ああ!昭和は遠くなりにけり!! 第16巻

@dontaku

第16巻

3姉妹の活躍がいよいよ本格化していきます。



ああ、遠くなる昭和の思い出たち


淡い恋心・・・信子そして美穂と里穂と歌穂



10月の第一土曜日は音大のヴァイオリンコンクールだ。優太君はこのコンクールを以って卒業となる。

その代わりに加奈ちゃんが初登場することもあって3姉妹と遥香さんが顔を揃えていた。その為記者さんやカメラマンさんたちの注目を一身に集めていた。ホールには大勢の優太ファンの女性たちが最後の晴れ姿を見ようと詰めかけ熱気を帯びていた。

加奈ちゃんは年長組のため幼稚園児の一番最後に控えていた。控室では優太ママが2人に付き添っており、

3人でお喋りをしてリラックスムードだ。

しかし、優太君と優太ママはひたすら自由曲を発表しない加奈ちゃんを不思議に思っていた。更に加奈ちゃんの番で衝撃の自由曲発表が行われることになる。

加奈ちゃんの名前が呼ばれると3姉妹と遥香さんから大きな拍手が送られる。それににっこりと笑って答える加奈ちゃん。思わず会場内から「かわいい!」と言う声が飛んだ。会場内はそれに反応して大きな拍手と笑い声が。

進行係のお姉さんが加奈ちゃんの課題曲をアナウンスする。加奈ちゃんの課題曲は「ラ・カンパネラ」だ。会場内に驚きの声が走る。今までの出場者の園児たちは比較的易しい曲を課題曲に選んでいたからだ。

そんな会場内で3姉妹と遥香さんは「うん、うん。」と頷いていた。しかし歌穂以外は加奈ちゃんが自由曲で何を弾くのかは知らされていなかった。

静まり返ったホールに加奈ちゃんの澄んだヴァイオリンの音色が染みるように響き渡る。余りの美音に審査員の皆さん方もポカンと口を開けて加奈ちゃんの演奏に聴き入っていた。ピアノの伴奏もない「ラ・カンパネラ」を独特のアレンジで弾き続ける加奈ちゃん。

2人の姉と遥香さんが一斉に歌穂に視線を送る!

そうだ!これは歌穂の編曲だったのだ。

『いつの間に編曲を?』3人だけではなかった。審査員の皆さん方もお互いに顔を見合わせてこの編曲に驚いていた。とても幼稚園児とは思えない加奈ちゃんの演奏に会場内の皆さんは言葉を失っていた。

課題曲の「ラ・カンパネラ」が終わると割れんばかりの拍手が起こった。一礼をする加奈ちゃん。にこにこと嬉しそうだ。

「続きまして、自由曲は「トルコ行進曲」です。」

騒然となるホール。ピアノでも有名な曲だ、が、幼稚園児がヴァイオリンで弾くとなると・・・皆がそう思った。

加奈ちゃんがヴァイオリンを構える。

「おおおーっ!」と言う声が上がる。歌穂と同じ構えを見せる加奈ちゃん。

控室も大騒ぎだった。余りにも幼稚園児離れした演奏技術。そして何よりも美しい音色。居合わせた保護者たちまでもがモニターを食い入る様に見つめていた。

優太君と優太ママは2人で肩を震わせていた。

優太君を送り出すためにまだ幼い加奈ちゃんが「トルコ行進曲」を弾いてくれるのだ。こんなに嬉しいことは無かった。

『これで心置きなくコンクールを卒業できる!』

思いは優太ママも一緒だった。

加奈ちゃんの演奏が始まる。いきなりの高速演奏だ。第2小節からは重音演奏を、そしてオクターブ演奏、高速スタッカート演奏まで披露する加奈ちゃん。

『こんな高度な技術を教えられるのは歌穂しかいない!』

3人は一斉に歌穂を見つめた。だが肝心の歌穂は素知らぬ顔で加奈ちゃんの演奏を楽しんでいた。

審査員の皆さんも唖然とした顔で加奈ちゃんの指と弓捌きを凝視していた。「何という正確さ!」「幼稚園児でもここまで弾けるのか!」

余りにも見事なヴァイオリン単独での「トルコ行進曲」にホール内は酔いしれていた。

演奏が終わると加奈ちゃんは深々と一礼をして応援に来てくれていた両親と3姉妹、遥香さんに手を振って舞台袖へと引き上げていく。そして途中でいきなり駆け出した!その先には腰を屈め、両手を大きく広げた優太君の姿があった。大歓声と拍手が起こりしばらくは鳴り止まなかった。歌穂も客席から立ち上がって愛弟子の演奏を褒めたたえる拍手を贈っていた。

小学生以下の部は加奈ちゃんが満点で優勝した。当然、総合選考に残ることとなった。

控室は蜂の巣を突ついたような大騒ぎとなっていた。

優太君と加奈ちゃん、そして優太ママの3人の周りには参加者と保護者全員が集まり「おめでとう!」と大騒ぎだ。思わず運営のお姉さんたちの「お静かに!」と注意が飛ぶ。

いよいよ小学生の部だ。優太君は最後にトリとして出場する。一段落した控室でヴァイオリンの弦を優太ママにチェックして貰う加奈ちゃん。それを遠巻きに見守る出場者の面々。

そうしている間に優太君の出番だ。ハイタッチで送り出す加奈ちゃん。

割れんばかりの拍手の中、優太君の登場だ。

課題曲がアナウンスされる。

「えっ?」騒然となる会場内。

それもそのはず、アナウンスされた優太君の課題曲は「きらきら星変奏曲」、そう、加奈ちゃんの大好きな曲だ。

控室で両手を合わせてモニター越しで優太君を見守る加奈ちゃん。自分の大好きな曲を優太君が弾いてくれるのだ。嬉しかった。本当に嬉しかった。

綺麗な音で「きらきら星変奏曲」が演奏される。本当にあの「きらきら星」なのかと思ってしまう程見事な演奏だ。

2番になると重音演奏、サビ部分ではオクターブ演奏と見事な技術力を見せる優太君。これは正に加奈ちゃんへの贈り物だった。あまりに嬉しくて泣き出してしまう加奈ちゃんを優太ママがそっと後ろから優しく抱きしめる。

控室の皆も見事な「きらきら星変奏曲」の演奏に度肝を抜かされていた。皆、ヴァイオリンを習いたての小さな子が弾く曲だといつの間にか思い込んでいたからだ。

「きらきら星変奏曲」が終わると拍手が巻き上がるようにホールに鳴り響いた。

「わああーっ!」ホールに歓声が上がる。

次に自由曲が発表されるのだ。歓声の理由はピアノの奏者にあった。美穂だ!美穂がいつの間にかドレスに着替えて登場したのだ。もう「カルメン幻想曲」以外は考えられなかった。そしてアナウンスが流れる。

優太君と美穂は視線を合わせてお互いに頷き合う。

「きゃあーっ!」と女性ファンたちの悲鳴に近い声が上がる。

そんなことはお構いなしに美穂の指が鍵盤を叩く!

何時も通りの美穂の力強い序奏だ。

そして優太君のヴァイオリンが鳴り響く。

とても小学生コンビとは思えない程の超絶技巧を繰り広げる二人。控室では泣くのも忘れて舞台袖で二人の演奏に聴き入る加奈ちゃん。絶妙なタイミングで音を合わせて弾き進めていく二人。

『私のタイミングと違うわ!さすが美穂お姉ちゃん!』歌穂は美穂の伴奏の奥の深さに驚かされていた。結婚式場とはまた異なる美穂のピアノ演奏を改めて知る歌穂だった。

貴公子優太君と絶対女王美穂のコンビによる「カルメン幻想曲」は感動の内に幕を閉じた。二人で一緒に手を繋いで一礼をすると大きな声援と拍手が、そしてそれが鳴り止むことは無かった。以降、二人は“プロ以上のアマチュアコンビ”として名を馳せていくことになる。

演奏が終わって舞台袖に戻ると涙を流して待っていた加奈ちゃん。そんな加奈ちゃんを二人で抱き締める。

幼いながらもヴァイオリニストとして目覚め、そして成長していく皆の宝物の加奈ちゃんをしっかりと抱き締めてお互いをたたえ合うのだった。

優太君が得点対象者から外れているため、小学生の部で満点を取り、加奈ちゃんと一緒に総合審査へ進む参加者はいなかった。

いつしか控室前には3人娘と遥香さんの姿があった。信子と優太ママは優太君と加奈ちゃんのヴァイオリンの手入れを行なうとのことで子供たちだけで地下の連絡通路を使って一足先に学食へ向かった。

地下通路に楽しげな声が響く。

食堂の前のショーケースを皆で眺めてメニューを決める。「加奈ちゃん、これ良くなあい?」里穂が指差したのは最近メニューに加わった“お姉さまランチ”だった。型抜きのチキンライス、エビフライ、赤いウインナー、玉子焼き、ナポリタン、マカロニグラタンとデザートのプリンがところ狭しと乗っている。

「わああーっ!」そう言って目を輝かせる加奈ちゃん。

「はい!加奈ちゃんは決まりだね!」注文を取っていた美穂の一言に皆大笑いだった。

遥香さんの顔パスで個室へ案内される。食堂のお姉さんたちとはすっかり顔なじみの遥香さんに一同感心する。「4月からは美穂ちゃんと優太君と一緒だね。」そう言って明るく笑う遥香さん。

結局全員が“お姉さまランチ”を頼んで個室へ運ぶ。

全員揃って「いただきます!」と声を揃えてそれぞれ好きなものから口に運んでいく。「美味しいね!」皆そう言いながら食べ進めていると2人のママが到着する。「まあ!皆で同じもの食べているのね。」そう言ってヴァイオリンを置いて食券の自販機へ向かう。2人のママは秋から冬にかけての定番だというビーフシチューを持って戻って来た。余に良い匂いに全員が視線を送る。大きくカットされた牛肉、ジャガイモ、ニンジン、タマネギとブロッコリーが入っているのだ。付け合わせの自家製のロールパンも焼きたてで美味しそうだ。

ホロホロの牛肉をスプーンでカットし、それを加奈ちゃんの口へ運ぶ信子。少しためらいながらもパクリと頂く加奈ちゃん。目を丸くして美味しさを表現する。

「いいなあーっ!」そう言う歌穂の口へもスプーンで牛肉を運ぶ信子。「うん!おいしい!」満面の笑みで答える歌穂を皆で見つめ、そして笑顔になった。

『まだまだ幼いこの2人の何処にあの演奏をする力が宿っているのだろうか?』不思議に思う優太ママだった。

お昼休みを終えると中学生の部、高校生の部へと続いていく。優太君と加奈ちゃんはヴァイオリン談議に夢中だ。ピッィカートの弾き方を優太君に教わる加奈ちゃん。頭では分かっていてもなかなか指が動いてくれないことは2人とも十分承知している。通常の演奏の合間に入れる難しさ。練習あるのみなのだろう。

次第に高校生や大学生の出場者たちがやって来る。そして優太君と挨拶をして言葉を交わす。しかし、何故幼稚園児の加奈ちゃんが傍に居るのかが分からない様子だった。コンクールも終盤に差し掛かり大学生の部も終わろうとしていた。ここまで満点を出したのは加奈ちゃんだけだった。

「加奈って誰?」控え室ではそんな話が飛び交っていた。進行係のお姉さんが優太君と加奈ちゃんに声を掛ける。「衣装を着替えておいてくださいね。」

その言葉で初めて加奈ちゃんが幼稚園児であることを知る控室のお兄さんお姉さんたち。一声に驚きの声が上がる控室。「嘘だろ!幼稚園児が何を弾いたら満点が取れるんだ?」そんな話が飛び交う中、着替えを終えた2人が現れる。白いワイシャツに黒いズボン姿の優太君。一方の加奈ちゃんは淡いピンクと濃いピンクの合わさったフリルの付いたロングドレスだ。優太ママに着せてもらって上機嫌の加奈ちゃん。「うん、似合っているわ!」と太鼓判を押す優太君と優太ママ。

「かわいい!」「お人形さんみたい!」そんな声が聞こえる舞台袖で待機する2人。

総合第5位から発表が始まる。次々にお兄さんお姉さんたちがステージへと出て行く。

「第1位は・・・加奈ちゃんです!」怒涛の様な声援と拍手の中、レジェンドとなっている優太君と第1位の加奈ちゃんの2人が登場する。手を繋いで幼い加奈ちゃんをリードする優太君。その紳士的な行動にさらに大きな声援が飛ぶ。

