ひねくれ闇魔術師は聖騎士の盲愛から逃げられない

天城

第1話 喜劇のような十八年①



「――生きてるか!」


 ドンッ、と胸を叩かれてオレは大きく息を吸った。急に吸い込みすぎたのかそのままゲホゲホと咳き込む。月明かりもない真っ暗な草むらに、鉄錆くさい血を吐いた。ヒューヒューと変な音が喉から漏れている。

 あ? なんだこれ。

 意識した途端、全身を激痛が襲った。痛みで息も止まりそうなオレの額に温かい手のひらが触れる。凍えるような全身の寒さがやわらいで一瞬だけ呼吸が楽になった。

 しかしすぐにまた咳き込み、喉からあふれた血が地面に滴る。


「一度では治りきらないか……」


 触れた手から再び温かい魔力を感じて身体の強張りが少しだけ緩んだ。

 咳き込んでなければ血が溜まって窒息していただろう。さっきまでのオレには咳をする体力もなかったんだ。

 それにしても、治癒魔法? そんなもん一体誰が……。


「内臓がかなり傷ついている。もう少し我慢できるか?」


 こんな暗い夜には不釣り合いな、凛とした鋭さのある声が響いた。張りのあるその音は曇天を払う強風のようで、オレの薄れかけていた意識を呼び戻す。


 皮肉なほど晴れた星空の下、オレ――悪名高き『闇魔術師』のネロは生死の境を彷徨っていた。

 この身体中の痛みに耐えかねて、街道沿いの草むらに倒れ込んで少し休憩しようと思っていたら、一歩も動けなくなった。

 しくじった、こんなことなら座り込むんじゃなかったと悔やんでも遅い。

 情けないことに、こうして治療魔法を叩き込まれる瞬間までオレは棺桶に片足を突っ込んでいたんだ。


「こんな子どもになんて酷いことを……」


 温かい治癒魔法と共に、そんな言葉をかけられる。

 いやまて、誰が子どもだ。その目は節穴か腐ってんのか。よく見ろ、どう見ても成人してるだろうが。

 そう言い返したくとも口の端が切れていて動かすのも億劫だった。大きな腕に支えられ、抱き起こされて痛みにうめく。

 血で張りつき顔を半分覆っていた黒髪をかきあげられて、目の前がわずかに明るくなった。

 ぼんやりと視線を上げた瞬間――相手の顔が見えて、オレはぎくりと身体を強張らせる。


「痛むか。治しきらずにすまないな。もう一度治癒魔法をかけよう」


 再び温かい手が俺の身体を撫でていった。

 腫れて開きにくい瞼を無理矢理に押し上げ、開けた視界でその男を凝視する。

 わずかな星明かりに照らされた銀髪の煌めきが最初に目に入った。絹糸を束ねたようなその長い髪の一筋がオレの方に流れ落ちてくる。

 冴えた銀に縁取られた端整な顔立ち、透き通るアイスブルーの瞳、片目を無粋な眼帯に覆われていても陰りの見えない秀麗さ、その全てに既視感があった。

 まさかとは思ったが人違いではないだろう。

 よく見かけた白銀の鎧ではなく、身なりも見知ったものではなくなっていたが、オレがその顔を忘れるわけがなかった。


「ああ、物盗りの類いじゃないから安心してくれ。私はライオネル。これでも元騎士団の者だから、悪いようにはしない」


 知っている。嫌というほどによく知っているとも。

 こいつは帝国騎士団副団長だったライオネル・ヴァンフォーレだ。

 貴族出身の騎士のくせして市井の事件にまで出しゃばってくる目障りな『聖騎士』野郎じゃないか。

 騎士団に所属しているのにこいつだけ神職も兼ねているからって聖騎士と呼ばれていた。

 本来なら厳しい修行を終えた神官が授かるはずの『祝福』を生まれながらにして与えられ、赤子のときから聖魔法が使えたらしい。

 こんな恵まれた存在ってのがこの世には存在するんだよな。まったくいけ好かない。


 温かいライオネルの魔力が身体に染みこんでくると、痛みがじわりとした熱に変換される。は、と小さく吐息を零した唇に何かが覆い被さってきた。

 視界が暗くなり、柔らかい感触と何かぬるりとしたものが口の中に忍び込んでくる。――なんだ、これ。


「――ッ」


 舌だ。濡れた舌がオレの口の中を撫で回し、息を吹き込むように治癒魔法を流し込んでいる。粘膜を通じて流れる温かな魔力が、オレの身体の芯を震わせ全身に共鳴するような感覚があった。どく、どく、と力強く打つ心臓の音が接した身体から伝わってくる。

