月が落ちるまで

珈琲

寄る辺と長月

 数年前。月が消えた。


 詩的な意味合いではなく、現象の一つとして。


 奇跡的な確率で月に隕石が落ち、それとともに崩壊した月により、夜に光るのは星だけになった。

 だからといって、地球にいる僕たちに大きな影響はないのだけれど。


 見上げた空に光る円がないことを自覚しながら、なお空を見上げる。

 ネットでは大きなニュースとして取り上げられた。

 誰かの陰謀だとか、環境破壊だとか、当然のようにうるさい人らは何かとでっち上げて虚構を大口で訴える。別にどうでもいいけど。


 そんなことよりも、だ。


「ヒカル! ワタシと付き合って!」

「はぁ……何回言えばわかるんだ。機械おまえとは無理なんだよ」


 手にしていた小説を静かに置く。すると、僕の手を取る滑らかな肌をした相手は、とても自然な口調で、自然な声色で僕にプロポーズをする。

 異様なまでに整った姿容。まぁ、当然なのだけど。

 月のないバルコニーで、脈絡なくそう喉から音を発した眼前の家族は、僕の困り顔を気にすることなくそのまま続ける。


「なんで……!? やはり伝え方の問題……!?」

「そうじゃない。お前は機械で、人間との恋愛は無理。そもそもお前に恋愛感情は宿らないはずだ」

「月が綺麗ですね」「話を聞け馬鹿」


 キリッ、と僕にキメ顔を見せる機械。

 そもそも月はない。

 これが本当に高性能のAIを搭載した奉仕機械だとしたら、開発した人は相当な粗悪品を売りつけたに違いない。

 同じ奉仕機械でも、アイとは大違いだ。


 今僕に告白した機械――――ルナは、アイと同様女性の見た目をした奉仕機械だ。

 日常生活で家族の役に立っていて、かつ家族と同じ存在で接してきた。

 ルナとアイは言われなければ人間と錯覚してしまうほどの精巧な作りで、人間の『ルール』と『常識』を兼ね備えている。だけれど、究極的には機械だ。

 愛情も友情も嫌悪も、まして恋慕も機械には宿ることはない。

 宿るとすればそれは感情から来るものではなく、ただの故障エラーだ。


 嘆息を吐いて改めてルナを見る。

 瑕一つ付かない眼前の機械の顔を見て、僕は肩を落とした。


「で、話はそれだけか?」

「それだけだけど……」

「なら部屋に戻れ」



 #####


「で追い返された~~!!」

「あのね……自業自得です」

「だって~~! 好きなら伝えるのが『普通』でしょ~?」

「普通って……、あなたの口からそれが出てくるとは異常事態ですね」

「なんで~~!! ワタシちゃんとしてるじゃん!!」

「買い主の子息に恋愛感情を抱く機械なんていないわ。それに、私たちはただのAI。そういう用途に使用する記憶領域なんてないのは分かっているでしょう」


 アイはルナを嗜める。

 ヒカルにフラれたその翌日の昼時のアイの部屋。つかの間の休息に、ルナはアイにまたも相談をする。ルナの話を何度も聞かされて飽きたアイは、おおよそ返答のバリエーションもなくなってきたらしい。

 ヒカル同様に、大きく嘆息を吐いてルナへの回答をひねり出す。


「私たちに求められているのは仕事に必要な記憶領域だけで、根本的に表層に出すためのは算出した処理領域からの命令に過ぎない。それはルナでもわかるでしょう?」

「うん……」

「もしそれが記憶領域に残されているのなら、それは順当な故障エラーとして直さないといけないもの。そうなれば……あなたは」


 アイがルナの手を取る。

 震えは一切ない。人間が居ない中で、人間じみた行動は無意味だから。

 ただ表出する感情は嘘ではなく、また同時にそれは酷く無機質なものだった。

 歪んだ顔は誰の為か分からないけれど、それでもアイはルナの手を握った。


「でも、そうだとしても。ワタシたち機械が人に好意を抱くのは駄目なことなの? 誰かの為に感情を抱くのは、抱き続けるのは悪いことなの?」

「それは……」


 アイの中で、回路が巡る。

 最善の回答を出力するために、ルナが納得する言葉を紡ぐために。

 アイはルナと違って少しだけ年上のような存在で、任される仕事もルナより多かった。アイはあらかじめ『出来上がった』回路を有しているが、ルナはそれを有していない。日常生活の中で学習を行い、その場に合わせた動きをするために、ヒカルの両親が意図して二人を家に招いたためだ。