会場のご両親はお互い抱き合って泣いていた。そんなご両親に「おめでとうございます。」と声を掛ける3姉妹と遥香さん。

再び入賞者の演奏が行われる。皆、加奈ちゃんの演奏に興味津々だった。『幼稚園児が何を弾いたら満点が取れるのか?』皆そのことが一番の共通する思いだった。

いよいよ加奈ちゃんの登場だ。ステージ中央へゆっくり歩いて来て一礼する。そして歌穂張りにビシッとポーズを決める。「おおーっ!」会場からどよめきが。

曲紹介を待たずして弾き始める加奈ちゃん。

突然始まった「トルコ行進曲」に会場は息を飲む。

いきなりの高速演奏に始まり第2小節から重音演奏へと移る。皆、信じられないといった表情で加奈ちゃんの指の動きを見つめていた。更にサビの第4小節では見事なオクターブ演奏を披露する加奈ちゃん。あっけに取られる会場と控室の皆さんたち。

優太君のコンクール卒業を祝う気持ちで弾く「トルコ行進曲」の迫力に3人の姉たちも心を鷲掴みにされたようだった。『歌穂も天才だけど加奈ちゃんも天才だわ!』3人ともそう確信してお互いを見つめ合っていた。舞台袖で控えている優太君と美穂にもその気迫が伝わってきた。『加奈ちゃん!ありがとう!』二人で見つめ合って頷き合う。

加奈ちゃんの演奏が終わった。会場と控室からは地鳴りのような拍手が鳴り止まなかった。

ステージから戻ってきた加奈ちゃんを代わる代わる抱き締める二人と優太ママ。「間違えずに弾けたよ!」そう言って喜ぶ加奈ちゃんに「うん!うん!」と答える優太君。次はいよいよ優太君と美穂の出番だ。

アナウンスの中、ステージ中央で二人並んで一礼をする。そして美穂はピアノの元へ。何時ものルーティンでピアノにご挨拶。

そして二人でアイコンタクトを交わす。

美穂の指が鍵盤を叩く。いつもの曲の始まりだった。

皆が見守る中、優太君のヴァイオリンが鳴り響く。

二人のコンビネーション抜群の「カルメン幻想曲」だ。

超絶技法を織り交ぜながら弾き進めていく優太君。そしてそれを支える美穂のピアノ。もう二人のリサイタルと言っても過言ではなかった。審査員の皆さんもレジェンド優太君と絶対女王美穂の共演にこにこと演奏を楽しんでくださっていた。

表彰式は加奈ちゃんの助っ人を美穂が行う。重厚過ぎる盾は幼稚園児が持てるものではないからだ。

「すごくお上手に弾けるのでおじさんたちはびっくりしちゃったよ。」学校長さんにそう言われて満面の笑みを浮かべて大きな声で答える加奈ちゃん。

「ありがとう!おじちゃん!」

これには会場も控室も大爆笑だった。普通の幼稚園児の答えそのものだったからだ。カメラのフラッシュにも怖けることのない幼稚園児にカメラマンさんも驚きの声をあげる。

「加奈ちゃんは何処のお教室に通っているのかな?」審査員のお一人が笑顔で加奈ちゃんに尋ねた。

「はい。歌穂お姉ちゃんにたくさん習っています!」はきはきと答える加奈ちゃんを優太君と美穂はにこにこと優しい目で見つめていた。

恒例のエントランスでの記念撮影ではひと際小さな加奈ちゃんを中心に入賞者全員でカメラに収まっていく。「こっちに視線をくださーい!」というカメラマンさんたちのリクエストにも笑顔を絶やさない加奈ちゃん。そして、このニュースは芸能プロにもいち早く届けられた。

翌日の新聞各紙、ワイドショー番組などでも取り上げられ大きな反響を得ていた。「小学生と幼稚園児の天才子弟コンビ」「かほ・かなコンビ」などという見出しが全国を駆け巡った。さらには「優太君のコンクール出場は今回が見納めだった!」「貴公子優太君と加奈ちゃんとの関係は?」などの記事も飛び交っていた。

お陰様でセブンミュージックの電話回線はパンクし、芸能プロの電話も問い合わせがひっきりなしに入り、社員総出で対応に当たってくれた。

また、加奈ちゃんが籍を置く音楽スクールにも問い合わせの電話が届いていた。さらに入校希望者が多数押し寄せる騒ぎとなっていた。優香さんを始めとする楽器メーカー本社からも多数の社員さんたちが応援に駆け付ける騒ぎとなっていた。

「ちょっと待って!今度の土曜日って音大のピアノコンクールだよね!」優香さんの悲鳴にも似た声が事務室に響いた。

音大にも問い合わせが多く寄せられていた。事務局からの報告を受け、急遽理事会が開かれ、次の土曜日は不測の事態に備えて整理券を先着順に発行することとし、さっそくマスコミ各社へ伝達された。


ピアノコンクール当日、音大大ホールには長蛇の列が発生していた。徹夜で並んでくださった方々にはドリンクやおにぎりが無料で配布された。これは音大とセブンミュージックからの感謝の気持であった。

一部のマスコミの「貴公子と絶対女王が音大へ!」という報道により美穂の最後の雄姿をこの目で見ようと詰めかけてくださったようだ。所轄警察署からは交通整理をしてくださる署員さんたちも駆けつけてくださった。音大も警備員さんを3倍に増員し万全の態勢をとった。

朝早いうちから美穂たちを乗せたワゴン車が納品車両に交じって地下駐車場の貨物スペースに到着した。何時もの地下通路を通って控室へ向かう一同。プロであるため出場を果たせなかった歌穂は加奈ちゃんに寄り添っていた。美穂、里穂、加奈ちゃんの3人は何時も通りはしゃぎながらの控室入り、最後に信子からの励ましの言葉がかけられた。

特に加奈ちゃんには「何時も通りにね。ピアノさんはお家のピアノさんとお友達だからね。」そう言って優しく微笑む信子。「お家のピアノさんとお友達のピアノさんだから心配ないよ!」美穂と里穂もそう言って加奈ちゃんを落ち着かせようとしてくれていた。

続々と幼稚園児と小学生の参加の皆さんが入ってくる。皆どの子も緊張気味だ。そんな中、加奈ちゃんは指を動かしウォーミングアップ中だ。その指の動きを見て美穂は「あっ!」と声をあげた。加奈ちゃんが何の曲を練習しているのかが分かってしまったからだ。

嬉しかった。自分のために曲を練習してくれたのかと思うと本当に嬉しかった。

小学生以下の部が始まった。幼い子供たちが一生懸命ピアノに向かう。たどたどしいながらも子供らしい演奏を魅せてくれる。

いよいよ加奈ちゃんの出番がやって来た。ひときわ大きな声援と拍手の中、白いブラウスと黒のタイトスカート姿の加奈ちゃんは落ち着いた様子でピアノの前で一礼する。そしてピアノ椅子に座ると係のお姉さんが椅子の高さを調整してくれる。「ありがとうございます!」としっかりとお礼を言う加奈ちゃんに「まあ!礼儀正しい子!」と言う声が上がる。

課題曲「エリーゼのために」がアナウンスされる。信子直伝の演奏の幕開けだった。

幼稚園児とは思えない指使いはヴァイオリンでの指使いを彷彿させる。しっかりと確実に鍵盤を叩いていく加奈ちゃん。舞台袖で見守る歌穂。「うん。うん。」と頷いて顔をほころばせる。

控室の美穂と里穂もモニターを食い入るように見つめていた。「上手いね。さすがママの直伝だわあ!」

課題曲の演奏が終わると自由曲のアナウンスが流れる。「トルコ行進曲」だ。初めて聴く加奈ちゃんのピアノでの「トルコ行進曲」。先週のヴァイオリンでの演奏は見事過ぎる演奏だった。『ピアノではどうだろう?』と美穂と里穂は期待をしてその時を待つ。

加奈ちゃんの演奏が始まる。滑らかな指の動き、そしてテンポの速さ、申し分なかった。曲調は信子直伝の「トルコ行進曲」だ。『教える方も教える方だけどそれを当たり前の様に弾けるなんて!』

審査員の皆さん、特に学校長さんは身を乗り出して加奈ちゃんの演奏に聴き入ってくださった。おそらく信子の演奏と重複したのであろう。信子直伝のものだと確信された様で「うん、うん。」と嬉しそうに手元の採点表にペンを走らせていた。

加奈ちゃんは満点こそ逃したものの小学生以下の部で優勝し、その高得点から総合審査に残ることとなりコンクール初の出来事となった。

これには観客席のご両親が一番驚いていた。

このことは後に控える里穂や美穂に大きな勇気を与えることとなった。特に里穂は美穂の後を継がなければというプレッシャーと戦っていたからだ。『自分の出来ることをやり切れば良いんだわ!』そう思い直して小学生の部での出番に備えていた。

表彰式を終えた加奈ちゃんが控室へ戻って来る前に舞台袖へ上がる階段下で待ち構える美穂と里穂。加奈ちゃんの姿が見えるや待ちきれずに競い合うように階段を駆けあがり加奈ちゃんに抱き着く2人。驚きながらも嬉しそうにハグされる加奈ちゃん。それを見守る出場者の面々。すい星のごとく現れたピアニスト兼ヴァイオリニスト加奈ちゃんに皆が熱く注目していた。

小学生の部が始まった。後半に入る頃に4年生の里穂の出番がやって来た。濃いブルーのドレス姿の里穂を美穂と加奈ちゃんが激励して見送る。里穂がステージに現れると「おおーっ!」というどよめきが起こる。

もう、それほど有名になった里穂だった。

課題曲の「カノン」が紹介されると笑顔でピアノの前に座る。自然に会場は静かになった。里穂の指が動く。

「カノン」の調べが会場に流れ始める。新人アイドルながらピアノが弾け、スポーツ万能、知識も豊富と言うことなしの小学4年生だ。

自由曲は「トルコ行進曲」だ。美穂を送り出す曲として加奈ちゃんもこの曲を演奏した。里穂も華麗な高速演奏を披露する。美穂は舞台袖で加奈ちゃんと一緒に聴き入っていた。「里穂お姉ちゃん、すごく上手だね。」加奈ちゃんが嬉しそうに美穂に言うと「そうだね。里穂も加奈ちゃんも本当に上手だよ。」そう言って加奈ちゃんの手をしっかりと握り締めた。里穂の「トルコ行進曲」は遥香さんの演奏を彷彿させる素晴らしい出来だった。そして満点を叩き出した。両手で顔を覆い驚く里穂に会場からは「おめでとう!里穂ちゃん!」の大合唱となった。両手を振りながら舞台袖に引き上げてくる里穂を美穂と加奈ちゃんがハグで迎える。観客席の遥香さんと優太君、歌穂も立ち上がって拍手を贈ってくれた。喜びを爆発させる里穂だが心の隅に不安を抱えていた。それは次の春のコンクールに出場出来るかどうかの不安だった。美穂同様、自分も今回のコンクールが最後になるのではないかと言う思いが心の片隅にくすぶっているのだった。

小学生の部はいよいよトリである美穂の出番となった。控室の皆に熱い思いで送り出される美穂。何時もの様に明るくステージへ向かう。里穂と加奈ちゃんに声援を貰って舞台袖へ。美穂を紹介するアナウンスが流れるとホール内は大歓声に包まれた。皆さん、既に美穂が最後の出場となることをご存知の様だ。

美穂は何時も通りのルーティンで、ステージ中央で一礼する。ひと際声援と拍手が大きくなった。それからピアノの傍へ行きそっとピアノを片手で触れてから椅子に座る。深紅のドレスがエレガントな雰囲気だ。

だが、深紅のドレスだけではなかった。課題曲の「ラ・カンパネラ」の曲調が明らかに違った。「ええっ!」遥香さん、優太くん、歌穂が観客席で驚きの声をあげた。今まで聴いたことのない大人のエレガントさを醸し出しているからだ。それは力強さをセーブした滑らかな演奏に徹していたのだった。

『美穂ちゃん!いつの間にかまたお姉さんになったのね!』遥香さんはそう心の中で美穂に向かって叫んでいた。優太君も歌穂もこんなにしっとりとした演奏をする美穂は初めてだった。お互いに顔を見合わせて目をぱちくりさせていた。驚きは審査員の皆さんも同じだった。急に大人びた演奏を聴かされた衝撃波が審査員の皆さんを揺り動かした。学校長さんは美穂が初めてコンクールに参加した時のことを思い出していた。まだあどけなかった美穂が一生懸命「メヌエット」を弾いていたあの頃だ。褒めると「ありがとう!おじちゃん!」と満面の笑みで答えてくれた幼かった美穂の姿だ。そんな美穂が絶対女王としてこのコンクールから巣立っていく。それを想うと目頭が熱くなってくる学校長さんだった。

美穂の自由曲はベートーベンの「交響曲第5番『運命

』第1楽章」と紹介された。ホール内に歓声が上がる。交響曲をピアノで演奏するというのだ。これは美穂自身によるピアノバージョンへの編曲を意味するものだった。会場で見守る5人にも緊張が走る。

そんなことはお構いなしに美穂の演奏が豪快に始まる。ペダルを踏んで最大級の余韻を鳴らす。会場内がビクン!としてしまう程の力強さだ。そして華麗な指捌きで交響曲を鍵盤一つで弾き進めていく。