 カアッと喉の奥から全身に広がったのは目眩のするような心地良さだ。乾いた砂に大量の水をぶちまけられたように、必死になってそれを飲み下す。

 けれど、我を忘れて懐いてしまそうになる気持ちを必死に堪えた。でもボロボロの身体には抵抗する力は残っていない。

 その口づけによって癒やされた身体はオレの意志に反して活力を取り戻していく。


 不意に、萎えていたオレの指先がピクリと動いた。自分の力で腕を持ち上げ相手の胸を叩く。

 滑稽なほどに弱々しいこぶしだったが、ライオネルは銀糸を繋げた唇をスッと離してオレの口元を親指で拭った。

 おい、待て。重症者とはいえ何処の誰ともわからない相手に、口づけで治癒魔法を?

 どれだけ酔狂なんだこいつは。


「これで、だいぶ回復したか。……後は移動してからにしよう」


 唇を離されると、なんとか咳き込まず呼吸ができるようになっていた。

 はぁ、はぁ、と短く息をつきながらも警戒して身体を強張らせる。オレの反応をどう思ったのか、ライオネルはマントを広げ俺の身体を包みこむと、壊れ物を扱うように抱き上げた。

 逃げようと身を捩っても、布を巻きつけられていて動けない。まさかこのまま騎士団の詰め所にでも連れて行かれて、尋問されるのではと震えが走った。


「寒いか? これから熱が出るのかもしれない。急ごう。少し揺れるが我慢してくれ」


 言うが早いかライオネルは飛ぶように走り出した。オレは掛けられたマントで顔あたりまで隠されてしまったので、視界が効かない。

 どこをどう走っているのかまるでわからなかった。

 ただ、大切な物のようにそっと抱きしめられている。揺れが響かないように気をつけているのか、振動は最小限だった。

 だからこそ、いたたまれない。

 傷の痛みと熱で朦朧としてなかったら、突き飛ばしてでも逃げたのに。

 だってこいつに……ライオネルに正体がバレたらオレは確実に牢屋行きだ。


 ――オレは、この白銀の聖騎士の片目を奪った仇なんだから!





