終末の世界で

雨宮 叶月

第1話 緑の大地

レギルス王国の端に広がる荒野。



そこで暮らす数少ない人々には、ある伝承が語り継がれてきた。



それはあまりにも抽象的だった。



それでも、子どもたちは夜、焚き火のそばでその話を聞き、

目を閉じては見ぬ景色を思い描く。

広がる草原、流れる川、風に揺れる木々。

それはこの荒れた大地では決して手に入らないもの。



それは人々の希望を指し示している。



夜明け前の最も暗い時間が過ぎ、まだ黒い空にうっすらと太陽の光が差し込む。



物音1つしないこの静けさは、なんだかいつもより孤独で、しかし希望を感じるものだった。




少し高い場所で、下を見下ろす少年がいた。

名前はロイ。



つい先日、16歳になった。




ロイは赤子の頃からにいた。


捨てられたのか、両親が死んだのか、はたまた冒険に行ったのかは分からない。



ここに住む人々はみんな優しくて、おおらかで、あたたかかった。



この場所には次のような伝承がある。



『緑の大地に触れた者は、己の人生の本当の意味が分かる。』




ロイはこの、『緑の大地』を夢見て旅に出ようとしていた。



ここでは、去る者は何も言わず出ていく。また戻ってきた人もいるが、ほとんどの人は戻ってこない。



死んだ。そう言われている。



大半の人はロイと同じような動機で去る。しかしどこに何があるのかは誰にも分からない。何かあったら、太陽の方向がある南へ進めと言われている。



いつ災害があるか分からない。いつ食料がなくなるかも分からない。



ここでは何もかもが不安定だ。




ロイは人々を手伝うしかできない。体力があるわけでもない。

自分が迷惑をかけるわけにもいかないとロイは考えていた。危機感もあったかもしれない。





太陽のかけらが見えたところで、ロイはひざまずいた。



両手を胸の前で組み、ゆっくりと目を閉じる。




「……この場所に、神の祝福がありますように」



その声はまだあどけなくて、透き通っていた。




やがてゆっくりと目を開けたロイは、前を見た。その瞳は、希望で満ちていた。



近くにいた犬と荷物を持って、南へ歩き出す。



ロイは大きく息を吸った。






…後に早く起きていた人が話す。



太陽の光を受けて歩いていたその少年の姿は、まるで、天界の使者のようだった、と。







「………はぁっ、はぁ」



数キロ歩いたところで、ロイは立ち止った。



旅が長くなることを見据えて、食料や水を多く持ってきたせいだろうか。




「ちょっと休もうか、ヌイ。」



ロイは、傍で歩いていた犬に声をかけた。




「イヌ」だから文字を反対にして「ヌイ」。なんてことはない、単純な名前だ。




荒野はまだ続いている。永遠だと思うほど、まだ道は続いている。



殺風景な景色が続き、空の境界線は曲がって見える。




高さが低い岩を見つけて、そこに座った。




水をひとくち、ふたくち。




ヌイにも水をやる。



太陽が照りつけるようだ。光が眩しい。





「そろそろ行こうか、ヌイ。」




ロイは立ち上がった。






……それからも二人の旅は続いた。



どれくらい歩いただろうか。途中で休憩を挟みながら前へと進んだ。

夜は二人で抱き合って眠った。


不思議と動物はいなかった。




何度も夢を見た。


人々が何度も出てきた。どうして出ていったのかと責められる時もあれば、無事にいて、と優しく接してくれる時もあった。


皿いっぱいのパイナップルを見たときは目を輝かせた。

歩かずとも猛スピードで進める魔法を使えたりもした。





何度も夢を見た。



ヌイと戯れた。毛はふさふさとしていて、それを感じながら眠るのが好きだった。

ヌイにおいしそうなものをあげた。尻尾を振って食べていて、とても幸せだった。




ロイは何度も目を覚ます。


ヌイの、以前より半分以上抜けた細い毛を撫で、抱きしめる。


食事をあげるときも、尻尾はゆらゆらとしか動かない。しかし、ロイを見つめる目はとてもきらきらとしていた。




「…っごめん、ごめん、ヌイ…」



それからヌイは衰えていった。



食事の量が減った。

睡眠の量は増えた。


歩くのは遅くなり、だんだんロイが抱えていくことも増えた。



それでも、瞳は輝いていた。



希望に、満ちていた。



……最期のときまで。




「…ヌイ………?」




以前までは、ロイが呼ぶと体は動かなくても目は開いていた。




それなのに、今はピクリとも動かない。




「ね、ぇ、ヌイ…」






ゆさゆさとヌイの体を揺らした。


しかしロイは分かっていた。





……数分後、ヌイが目を開けた。




「ヌイ……!」




ロイは安心するようにヌイを抱きしめた。




しかし。




ヌイには、もう気力は残っていなかった。




「…………ヮン」



かすれた声。





「……ヌイ」





ヌイは、少し乾いた舌でロイの手を舐めた。




そして、尻尾をゆらゆらと揺らし、言葉を失うほど眩しい瞳を、最後までロイに向けていた。





………そして、ゆっくりと目を閉じた。





「…ヌイ?……ヌイっ、…」



ヌイは、息を引き取った。






ロイは、眠っているだけだと信じたくて、いつものようにヌイを抱えて歩いた。




歩いた。歩いた。





しかし、ヌイの体は少しずつ冷たくなっていった。




その日、ロイはかすかにのこる体温と共に眠った。







「………」




こんな気分だというのに、太陽はどこまでも美しい。




震える手で、ヌイの体を持ち上げた。



せめて苦しくないようにと、岩陰に1本だけ咲いている花のそばに、穴を掘る。



ゆっくりと、ヌイを入れる。



少しだけ残った毛を取り、大切に紙に包んだ。





そしてひざまずく。




…かつて、にいたときと同じように。





両手を胸の前で組み、ゆっくりと目を閉じる。




「…………ヌイが、幸せでありますように。」





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