『ピアノだけでここまで交響曲を再現できるのか!』

学校長さんを始め審査員の皆さんは美穂の演奏に脱帽するしかなかった。

「彼女の演奏は音大大学院並みの実力ですな。」隣の審査員の先生にそう言われて思わず「はい。音大の至宝として迎えます!」と力強く返事をする学校長さん。

観客席の片隅で目に涙を浮かべて聴き入る老婦人の姿があった。お母さまだ。美穂の最後の晴れ姿を見ようと老人ホームの有志の皆さんと訪れてくださっていたのだった。『美穂ちゃん!あなたはピアノ界の宝物よ!』

小学生の部は堂々の美穂の演奏で幕を閉じた。

そして美穂は里穂に続いて満点を叩き出し有終の美を飾った。

続いて行われる中学生の部には瞳さんが登場する。控室で久しぶりの再会を喜び合う。

併せて幼稚園児加奈ちゃんを紹介する美穂と里穂。ピアノを始めてまだ3か月なのに高得点で総合審査に残っていることに驚く瞳さん。新聞のヴァイオリンの記事で知ってはいたもののまさかピアノでもその才能を発揮しているとは知る由もなかったのだ。

中学生の部は瞳さんの一人舞台となった。しっかりと姉の美咲さんの流れを引き継ぎ、ホール内を自分の世界へと誘っていった。そして初めての満点を獲得した。高校の部は1年生の夏海さんから、2年生の陽子さんへと順番にステージで演奏を披露していく。

「うわあっ!皆、上手になっているね。」美穂と里穂はそう言いながらモニターを凝視する。そんな2人の姉を真似るように加奈ちゃんも3人の演奏を食い入るように見つめていた。「あれえっ?夏海さんと陽子さんって弾き方が同じだね。」何気ない加奈ちゃんの呟くような発言に思わず顔を見合わせる美穂と里穂。「うん、そうだよ。2人とも同じピアノ教室で同じ先生に習っているのよ。」里穂が加奈ちゃんの耳の良さに驚きながらそう説明する。「そうかあ。でも何で信子ママにも似ているんだろう?」「うわあ!加奈ちゃんすごいね。実はママは幼い頃は2人の先生、碧さんと一緒に習っていたんだよ。」美穂が付け加えるように説明した。「そうかあ!だから似ているんだね。」無邪気な加奈ちゃんの明るい声が返ってきた。

皆でお昼を食べに音大の食堂へ出向く。陽子さんと夏海さんは初めての音大食堂、そして地下通路だ。声が通路に響くことで少し緊張気味に皆と一緒に歩く。この地下通路は物資の運搬用に音大と音大大ホールの間に造られたものでグランドピアノも楽々通れるほどの広さがあった。そして階段を上がると1号館の1階に出ることが出来る。その隣が音大食堂だ。

毎度のことながら皆が頼むのは“お姉さまランチ”だ。

渋る優太君も“お姉さまランチ”に付き合わされていた。誰の目を気にすることもなく全員でお昼ご飯を頂きピアノ談義に花を咲かせる。特に加奈ちゃんは陽子さんと夏海さんと大いに打ち解けピアノ演奏での指使いを教授されて喜んでいた。

お昼が終わるといよいよ高校生の部だ。1年生の夏海さんは早速の出番のためドレスに着替える。名前の通りにスカイブルーの鮮やかな色のドレスだ。それに見惚れる歌穂と加奈ちゃん。その真剣なまなざしに他の者たちがくすくすと笑う。この光景は今まで見られなかった和気あいあいの控室の光景だ。“皆がリラックスして自分の出番に備える”。そんな光景を作り出したのは美穂だった。

夏海さんの演奏が始まる。課題曲「カノン」をそつなく弾いて行く。そして自由曲は、何と「トルコ行進曲」。

会場がざわつき始める。主だった参加者、加奈ちゃん、里穂、瞳さんに続いての「トルコ行進曲」だからだ。

見事な演奏だったが惜しくも満点には届かなかった。

高校生の部最後は陽子さんだ。オレンジと黄色の、まるでひまわりの様な衣装がステージに映えて華やかになる。課題曲は「ラ・カンパネラ」だ。力強いが何処か波が寄せて引くようなイメージだ。高音部の演奏はペダルを活かしての余韻がまるで鐘の余韻を思わせる様だった。「どうやって弾いているの?」歌穂と加奈ちゃんは里穂に尋ねるが里穂もその演奏方法がよく分からなかった。「あれはペダル裁きよ。足で真ん中のペダルを基本にして隣のペダルへ移動するの。私たち小学生ではまだまだ身長が足りないからこれからの課題だね。」と美穂が説明してくれた。

そんな陽子さんも満点をはじき出した。これで満点は4人となる高レベルなコンクールとなった。

「うわあー皆凄い!尊敬しちゃうわあ!」歌穂がモニターを見て拍手している。

「やだ!“採点不可”を出した子が何言っているのよ!」そう言って里穂に冷やかされる歌穂だった。

総合入賞者は全員が身内の様なものとなった。

第5位は加奈ちゃん、第4位は夏海さん、第1位は美穂、里穂、瞳さん、陽子さんだった。入賞者全員の「トルコ行進曲」に送られての美穂の卒業となり、美穂は嬉し涙にくれていた。表彰式が終わり、学校長さんから「小学生とは思えない素敵な演奏をありがとう!」と称えられて大泣きの美穂。里穂も、加奈ちゃんも見たことのない美穂の泣きじゃくる姿に思わず駆け寄り抱き着く一幕もあった。会場でも貰い泣きをするファンが多く泣きながら拍手を贈る人が殆どだった。

4人に囲まれて舞台袖へ引き揚げる美穂に「ありがとう!」と言う声が盛んにかけられた。そして気丈な美穂は舞台袖手前で客席に向かって深々とお辞儀をした。客席からはまたまた盛大な拍手とお礼や励ましの言葉が多く寄せられた。

恒例の記念撮影は何時も通りに行われたが、全員笑顔で臨んでいた。美穂と加奈ちゃんが中心となり気心が知れた6人ということもあり和やかな笑いが絶えない撮影とインタビューとなった。特に幼い加奈ちゃんは普通の幼稚園児で、「お遊戯とお歌が好きです!」と元気よく答えていた。美穂は今後のことを聞かれ、「音大附属中学への入学を希望しています。」と初めて公言し、報道の皆さんたちも「おおーっ!やっぱり!」という反響だった。「卒業式でピアノを弾きますか?」の問いに「いいえ。普通の小学6年生で卒業したいと思っていますから後輩のピアノ演奏で送り出してもらいたいです。」と答えていた。それに「それは里穂ちゃんにと言うことですか?」という質問に「普通にピアノを弾いてくれる後輩が良いです。そもそも卒業式は在校生代表の5年生のみが出席するので4年生の里穂は体育館の外で皆と待っていてくれると思います、ねっ?里穂。」そう言って里穂の方を向くと里穂がいきなり泣き出してしまった。「お姉ちゃん!悲しいこと言わないで!」そんな里穂を美穂が慰める。「ごめんね、里穂。」そう言いながら里穂を抱きしめる美穂だった。その気持ちは陽子さんも一緒だった。この先一人で上京する不安も大きかったが、美穂とまた会えるという思いの方が強かった。それ程美穂は魅力一杯の女の子だった。

着替えが終わって全員で再び音大の食堂へ向かう。広い地下通路はグランドピアノなどが楽々通れる幅と高さがあり多くの職員さんたちが行き交っていた。

もう17時を回っていた。全員お昼をいただいたもののお腹がすき過ぎるほどだった。全員が“お姉さまランチ”を注文してテーブルに座る。総勢8名の思わぬお客様に食堂のお姉さんたちも大喜びだ。飛び切りの笑顔で迎えてくださった。しかも“貴公子”優太君も一緒とあって尚更とも思えた。居合わせた音大の皆さん方の注目を浴びる中8人の仲良しトークが止まらない。幼稚園児の加奈ちゃんも輪に加わって大はしゃぎだ。

暫くして信子、優太ママ、碧さんが合流する。

「あら!また“お姉さまランチ”食べているの?」多少呆れ気味ながら気になる様子の優太ママ。

「あら、美味しそうね。」そう言って興味を示す碧さん。「先生!これ!美味しいですよ!」と言う陽子さんと夏海さんの声にますますその気になる碧さん。

「それじゃあ私もそれにしようかな。」信子は手荷物を置いて優太ママと碧さんと連れ立って券売機へと向かう。そして3人とも“お姉さまランチ”を持って席へ戻って来た。「やっぱりいーっ!」と言う里穂の一声に皆大笑いだ。

雑談の中で時間が取れたら碧さんのスクールを表敬訪問したいという話になった。特に美穂以外はまだ訪れたことが無く里穂を始め優太君、歌穂、加奈ちゃんも右手を挙げての参加希望だった。それを見て大喜びの陽子さんと夏海さんだった。


秋本番を迎えて寒さも厳しくなってくる。歌穂は加奈ちゃんのために手袋を用意していた。指先を冷やし過ぎないためだ。3姉妹とお揃いの可愛い防寒用手袋だ。

大喜びの加奈ちゃん。自分で填めてみてじっとその手を見つめている。その姿を見つめて『かわいい!』と思う3姉妹。そろそろ加奈ちゃん出演の幼児玩具のCMが流れ出すとのことだ。

一方、歌穂の“エチュード・ジュニア”もCM受けが良く、売れ行きも好調だった。

そんな折り、歌穂と加奈ちゃんは楽器メーカーさんを訪れていた。若菜さんと3人で1階ロビーに着くとピアノの音が流れて来た。若菜さんが受付をしている間に音のするピアノの方へ歩いて行く2人。お揃いの純白のヴァイオリンケースを背負って手を繋いでいる2人は否応なしに目立ってしまう。エントランスにいた人たちからは「歌穂ちゃんと加奈ちゃんだわ!」と言う声が聞こえてくる。それに気にも留めずピアノの傍まで歩み寄る2人。そこには普段着姿の大学生らしき女性がピアノを弾いていた。弾いていた曲は「ロマンス第2番ヘ長調」、歌穂も良く弾く曲だった。じっと聴き入る2人に気付いた女性。背負っている純白のお揃いのヴァイオリンケースに目が留まった。演奏が終わるとその女性は2人に声を掛けてきた。

「あら!2人ともヴァイオリンを弾くの?」

「はい。そうです。私は歌穂、そしてこの子は加奈です。」そう答える歌穂に驚く女性。その様子に釣られるように驚く2人。

「歌穂お姉ちゃん。お知り合い?」小さな声で歌穂に加奈ちゃんが尋ねる。

「ううん。知らない人だけど。」

「初めまして。私はあなたと同じ“夏帆”と言います。漢字が違うけどね。私、ウイーンから一時帰国しているの。」そう言われて改めてお互いに自己紹介する2人。

「あのう、夏帆さんはウイーンにいらっしゃるのですか?」そう尋ねる歌穂に「ええ。ウイーンの音大に留学しているの。そして、歌穂ちゃん、私、今は五月先生にピアノを習っているのよ。」そう言ってゆっくり歩み寄ってくる夏帆さん。五月と言う言葉を聞いて動けなくなってしまった歌穂。

「五月先生って誰ですか?」加奈ちゃんが歌穂に尋ねた。

「加奈ちゃん、五月先生は私のもう一人のママなの。」

驚く加奈ちゃん。

「信子お姉さんに空港から電話を入れたらここに行く予定だって教えてもらったの。だからちょっと待ち伏せしていたのよ。」そう言って微笑み、着ていたスーツから1通の手紙を取り出し歌穂に渡してくれた。

「こ、これって・・・。」手紙を見て絶句する歌穂。

「うん。五月先生からのお手紙よ。」

丁度その時、2人を探していた若菜さんと千里さんがやって来た。そして何やら3人で話を始めた。その間に手紙を読む歌穂。その様子をじっと見守る加奈ちゃん。

するとまた一人、制服を着た女性がやって来た。

「失礼します。夏帆様お待たせいたしました、あら歌穂ちゃんと加奈ちゃん。」声の主は早紀さんだった。

早紀さんは大粒の涙を溢している歌穂を見てそっとハンカチで涙を拭いてくれた。

「ありがとうございます、早紀お姉さん。」そう言って気丈に笑顔を見せる歌穂。

聞けば夏帆さんは一時帰国中にCDのレコーディングに臨むということだった。本社ビルにレコーディングスタジオがあるという。会議が終わったら寄ってみようということになった。

歌穂と加奈ちゃんが出席した会議は“エチュード・ジュニア”のCMの続編の案件だった。2人でテーマソングを演奏して欲しいとのことで、会議終了後2人は夏帆さんの隣のスタジオへ案内された。

