第三話 「混同の源」
夜は解析に向いている。昼は人が多すぎて、因果が見えにくい。夜は余白が増える。余白に線を引けば、それが道になる。神谷礼音は、デスクライトを低く落とし、モニタの前に指を組んだ。画面には静止した一枚のサムネイル——《レッドルート死亡回》。右上に、彼自身のロゴ。ロゴの周縁に、ごく僅かな“白”。アンチエイリアスの白鳩。目を凝らし、ズームをかけ、フチを剥がす。剥がすという言い方は比喩だが、指先には確かに“剥がす感覚”がいる。
「フチ、1.5pxのズレ。元のロゴはベクタ。これ、ラスタで貼ってる」
ヘッドセットの向こうで、ヤチヨがカップを置く音。「フォントは?」
「“礼音ロゴ”の『谷』の隙間——本物はY字の切り込みが鋭い。これ、鈍い。ロゴファイルは旧版のPNGを拾ってる。俺のGitじゃなく、どっかのまとめWikiから」
「字幕は?」
「字間が揃いすぎ。“Noto風”のカスタム。俺の配信は『ゃ』『ゅ』のカーニングを少し広めに取る癖がある。これは見栄えに合わせて均してる。……つまり、俺が置く“意図的な不揃い”が、消えてる」
「人工の均一は、作り物の証左。いいね」
礼音は別のタブを開いた。偽動画のフレームから抽出した色情報。赤い梯子の赤は、32フレームごとに微妙に飽和が跳ねる。これは、撮影機材のオート露出の癖ではない。さらに、音声の高域に微細なピアノの残響。BGMを後から薄く足した跡。彼は、音の波形に指先で触れたくなる衝動を抑え、数値で言葉にする。
「色のバンディングは8bitの再圧縮。元ソースは10bitの可能性。音は2kHzにリフレインが残ってる。——編集の手が、見える」
「いいよ、その“編集の手”の指紋を集めよう」
ふたりはフローを組む。サムネのレイヤー構成を解析し、ロゴのフチのズレを計測し、字幕のフォントとカーニングの癖を抽出し、音声の残響とノイズフロアの違いを拾う。そこから、同種の動画群を逆引き。共通する“手の癖”を束ねる。束ねた先に、同じ“香り”があった。投稿者名はころころ変わるが、アップロードのタイミング、タグの配置、説明欄の絵文字の並び、収益化リンクの貼り方、外部チャットへの誘導文——すべてが同じ工房の匂いを纏っている。
「特定のクリエイターチーム」と、ヤチヨ。「呼び名が必要だね」
「自称は“切抜き工房Z”。外向きは“事故の教訓を共有”。内向きは“死の瞬間でバズ”。……ロゴの合成は“連帯炎上”狙い。特定の配信者コミュニティ同士を嫌わせ、横断的に視聴数を稼ぐ」
「面子を潰すのは簡単。けど、面子は誰かの血圧の問題で、構造じゃない」
「うん。“ざまぁ”は通過儀礼じゃない。消費だ」
礼音は、デスクに置いた紙に三行書いた。「切抜き工房Z:①切り抜き範囲の恣意性 ②ロゴ合成 ③説明欄の偽装」。その下に、赤で線を引く。「制度」。字は太くはないが、インクの濃さで意思は出る。「プラットフォームに提案——“混同禁止・改竄対策規定”。違反時の対処は『非公開BAN』ではなく、『公開審理+矯正策提示』」
ヤチヨが笑う。「“矯正策”、良い言葉。好きなだけ『謝罪』させるより、具体的で痛い」
「痛みは可視化されるべき。痛みを可視化しないと、復讐が増える」
「それ、恋愛でも使える?」
「恋愛、仕様書がない」
「仕様書、作りなよ。『神谷礼音・交際仕様書』。公開で」
「死ぬ」
ふたりの会話は乾いているが、乾いた木は火に強い。湿った木は煙に見えるが、すぐ燻る。
◇
翌日。礼音はプラットフォームの会議室に立った。壁の白は眠そうで、蛍光灯の明るさは正確だ。安全チーム、法務、政策担当、そしてコミュニティ運営の責任者。モニタには、礼音とヤチヨの作った「混同の痕跡」まとめ。ロゴのフチのズレ、字幕のフォント、カーニング、音声の残響、エンコード世代差、アップロードのメタデータの周期性。列挙は退屈に見えるが、退屈は裁きの味方だ。
「提案です」と礼音。「“混同禁止・改竄対策規定”。要点は三つ。第一、他者のロゴやUIの合成を禁じ、AI生成含め検出が可能なレベルでの識別情報付与を義務づける。第二、違反の一次対応は『非公開の停止』ではなく、『公開審理』。審理では“誤り”の具体を示し、矯正策を提示することを条件に、段階的復帰を認める。第三、審理と矯正のプロセスはアーカイブして参照可能にし、教育資源に転用する」
