総司がふたり!!

戸部湯歌郎

第1話


   (1)


 黒猫がきた。

 黒猫を飼うと労咳(肺結核)が治る、という。男はどうしても労咳を治したかった。治さねばならなかった。男の名は、沖田総司──。


 慶応四(一八六八)年。江戸、千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅。そこで総司は療養生活を送っていた。病回復を祈る総司は、黒猫を飼わせてほしいと平五郎に願ったのだった。その願いがかない黒猫が総司のもとへとやってきたのである。


 総司はもともと話し好きな男である。が、労咳は感染うつる病である。他人を掴まえて話し込むわけにもいかないので専らこの黒猫を話し相手とした。

「黒猫さん黒猫さん、こっちへ来てくださいよ。大丈夫ですよ黒猫さん、あなたを斬ろうだなんてしませんよ。そうだ、今日はの話を聞かせてあげますよ。私が京で一番驚いた時の話、嘘みたいな出来事の話を」


   (2)


 慶応元(一八六五)年。新選組の屯所が西本願寺にあった頃の話である。

 誇張でなく、沖田総司の人生でこの日ほど驚いたことはあるまい。


 総司が出先から屯所に戻ってきたところに平隊士が駆け寄ってきてこう言った。

「沖田先生、先生に女のお客さんが来てますよ」

 心当たりがなかった。

「私に女の客?どのような方です?」

「またまた。変わった格好をしていましたが、綺麗な顔の女の人でしたよ」

 増々わからなくなる。

「はあ、変わった格好、ですか。どのような格好だったのです?」

「男の格好をして、刀まで差した女ですよ」

 何の心当たりも無かった。


 平隊士の話によるとその女はぶらぶらと屯所のほうに歩いてきたのだという。

 見咎めた隊士が声をかけた。

「こちらは新選組の屯所ですが何か御用ですか?」

 らしくもなく丁寧な物言いになったのは女の顔があまりにも整っていたためか。

「沖田総司だが」と女は短く答えた。

 あっ、となったのは隊士である。あのまったく女っ気を感じさせない一番隊組頭沖田総司に女の客人。これは一大事と、とにかく客間へ案内した──という次第である。


「まあ流石に身元の知れない者を武器を持たせて屯所へ上げる訳にはいかないので刀は私の方で預からせてもらってますけど」

「ふうん、分かりました。とにかく会ってみます。客間へ行けばいいのですね」

 と言って歩き出した。

 歩きながら総司は考える。女は「沖田総司だが」と答えたそうだ。沖田総司を訪ねて来たにしては言い方が妙である。

 ひょっとしなくても、と総司は思う。これは私を訪ねて来たのではないのではないかと。


 客間の前に着いた。ふうっ、と一呼吸ついてから客間に入る。

 女は居た。話に聞いていた通り男の着物を着た色の白い顔立ちの整った女であった。

 総司の姿を見ると女は軽く頭を下げて、

「あなたが沖田総司、ですか?」

 といきなり訊いてきた。

 なんだか無礼な女だなと内心イラつきを覚えながらも、

「はい。私が沖田総司ですよ。それで貴女は誰なんです?」

 と答えると女は、

「それが、わたしも沖田総司なんですよ」

 と答えた。


 わずかな間であったが沈黙した。おちょくられているのかな、とイラつきが増しながら「どういう意味です?」と短く返した。

 女は少し困ったような顔をして、

「どういう意味も何も言葉の通りの意味ですよ。わたしの名前は沖田総司というのです」

 愛想が消えて無表情になっていくのが自分でもわかる。

「わかりました。貴女の名前が沖田総司であるというのは、まあいいとしましょう。で、その沖田総司さんはどういった人でこの私にどの様な御用なのでしょうか」

「そうですね、怒らないで聞いていただきたいのですが、貴方に用があってここに来たという訳ではないんです。わたしは──いえ、わたしも新選組の沖田総司なんです。でも、わたしの知っている新選組はもう京都にはいなくて、そもそもわたし自身、江戸にいたはずなんです。それが、気が付いたら西本願寺にいて、それで屯所のあったほうに歩いて来てみたら、隊士の一人に声をかけられて客間ここに連れてこられた、という訳なんです」