楽譜を渡されて口ずさむ2人。即、メロディーを覚えて演奏してみることに。余の展開の速さに驚くディレクターさん。一応録音機器を回してくださるとのことだ。2人の音合わせが終わると息の合った演奏が始まる。「うわーあ!1発目でこれかねえっ!」ディレクターさんがヘッドホンをしたまま大きな声をあげる。スタッフの皆さんも同じ様に「うん!うん!」と言って頷いていた。テーマソングの収録はあっという間に終わった。次は短い演奏シーンを撮影するのだがそれに合わせる演奏曲の録音だ。

先ずは加奈ちゃんが「愛の喜び」を録音する。

数回音合わせを兼ねて練習する。歌穂も立ち会ってアドバイスを送る。頷く加奈ちゃん。

そんな様子をガラス越しに珈琲を飲みながら見つめる休憩中の夏帆さん。2人のヴァイオリンの音を聴きたくて仕方ないようだ。

「あれ?あの娘って?」音声室のディレクターさんがしきりにスタジオの中を見ている夏帆さんに気が付く。そしてスタッフの一人が外に出て夏帆さんに声を掛けた。丁度小休憩中の歌穂と加奈ちゃんだった。

さっそくスタジオ控室での若菜さんを交えての話となった。それにお互いのディレクターさんも加わり雑談となった。その中で「どうしても歌穂ちゃんとセッションがしたい!」と訴える夏帆さん。歌穂もそれに答える様に「ぜひお願いします!」と右手を差し出した。

こうしてお互いのレコーディングの後にセッションを行なうこととなった。

歌穂はこれからCMのワンカットのために「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64」を初めて人前で披露する。

「取り敢えずオーケストラのみの演奏を一緒に流しますね。」ディレクターさんの言葉に「はい!」と元気良く返事をする歌穂。曲のメインパートは全て優太君の練習を何度も聴いていたのと自分でも練習を重ねたことでもう頭の中に入っていた。

「それじゃあ、音出して!歌穂ちゃん直ぐに入るからね!」そう言って副音声室へ指示を出すディレクターさん。スタジオの4つのスピーカーから音が流れる。

それをスルーする歌穂。タイミングを計るためだ。

「すみませーん!」と謝る歌穂に『この子本当のプロだわ!』と感心するディレクターさん。2回目の音出しとなる。

何の違和感もなく入って行く歌穂。そんな歌穂を心配そうに見守っていた加奈ちゃんだがその顔が次第に笑顔になっていった。『何時もの歌穂お姉ちゃんだあ!』

「上手い!上手過ぎる!」そう言って立ち上がるディレクターさん。小学2年生ながら立派なプロだと改めて認識するディレクターさんとスタッフの皆さん。

別の打ち合わせを終えてやって来た若菜さんと千里さんもその見事な演奏ぶりに目を見張った。そして加奈ちゃんも改めて歌穂の実力を知ることとなった。『加奈も歌穂お姉ちゃんみたいに弾けるようになりたい!』そう心の中で叫ぶ加奈ちゃんだった。

歌穂の収録が終わると加奈ちゃんと一緒に隣の夏帆さんの居るスタジオへお邪魔する。ピアノで曲の練習をしていた夏帆さんが2人に気付いてスタジオから出てきてくれた。

「お疲れ様です!」歌穂と加奈ちゃんが声を揃えて挨拶をすると「お疲れ様でした。上手くいった?」と優しい言葉で返してくれる。暫くの雑談の後に本題に入る。「何を弾こうかしら・・・。」そう言って歌穂を見つめる夏帆さん。

「ぜひ『仮面舞踏会』をお願いします。」

歌穂の意外な答えに驚く夏帆さん。得意の「チゴイネルワイゼン」ではないのだ。「うん。分かったわ。」そう言ってコップの珈琲を一気に飲み終えてスタジオ内へ。加奈ちゃんに“エチュード・ジュニア”を渡されて歌穂も続く。

「ちょっと弾いてみるわね。」そう言って先ずは夏帆さんがピアノを演奏する。それをじっと聴き分ける歌穂。外から見守っていたディレクターさんとスタッフさんは録音録画の準備をする。

「演奏ありがとうございます。私のペースはこの感じです。」歌穂はそう言いながら“エチュード・ジュニア”を弾いていく。スタッカートから始まり重音演奏を繰り広げる歌穂。

「しょ、小学生とは思えないわ!さすがプロね!」感心する夏帆さん。ディレクターさんとスタッフさんも同様だった。歌穂のセンスの良さと技術力の高さに半ば呆れていた。

「夏帆さん。テイク1、お願いします。」歌穂に言われて頷く夏帆さん。セッションが始まる。

「す!すごい!何で初めてなのにこんなにお互いをマッチングできるんだ!」ディレクターさんは興奮してそう叫んだ。加奈ちゃんも唖然としていた。何故なら歌穂が「仮面舞踏会」を弾いているのを聴いたことが無かったからだ。『歌穂お姉ちゃん!まさか即興?』

5分位の曲だがずいぶん長く感じた加奈ちゃんだった。スタジオ内では夏帆さんと歌穂がハグし合っていた。2人とも満面の笑みでスタジオから出てきた。

加奈ちゃんを始め、居合わせた人たちから拍手が起こる。「歌穂お姉ちゃん、何時練習してたの?」歌穂から“エチュード・ジュニア”を受け取りながら加奈ちゃんがそっと尋ねた。

「練習なんかしてないわよ。」加奈ちゃんの耳元でそっと囁いてにっこり笑う歌穂に唖然とする加奈ちゃん。『やっぱり歌穂お姉ちゃんって・・・天才なんだ!』

そう思って振り返るともう夏帆さんと部屋の隅にあるソファーに座って談笑している歌穂。小さなため息をついて歌穂の“エチュード・ジュニア”をウエスで拭いてケースにしまう加奈ちゃんだった。

「加奈ちゃーん!ありがとう!こっちにおいでよ!」

しっかり加奈ちゃんを労わってくれる歌穂に感心する夏帆さんだった。

後にこのセッションは特典映像として夏帆さんのCDとビデオに収録されることになる。

夏帆さんを連れて家まで戻る車中では五月さんの話で持ちきりだった。特に、幼い加奈ちゃんにはとてもためになる話ばかりだった。

夏帆さんも一緒に加奈ちゃんのヴァイオリン練習に参加することとなった。「きらきら星変奏曲」のレッスンに励む加奈ちゃん。ヴァイオリンコンクールで初めて聴いた優太君の弾く「きらきら星変奏曲」。自分の大好きな「きらきら星」の完全版だ。

弾いて見せる歌穂に加奈ちゃんが言う。

「歌穂お姉ちゃん!本当は自分も初めてでしょ?」

「えへへ。わかっちゃった?加奈ちゃんは鋭いなあ。」そう言って舌を出す歌穂。それを聞いて驚く夏帆さん。

「歌穂ちゃん、もしかして『仮面舞踏会』も初めて・・・。」

「夏帆お姉さんごめんなさい。実はそうなんです。でも、美穂お姉ちゃんの演奏で何度も聴いているので。」そう言って頭を下げる歌穂にただただ感心するばかりの夏帆さん。

『うわあ!歌穂ちゃんって美穂ちゃんと一緒だわあ!』

その日は美穂が結婚式場から、里穂がサッカースタジアムから、優太君と優太ママは楽団の公演先から、そして信子は音大の事務局から夫々戻って来た。

あっという間に賑やかになったところで夏帆さんの歓迎パーティーとなった。特に美穂は未だ楽譜が読めなかった頃からのお付き合いということもあり大はしゃぎだった。

パーティーはピアノとヴァイオリンの演奏などで夜遅くまで続き、夏帆さんは伊藤さんの車で宿泊先のホテルへと帰って行った。


翌週月曜日、信子の元に若菜さんから連絡が入った。

子供向けクイズ番組に5人で出てくれないかという内容だった。5人と言っても6年生2人、4年生1人、2年生1人、後は幼稚園の年長組の1人だ。『まあ、優太君、美穂、里穂が居れば大丈夫じゃなあい?』2人のママはそう思って出演依頼を受けた。これを聞いた子供たちは大喜びだ。


収録日当日は5人揃ってテレビ局のスタジオに入る。

番組は出された問題に分かったものが答えていくというもので5人はあれよあれよと勝ち進んでいく。

チャンスカードを温存し、予想外の健闘を見せる5人に収録スタジオは大盛り上がりだ。

殆どの科目を優太君、美穂、里穂が次々と答えていく。

家庭科は歌穂の得意科目だ。2年生ながら包丁の切り方などをすんなりと答えていく。

そしてとうとう決勝まで進んでしまう5人。しかも優勝賞金は100万円だという。それに動じることなく5人は回答を重ねていく。対戦相手も同様に答えていきいよいよ同点での最後の問題となった。この時、相手チームは手持ちのチャンスカードを先に発動。回答者を1名だけに指名出来るというものだ。

『うわあ!マズイ!加奈ちゃんが狙われる!』4人はそう思った。そしてその予想通り幼稚園児の加奈ちゃんを指名してきた。『終わった!』と誰もがそう思った。

問題が流れる。「200カイリとは何でしょうか?」

相手チームは加奈ちゃんが間違えるかタイムオーバーになるのを待っている。もう勝ったと思い笑顔さえも見せている。

刻々と制限時間が迫ってくる。4人は気が気ではない。

歌穂が加奈ちゃんを見ると宙を見つめて何か歌っている。

『え?なに?加奈ちゃん!』4人だけでなく相手チームも不思議な顔をして加奈ちゃんを見つめていた。

「200カイリをギリギリにーい♪網をかけて行く♪」

と「北の漁場」を口ずさんでいる。

そして回答ボタンを勢いよく押す加奈ちゃん。

「200カイリは“排他的経済水域”!」と大きな声で答えた。

ピンポン!ピンポン!ピンポン!!

「わああーっ!」優太君と他3名は大喜びで飛び跳ねている。歌穂が加奈ちゃんに飛び付いて喜ぶ。

司会者も大興奮だ!まさか幼稚園児の口から“排他的経済水域”と言う単語が飛び出すとは想像だにしていなかったからだ。

優勝を確信していた相手チームは呆然として座ったまま大喜びの5人を見つめていた。

「加奈ちゃん!幼稚園で習ったの?」司会者のおじさんが加奈ちゃんに尋ねる。

「ううん、里穂お姉ちゃんが美穂お姉ちゃんに聞いていたの。で、おじちゃん。200カイリってなあに?」この加奈ちゃんの問いにスタジオの皆がずっこけてしまった。大いに沸くスタジオ。

里穂は思い出した。宿題をやっている時に美穂に“200カイリ”について尋ねたことを。そして何気なく「北の漁場」を口ずさんだことも。それを聞いていた加奈ちゃんはその歌詞を歌って“排他的経済水域”を導き出したのだった。

『恐るべし!幼稚園児!』そう思うとなんだかおかしくて笑いそうになる里穂だった。

スタジオ脇では若菜さんと伊藤さんが抱き合って喜んでいた。

賞金の100万円の目録は加奈ちゃんに手渡された。

拍手と紙吹雪が舞う中、収録は大盛況の内に終了した。

「参ったよ。君たち、ただのアイドルじゃあなかったんだね。」そう言って右手を差し出し握手を求めてくる相手チームの5人とがっちり握手を交わす5人。

この話題は放送後すぐに芸能ニュースで取り上げられ芸能事務所を始め、各スポンサーさんも知ることとなり大いに喜ばれた。

この日以降、クイズ番組を始めとする娯楽番組への出場依頼が急増していくのだった。


秋も深まる頃、加奈ちゃんのヴァイオリンの演奏技術はうなぎのぼりに上達していった。コンクールで演奏した「ラ・カンパネラ」にもますます磨きがかかっていた。そしてそのピアノの伴奏は歌穂だった。歌穂もピアノ演奏に磨きをかけるべく美穂に教わっていた。

こうしてレッスンを重ねて演奏技術を高めていく娘たちだった。

「歌穂お姉ちゃん、私『チゴイネルワイゼン』が弾きたいの!」突然の加奈ちゃんの言葉だった。

加奈ちゃんへのレッスンは第2部から始まった。

伴奏のピアノを弾きながら指の動きと弓の動かし方を念入りに教えていく歌穂。優太ママも時間を見てはアドバイスを贈ってくれた。

歌穂はクリスマスに予定されている響子さんのリサイタルにゲストで参加する予定で、間に合えば加奈ちゃんと「チゴイネルワイゼン」を重奏したいと思っていた。

加奈ちゃんへのレッスンはピッィカートから始まった。指を使って行う所の演奏方法は第3部を演奏するには避けて通れない難易度の高い演奏法だ。特に高速で音と音の間にピッィカート奏法を用いなければならない。ヴァイオリンの構え方、特に左指の動かし方を丁寧に教えていく歌穂。自分も苦労して会得した奏法だけに熱が入る。加奈ちゃんも一生懸命教えを受け入れる。