政策担当が目を細める。「“公開審理”で、炎上を煽らないか」
「“公開”は“煽り”と違います」と礼音。「『公開』は椅子を置く。“座れる場所”。“煽り”は段差を作る。落ちる場所。——椅子を置ける構造になるなら、公開はむしろ燃料を減らす」
法務が書類を繰り、「プラットフォーム外の拡散には手が出せない。そこで『矯正策』とは?」
「三つ。①訂正動画の作成を義務化(原動画と同等のリーチで配信)。②ウォーターマークの強制付与(生成物への自動署名)。③“混同”が発生した配信者への補償プールへの拠出。——罰ではなく、手当。手当を“制度”で」
コミュニティ責任者が頷く。「『矯正』の方が現場が回る。BANは、一時的に静かになって、長期的には賢くならない」
安全チームの若手が手を挙げた。「検出は技術でやるとして、境目はどうする?『パロディ』と『混同』の差」
「ラベルです」と礼音。「パロディは明示。タイトル、説明、動画の冒頭五秒で『二次創作』『パロディ』をラベル。ラベルなしは混同扱い。曖昧さは『公開審理』で解消。正解は一つじゃないが、手順は一つでいい」
会議室が静かになった。沈黙は否定ではない。考えている音だ。考えている音には椅子が要る。椅子は足音を止める。
「進めましょう」と政策担当。「ただ、内部だけで決めると反発が大きい。——君、共同でドラフトを作る気は?」
「あります」
「君の名前で、嫌われる」
「嫌われの費目は、未設定ですが、累積で管理します」
薄笑いがいくつか散り、空気の硬さが一段下がる。硬さは必要だが、ずっと硬いと折れる。折れない硬さがほしい。
◇
ふたりは走った。走るというのは、比喩で、実際にはキーボードを叩く速度と、電話の数と、共有ドキュメントの更新履歴の密度が増えただけだ。「混同禁止・改竄対策規定(案)」の冒頭に、ヤチヨが一段、短く置いた。
——「私たちは、『潰す快楽』の制度化を拒否する。間違いは晒されるべきであり、同時に、直し方も晒されるべきだ」
文は平らだが、芯がある。礼音はその下に、技術項目を積んだ。ロゴの署名方式、UI要素のハッシュ、映像・音声の“微細な癖”のテンプレ化、生成物に対する逆引きの仕組み。テンプレは、創造を縛るのではない。創造を“無罪にする手順”だ。
同時に、礼音は自分の配信設計を進化させはじめた。タイトルは《三択→理由投票→重み付け→視聴者クレジット》。UIはシンプル。三択が提示される。選ぶには、理由を短く書く。理由はカテゴリに分けられ(安全・効率・好奇心・未知の発見)、投票はカテゴリごとに重みが違う。重みの初期設定は安全>効率>好奇心>未知。だが、投票者の“信用スコア”で微調整される。信用は、過去の理由の質と、結果への「責任」によって上がる。
「責任って何」とチャットが聞く。
「結果が出たあと、クレジットで名前が出ることです」と礼音。「匿名でもいい。ハンドルでもいい。『自分がその結果に加担した』と、あとから参照できること。“投票の気持ちよさ”に、“結果の重み”を紐づける。——攻撃は、重みに弱い」
実装初日、チャットは静かだった。静かさは失敗の兆候ではない。熟考の音だ。やがて、コメントの欄に、短い理由が積み重なる。《安全:退避近い》《効率:目的地と直結》《好奇心:未知の匂い》《未知:ワクワクする》……そのすぐ横で、モデレーションの小さな帯が流れる。「危険煽り(理由なし)—非表示」「『死ね』系—ブロック」「『やってみた』—保留」。目に見える。目に見えると、煽りは減る。煽りは“陰”を好む。陰が減ると、花が残る。
結果画面には、小さなクレジットが出た。《選択:青い扉・裏配管ルート/理由カテゴリ:安全(55%)効率(25%)好奇心(12%)未知(8%)/主要投票者:@sui_●●(安全)、@kasei_▲▲(効率)……》。名前は小さい。小さいが、残る。残ると、人は少しだけ、言葉を選ぶ。選ばれた言葉は、配管の音のように、テンポを作る。
「“重み”いじってるだろ」と、DM。アイコンは禿鷹、文体は骨の出っ張りを誇る風。「おまえのやり方は甘い。潰さないと潰されるぞ。敵は“構造”じゃない。人だ。人は面白い方に流れる。面白いを殺せ。炎上屋を吊るして見せろ」
