8日目 境界の破裂 〜輪が裂け、印が増える〜
朝、臨時器の縁に見慣れない金属片が張り付いていた。
砂に半ば埋もれ、錆の匂いが潮に混ざる。拾い上げると指先が黒く染まった。
昨夜、誰かが輪の外から置いたまま潮が運んだのだろう。
刻みは浅いが角に“—”の線が一本。
等号ではない。外の印。
…外印は金属や貝など、複数の形で現れる。
在庫/八日目・朝
・水:水筒0.2L+祠の器 6割+臨時器 小(濁り)
・食:海藻(乾)わずか
・塩:祠の縁 白結晶 薄
・道具:流木4/帆布片2/印石18
・記録材:帆布片2/灰(印用)/金属片1(外印)
・所感:外印の混入。臨時器の水が昨夜より濁る
灰線をなぞる。輪は“守る”ためのもの。
だが器は満ち、外の足跡は中輪の前で折り返している。
…助けを求める者がいるのかもしれない。
矛盾が胸の奥で固くなる。
交換台を拭き、提供の面に「灰水・帆布片」を並べる。
中央は空。左の取得面には印石を二つだけ置く。
値は低く、門は狭く。
観測/午前
・鳥:四羽→三羽→四羽(乱れ)/周期31〜35秒
・潮:祠の周囲に微渦。臨時器の水位+1目盛り
・影:杭のずれ、正午基準で八歩
・砂:中輪の南側で沈降帯。足跡の縁が崩れやすい
・音:乾いた破裂音 二回(遠)
取引規約・追記(0.2)
・外来物置き場:中央に二日置き、所有の主張がなければ共同圏へ編入
・侵入の記録:灰線内に踏み入った足跡は違反として印石1で記録。提供物は即時撤収
・臨時器登録:新しい水溜まりを器として登録するには“=”の縫いと目盛りが必要
帆布に“=”を縫い、臨時器の縁に目盛りを刻む。
針先が硬い塩に当たり、わずかに跳ねた。
制度は恐怖を小さくする器。
昼、影が輪の前で止まった。昨日と同じ濡れた手――彼女だ。
器に手を添え、金属片を見てわずかに首を傾ける。
私は金属片を中央に置き、等号の印を指で示す。
彼女は輪の灰線をなぞり、視線で「守れ」とも「渡せ」とも言わない。
ただ監査だけがそこにある。
在庫/八日目・昼
・水:水筒0.2L+祠 5割+臨時器 小(濁)
・食:海藻わずか
・塩:縁の結晶 ごく薄
・道具:流木4/帆布片2/印石19(彼女より1受領)
・記録材:帆布片2/灰/金属片1
・所感:監査継続。外との接触準備
午後、接触が来た。
靄の向こうから、靴底の紋がはっきりと砂に押された。
踵が深く、歩幅は不均一。裾は湿り、塩の白い粉が乾いて落ちる。
顔は見えない。断片の連続として現れる…靴跡、濡れた裾、握られた手。
外の者は中央の空間を見て、一瞬、輪の灰線を跨ぎかけて止まった。
足が震えている。
私は帆布片を右に滑らせ、提供の意志を示す。
外の者は懐から小さな包みを出し、印石に似た薄青い貝を一つ置いた。
だがその縁には“—”が刻まれている。等号ではない。外印の代価。
喉が鳴る。
受け取れば輪の原理が混ざる。拒めば目の前の者が干からびるかもしれない。
制度と情の間で、胸が引き裂かれる。
私は中央に自分の印石を一つ置き、帆布片の半分を差し出した。
…半給。
取引帳/第6葉(接触・半給)
・相手:外印の者(靴底:踵深/裾濡)
・与えた:帆布片(半分)+灰水 少量
・受けた:外印の貝1(“—”刻)
・評価:保留(等号不一致)
・備考:輪の原理との齟齬。監査必要
外の者はうなずくでもなく、包みを握り直した。
その瞬間、灰線の上に踵が触れた。砂が低く鳴る。
私は声を出した…「止まれ」。
声は波に飲まれた。
彼女が輪の内側から指を一本、水平に出す。
外の者は踵を戻し、貝をもう一つ中央に置いて去った。
足跡だけが輪の外に延びて消えた。
監査記録/八日目・午後
・事象:灰線への接触(一瞬)/違反に該当
・対応:中央に印石1(違反記録)/提供物→一時撤収
・所見:半給により矛盾を先送り。夜間の変調に備える
観測/夕刻
・器:臨時器の濁りが増す。祠は水位安定
・潮:沖の濁り 強/泡 粗/逆流の兆し
・影:杭、夕方基準で九歩
・鳥:三羽。声が低い
・砂:中輪の南辺、沈降加速
私は半分に裂いた帆布片の切断面を見つめる。
等号の縫い目が端で途切れている。
半分だけの平等。
彼女は祠の器の縁に灰で短い印を三つ描き、臨時器の縁には二つ描いた。
*強い方に三、弱い方に二。*配分の合図だ。
私はうなずき、帆布地図に今日の“=”を縫い足す。
針が震えを拾う。
在庫/八日目・夜
・水:水筒0.15L+祠 4割+臨時器 小(濁)
・食:海藻 わずか
・塩:祠の縁 白結晶 微
・道具:流木4/帆布片1.5(半給後)/印石19+外印貝2
・記録材:帆布片2/灰/金属片1
・所感:制度と情の矛盾を先送り。夜間観測を強化
夜の震えは合図の後で来た。
砂が二度ではなく三度沈み、杭が根元からひと手分、海へ倒れ込む。
祠の器の水面が盛り上がり、臨時器の濁りが祠へ逆流した。
水がぶつかり、白い泡が“=”の縫い目の上で弾ける。
…境界が混ざる音。
私は交換台の布を掴み、提供物を引き寄せる。
中央に置いていた外印の貝が器の縁を滑り、水へ落ちた。
沈む直前、“—”が一瞬だけ“=”に見えた。
走行仮記/八日目 夜
・震動:三(強・中・強)
・器:臨時→祠へ逆流/濁り混入
・境界:灰線の一部が波で消失
・異物:外印の貝が祠に落下
彼女が器に手を差し入れたが、沈みかけた貝を拾わない。
代わりに縁に指を当て、血で小さな点を残した。
私は理解する。…現認しない。記録だけを続ける。
針を持ち、帆布の端に今日の“=”を二重に縫い込む。
矛盾は先送りにした。ならば記録は上乗せにする。
島が揺れ、星が器と空で違う位置に割れ、砂が沈む。
私は一行だけ書き足す。
…輪は裂けた。だが帳簿の行はまた増えた。
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