『ッタッカートはマスター出来てきたけどさすがに高度な音と音の間に入れるピッィカートは簡単にはいかないわね。』2人を見守る優太ママはそう思いながらも期待に胸を膨らませていた。


10月の土曜日、今日は学院大学の学院祭だ。

スケジュールの都合もありイベントに出演するのは歌穂と加奈ちゃんの幼いコンビだ。まだ幼い出で立ちの2人はお揃いの濃紺のジャンバースカートと真っ白な丸襟のブラウスといった出で立ちにこれまたお揃いの純白のヴァイオリンケースを背負って出演者控室に現れた。

「きゃあーっ!かわいい!」悲鳴にも似た声が上がる。

出演者も実行委員も皆学院のお姉さんたちばかりだ。

皆に挨拶をして回り控室の一角に腰を下ろす2人。付き添っているのは若菜さんだ。早速、実行委員の方数名と打ち合わせに入る。その様子を興味深く見守る周囲のお姉さんたち。

打ち合わせが終わる頃、瞳さんが入ってきた。それを見て立って挨拶をする幼い2人。また、それを制するように「座って頂戴な。」と優しく声を掛ける瞳さん。瞳さんはピアノを担当する美穂や里穂、遥香さんが不在なのが心配になったようだ。

「瞳お姉さん、私たち2人でも大丈夫です。」元気にそう答える歌穂と加奈ちゃん。ケータリングのお菓子の山に興味津々の幼い2人。その様子を見た若菜さんが大きなエプロンを2人に着せた。「これで大丈夫ね。さあ、いってらっしゃい。」そう言うが早いか小走りで、2人で手を繋いでケータリングのお菓子の山へまっしぐらだ。「どう見たって出演者には見えないわねえ。」

そう言ってお互いに笑う瞳さんと若菜さん。

「ところで、若菜さん。午後から大学の管弦楽部の皆さんとのフリートークが予定されていますが大丈夫でしょうか?」瞳さんが2人の姿を見つめながら心配げに若菜さんに尋ねた。

「瞳さん、大丈夫よ。2人ともしっかりしているし、歌穂ちゃんは楽器メーカーのヴァイオリン部門の監修も手掛けているくらいだから。」若菜さんはそう言って笑った。

「そうですね。あの年で“排他的経済水域”を答えるくらいですものね。」そう言って瞳さんも笑った。

クイズ番組が放映され加奈ちゃんの名回答は広く世に知れ渡っていた。

やがて2人の出番がやって来た。

2人仲良くステージに登場する。加奈ちゃんはヴァイオリンを持っているが歌穂は手ぶらだ。会場がざわつく。曲目が紹介される。「ラ・カンパネラ」だ。

歌穂がピアノへ向かう。「ええーっ!」会場から驚きの声が上がる。瞳さんも驚いた表情で歌穂の動きを見つめていた。歌穂がピアノ椅子に座ると加奈ちゃんが振り返って歌穂に向かってアイコンタクトをとる。

最初の第1小節を歌穂のピアノがソロで演奏され次の第2小節から加奈ちゃんのヴァイオリンが加わる。

突然の歌穂のピアノ演奏と加奈ちゃんの幼稚園児とは思えないヴァイオリンの演奏に息を飲む会場の皆さんたち。同時に控室もパニック状態となっていた。

「どういうこと!ヴァイオリニストがピアノを弾いているわ!」「うわあ!上手!」「本当にあの子たちが弾いているの?」幼い2人の演奏に衝撃が走る。

2人の演奏は続く。

「さすが美穂ちゃんと里穂ちゃんの妹さんね。」初めて聴く歌穂のピアノ、プロであるために音大コンクールには出場できない歌穂。『しかしピアノの腕前がこれほどとは!』と瞳さんは感動さえしていた。そしてまだ幼稚園児の加奈ちゃんのヴァイオリンの素直な澄んだ音色にこれまた感動を覚えていた。会場も静かに、特に同い年の幼稚舎の皆も一心不乱に聴き入ってくれていた。しかも、歌穂はまだヴァイオリンを弾いていない。次の展開が気になる瞳さんだった。

「次は『トルコ行進曲』です。」アナウンスが流れると加奈ちゃんはお世話係のお姉さんにヴァイオリンを預ける。別のお世話係のお姉さんがピアノから離れステージ中央へ向かう歌穂にヴァイオリンを渡す。

ピアノ椅子に座る加奈ちゃん。再び2人でアイコンタクトをとる。「さん!はい!」加奈ちゃんが可愛い声で号令をかける。一気に2人の高速演奏が始まる。

ピアノもだが、歌穂のヴァイオリンの演奏技法が凄い。

スタッカートで小刻みに弓を使い短い音を鳴らしていく。左指の余りの速さに驚きの表情の会場の皆さん。

口を開けて弦を押さえる歌穂の左指を見つめているが余りの速さについていけないほどだ。更に重音演奏、そしてオクターブ演奏と高度な演奏も難なくこなしていく。大学生のお姉さんたちもこれには脱帽だった。

若干8歳の女の子が平然とやってのけている現実が信じられなかった。しかも伴奏しているのはまだ6歳の幼稚園児なのだ。「すごい!夢を見ているみたい!」瞳さんも思わず声をあげてしまう程だ。

皆が驚く中、曲は「きらきら星変奏曲」ㇸと移っていく。2人の2挺のヴァイオリンによる重奏だ。聴き慣れたメロディーに思わず身を乗り出す幼稚舎の子たちだった。2挺のヴァイオリンが異なる音階を奏でていく。

4曲目は「愛の喜び」、ピアノは歌穂が弾きヴァイオリンは加奈ちゃんだ。加奈ちゃんの澄み切ったヴァイオリンの調べは美しい風になって会場を流れていく。

そして最後の5曲目は加奈ちゃんがピアノを担当し歌穂のヴァイオリンによる「ロマンス第2番へ長調」だ。

重厚な音を醸し出す歌穂のヴァイオリン。小学生ながらプロならではの演奏だ。しかも2人とも終始可愛い笑顔を絶やさない。これも2人の魅力の一つであった。

拍手喝采に2人並んで深々とお礼をする。

控室では全員が立ち上がり拍手で2人を迎えてくれた。真っ先に迎えてくれた瞳さんに抱き着くようにハグをする歌穂と加奈ちゃん。

全身汗まみれの2人は体育館脇のシャワールームへ向かう。中からは2人の楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてくる。『まるで本当の姉妹みたい!』付き添う瞳さんと若菜さんはそう思ってお互いに顔を見合わせ笑顔になった。

午後からのフリートークまでまだ時間がった。

幼い2人は学院内の出店の食べ歩きを希望し、実行委員会の複数名の皆さんと若菜さんに守られるように出店が並ぶメインストリートへ。音楽堂を出ると純白のヴァイオリンケースを背負って手を繋ぐ2人の姿は余りにも愛らしくすぐさま人が集まってくる。そんな中、念願のクレープを皮切りにチョコバナナ、たこ焼き、焼きそばを堪能する2人。周囲からは「可愛い!」と言う声が連発された。

一旦控室へ戻り一休みをする。好きなものを沢山いただけて大満足の2人に少し呆れ気味の若菜さん。

しばし、まったりとした時間が流れる。

ノックをして瞳さんが入ってきた。フリートーク会場の教室まで案内してくださるとのことだ。

再び実行委員の皆さんにガードされて会場へ向かう。

瞳さんに出店で何を食べたかを尋ねられ嬉しそうにあそこで何食べた!あっちで何食べた!と一つ一つ答える元気な2人だった。

盛大な拍手と歓声に迎えられて会場へ入る2人。少し恥ずかしそうに顔を見合わせる。着席した反対側には大勢のお姉さんたちが向かい合って座っている。司会のお姉さんによる2人の紹介に驚く声が上がる。歌穂がプロであることと加奈ちゃんがまだ幼稚園児であることが改めて分かったからだ。

質問に答えながらフリートークへ入って行く。やはりお姉さんたちの関心事は練習方法だ。特に加奈ちゃんのあの澄み切った音色、歌穂の指使いに質問が集まった。「加奈ちゃんの澄んだ音色は力が入り過ぎていないからです。体力的にも余分な力が入らない。そういうことだと思います。」歌穂はそう説明した。

「私の指使いに関しては、練習は一応しますが、余りこれといって意識しているわけではありません。」そう説明を続ける歌穂。続いて加奈ちゃんにも同じ質問が。「加奈は何回も何回も繰り返して練習します。でも歌穂お姉ちゃんはだいたい1回弾くと弾けてしまいます。それが羨ましいです。」にこにこと答える加奈ちゃんを横でじっと優しい眼差しで見つめる歌穂。

とても仲睦ましい幼い2人にお姉さんたちも癒されるのだった。和気あいあいとした会話のやり取りに続いて実技の話へと移る。「トルコ行進曲」で見せた超絶技巧を再度実演して見せる歌穂。弦を押さえながらその合間のピツィカートを解説する歌穂。頭では分かっても指が付いて行かないお姉さんたち。皆顔を見合わせながら苦笑いだ。そして改めてプロとしての歌穂の実力を認識するのだった。

和やかな内にフリートークは終了した。とても小学生とは思えないプロの歌穂と卓越した演奏を見せる加奈ちゃん。最後に「最近の楽しみなことは?」と聞かれ「遠足」「運動会」と嬉しそうに答えていた。

「お時間はありますか?」瞳さんは若菜さんに尋ねた。

どうやら学院近くの“白樺”でお茶でもと思ったようだ。幼い2人は初めて行く“白樺”だ。二つ返事だった。4人で連れ立って“白樺”へ向かう。

「こんにちは。」そう言って店内に入って行く瞳さんにお揃いの純白のヴァイオリンケースを持った歌穂と加奈ちゃんが続く。

店内は可愛いお客様の登場に大騒ぎだ。

何時もの様に2階に上がるとピアノがある大きな部屋が瞳さんの落ち着ける場所だ。

「いらっしゃい、瞳ちゃん。」マスター直々にオーダーを取りに来てくださった。瞳さんに2人を紹介され驚くマスター。『どう見たって普通の幼い姉妹じゃあないか。』そう思いながらオーダーを取って引き揚げて行く。1階では2人の話で持ちきりの学院の女の子たちから質問責めに合うマスター。

暫くするとピアノを弾く音が聴こえてきた。全員が耳を澄ませて聴き入っている。

「違う!瞳さんではないわ!」女の子たちが騒ぎ始めた。誰が「ロマンス第1番ト長調」を弾いているのかが話題になっていた。

オーダーのドリンクを持って2階へ上がるマスター。

「えっ!」部屋に入って目に飛び込んできたのは幼い幼稚園児がピアノを弾いている姿だった。

「信じられない!」立ち尽くすマスター。美咲さん、瞳さんを始め色んな子がここのピアノを弾いてくれた。だが、幼稚園児でここまで弾き熟す子には今までお目にかかったことが無かったからだ。

「マスター、加奈ちゃん上手でしょ?」そう言いながら瞳さんは微笑んでいた。若菜さんがマスターに代わってドリンクをテーブルに並べる。「はっ!」と我に帰るマスター。「お客様申し訳ありません!」

「マスター、加奈ちゃんはピアノコンクール総合5位の実力なのよ。」そう説明する瞳さんの言葉に改めて驚くマスター。『えっ?ヴァイオリンだけでなくピアノも!』

そしてにこにこと加奈ちゃんの演奏を楽しんでいる歌穂に気付く。『この子が小学生にしてプロヴァイオリニストの歌穂ちゃん?』驚きの連続だった。と同時に2人の演奏をじっくり聴いてみたくなった。

「加奈ちゃん、『愛の喜び』を弾いてみて。私伴奏するから。」「うん。」そう言われて歌穂にピアノを譲る加奈ちゃん。純白のヴァイオリンケースから歌穂に買って貰ったヴァイオリンを取り出す。

加奈ちゃんが構えると歌穂の前奏が始まる。

「あれっ?この曲前奏ってあったかしら?」聴き慣れない「愛の喜び」の出だしに疑問を持つ瞳さん。

そんな瞳さんの疑問をよそに加奈ちゃんと歌穂の演奏が進んでいく。澄み切ったような綺麗な加奈ちゃんの弾くヴァイオリンの調べに目を見張るマスター。階下の皆さんたちも同じだった。「妖精が弾いているみたい!」皆口々にそう言い始めた。まだ弾いているのが加奈ちゃんだとは思われていなかった。

