第9話 ミスと同僚男子

「ただ今戻りました」


まいがランチから戻ってすぐに、いつもと違う空気に気づいた。

部署内の空気がザワザワしている。

何かあったのか部長ら数名が話し合っている様子だ。

「何があったの?」

麻帆まほに小声で話しかけると、気まずそうに「私からはちょっと…」と目を逸らされてしまった。


嫌な予感がする。


一体何があったのかと考えていると、部長に呼び出された。

永野ながのくん、これ」

部長が差し出したのは、この前佐久間さくまが取ってきた案件の請求書だ。

「ここよく見て」

部長が指で差した先の金額を見て、息を飲んだ。


どう考えても桁が1桁多い。


「…申し訳ありません」

体温が一気に下がったように感じるのに、背中にはひやりと汗が流れた。

「いつもしっかり仕事してくれてるからこれ以上は言わないけど、初歩的なミスは困るよ」

「はい。私から先方に謝罪します」

「それはいい。佐久間が今行ってる」 

部長に戻るように言われて、席に戻るが、何も手につかない。

「部長にも回覧したんですよね?自分も見逃してるくせに」

麻帆が励ますように小声で話してくれるが、頭に入ってこない。

しばらくすると、佐久間が戻ってきた。


「先方に謝罪したら受け入れてもらえました。契約もこのままで許してもらえました」


部長たちがホッとする声が聞こえて、ほんの少し自分の手にも感覚が戻ってきた。


「本当にごめん。私の確認不足だった」

舞が謝罪すると、佐久間は「大丈夫だって、俺の営業力ならこれくらいどうってことない」と笑った。

「さすが、先輩」

山下が軽く手を叩いて茶化す。

私のことを気遣ってのことだと分かってはいても、上手く笑えない。

舞は「本当にごめんね」というと、3階の非常階段へ向かった。


ピューっとビルとビルの隙間風が吹いてくる。

いつもならこんな寒さ耐えれないが、今は冷たい風に当たっていたい。

どうしてあんなミスをしてしまったのだろう。

ベテランになって、少し気が抜けていたのかもしれない。


(カッコ悪…)   


その場にしゃがみ込む。

すると、ドアが開いた。


「やっぱここか」


佐久間は笑うと、同じようにしゃがんだ。

「人間、ミスはするもんだろ?」 

「それはそうだけど、あんな初歩的なミスして…」

「ミスは誰でもする。それをリカバリーするために、仲間がいるんだろ?今回は俺がリカバリーした、それでいいんじゃないか」 

「そうだけど…」  

佐久間がぽんっと舞の頭に手を置いた。


「ちょっとミスしたからってお前の頑張りは消えない。俺は入社した時から永野が努力してるのは知ってるんだからな」   


頭の上にある手は少し冷たくて重いのに、心が軽くなっていく。


「まぁ俺もいつお前に迷惑かけるかわからんしな」

佐久間は立ち上がると、「その時はよろしくなー」と言って、戻って行った。


そっと頭に触れてみる。

温もりなどあはずないのに、暖かさを感じる。

舞が空を見上げると、下弦の月がこちらを見ていた。


仕事を終えると、いつものようにカフェへ足は進んでいく。

習慣というのは、恐ろしいものだ。 

高瀬たかせの顔を見れば、気持ちは晴れるだろうか。

ドアの前まで来て、立ち止まる。

舞は少し悩んだが、ドアに背を向けて駅に向かった。

家に帰ってからもなんとなく気持ちは沈んでしまう。


佐久間に励まされて立ち直ってきたが、なんだか何もする気が起きない。

部屋の電気さえつける気力はない。

でも時間が経てば、気持ちが落ち着くこともわかっている。

泣いて騒ぐほど若くもない。

こんな時も感情に冷静に対処する可愛くない年齢なのだ。

体育座りでベッドにもたれた。


「私の頑張りが消えるわけじゃない」


呟いてみると、佐久間の顔が浮かんだ。

あんなに優しい目で自分を見てくれていたのだなと初めて知った。

「良い奴だよね」


コンコン…


ドアをノックする音がする。

インターホンもあるのになんだか怪しい。

静かに扉に近づいて覗いてみる。


「高瀬さん?」


ドアを開けると、高瀬が紙袋を持って立っている。

「夜分にすいません。ご迷惑でしたか?」

「全然!そんなことないです」

「良かった。今日お店の前まで来られたのに帰られるのを見たので、気になってしまって」

「あぁ」

あの瞬間を高瀬は見ていたようだ。

「なんだか顔色もよくないように見えて…これを」

高瀬から差し出された紙袋を受け取る。

「ありがとうございます」

紙袋を開けてみると、箱が入っている。

箱をよく見ようと顔を近づけると、ほんのりいい匂いがする。

「これは紅茶ですか?」

「コーヒー以外にもお茶も勉強していて、リラックス効果の高いブレンドティを作ってみたんです」

少し照れくさそうな顔で、「お口に合うかわからないですけど」と言った。

「ご迷惑でしたか?」

舞は首をプルプル大きく横に振った。

「めちゃくちゃ嬉しいです」

「良かった〜…。じゃあ僕はこれで」

「じゃあまた」

高瀬の部屋の扉がパタンと閉まる音がした。


部屋に戻ると、もう一度茶葉の匂いをかいでみる。

「いい香り」

高瀬の優しい表情が頭に浮かぶ。


(この匂いを嗅ぐ度に高瀬くんのこと思い出すのかな)


気づくと少し自分の頬が微笑んでいる。

舞は部屋の電気をつけた。


コトン…

舞はコロンとした可愛いマグカップを机の上に出した。

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