 何を言っているんだろうこの女は。もう怒りを通り越して無感情になってきた。

「つまり、何が言いたいんです?」

「うーん、つまり、ですね、わたしも貴方も同じ沖田総司なんではないかなァ、と」

 女の方もこの状況に困っているのだろう、形のいい眉を下げて頬を掻きながら答えた。

「ア、アハハハハハ」

 もう笑いだしてしまった。

「同じって、全然同じじゃないじゃないですか。第一、私は男ですよ。あなたは女なんでしょ?違うんですか?」

「それはそうなんですけど。じゃあ、わたしの生まれ育ちから京に上るまでのことをお話しします。それが貴方と同じだったら、信じて下さい」

 そう言って女は自らのことを語りだした。


 女の身の上話が終わった。といってもごく簡単に来歴を語っただけなので長い時間はかかっていない。

「驚いたなあ。よく私のことを調べてありますね。けど間違っている所がありますよ。私が生まれたのは天保十五年ではなく十三年です」

「そうなんですか。けれどわたしは天保十五年生まれで浪士組に参加した時は二十歳だったんですよ」

「生まれた年は違うけれどあくまで自分は私と同じ沖田総司だと主張するんですね。というかそもそも、何故女である貴女が男の名前で男の人生を歩まねばならないのですか」

「わたしは男女の双子として生まれたそうです。けれど男の子の方は生まれて間もなく死んでしまい、わたしを長子として育てることにしたそうです」

「ふうん。私が双子だったなんて話は聞いたこともないや」

「そうなんですか。生まれた時の様子はずいぶん違うみたいですね。でもその後のことは大体同じなのでしょう?」

「けど私の来歴なんて調べて回ればわかるようなことでしょう。貴女も沖田総司だなんてことの証にはなりませんよ」

「むう、まだ信じていただけませんか……」

 と言って考え込むような表情をしていたが、ハッと何か思いついたような顔になった。

「だったら、立ち合ってみませんか。剣を取って立ち合えばわたしが沖田総司である何よりの証になるでしょう!」

 明るい顔になって提案してきた。

 どうしようかと一瞬考えたが、この訳のわからない女を少し痛い目に遭わせてやるのも悪くないと思い、提案を飲んだ。また心のどこかで本当にこの女が沖田総司であったなら面白いかもな、と思い始めていた。


 ふたり連れだって表に出て稽古場の方へ向かう。

 と、先程の隊士が声をかけてきた。どうやらずっと総司のことが気になっていたらしい。

「やあ先生、二人してどちらへお出かけで?」

「稽古場へ行く」

 隊士は、エッと首をかしげて

「稽古場ですか?稽古場で何するんです?まさか先生、稽古場を茶屋の代わりに使う気ですか?そんなことしたら、いくら先生でも局長や副長に滅茶苦茶に怒られるでしょう」

「莫迦か君は。彼女と立ち合うんだよ。稽古場で。彼女は刀を差していたって君が言ったんだろう。どれほど使えるのか見てやるのさ。今、稽古場には誰かいるかい?」

「この時間には誰もいないんじゃないですかねえ」

「そうか。ちょうどいい。では行きましょう」

 女に向かって声をかけ、スタスタと歩き出した。


   (3)


 この後は驚きの連続であった。

 結論から言うと総司はこの女が自分と同じ人間であると認めざるを得なかった。

 お互いに面籠手を着けて立ち合うと、まず剣を構えた姿がそっくりであった。そしていざ撃ち合ってみると、剣筋もそっくりでふたりの撃ち合いは互角であった。

 そして何より──女は総司に対して三段突きを放ったのである。

 三段突き。沖田総司の得意技。そして何より、総司以外の誰にも真似のできない技。

 真似のできない、はずであったはずの技をこの女は総司に対して撃って見せた。

 三段突きを見せられてしまってはもう沖田総司としては相手もまた沖田総司であると認めるしかないではないか。


 そしてこの後、この日、総司を最も驚かせた出来事が起こる。


 三段突きを喰らった総司は「まいった」と降参の意を示し防具を外した。それを見て女の方も同じく防具を外す。

 面の下から現れたのは女の得意そうな笑顔だった。

 女とは反対に少し悔しそうな顔をした総司は、

「わかりました。認めます、認めますよ。貴女は正真正銘、私と同じ沖田総司です。もう訳がわからないや」

 と言って相手の女が沖田総司であることを認めたのだった。

 総司の言を聞いて女の笑顔は満面に広がった。

「ようやくわかってもらえて、わたしも嬉しいで──」

 女が、

 笑顔のまま、

 血を吐いた。

 血を吐いたのである。

「えっ」

 あまりにも唐突すぎる出来事に総司は固まるしかなかった。

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