所用で2階から降りてきた若菜さんに1人の女の子が尋ねた。「弾いているのは歌穂ちゃんですか?」

「いいえ。加奈ちゃんですよ。まだ小さいけど上手でしょ?」微笑みながらの若菜さんの言葉に驚愕する1階の女の子たち。またまた大騒ぎとなった。

加奈ちゃんと歌穂の演奏が終わると1階の皆さんたちからの拍手が店内に轟いた。それに驚く加奈ちゃん。

「うふっ。加奈ちゃん、1階の皆さんが拍手してくださっているわよ。」瞳さんと歌穂に褒められてはにかみながらも嬉しい加奈ちゃんだった。

「歌穂ちゃん、お願いがあるの。私に『チゴイネルワイゼン』の伴奏をさせて貰えないかしら?」突然の瞳さんの依頼に驚いたものの嬉しくて二つ返事の歌穂。

「チゴイネルワイゼン」と言えば里穂とのコンビでの演奏がテッパンだっただけに加奈ちゃんも若菜さんも驚きを隠せなかった。

ピアノの傍でヴァイオリンを構える歌穂。そして瞳さんを見つめる。お互いに頷き合って瞳さんの序奏が始まった。

「!」加奈ちゃんが驚いたように瞳さんとピアノを見つめる。

歌穂のヴァイオリンの演奏が始まる。瞳さんのピアノに答えるような力強さだ。

『瞳お姉さんの演奏が何時もと違う!』加奈ちゃんが思った通り何時もの流れる様なピアノのタッチは影を潜めていた。そんな力強い瞳さんの演奏に合わせて歌穂のヴァイオリンは唸りを上げる様に鳴り響く。

余りの迫力に1階の皆さんったちはただ聴き惚れるしかなかった。

歌穂の指捌きと瞳さんの指捌きを交互に見つめる加奈ちゃん。今練習をしている「チゴイネルワイゼン」のお手本を見せられている様に思える加奈ちゃんだった。特に猛特訓中の第3部は得るものが多かった。

ピアノに負けない高速演奏を見せる歌穂。ヴァイオリンの超絶技法のオンパレードだ。1階の皆さんは身じろぐこともなくじっと歌穂と瞳さんの演奏に酔い知れていた。

そして怒涛の内に「チゴイネルワイゼン」は一気に終了した。

喫茶店内は割れんばかりの拍手に建物が震える程だった。そして拍手は喫茶店“白樺”の中から聴こえる「チゴイネルワイゼン」に足を止めて聴いてくださった皆さんたちからも沸き起こっていた。

演奏を終えた瞳さんと歌穂は微笑み合ってお互いを見つめていた。

2人の演奏に感動した加奈ちゃん。ヴァイオリンだけでなくピアノでの伴奏もしっかり身に着けたいと幼いながらもそう決心するのだった。そして「お姉ちゃんたち!ありがとう!」と言って演奏を終えた歌穂と瞳さんに抱き着くのだった。


翌日曜日は加奈ちゃんが通う幼稚園の運動会だ。幼稚園ということなのか午前中だけの開催だ。

ご両親が見守る中、元気に並んで入場する加奈ちゃん。

まだまだきちんと整列とはいかないところが愛らしい園児たちだ。また、年長組の加奈ちゃんたちは最後の運動会だ。お遊戯やリズム体操、玉入れ、綱引き、駆けっこを思いっきり楽しむ加奈ちゃん。

ふと目を遣るとそこには美穂と歌穂の姿が。嬉しさのあまり思わず動けなくなる加奈ちゃん。それを見た先生が慌てて駆け寄る。

「加奈ちゃん!どうしたの?」そう言われて我に帰る加奈ちゃん。「あのね、お姉ちゃんたちが見に来てくれたの!」嬉しそうに先生に答えると再びお遊戯を続けた。美穂と歌穂は目立たないようにつばの広い帽子をかぶり加奈ちゃんに声援を送った。それに応えるように頑張った駆けっこだったが残念ながら6人中5着に終わった。

運動会が終わって2人の姉はご両親にご挨拶をする。お父さんはビデオカメラに夢中だったそうだ。

そこへ加奈ちゃんが合流。「駆けっこ1等賞じゃあなかったの。」と少ししょんぼりしている。

「大丈夫!加奈ちゃんは3つの1等賞があるから。」そう言う美穂に「ええっ?それはなあに?」と尋ねる加奈ちゃん。

「あのね、それはね、1つはヴァイオリン、2つはピアノ、そして最後は・・・。」

「最後は?」

「うふっ、最後は可愛いこと!」美穂にそう言われていっぺんに顔がほころぶ加奈ちゃん。

「ええーっ!加奈ちゃん良いなあ!」そう言って少しひがむ歌穂に「歌穂もだよ!」と笑いながら告げる美穂。歌穂は加奈ちゃんと手を取り合って飛び跳ねて喜んでいた。

加奈ちゃん親子と別れて結婚式場へ向かう美穂と歌穂に手を振って見送る加奈ちゃん。「今日は親子でゆっくり過ごしてもらえるね。」そう言って微笑み合う美穂と歌穂だった。

今日の披露宴の主役の新婦は女子学院大学の卒業生、つまり美咲さんの先輩だ。それを聞かされた2人だが特に変わることもなかった。「何時も通りの演奏をしましょうね。」と2人で話して披露宴に臨んだ。

「愛の挨拶」で招待客の皆さんをお迎えする2人。どうやら新婦側の友人は皆女子学院大学のOGの様でしきりに2人の方を凝視していた。上品な佇まいのお姉さま方に交じって小さく手を振るお姉さんが2人の目に留まった。

「えっ?瞳さん?」一瞬驚く2人。そんな2人を見つめる会場内の招待客の皆さんたち。

全員の着席が終わると司会者の挨拶と美穂と歌穂の紹介が行われ、いよいよ新郎新婦の入場だ。

スポットライトが当てられた重厚なドアが開く。それに合わせて2人が演奏するメンデルスゾーンの「結婚行進曲」が厳かに流れる。息を飲むような演奏の中新郎新婦が入場する。しっかりと前方を見つめて歩く花嫁とそれを支えるかのような新郎。お2人とも幼い演奏者美穂と歌穂を見てにっこりと微笑んでくださった。美穂と歌穂も笑顔でお返しをする。

拍手の中、瞳さんの隣のOGのお姉さんが話しかけてきた。「美咲さんの言っていた通りね。とても小学生の演奏とは思えないわ!」

「ホント!ありえないわ!」「あの演奏方法、もう天才としか言いようがないわ!」OGのお姉さんたちから口々に賞賛の言葉が2人に発せられた。それに頷く瞳さん。

こうして披露宴は無事にお開きとなった。

2人が控室に戻ったタイミングでサブマネージャーさんから連絡を頂いた。「瞳さんがOGの皆さんとご挨拶に伺いたいとのことだった。

暫くするとサブマネージャーさんに案内されて瞳さんとOGの皆さんが控室に入って来られた。

美穂と歌穂は立ち上がって皆さんをお迎えする。

瞳さんは美咲さんの名代としての披露宴の参加だったそうで噂以上の2人の演奏に感激したと褒めてくれた。他の皆さんも同様に美穂と歌穂の演奏を褒めてくださった。皆で音楽談議に花を咲かせているとサブマネージャーさんから次の披露宴の時間が迫っているとの連絡が入った。それに驚く皆さん。

「ごめんなさい。この後も披露宴が入っているんです。」2人でお詫びをすると皆さん大変驚かれていた。

「来週の日曜の午前中は学園高校での学園祭で演奏会に出演しますのでよろしければ是非おいでください。」PRもしっかりと忘れない2人だった。


翌週の土曜日は小学校の運動会だ。美穂と優太君最後の運動会だが、加奈ちゃんの未就学児の歓迎イベントもプログラムに組み込まれていた。

様々な競技の後、午前のラストを飾る未就学児の入場だ。3姉妹と優太君はそれぞれのクラスの待機場所から加奈ちゃんを応援し見守った。入場が始まると一斉に歓声と拍手が起こった。しかも父兄席だけでなく児童たちからも巻き起こっていた。それは加奈ちゃんへの声援だった。だが、加奈ちゃんは余りにも普通過ぎた。何時も見慣れている4人でさえも一目で見つけられるものではない位だった。運動場の皆さん方も人気の加奈ちゃんがどの子か分からないようでざわついていた。いや、加奈ちゃんだけではなかった。美穂、里穂、歌穂もいたって普通の小学生の体操服を着用しており、小学校の外から盗撮するマスコミの皆さんたちにもはっきりと特定することが難しかった。服装だけでなく、何時もの振舞や行動もごく自然に小学生らしく過ごしていた。特に今日は児童全員が体操服姿なので余計だっただろう。

風船を2つ貰って嬉しそうに両親の元へ戻る加奈ちゃん。片方の手にはお土産が入った紙袋を下げてにこにこ顔だ。

その後はお昼の時間だ。3姉妹の作ったお弁当と加奈ちゃんのママが作ったお弁当を持ち寄ってのお昼ご飯だ。3人の姉と1人の兄に囲まれて嬉しそうな加奈ちゃん。そんな加奈ちゃんを優しく見守るご両親だった。

午後からは4人のために精一杯声をあげての応援だ。

特に歌穂のダンス、対抗リレーに目を輝かせる加奈ちゃん。リレーには美穂、里穂、優太君が参加する。

3人とも俊足を誇るため今年度は組を分けてあった。

作戦なのか、3人とも最終ランナーだ。待っている間も和気あいあいの3人。コンクール同様の様子にすっかり気持ちが落ち着く加奈ちゃん。歌穂も自席から大きな声で応援をしている。

リレーが始まった。1年生からバトンを繋いでいく。抜きつ抜かれつの中、最終走者として先にバトンを受け取ったのは美穂だ。幼い2人が美穂の名を叫ぶ。次は優太君だ。今度は優太君への声援が巻き起こる。その2人を追う里穂。大声援の中、里穂が優太君を捕え2位に浮上、その勢いで美穂に迫る。逃げる美穂を一気に抜き去る里穂。『さすが里穂お姉ちゃん!』歌穂が思わず立ち上がる。

里穂のいるチームは大喜びだ。それを称える美穂と優太君。『コンクールの時と一緒だ!』加奈ちゃんはそう思って一生懸命拍手を3人に送った。


翌、日曜日。今日は遥香さんの母校、学園高校の文化祭だ。音楽ホールにてコンサートに招待された美穂、歌穂、加奈ちゃん。昨日の疲れも見せず元気いっぱいの3人だった。伊藤さんの付き添いで学園高校の駐車場へ。既にかなりのファンが校門辺りで待ち構えてくれて手を振って出迎えてくれた。

実行委員会の皆さんに案内されて控室へ。ここで改めて実行委員会の皆さんとご挨拶を交わす。

そして曲目の打ち合わせだ。加奈ちゃんと歌穂で「きらきら星変奏曲」、歌穂と美穂で「チゴイネルワイゼン」、美穂の独奏で「モルダウ」といった具合だ。

「リクエストが来たらどうしよう。」歌穂が何を弾こうかと悩んでいると「「トルコ行進曲」ならみんなで弾けるよ。」と加奈ちゃんが提案する。「そうだね。それが良いわね。」と美穂と歌穂が賛成した。「でも、リクエスト貰えるかなあ?」少し心配な加奈ちゃんだった。

前の出場者の演奏が終わりいよいよ3人の出番だ。

揃ってステージ中央で挨拶をする。拍手と歓声が凄い。

見ると学園の女子生徒たちに混じって学院大学の音楽科の皆さんたちと結婚式でお世話になったOGの皆さんも来てくださっていた。それに驚く加奈ちゃん。

お姉さんたちに「加奈ちゃん!かわいい!」と声援を受け恥ずかしそうに下を向く姿がそれまた可愛い。

さっそく美穂が曲案内をしてステージの袖へ引き揚げると会場から「ええーっ?」と言う声が上がる。

そんな中、歌穂がピアノへ向かう。またしても「ええーっ?」という声が上がる。ヴァイオリニストの歌穂が加奈ちゃんの伴奏をするというからだ。

静まり返ったホール内は皆歌穂のピアノに視線を送っていた。「きらきら星変奏曲」のピアノが流れる。

「おおおーっ!」期せずして驚きの声が上がった。

そして加奈ちゃんの演奏が始まる。

「おおーっ!」と言う声が再度上がる。

余りにも澄んだ音、よどみのない演奏に唖然とする会場の皆さん。とても幼稚園児の演奏とは思えないからだ。学院大学のお姉さんたちは先々週の2人の演奏をすでに経験済みのためか笑顔で聴き入ってくださっていた。OGの皆さんは初めて聴く加奈ちゃんのヴァイオリンに驚いた表情で聴き入ってくださっていた。

舞台袖で2人を見守っていた美穂の肩をぽんぽんと叩く人がいた。振り返る美穂。

「響子さん!えっ?遥香さんも?」慌てる美穂に遥香さんが言った。「もう!自分たちのことしか考えていないんだからあ!」聞けばトリの出場は響子さんと遥香さんとのことだ。

「それにしても、加奈ちゃんは上手だわね。さすが歌穂ちゃんのお弟子さんねえ。」感心して加奈ちゃんの演奏に耳を傾ける響子さん。「加奈ちゃん、ピアノも上手なんですよ。先のピアノコンクールで総合第5位なんです。」遥香さんの説明にさらに驚く響子さん。

