第13話 『みなみと増川さん、2回目デート。』


 やっと、増川さんと休日が合った。


 みなみは駅前の大通りで、増川さんと並んで歩いている。

 みなみの選んだカフェで二人で昼食を終えて、まだ午後二時。

 できればもう少し、一緒にいたい。


「まだ、時間ありますね」


 細い腕時計を見ながら呟くと、増川さんが優しく聞いてくれた。


「そうですね。どこか、行きたいところはありますか?」


 みなみは、少し迷った。

 実は昨日から、ずっと考えていた場所がある。


「あの、実は……この近くに、製本カフェがあるらしいんです」


「製本……カフェ。はい、ありますね」


 増川さんは、すぐに頷いてくれた。

 さすが営業部、本を扱うお店には詳しいんだなあ。


「はい! 本を自分で作れるカフェって聞いて。紙とか、綴じ方とかも選べるみたいで……」


 話しながら、みなみは不安になってきた。

 もしかして、変な提案だったかな。

 普通のカフェとか、映画とか、そういう場所のほうが、良かったかな。


 でも、増川さんは本が好きだから。

 きっと、喜んでくれるんじゃないかって、思っていたのだ。


「行ってみたいですか?」


「はい! よろしければ……」


 ドキドキしながら答えると、増川さんは微笑んでくれた。


「分かりました。行きましょう」


 よかった。



   *



 製本カフェは、駅から徒歩五分ほどの場所にあった。


 ドアを開けると、紙とインクの匂いがふわっと広がる。

 思わず、胸いっぱいに吸い込む。

 この匂い、大好き。


 壁際には製本機械が並んでいて、テーブルには色とりどりの紙のサンプルが置かれている。


「わあ……」


 つい、声が出た。


「すごい、本当に製本できるんですね!」


 増川さんは、静かに店内を見回している。

 いつもの落ち着いた様子で、安心する。


 みなみは、テーブルの紙に手を伸ばした。


「増川さん、見てください! この紙、すごく手触りがいいです!」


 サンプルを手に取って見せると、増川さんは優しく微笑んだ。


「本当ですね」


 その笑顔に、みなみの胸が温かくなる。


 店員さんが近づいてきて、製本の方法を説明してくれた。


「当店では、無線綴じと糸綴じの二種類からお選びいただけます。無線綴じは接着剤で綴じる方法で、糸綴じは糸で縫って綴じる方法です」


「無線綴じ!!」


 みなみは思わず声を上げた。


「あっ、この無線綴じ、最近うちの編集部で話題になったことがあって!! 接着剤の種類で、耐久性が全然違うんですよね?!」


「はい、その通りです。当店ではEVA系のホットメルトを使用していまして……」


 店員さんの説明に、みなみの興味がどんどん膨らんでいく。


「じゃあ、背固めの処理もちゃんとされてるんですか?!」


「もちろんです。背の部分を削って、接着面を増やしてから……」


 知りたいことが次々と浮かんできて、質問が止まらない。


「あと、紙質なんですけど、コート紙と上質紙だと、どちらが綴じやすいものなんですか?」


「コート紙は表面が滑らかなので、接着には少し工夫が必要ですね。上質紙のほうが接着しやすいです」


「やっぱり!! 私もそう思ってたんです!!」


 これで次から、作家さんに質問されたときにスムーズに答えられる。

 そう思うと嬉しくなって、さらに話し込んでしまう。


「糸綴じだと、ページが開きやすくなるんですよね。でも、無線綴じのほうがコストは抑えられるし……」


 そこで、ふと気づいた。


 増川さんが、横で黙って立っている。


 周りを見ると、他のカップルは楽しそうに会話している。

 おしゃれなラテを飲みながら、笑い合っている。


 それなのに、みなみは一人で店員さんと話し込んでいて。


 増川さんは、ずっと聞いているだけで。


「あっ……」


 顔が熱くなった。


 増川さんのほうを見ると、彼は相変わらず無表情だった。


 でも、きっと、困ってるよ。


 退屈、してるよ。


「ご、ごめんなさい!! 私、つい仕事の話に夢中になっちゃって……!!」


 慌てて謝ると、増川さんは両手を振った。


「いえ、大丈夫ですよ」


 そう言って、優しく微笑んでくれた。


「楽しそうな井上さんを見られて、良かったです」


 その言葉に、涙が出そうになった。


「で、でも……デートなのに、私ばっかり楽しんじゃって……」


「井上さんが本を紙まで大切にされているのが、よく分かりました」


 増川さんの優しさが、胸に沁みる。


「増川さん……」


「それに」


 増川さんは、真剣な顔で続けた。


「やっぱり本って、こうして形になると、一際愛しいですよね」


 みなみは、顔が真っ赤になるのを感じた。


 本当は、増川さんは、退屈していたのかもしれない。


 だとしても、こんなに優しい言葉で、みなみの失敗を受け入れてくれる。


 そう思うと、涙が出そうだ。


「はい……」


 小さく頷くのが、精一杯だった。



   *



 カフェを出た帰り道。

 夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。


「今日は、ありがとうございました!! とっても楽しかったです!!」


 本当に、楽しかった。

 増川さんと一緒にいられて、幸せだった。


「僕も楽しかったです」


 増川さんの言葉に、みなみは安心した。


「でも、次は……」


 増川さんが、少し考えてから言った。


「次は、僕が場所を選んでもいいですか?」


「えっ?」


「もっと普通っぽいところに、行きましょう」


 普通っぽいところ。


 みなみは、クスッと笑った。


 自分のせいだと思えば申し訳はないけれど、それでも増川さんの本音がようやく聞けた気がして、嬉しかった。


「普通っぽいところ……ですか?」


「はい。映画とか、水族館とか」


 増川さんが選んでくれる場所なら、どこでもいい。


「増川さんが選んでくれるなら、どこでも嬉しいです」


 駅に着いて、改札の前で立ち止まる。


「それでは、また」


「はい。また、お願いします」


 手を振って、改札に入る。


 振り返ると、増川さんがまだ見送ってくれていた。


 みなみは胸がいっぱいになった。


(増川さん、本当に優しいな……)


 今日は、ちょっと失敗しちゃったけど。


 次は、もっと増川さんと、楽しい時間を分け合いたい。


 そう思いながら、みなみは電車に乗り込んだ。

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