礼音は返す前に、いったん紙に書いた。紙は、怒りを落ち着かせる器だ。「潰しても視界は良くならない。透明にする」。返信は短く、冷たい。「君の面白さは、一瞬の熱でできている。俺の面白さは、手順の温度でできている。温度が合わないなら、距離を置こう」
十秒で返事。「かっこつけ。恋愛もそうだろ? 遠回りして、気づいたら誰かに取られてる」
礼音は笑い、DMを閉じた。ヤチヨに転送する。「恋愛のDM来た」
通話が鳴り、ヤチヨが鼻で笑った。「あんた、恋愛下手そう」
「仕事に恋してるから」
「じゃ、その恋を通報フォームに翻訳してあげる。『混同の矯正策』の申請テンプレ、“恋愛にも効く版”」
「テンプレ、万能」
「万能じゃない。万能を装うテンプレは、構造の敵。——必要条件だけをテンプレにする」
ふたりは笑い、仕事に戻る。笑いがあると、テンポが戻る。テンポは解析の友達だ。
◇
“切抜き工房Z”への直接の接触は避けた。公開審理を見据える以上、ここで最も必要なのは、証拠の「乾燥」だ。乾いた証拠は燃えにくい。燃えない証拠は、長持ちする。礼音は協会の監査官に付き添われ、工房が使っていると噂のコワーキングスペースのラボを外から見るだけに留めた。ガラス越しに、編集用のマシンが並び、モニタに三つのウィンドウ——切り抜き、合成、字幕。画面の端に、外部チャットのログ。「○○のロゴを乗せろ」「△△のサムネの体裁に寄せろ」「“事故の教訓”のタグは有効」。礼音は、胸の内が冷たくなるのを感じた。冷たさも証拠だ。冷たさは、熱よりも長持ちする。
「ねえ」とヤチヨ。「公開審理で、彼らに何をしてほしい?」
「三つ。①訂正動画を作る(“混同”の仕組みと自らの手を説明)。②ウォーターマークを実装する(生成物に署名)。③補償プールに拠出する。——それが済んだら、復帰の“手順”を示す」
「“ざまぁ”ではなく“制度”」
「うん。“ざまぁ”は、視界を曇らせる」
「視界が曇るの、好きな人もいる」
「曇りは、朝靄だけでいい」
ふたりが歩く歩道の脇で、浅層ダンジョン・花街ループの入口に貼り紙が増えていた。「香気迷路・初心者向け注意」「裏配管の風の読み方」「見学者用の椅子」。椅子は増えていく。椅子の数だけ、怒りは座る。
◇
“安全配信ガイド(案)”は、予想より早く社外に顔を出した。プラットフォームの公式アカウントが「策定中」とだけツイートし、礼音の名と協会のロゴが並ぶ。反応は薄く、しかし、長い。「読みたい」「うちの部でも使える」「教育現場にほしい」。現場は、いつだって、手順を欲しがる。手順は安心を約束しない。けれど、安心までの階段の勾配を、平らにする。
礼音はその勢いで、自分の「配信仕様書(公開版)」の改訂も進めた。「やらないこと」の欄に、数行、はっきり書く。「恐怖の煽りをタイトルに置かない」「未成年の模倣を示唆しない」「“成功確率”を賭けの言葉で表現しない」「ロゴの管理キーを外部に渡さない」。そして、「やること」の欄に、「公開検証」「封印」「理由付き投票」「視聴者クレジット」「矯正のアーカイブ」を足した。仕様書は、恋文に似ている。相手は未来だ。未来は既読をつけないが、未読ではない。
配信の現場は、確かに変わり始めていた。三択→理由投票→重み付け→クレジットの流れは、回を重ねるごとに滑らかになり、危険な選択を煽る声は減った。煽りは消えない。だが、薄くなる。薄くなるだけで、都市は持ちこたえる。持ちこたえることは、勝ちだ。
ある夜、チャットに見慣れない緑の名前が現れた。視聴者代表の一人だ。匿名でいい、と言ったが、時々そっと、いる。「今日のクレジット、見たよ。名前が小さく並ぶの、好き。責任が少し可愛く見える」
礼音は笑って、「責任の愛玩化は危険だよ」と返す。「でも、可視化は、責任を怖くなくする」
「怖くなくなると、近づける」
「近づけると、直せる」
ヤチヨが裏側でクスクス笑い、モデレーションログに小さく「恋バナ(害なし)」と書き込んだ。ログは冗談をも記録する。冗談の記録は、制度の余白だ。
◇
