「正直に言って欲しいんだけど、俺は弱かった?」


「なんでそんな事を聞くわけ?」


「俺は、ちょっと訳ありの家に生まれたんだ。ガーゴイル団に拾われる前から、毎日のように剣を振ってた。ガーゴイルに入ってからは戦場で数年、それなりに生き残る努力をしてきたつもりだったんだけど…」


「だけど?」


「ちょっとだけ、自信もあったんだ。己惚れるつもりはないけど、同世代ならどんな相手でもそう簡単に負けるつもりは無かったんだよ。でも、あそこまで何もできないとは思わなかった。いくら『首狩り姫』が相手でも、素手ならってね」


(それに、魔眼もあったのにな)


「私に『首狩り姫』と呼ぶのはやめて。嫌いなのよ、その二つ名」


「嫌い?」


「あたりまえ。そんな『首を狩る姫』なんて恥ずかしい二つ名を自分から名乗るわけないでしょう」

腕を組んでふくれっ面で言うあたり、本当に嫌なんだろう。


(まぁ、確かにどこかの未開の蛮族みたいな響きだしね)


「分かった、もう言わないよ」

ルシアンも苦笑しながら答える。


で……と昨日の事を思い出すように、夕焼けが闇に飲まれそうになる空をを見ながら、淡々と話してくれた。


「別に、弱くなかったと思うよ。私は見世物興行なんて好きじゃないから、正直に言えば、すぐに終わらせるつもりだった。私は素手でも結構強いからさ、最初の拳を当てて、あんたをパッと倒して早く帰るつもりだった。思い上がりじゃなくて、あれを避けられるやつはそんないないと思う。嘘じゃないよ。じゃあ、また明後日」


矢継ぎ早に言うと、くるりと背を向けて、ひらひらと手を振りながら宿に入っていった。


そんなクレアが一瞬だけ赤く『緋色』に光った気がした。

(またあの緋色だ……危険を示す赤とも違う。もっと美しい、少し温かい色——)


「俺も帰るか」


ルシアンは、日がすっかり暮れて、暗くなった大通りを引き返した。

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