第8話 女神たちのお節介
降り続いた雨がようやく上がった、金曜日の放課後。
俺は学校近くのファミリーレストランのボックス席で、一人、意味もなくドリンクバーのアイスコーヒーをかき混ぜていた。
目の前には、仁王像のように腕を組んだ河野姉妹が二人。長姉の蘭さんと、次姉の菫さんだ。
『放課後、駅前のファミレス。来ないと恵に一生会わせない』
昼休みにスマホに届いた、蘭さんからの簡潔かつ脅迫的なメッセージに、俺は逆らうことなどできなかった。
◇
──某ファミレス ──
「さて、と」
メニューを眺めるふりをしていた蘭さんが、パタンとそれを閉じ単刀直入に切り込んできた。
「新堂達也くん。うちの可愛い末っ子を泣かせた罪は重いわよ? 何があったか、洗いざらい白状なさい」
(桃ちゃんが末っ子じゃぁ~ と言える雰囲気では無いのでスルーすることにした)
隣で菫さんが、ストローでメロンソーダを静かにかき混ぜながら、値踏みするような視線を俺に送っている。
逃げ場はなかった。
俺はここ数日の憔悴も手伝って、観念してぽつり、ポツポツと事情を話し始めた。
文化祭の演劇のこと。
ロミオ役の佐伯のこと。
そして、自分が恵にぶつけてしまった醜い言葉の数々を。
すべてを話し終えると、俺は項垂れた。
どんな罵詈雑言が飛んでくるかと身構える。
しかし、返ってきたのは予想とは全く違う、呆れ果てたようなため息だった。
「はぁ? なにそれ……要するに、ただの嫉妬じゃない」
蘭さんの言葉に、俺はカッと顔を上げた。
「ちっ、違う! 嫉妬とか、そんなんじゃなくて、俺はただ、あいつが……」
「あんた、恵のこと好きすぎでしょ」
蘭さんは、俺の反論をピシャリと遮った。
その目は、すべてを見透かしているように真っ直ぐだ。
隣で菫さんが「恋する
佐伯くん×恵もいいけど、やっぱり王道は達也×恵よね……萌えるわ」と、あらぬ方向へと思考を飛ばしているが、今は
「嫉妬だよ、それは……自分のものだと思ってたおもちゃを、他の子に取られそうになってる子供と一緒。
アンタ、恵が自分以外の人間と仲良くするのが、許せないだけでしょ?」
「……っ!」
図星だった。
俺がずっと目を背けてきた、一番認めたくなかった感情。
それを、いとも容易く他人の口から突き付けられる。
ぐうの音も出ないとは、まさにこのことだ。
俺が黙り込むと、姉妹の雰囲気がふっと和らいだ。
「まあ、気持ちは分からなくもないけどね」
「恵、綺麗だもんね。舞台に立ったら、きっとファンクラブできるわよ」
「そ、そんなこと……!」
「あるね。絶対ある」
蘭さんと菫さんは、顔を見合わせてくすくすと笑った。
そして、再び俺に向き直ると、その表情は真剣そのものになっていた。
「いい、達也くん」と、蘭さんが言う。
「恵はね、あんたが思ってるよりずっと強い子よ。でも、アンタに嫌われるのが、この世で一番堪えるの」
「自分のせいで達也を怒らせたって、あの子、ずっと自分を責めてるわ。本当は、アンタが一番悪いのにね」
菫さんの言葉が、胸に突き刺さる。
「分かってるなら、さっさと謝りなさい!
不器用とか硬派とか、そんなの恵を傷つける言い訳にはならないのよ。男でしょ!」
蘭さんの力強い言葉に、俺は顔を上げることができなかった。
そうだ、その通りだ。
俺は自分のつまらないプライドを守るために、一番大切な人間を傷つけていたんだ。
カラン、とグラスの氷が溶けて音を立てる。
それは、俺の中で凝り固まっていた何かが、少しだけ溶け始めた音のようにも聞こえた。
◇
──恵の教室 ──
その頃、恵は一人、放課後の教室に残っていた。 誰もいなくなった教室はしんと静まり返り、窓の外からは雨上がりの湿った土の匂いが流れ込んでくる。
手元には、『ロミオとジュリエット』の台本。
しかし、文字は少しも頭に入ってこなかった。
「恵」
不意に名前を呼ばれ、恵は驚いて顔を上げた。
そこに立っていたのは真由美だった。
その手には、自販機で買ってきたらしい、湯気の立つミルクティーの缶が二つあった。
「これ、差し入れ。まだ温かいよ」
真由美はにこりと笑うと、恵の前の席に座り、ミルクティーを一つ、机の上に置いてくれた。
じんわりと伝わる温かさに、強張っていた恵の心が少しだけ解けていく。
「……ありがとう、真由美」
「どういたしまして。……元気、ないね」
真由美は、責めるでもなく、ただ優しく恵の話を聞き始めた。恵がポツリポツリと達也と喧嘩したこと、自分が達也を怒らせてしまったことを話すと、真由美は静かに首を横に振った。
「達也ね、すごく後悔してたよ。
私、見ちゃった。大道具の作業中、ずっと恵のこと目で追ってた。話しかけたいけど、話しかけられないって顔してた」
「……えっ?」
「あいつ、昔からそうじゃん。恵のことになると、いつも周りが見えなくなって、不器用になるの。
本当は、誰よりも恵のこと大事に思ってるのにね」
真由美の言葉は、恵が自分に言い聞かせてきた「達也に嫌われた」という思い込みを優しく溶かしていくようだった。
そして、真由美は意を決したように、すっと息を吸った。
「……あとね、恵に言っておかなきゃいけないことがあるの。私、この前、達也に好きな人がいるって話したでしょ?」
恵はこくりと頷く。
「あのね、私が好きだって言った人、……達也じゃないんだ」
その言葉に、恵は息をのんだ。
じゃあ、どうして達也に?
恵がそう問う前に、真由美は続けた。
「ごめんね、紛らわしいことして。
ちょっと、ヤキモチ妬かせようかな、なんて……子供だったよね、私」
真由美は涙が浮かんでいるのを隠すように、少し寂しげに、でも晴れやかな笑顔で言った。
「だから、恵は自分の気持ちに嘘つかなくていいんだよ」
その言葉は、まるで魔法のようだった。
がんじがらめになっていた恵の心を、するりと解き放ってくれた。
恵の瞳に、失われていた光がゆっくりと戻ってくる。
ふと窓の外を見ると、分厚い雲の切れ間から夕日が差し込んでいるのが見えた。
雨上がりのグラウンドが、キラキラと黄金色に輝いている。
それは、新しい始まりを告げる光のように恵には思えた。
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