「ちょっと行ってきます。」2人にお断りしてマイクを持ってステージへ飛び出していく美穂。それを見送る2人には美穂の司会者としての姿が眩しく映っていた。

ステージは歌穂が美穂にピアノを譲ってヴァイオリンを持ってステージ中央へ。演奏を終えた加奈ちゃんがにこにこ顔で舞台袖へ引き揚げてきた。

「わあ!遥香お姉ちゃん!ご無沙汰してます。」と幼稚園児らしからぬ挨拶に驚く響子さん。すかさず加奈ちゃんを響子さんに紹介する遥香さん。突然の大物ヴァイオリニストとの出会いに物怖じすることなく話をする加奈ちゃん。

話をしていると歌穂と美穂の演奏が始まった。

「あっ!『チゴイネルワイゼン』ね!」待ってましたと言わんばかりの響子さん。もう歌穂の定番と言える「チゴイネルワイゼン」だ。美穂の演奏に合わせて指を動かす加奈ちゃん。それに気付いて驚く遥香さん。

『み、美穂ちゃんと一緒だ!』その遥香さんの様子に気付いて同様に加奈ちゃんの指の動きに目を遣る響子さん。『空でピアノを弾いているわ!』

歌穂の演奏は第3部へと流れていく。

「いよいよ第3部ね。」待ってました!と言わんばかりの響子さん。歌穂の高速演奏をじっと見守る。

『うそ!うそでしょ!私の弾き方と違う!もう自分のスタイルを身に着けてしまったのね!何という子でしょう!』身動きもせず歌穂を見つめ続ける響子さんに視線を送る遥香さんと加奈ちゃんだった。

演奏が終わると物凄い拍手が起きた。その中を笑顔で引き揚げて来る歌穂。そんな歌穂をハグで迎える3人。

「見事な演奏だったわ!とうとう自分の『チゴイネルワイゼン』を作り上げたわね!」響子さんは手放しで歌穂を褒め称えてくれた。遥香さんも大きく頷いて拍手をしてくれた。

直ぐに美穂の「モルダウ」のピアノ演奏が始まった。

何時もと違う曲調に気付く響子さんと遥香さん。

「妖艶さが増したわね。」そう言って微笑む響子さん。

「ひょっとして私より大人の弾き方かも・・・。」遥香さんも響子さん同様美穂の大人へのステップアップを感じていた。

美穂の演奏が終わると大きな拍手が贈られた。それと併せてアンコール!と言う声が会場に響く。

「ちょっと行ってきます!」歌穂と加奈ちゃんがヴァイオリンを携えてステージに登場すると一層大きな拍手が起こった。

「アンコールを頂きありがとうございます。アンコールにお答えして3人での『トルコ行進曲』となります。」

歌穂がマイクを持ってそう曲紹介をした。

「おおーっ!」と言う声と「ええーっ?」と言う声が入り乱れる。

歌穂と加奈ちゃんがヴァイオリンを構える。

「ええーっ!ヴァイオリンで弾くの?」驚いたのは遥香さんだった。

美穂のピアノが最初の1小節を奏でる。かなりの高速演奏だ。

「ヴァイオリンじゃあ付いていけないわ!」学園大学の皆さんたちはそう思った。

第2小節から歌穂と加奈ちゃんの演奏が始まった。

固唾を飲んで見守る響子さん。

物凄い高速演奏を披露する3人。特にヴァイオリンの2人は巧みなツタッカートで高速演奏をこなしていく。しかも見事な重音演奏、オクターブ演奏、フラジオレット奏法そしてッタッカート奏法まで繰り出しての演奏を繰り広げていく。

感心して頷きながらじっと3人の演奏を見守り『あんな小さな子がここまで弾き熟せるなんて!』加奈ちゃんの余りの超絶技巧に感心する響子さん。

「すごい!響子先生!3人ともピアノと同じ演奏です!」と言って遥香さんも目を見張っていた。

怒涛の様に演奏が終わると音のない時間が流れた。

そして忘れていたかのように絶大な拍手が沸き起こった。

3人と入れ替わるように響子さんと遥香さんがステージへ向かう。すれ違う時に「3人とも素晴らし過ぎよ!」と響子さんに言われて笑顔を見せる3人だった。

響子さんと遥香さんが「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64」を優雅に奏でていた同時刻、信子は鳴っている携帯を取った。

電話の相手は加奈ちゃんの母親からだった。

その日の夕方、皆が思い思いの時間に帰宅する。

全員が揃った18時頃インターホンが鳴った。

信子に案内されてリビングに入って来たのは加奈ちゃんのご両親だった。

皆と一緒にソファーに座り信子に促されてお父さんが話し始めた。

「実は11月から中京地区の統括責任者として赴任することとなりました。」その一声で加奈ちゃんは立ち上がり歌穂の後ろに隠れるように身を屈めた。歌穂も立ち上がり加奈ちゃんを後ろからしっかりと抱き締めた。2人でじっと父親を見つめていた。

「そういう訳で私も夫と共に中京地区へ付いて行くつもりです。」お母さんはそう言って加奈ちゃんを見つめた。歌穂にしっかりとしがみ付く加奈ちゃん。

何か言いたそうな美穂と里穂。

「つきましては、勝手なお願いなのですが、加奈を預かって頂けないでしょうか。」

大喜びで嬉し泣きする加奈ちゃんと歌穂に走り寄る美穂と里穂、そして4人で小躍りしながらこの喜びを噛みしめるのだった。

それを目を細めて見守るご両親と信子、そして優太君。

「嬉しいです。うちの加奈をこんなにも思っていてくださるなんて。」お母さんはそう言って涙を流した。

隣で頷きながら「そうだな。私たちの決断に間違いは無かったな。あんな加奈を見たのは初めてだ。はっきりと自己表示の出来る素晴らしい子に成長している。信子さん、加奈をよろしくお願いいたします。」

こうして来月、11月から加奈ちゃんはわが家に同居することとなった。通学のため住民票は残していくとのお話を頂いた。

同じ日の夜、加奈ちゃん親子を交えての食事会と演奏会が賑やかに行われていた。

またもや信子の携帯が鳴った。

騒々しさを逃れてピアノルームへ入る信子。響子さんからだった。

戻ってきた信子を気にする美穂。そんな美穂ににっこりと微笑みながら居合わせた全員に話し始めた。

「響子さんから電話があったの。クリスマスから年末の全員のスケジュールを教えて欲しいって。各地を回る年末公演にもぜひ出演して欲しいそうよ。」

この発表に大喜びの5人の子供たち。

「それからもう一つ、お正月を過ごす旅館が取れたの。碧さんの、うん、パパと私が過ごした故郷の旅館よ。

音楽スクールにもうかがえるわね。」そう言う信子の言葉に再度大喜びの5人。

「加奈ちゃんのパパとママ、絶対聴きに来てくださいね!」口々にそうお願いする5人だった。


10月末の土曜日は加奈ちゃんのご両親が中京地方へ旅立つ日だ。どうやら行き先のマンションには家具などが全て揃っているとのことで日用品は宅配便で送ってあるそうだ。優太ママと優太君を筆頭に加奈ちゃんの荷物を台車で運ぶ。そしてワゴン車に詰め込む。

積み込みを見届けてからお2人が車に乗り込む。

加奈ちゃんは泣きべそをかきながらもしっかりとお見送りの言葉を掛けた。「気を付けて行ってきてね。」

そして車が出て行くと走って後を追いかける加奈ちゃん。まだまだ6歳の女の子だ。寂しいに決まっている。そんな加奈ちゃんの元へ4人の子供たちが駆け寄って来て加奈ちゃんと一緒にマンションの駐車場出入口から出て見送るのだった。

「加奈ちゃん、寂しくなるだろうけど今日から皆が居るからね。」美穂に続いて里穂が言った。「加奈ちゃん、今日から“ちゃん”は付けないよ。だって妹だもの。」

「うん、そうだね。加奈、今日からずっと一緒だよ!」

姉たちの言葉に大きく頷く加奈。「ありがとうお姉ちゃん、お兄ちゃん。」

家に戻ると加奈の荷物は相部屋となる歌穂の部屋に運び込まれた。窓に向かって立て付けの机があるため補充するものはライトと衝立くらいだった。

荷物の後片付けは後回しにして全員はそれぞれの仕事へと向かった。

今夜から一緒に暮らすことになった加奈とお風呂に入りたがる3人。結局4人で入ると言って信子と優太ママを呆れさせた。お風呂からは4人の賑やかな声が耐えることは無かった。お風呂上りも4人揃って冷たいお水を頂く。「ほんと!仲良しだなあ!」練習の中休みの優太君が笑う。


わが家に来てから加奈は一段と明るくなった。

幼稚園から戻って来ると直ぐにヴァイオリンとピアノの練習に励んだ。その成果は加奈の演奏に現れた。2人のママにレッスンを受け、さらに歌穂と一緒にヴァイオリンを弾く。歌穂は自分が苦労したことを全て加奈にアドバイスしてくれる。特に高速演奏時の左指の動かし方に注力して教えてくれた。課題としている「チゴイネルワイゼン」も第1部と2部をスムーズに弾くことが出来るようになった。

「後は第3部、一番難しい所だね。」練習を見守ってきた優太ママにも熱がこもった。歌穂は根気強く加奈ちゃんに教えてあげる。

「歌穂お姉ちゃん、ピアノは大丈夫なの?私はママに習っているけどお姉ちゃんは・・・。」加奈は少し心配そうに歌穂を見つめた。

「やだ、何を言ってるの。私は電子ピアノでも、学校の音楽室でも毎日弾いているわ。加奈ったら心配性ね。でも、ありがとうね。」そう言って加奈を抱きしめる歌穂だった。


11月は定期公演にも臨んだ歌穂と加奈。お互いに仲良く伴奏を務める姿に多くのファンが目を細くしてくださった。2人がヴァイオリンとピアノを両立させたことでマスコミにも取り上げられるようになっていった。

先にデビューしている里穂とのコラボも多くなっていった。歌番組に里穂のゲストとして登場することもあった。そして里穂のピアノ伴奏でヴァイオリン曲1曲披露と言った場面もあった。しかし、歌穂と加奈のメインの仕事はリサイタルだ。小学校低学年と幼稚園児のコンビはスケジュールの都合、調整が難しく、なかなか露出度は上がらなかった。その為、逆にビデオやCDの売り上げが伸びて行った。


いよいよ年末年始の全員のスケジュールが発表された。だが、里穂は年末ぎりぎりまでの、優太君と2人のママもやはり年末までのコンサートでの仕事が埋まっていた。美穂、歌穂と加奈はクリスマスの自身のリサイタルと響子さんの全国ツアーへの参加のスケジュールとなっていた。

数回の音合わせが行われることとなり初めての参加をする歌穂と加奈。集合場所の音楽スタジオに参加するヴァイオリニストの方々が集合するのだ。

若菜さんの教え通り2時間早く現場に到着した2人。一番乗りで楽屋に案内される。そして茉席に陣を構え皆さんの到着を待ちご挨拶をするのだった。幼いながらも気配りと礼儀作法を身に着けた2人に皆さん優しく接してくださった。しかし、中にはまだ信じられないという面持ちの方々も見受けられた。そんな中でも2人は楽しそうにお喋りをしては笑い転げていた。それをやんわりと注意する若菜さんだったがいつしか一緒になって笑っているのだった。

皆さんの練習や音合わせが終わるとゲスト2人の音合わせだ。皆さんが見つめる中2人の音合わせが始まった。

「何を弾いてくれるのかしら?」響子さんがにこにこと2人に尋ねてきた。

「はい、『ラ・カンパネラ』を加奈が、私と加奈で『トルコ行進曲』を弾きます。」そう言って加奈を促す歌穂。

「伴奏はどうするの?」遥香さんに尋ねられると歌穂は「遥香お姉ちゃん、大丈夫。最初はヴァイオリンだけで聴いていただくから。」と言ってにっこりと笑った。

「うふふ。良いものが聴けそうね。」響子さんはそう言ってチェアーに腰を掛け直した。

「おいおい!マジかよ!」「自信過剰じゃあないのか?」と言ったひそひそ話が聞こえてくる。

「はーい!皆さん!しっかりと聴いてあげて頂戴ね!」響子さんの大きな声がスタジオに鳴り響く。

幼い幼稚園児加奈の演奏が始まる。ダイナミックな出だしと澄んだ音色。何時もの加奈の演奏だ。「うん、うん。」と大きく頷く響子さん。

スタジオの皆さんはあっけに取られていた。まさかの幼稚園児の演奏だからだ。

「素晴らしいでしょ。この演奏。幼稚園児だとは思えない綺麗な音。これがこの子の醍醐味なの。」そう隣のプロデューサーさんに説明する響子さん。そして「何といっても先生が3人いるからねえ。一緒に居る歌穂ちゃんと貴公子優太君、そして美智子さん。」

