最終話 そして、アイツとオレの未来が始まる


 ​学校を飛び出し、どれくらい走っただろうか。


 肺は焼けつくように熱く、足は鉛のように重い。


 それでも俺は、足を止めなかった。

 向かう先は、町のはずれを流れる小さな、小さな小川。

 幼い頃、ザリガニを釣ったり、石を投げて水切りをしたり、喧嘩して、そして仲直りした、俺たちの原点とも言える場所だ。


 ​息を切らしながら土手を駆け上がると、視界が開けた。


 居た !


 夕日に染まる川面を、恵が一人でじっと見つめていた。

 あのジュリエットの衣装のまま、草の上に座り込んでいる。

 夕暮れの光に照らされたその姿は、まるでこの世のものではないように幻想的で、俺は一瞬、息をのんだ。


 この光景を、この存在を、絶対に失ってはいけない。


 俺は、最後の力を振り絞って叫んだ。


「恵!」


 ​俺の必死の声に、恵の肩が小さく跳ねた。

 ゆっくりと、本当にゆっくりと、こちらを振り返る。

 その大きな瞳は舞台の上で流した涙のせいか、夕日のせいか、赤く潤んでいた。


 ​俺は、もつれる足で恵の前まで駆け寄ると、その場に膝から崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えた。

 汗と、涙か分からないもので視界が滲む。


「ごめん……!」


 ​やっとのことで絞り出したのは、謝罪の言葉だった。


「俺、ひどいこと言った……!

 本当にごめん……!」


 ​ 今まで、誰にも見せたことのないような情けない顔になっているだろう……俺は恵に頭を下げた。

 硬派だとか、プライドだとか、そんなものはもうどこにもなかった。

 恵は何も言わず、ただ驚いたように俺を見ていた。


「お前が……お前が女の格好してるのも、他の男と仲良くしてるのも、全部、見てて苦しかった。

 なんでか、分からなかったけど……でも、もう分かった」


 ​俺は、自分の気持ちを正直に、不器用な言葉で語り始める。


 もう、ごまかさない、逃げない。


「俺は、お前が笑いものにされるのが嫌だったんじゃない。

 他の誰かに、お前の特別な笑顔を見せるのが嫌だったんだ。

 俺は、お前のことを守りたかったんじゃない。

 ただ、独り占めしたかっただけなんだ……!」


 ​言葉に詰まる俺の前に、恵がそっと膝をついた。 その潤んだ瞳が、俺の言葉の続きを待っている。


「友情とか、親友とか、そういう言葉じゃ、もう足りない。

 男とか、女とか、そんなの関係ねえ。

 俺は、河野恵っていうお前自身が……好きなんだ!

 だから、どこにも行くなって、俺のそばにいてくれ……!」


 ​魂の叫びのような告白。


 それを聞いた恵の瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。

 でも、その口元には、穏やかな、優しい笑みが浮かんでいた。


「……僕もだよ」


 ​か細いけれど、はっきりとした声だった。


「僕も、ずっと達也が好きだった。達也に嫌われるのが、世界で一番、怖かった……」


 ​嗚咽おえつを漏らす恵に、俺はどちらからともなく手を伸ばしていた。


 ぎこちなく、しかし強く、その手を握りしめる。

 それは、幼い頃の「なかなおり仲直りの握手」とは違う、お互いの未来を確かめ合う熱い約束の感触だった。



 ◇◇◇


 ​

 ​数日後。みのりやだんご店のいつもの席には、並んで醤油だんごを頬張る俺たちの姿があった。


​「ほら、口にきなこついてる」


 ​俺がごく自然に恵の口元を指で拭うと、恵は顔を真っ赤にして「じ、自分でできるよ!」と慌てている。

 そんなやり取りを、店のおばあちゃんが「あらあら」と嬉しそうに見ていた。


 雰囲気は以前と少しだけ違う。


 俺はもう、恵に向ける自分の感情に戸惑わない。


 ​文化祭の打ち上げの日。


 真由美が、少し照れながら「紹介します、私の好きな人です」と、別のクラスの、人の良さそうな男子をみんなの前に連れてきた。


 俺は心から「おめでとう、真由美」と言った。


 真由美は、俺と恵を見て、自分のことのように幸せそうに微笑んでくれた。


 ​河野家では、蘭さんと菫さんが「だから言ったでしょ!私たちの目に狂いはなかったわ!」と祝杯をあげ、妹の桃ちゃんが、そんな姉たちと、はにかみながら寄り添う俺たちの姿を、スケッチブックに楽しそうに描いていた。


 ​そして、また、いつもの帰り道。


 夕日に照らされながら、二つの影が寄り添って長く、長く伸びていく。


 俺の右手には、恵の左手の柔らかい感触があった。


「なあ、恵」


「なに、達也?」


「……いや、なんでもない」


 ​まだ言葉は少しぎこちない。


 けれど、固く繋がれたこの手が、言葉以上のすべてを物語っていた。


 ​ ……♪……♬……♩……♫※ 歌詞を入れると怒られるのでスミマセン


 ​デューク・エイセスの歌の一節が、俺の心に自然と流れる。


 恋人未満、親友以上。俺たちのこの関係に、まだ名前はない。


 けれど、それでいい。


 確かな絆が、今、ここにはっきりとあるのだから。


 始まったばかりの、名前のないこの物語を、大切に、大切にしていこう。


 そう誓いながら、俺たちは夕日の中を、未来へと歩いていく。



 ​ ── 終 ──


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