“切抜き工房Z”の中の一人から、匿名でDMが来た。「おまえのやり方は甘い。潰さないと潰されるぞ」。礼音は既に同種のDMを見ていたが、これは、少し違う匂いがした。言葉の末尾が揺れている。息が切れている。「仕事を失う人間が出る。『矯正』は、生活にとっては『罰』だ」
礼音はすこし時間を置き、返した。「『罰』がいらないように、手順を前に出す。それでも『罰』が出るなら、せめて『罰』の内容を、手続で選べるようにする。——『矯正策』は、君の生活の中でできる範囲に設計されるべきだ。だから、公開審理で話す。君の『できる』を、出して」
返事は来なかった。来ないことは、悪ではない。返せない夜はある。返せない夜は、眠るべきだ。眠りは、怒りを薄める。
◇
“公開審理”の準備は進んだ。プラットフォームは仮の舞台を作り、モデレータ用の椅子、当事者用の椅子、視聴者代表の椅子、記録係の机を置いた。椅子の配置で、空気は決まる。高い椅子はない。段差もない。段差は落下を誘う。落下は、怒りを呼ぶ。怒りは、見世物に弱い。——見世物に、しない。
初回の審理は“切抜き工房Z”ではなかった。別件の軽微な混同事案。だが、手順のテストとしては十分だった。冒頭、当事者が混同の経緯を説明し、次に技術が検出の過程を説明し、法務が規定の適用を説明し、最後に矯正策の提案を双方で詰める。視聴者代表は、質問するだけ。決めない。椅子は、決定を重くするためにある。重みは、椅子を通して伝わる。
審理の最後、礼音は短く発言を許された。「——『潰す快楽』は、制度にしない。『直す手順』を輝かせたい。これは、正しさを売り物にする配信ではない。『直すこと』を娯楽にする試み。娯楽にしていいのか、と問われるなら、こう答えたい。『直さないこと』が娯楽になっている時代に、生配信がどれだけ関与してきたか、僕らは知っている。なら、反転の娯楽を、試そう」
会場の空気がわずかに微笑んだ。微笑みは会議室に向かない表情だが、制度は時々、微笑みを栄養にする。
◇
夜、スタジオ。礼音は画面を暗くし、マイクを少し遠ざけ、雑談の枠を開いた。「“混同の源”を辿る話」。チャットには、新しい語彙が育ちつつある。《矯正》《封印》《理由》《重み》《クレジット》——そして《椅子》。視聴者の一人が書いた。「椅子の数だけ、怒りは座る」は名言だと。礼音は笑って、「それ、誰の言葉だっけ」と返す。誰の言葉でもない。今日の言葉だ。
配信の最後、ヤチヨが音だけで入ってきた。「“切抜き工房Z”、動いたよ。外部チャットに、『公開審理なら出る』って書いてある」
礼音は息を整えた。「出るなら、椅子を増やす」
「椅子追加、申請しておく」
「恋愛の椅子は?」
「それは、個人持ち」
「仕様書にない」
「仕様書、改訂して」
笑いが残り、配信は閉じた。画面が黒くなると、自分の顔がうっすら映る。BANの朝の顔と、今日の夜の顔は、似ていなくていい。似ていないことが、筋肉だ。筋肉は疲れる。疲れるから、制度がある。制度があるから、明日の朝、また配信は起動できる。
ベッドに入る前、礼音はメモに一行、書き足した。「“連帯炎上”を、“連帯修復”へ」。言葉遊びに見える。見えるが、言葉は滑車だ。滑車があれば、重いものが動く。明日、滑車をもう一つ、増やす。増やすことは、過激ではない。地味だ。地味は、長持ちする。長持ちは、視界を良くする。視界が良ければ、赤い梯子も、青い扉も、同じだけの現実になる。現実の同量化——それが、礼音の娯楽だ。
スマホが震えた。最後の通知。ヤチヨから。「“恋の仕様書”、雛形作った。『理由付き告白』『公開矯正』『クレジット』。——嘘だよ。おやすみ」
礼音は、笑って電気を落とした。「おやすみ」。暗闇は、可視化の始まりだ。黒は、最初のスクリーン。黒の上に、明日のUIが薄く浮かぶ。三択、理由、重み、クレジット——そして、椅子。椅子は、増やせる。増やせるものは、希望に似ている。希望は、制度の親戚だ。親戚づきあいは面倒だが、孤立より安い。安いほうが、持続する。持続するものが、勝ちに似る。勝ちに似るものを、勝ちと言わずに、積み上げる。——それが、彼の仕事だ。
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