辿り着けない
黒月
第1話
会社員時代は夕食を外食で済ますことが多かった。勤務していたのは両国で、町工場となんと言っても相撲の街だ。私も何度か有名力士がのんびりと歩いている姿をみたことがある。同僚ともよく「○○関を見た」やら、「相撲解説でも有名な某アーティストを見かけた」やらでちょっと盛り上がったこともある。
そういった土地柄もあるのか、ラーメン屋が非常に多かった。チェーン店やら個人店やら様々。味も家系から懐かしの醤油ラーメンまで様々で、アパートに帰って自炊するには誘惑が多すぎたのだ。
今日はここの店にしよう、とお腹の空いてくる17時位には考え始める、呑気な会社員だった。
ある日はどこで夕食にするかを決めあぐね、ぼんやりと帰路に着いた。
その時ふと、両国橋の近くに気になるラーメン屋があったことを思い出した。通りかかる度満席で繁盛している店だ。
すでに両国駅近くまで来ているので、目の前の横断歩道を渡ればすぐだ。私はその店に行くことを決め、信号が変わるのを待った。
「やけに長い信号だな」
空腹と疲労困憊の頭で思った。信号は赤のままだ。そんなに広い道でもないのに一向に変わらない。体感として10分くらいだったろうか?やがて、信号待ちにも焦れてきて、信号無視で道を渡ってしまおうかという考えが頭をもたげてきた。
とにかく、空腹なのだ。
「えっ…」
道を渡ろうとして一瞬ぎょっとした。反対側の道に誰もいない。いままでなら帰宅中のサラリーマンや学生を大勢見かける場所なのだが。人っ子一人おらず、回りを見渡すと車の通りもなかった。狭い道路とはいえ、この時間に車の通りがまったくないことは今までなかったはず。
信号は赤のまま。
後ろからはいつもの賑やかな帰宅ラッシュの騒音が聞こえてくる。が、この横断歩道の向こうはどうだ。しん、と静まり返り人や車の気配すらない。
変わらず、信号は赤だった。
一向に変わらない信号、車も人もいない道路、街灯こそあれ向こう側の道に不気味さを覚えた私はきびすを返し、両国駅まで走り電車に飛び乗った。
道を渡っていたらどうなっていたのだろう。疲れと空腹でぼんやりしていただけだったのかも知れない。
しかし、道路の向こう側の飲み込まれそうな不気味さは未だに忘れられない。
しばらくして私は両国の会社を辞めてしまったので、あのラーメン屋や、あの道路がいまはどうなっているかわからないが、ラーメン屋には一度行きたかったなと思っている。
辿り着けない 黒月 @inuinu1113
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