それを聞いてさらに驚くプロデューサーさん。

「その3人の教えを全て吸収しているということですか!すごい逸材だ!」思わず身を乗り出すプロデューサーさん。そして演奏が終わった。スタジオの皆さんから大きな拍手を頂いた。

「加奈ちゃんありがとう。素晴らしかったわ!」響子さんに言われて嬉しそうに一礼する加奈。

「加奈ちゃんは何時も誰に伴奏をしてもらっているの?」響子さんの質問にてきぱきとした声で返事をする加奈ちゃん。

「はい。歌穂お姉ちゃんです。」明るく元気に答える加奈ちゃんに皆が「おおーっ。」と声をあげる。

「響子お姉さん、加奈は私としか弾いたことが無いんです。でも、私的には遥香お姉さんの伴奏を聴いてみたいです。是非お願いします!」歌穂はそう言って頭を下げた。「歌穂お姉ちゃん・・・。」少し不安げな加奈に向かってにっこりと微笑む歌穂。

「わかったわ。遥香ちゃん!伴奏をお願い!」響子さんの大きな声がスタジオに響いた。頷く遥香さん。

「加奈ちゃん、ピアノの伴奏つきの『ラ・カンパネラ』を是非聴きたいの。お願いね。」

「はい!やってみます!」加奈がヴァイオリンを構える。遥香さんと視線を合わせる。「さん!はい!」

初めての遥香さんの伴奏での「ラ・カンパネラ」だ。

緊張もしていたが『遥香さんの伴奏で弾けるなんて!』と言う気持ちが勝っていた。

「あっ!」「うん!やっぱり!」歌穂と響子さんはほぼ同時に声をあげた。2人ともそれぞれの演奏に合わせに行っているからだ。『加奈ったらいつの間に!』

『加奈ちゃんって想像以上のヴァイオリニストだわ!』伴奏をしながら遥香さんは嬉しくなっていた。

「うそだろ!すごいな!本当に幼稚園児の演奏かよ!」思わず叫ぶプロデューサーさんだった。

スタジオの皆さんの反応も同様だった。演奏が終わると皆立ち上がって拍手を贈ってくださった。それに一礼して答える加奈。伴奏者の遥香さん、歌穂からも拍手を頂きとても嬉しそうだ。

「加奈ちゃん、良かったわよ!素晴らしかったわ!」

響子さんも立ち上がり拍手をくださった。

加奈ちゃんに抱き着きハグをする歌穂。そして自分もヴァイオリンを手にした。

「いよいよ「トルコ行進曲」の始まりね。」響子さんに言われて頷く2人。以前加奈が弾いているのを聴いていた遥香さんはにこにこ顔でピアノの前で見守っていた。だが、重奏となると・・・という一抹の不安があった。まあ、歌穂が加奈にうまく合わせるだろうと思って気楽に構えていた。会場の皆さんは楽譜通りに弾くのが精一杯だろうと思っていた。

「それでは行きます。『トルコ行進曲ピアノバージョン』です。」歌穂が告げるとスタジオ内から驚く声が!

「まあ!2人で和音とガイドを分担するのね。」そう言って微笑む響子さん。

演奏が始まった。速い!演奏スピードが速すぎる!

余りの速さに思わず息を飲むスタジオ内の皆さん。

「は、速い!」プロデューサーさんが思わず呟く。

そして始まる2人揃っての重音演奏に皆が唖然とする。そしてツタッカート、オクターブ演奏まで披露していく。騒然となるスタジオ内。

2人は動作もシンクロ化していた。

『加奈ちゃんたら!しっかりとプロの歌穂ちゃんに同化しているわ!』響子さんはもう感心するしかなかった。ここまで弾ける幼稚園児など見たことも聞いたこともなかった。隣のプロデューサーさんはもう何も言えず2人の演奏の虜になっていた。

演奏が終わると全員が総立ちとなった。そして口々に褒め称えてくださった。2人で手を繋いで一礼する。

「2人とも素晴らしすぎるわ!シンクロ感、音と演奏スタイル、両方とも満点ね。」そう言ってベタ褒めの響子さんの言葉に頷くプロデューサーさん。

「皆!この2人を見習って頑張ろう!」と大きな声で激を飛ばした。「おおーっ!」という皆さんの声が響き渡った。


またまた里穂がらみのテレビの仕事が舞い込んできた。それは家族対抗の歌合戦。

収録は今だが放送は年末ということだ。

3人でチームを作り3回戦、準決勝、決勝へと進んでいく。参加者は遥香さん、美穂、そして里穂の“天使の3姉妹”である。

1人3曲を用意して披露していく。シビアに点数が点けられる。事前打ち合わせに参加した若菜さんが帰り際にプロデューサーさんにそっと確認したところ「忖度なしのガチだよ!」と笑って教えてくれたとのことだ。


収録当日は土曜日だった。朝からの収録で丸1日かかりそうだと若菜さんに聞かされ「やっぱり!」と呟く美穂。今日の結婚式場は歌穂と加奈に任せてきたのだった。

事前に提出した歌唱曲をそれぞれ確認してADさんに渡す。やっと楽屋入りだが、その前にゲストの大物演歌歌手のお姉さんに挨拶に行く。

「おはようございます。本日はよろしくお願いします。」4人で声を揃えてご挨拶をすると大変喜んでくださった。

「まあ!かわいい!よろしくねえーっ!」と手を振ってくださった。

廊下を歩いているだけで大勢の芸能人の皆さんに出会う。その度に3人を紹介する若菜さん。

「やあ!若菜ちゃん!」そう言いて声を掛けてくださったのは同じ事務所の大御所演歌歌手のお父さんだった。3人揃っての愛らしい挨拶にもうメロメロのようだ。どうやら事務所内のポスターで3姉妹のことを覚えていてくださったようだ。

挨拶回りをしていると控室は出場者でいっぱいだった。大きな声で皆さんに挨拶をして、唯一空いている出入り口の傍のスペースに腰を下ろす4人。「誰か入ってきたら真っ先に立ち上がって「おはようございます!」と挨拶をしましょうね。」若菜さんにそう言って芸能界の礼儀作法を教わる3人だった。

「おはようございまーす!」そう言って入って来たのは今日の司会者とアシスタントのお姉さんだ。

直ぐに立ち上がりきちんと挨拶をする4人を見て「おう!よろしくな!それにしても礼儀正しい子たちや!さすが若菜はんとこの子たちや!」と話しかけてくださる。

初めて聞くこてこての関西弁に思わず笑いそうになる3姉妹。「ありがとうございます!」と笑いを堪えながらもしっかりと返事が出来たのだった。やはり関西弁イクオールお笑いと思っているようだ。

そうこうしている間にオープニングのリハーサルとなった。“里穂チーム”と書かれたプラカードを持ったお姉さんに付いて行くだけのことなのだが、緊張して手足がバラバラの人がいて何度も撮り直しとなった。そんな光景を見ていると自分たちがいかにステージに出て人に見られても平気なのかが良く分かる3人だった。

入場行進が終わり各チームを紹介するアナウンスが流れる。「カメラに抜かれるので終始笑顔で!」と言う若菜さんの言いつけ通りに笑顔を絶やさない3姉妹。そんな3姉妹の表情をカメラが捉えていく。

そしてトーナメントの順番決めの抽選を行う。各チームの代表者8名が箱の中のボールを掴んで上にかざすというものだった。そこへADさんが里穂に近寄ってきて小声で囁いた。「遠慮して取らないでください。」

少しこの世界に慣れて来た里穂は番組の流れを理解した。盛り上げるために1回戦最後に“天使の3姉妹”を温存したいということなのだろう。遥香さんと美穂も積極さを出さない里穂に違和感を持っていた。そして7人が引いた時点で8番が確定する。自ずと番組の流れを認識する2人の姉たちだった。

一旦控室へ戻り8番目の出番を待つ。1組が6曲歌うのでかなりの待ち時間が想像された。

「3人とも、大人の事情も分かってね。」すまなそうに詫びる若菜さん。3人は特には気にしてはいなかった。番組を作るのには筋書きが必要だと知り勉強になると思っていた位だ。それにしてもいつもと違う若菜さんのマネジメントに感心する3人だった。

4人でくつろいでいるとADさんがやって来た。これからの展開の予想を話してくれた。数名の歌手チームがいるものの本人以外はあくまで素人だという。“天使の3姉妹”に匹敵するチームは居ないとのこと。実力を出し切って欲しい!」とのことだった。

「わかりました!」3人で声を揃えて返事をするとにこにこ顔で現場に戻って行った。

お昼を頂いてもまだ出番は回って来なかった。だがそんなことはお構いなしに3人はケータリングのお弁当選びに夢中だった。他の出演者たちは緊張のあまり殆どの人がお弁当を取りには来なかった。逆にお弁当できゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいる3姉妹を羨ましそうに見つめていた。

いよいよ出番がやって来た。テーマ曲に合わせて舞台中央へお姉さんの後を元気よく歩く。

司会の漫才師さんが早速トップバッターの2人にインタビューをする。相手のお父さんはかなり上がっているようだ。それを見かねた遥香さんがそのお父さんの肩を揉んであげると歓声と拍手が起こる。

「あんた!何やっとんねん!」司会者の漫才師さんが大笑いしながら遥香さんに突っ込む。

「いや、お父さんがカチカチだから。」と遥香さんが返す。

「いや、それ置物やからや!」とまた返す司会者の漫才師さん。「おっさん!何か言うたれや!」と大笑いしながら場を盛り上げてくれるのだった。

それを見ていたプロデューサーさんとディレクターさんは大喜びだった。単調になりがちな一般人参加型の番組には効果抜群のシーンだからだ。

笑いの余韻が終わらないうちにお父さんの歌が始まる。3人で手拍子をして応援する姿がアップで3台のカメラに抜かれていく。そして次は遥香さんの番だ。

オーケストラの演奏は「みずいろの手紙」だ。会場から拍手が起こる。

遥香さんの綺麗な透き通った歌声が響く。セットの脇でお茶を飲んでいた司会者の漫才師さんが驚いて見ている。

遥香さんが歌い終わると「あんた!あれだけボケといてようも綺麗に歌えるなあ!」と突っ込んでくる。

「普段、何しとん?」と聞かれて「ピアノ弾いてます!今度是非聴きにいらしてください!」と答える遥香さんに「いやや!ピアノ弾かんとずっと喋りっぱなしで終わるんちゃうか?」といって笑いを取る。それに受けまくる3姉妹。その可愛い笑い顔が茶の間に流れるのだった。

肝心の歌の方は順調に勝ち上がっていく3姉妹。その度に「また君たちかい!」と突っ込まれ「いや、初めまして!」とボケる3人娘に司会の漫才師さんも大ノリだった。時間がかなり延長したものの皆さんに歌を楽しんでいただき、優勝までさせて頂いて大満足の3人娘だった。

収録が終わりスタジオを出る時にセットの隅でスタッフさんたちと雑談している漫才師さんの元へ行きお礼と挨拶をする3人娘。漫才師さんは上機嫌で3人に「今日はおおきに!また頼んますわあ!」と笑顔で言ってくださった。そして若菜さんに「おたくらの名刺頂戴な!」と言ってマネージャーさんと名刺交換となった。渡した名刺を見ながら「なんや、お笑いの事務所とちゃうんかい!」と笑っていた。

3姉妹が帰ろうとすると「おい!待てや!サイン要らんのかい!」と呼び止められた。「ええ!いいんですか?」そう言ってバッグからサイン色紙を出して「あて先は誰にします?」とボケる美穂。

「なんやて!サインくれるんかい!ありがとう!おおきにな!何でやねん!」と最後まで賑やかなやり取りが続いた。周りのスタッフさんたちは大うけで笑いが止まらないようだった。

結局、お互いのサイン色紙を交換して深々と頭を下げてお礼を言ってスタジオを離れた。廊下で出会うスタッフさんたちから「お疲れさまでした。良かったよ!」と声を掛けられ何だか恥ずかしくなる3人だった。

控室に戻るともう誰もいなかった。3人で残っているケータリングのチョコを頂いていると数人の男性たちが部屋へ入ってきた。3人はその方向を凝視する。

プロデューサーさんとディレクターさんを筆頭に数名のスタッフさんたちだった。

「今日はありがとうございました!」と挨拶をする3人。

「いやいや、こちらこそありがとうございました。3姉妹のおかげで良い番組が作れました。本当に助かりました。ところで、マネージャーさん、名刺を頂けますか?」

帰りの車はダンボール一杯のお菓子でトランクがいっぱいになった。早速、芸能プロの管理本部へ連絡を入れる若菜さん。いつの間にか3人娘はぐっすりと寝入っていた。

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ああ!昭和は遠くなりにけり!! 第16巻 @dontaku

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