 オレが動けなくなるほどの大怪我を負ったのは、ほんの数時間前だった。

 理由は特にない。ただの憂さ晴らしに使われただけだ。


 闇魔術師のオレが所属する組織の隠れ家は、街道を少し離れた森の中にある。いくら騒いでも助けなど来ない古びた山小屋だ。

 そこで、よってたかって体格の良い奴らに殴られ蹴られ、満身創痍だった。

 動かない右腕は、踏まれたとき妙な音がしたからヒビが入ったか、あるいは折れたか。

 あいつらオレの利き手が左だって知ってるから、こっちは折っても構わないと思ったんだろう。オレの魔法頼りで仕事してる無能どものクセにな。

 全身は痛みよりも熱いって感覚のが最初は強かった。鉛でも飲まされたように息は苦しいし殴られた頭は朦朧としている。

 瞼の上が切れてるらしく血が目に入って、酷く染みた。全身の打撲よりこんなのが気になるんだから変な感じだ。

 ひとつひとつの傷は致命傷でないとわかっていた。

 生かさず殺さず飼うことがあいつらの目的だからだ。

 オレの使う『闇魔法』に利用価値がある限り、殺されはしない。

 まあ半殺しにはされるし、無理をすれば命に関わるが。


 おそらく朝になるまで放置して苦しませて、後で簡単に手当でもするつもりだったんだろう。

 ボロボロのオレが、監視の緩んだその隙に死に物狂いで逃げ出すなんて、思いもしなかったに違いない。


 酒を飲んだ奴らの騒ぐ声が、血と埃で汚れきった床板に響いていた。それが高いイビキの大合唱に変わったあたりでオレは起きあがり、その場から逃げ出した。

 冷やしてもいない顔は腫れ上がって燃えるように熱いし、倍ぐらいに膨れて醜い有様だろう。

 折れた腕はぶらぶらするばかりで役に立たず、それでも走れる限り走って、森に逃げ込んだ。そこからは真っ暗な木々の間を抜け、空に光る星で方角を調べて進んだ。

 街道沿いに歩けば近くの村に着くはずだ。そう思ってひたすらよたよたと歩いてきたが、そのうち力尽きて道端に倒れた。


 このままだったら野垂れ死ぬかな、とぼんやり見上げた空に、ひときわ輝く星がみえた。

 今日は月のない闇夜だ。それに乗じてオレは上手く逃げ出すことができた。月が明るかったらこう上手くはいかなかっただろう。

 でも、逃走劇もここで終わりか。

 自由なまま死ねるならそれもいいかもな。

 目を瞑ってどれくらい経ったのか、一分か数時間か、闇の深い星空を背にした人影がぬっと目の前に現われた。

 そしてオレの胸を叩いて莫大な量の魔力を注ぎ、治癒魔法を施したんだ。


  



 傷の痛みから逃れるようにウトウトしていたら、一軒の屋敷の前に着いていた。貴族の屋敷にしては比較的小さな建物だ。別荘、と言った方が正しいかもしれない。

 貴族ってやつは無駄にあっちこっち家持ってるからな。

 見上げると、中ではあかりがついていて、バタバタと使用人達が駆けてくる気配がする。


「まずは傷を清めてから手当をしなくては。……ぬるめの湯の用意を頼む。客間をひとつ使えるようにしてくれ。それと着替えには私の服を」


 ライオネルの指示で再び人が散っていく。

 いまだにオレから手を離さないこいつは、逃げることを疑ってるのだろうか。オレが誰だか分かってるのかどうか、それが一番の問題だ。


「この様子では食事は無理だろう。明日の朝にはスープか粥を。それと……」

「客間の準備が整いました!」

「ああ、ありがとう。私が運ぶから皆は手を出さなくていい」


 正体がバレたら個人的な憂さ晴らしで拷問でもされかねない。だって、心底憎まれているに違いないんだ。あの眼帯と同じ目に遭わせると言われたらどうする?

 背を、冷たい汗が流れていった。

 しかしいまこの状態で、ライオネルから逃げるのは体力的に無理だ。バレずに治療を受けられるよう賭けるしかない。


「大丈夫か? 意識は……おい!」


 極度の緊張と傷による発熱で朦朧としていたオレは、呻き声ひとつ上げられないままライオネルの腕の中で気を失った。


      ‡


 水の滴る音で目を覚ました。

 温かい湯の中で、大きな手がオレの身体を撫でている。


「腕の骨折は治してある。ただ、繋げたばかりだから動かさないようにしてくれ」


 耳に心地良い穏やかな声が耳元で響いた。声の反響から、ここは風呂場か?

 視界は湯気で白く、触れてくるライオネルの手だけが鮮明な感覚だった。

 背後に温かな身体がぴったりとくっついている。


「接ぎ木で固定して、包帯で動かないようにしておくから……。聞いているか? 君はとんでもない重傷なんだ」


 どうにも眠気を誘うぬるま湯のせいか、穏やかな低音の声のせいか、オレの意識は再び落ちかけていた。

 コク、と頷くとオレの長い黒髪が湯の中で広がった。ライオネルはその黒い束を大事なもののように掬い上げると、ジッと眺めている。


「治癒魔法より優先して痛みを消すほうに魔力を使っている。……治りは少し遅くなるが、痛いよりいいだろう?」


 ザバッと湯から引き上げられて、運ばれる。

 ライオネルはオレの身体を温められた石の台の上へ座らせた。確かに痛みはもうほとんどなくて、不思議なくらい身体が軽い。


「痛みを消す魔法は、私しか使えない。私が毎日かけ直すから傷が治るまではここにいてくれ」


 俺の身体の水滴を拭き取り、傷のひとつひとつに丁寧に薬を塗り包帯を巻いていく。朦朧としていたオレは抵抗もできず、ぼうっとライオネルの動きを見つめていた。

 

「……ここに、いてくれ」


 それも治癒魔法の一種なのか、ライオネルは巻き終わった包帯の上に必ず口づけを落とした。

 腕、肩、脇腹に膝、そして足の甲にも、白い包帯の上へ柔らかな唇が触れる。

 どうにもむずがゆい感じがして逃げたくなったが、疲労した身体は動きが鈍かった。

 口づけをされると痛みが引くような気がするから、やっぱり魔法なんだろう。


 オレはウトウトとまた眠ってしまうまでの間、ライオネルの口づけを全身に受けていた。



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