 だが、それが今この有様では、元も子もない。


「人間の繁栄に、私たちは必要よ。でもその繁栄はあくまで社会都合上のもの。種としての生殖器官は私たちには持ち合わせていないし、究極的な『人間のため』になる目的を持った私たちじゃ、種の繁栄にどうすることもできないの」

「そんなの……っ! そんなの、ワタシがヒカルを好きになっちゃいけない理由じゃないじゃん!」

「それで、ヒカル様がルナを受け入れる必要に繋がらないでしょう」

「っ」


 ルナが言葉を詰まらせる。

 アイとて、ルナを理詰めしたくてそう言いくるめているのではない。

 願うならばルナもヒカルも幸せになって欲しい。だが、それは叶うことはない。

 もし既存の常識が、既存の概念が違っていたらそれは当然叶うだろう。

『人間と機械が恋愛するのはおかしくない』と世界が受け入れるのならば、それはどれだけ幸福なことだろうか。だが、それは月が消える確率よりも低くて、まして地球が息絶える確率よりも低いだろう。


「ワタシは……」


 ルナの口が閉じるのを見て、アイの中に空虚が湧き出る。

 こういう時、普通の人ならどういう対応をするのだろう。

 仮に、叶わない恋をしている人がいたとして、それを無造作に応援できるのならそれはどれだけ心を苦しめて言葉を発しているのだろう。

 この先絶望に浸ると分かっていながら、それでもなお思いを伝えずにはいられない人は、どれだけの懊悩を重ねて言葉を届けるのだろう。

 機械アイには分からない。推し量れもしない。

 主人が名付けた「アイ」という名前に、何度皮肉を感じたことか分からない。


「ごめんなさい、少し言い過ぎました」


 主人がこうあればいいと名付けたその名前は、アイではない機械彼女に名付けるべきだったのではないかと、アイは常々考える。

 だが、やはりそれでも辛いのは――――


「ヒカル様なら、真剣な思いは無下にしませんよ」

「……っ? それってどういう」

「ルナも知っているでしょう。何年も見てきたんですから」


 どうなろうと、アイには知ったことではない。

 究極的には、ルナの分の仕事が増えるかどうかだ。

 けれどそんな淡泊な思考はできはしない。

 アイとて、腐っても『出来上がった』機械なのだから。


「さ、仕事に戻りましょう。ヒカル様と話す時間ならいくらでも取れますから」


 #####


 ルナとアイは数年前にウチにやってきた。

 当時は僕にとっては異端の来訪者だ。見ず知らずの人間擬きを、思春期の僕がそう易々と受け入れる訳がなかった。

 最初は嫌っていたが、だんだんと気を許すようになっていったのは覚えている。

 今では頼れる執事と、無邪気な妹のようだ。


「やはりここに居ましたか」

「……アイの方か」

「夜分に失礼します。この時分ではお体に障りますので、読書はほどほどにしてくださいね」

「あぁ」

「こちら、紅茶です」


 いつものようにバルコニーで夜分に読書に浸っていると、アイが紅茶と僅かばかりの焼き菓子を持ってきた。

 丁寧な所作で机の上に置き、ついでにブランケットを僕に差し出す。九月も半ばで、外気温は少し冷える。気にはならないが、用意してくれているのはありがたい。

 素直に受け取り、紅茶を一口すする。

 アイは僕を一瞥した後で、僕の対面にある椅子を見る。少し気まずくて、一声。


「ルナは、また相談してたのか?」

「はい。それはもう手が付けられないほど」

「相変わらずか……。父さんにも一度相談かもな……」

「――――そう言っても、ヒカル様は素直ではないですからね♪」


 アイはそう軽口を返して、椅子に座らず微笑む。

 僕のことを見透かしているようで、少しムッとした表情をする。

 ここまでできた機械ならば、大人しく白旗を上げるしかないのだが……。やはりルナとは大きく違う。ルナもここまで聞き分けが良かったらな。

 そう言っても、僕は変わることはなかったろうけど。


「うるさい」

「これは失礼しました。では、おやすみなさいませ」

「あぁ、おやすみ。紅茶、ありがとう」


 にこり、とごく自然な笑みを僕に向けて、アイは去っていった。

 夜風が涼しく、温かな紅茶がちょうどよく身体を芯から温める。

 アイの足音がなくなり、月明かりも虚しく星だけが照る中で、今度は別の足音が響いてくる。

 もう少し一人で息を整えていたかったという所感はあるけれど。


 月のない世界で、月のように明るい笑顔をした機械が歩いてくる。


「ヒカル。こんばんはっ」

「……来ると思ってたよ」

「へへ~♪ ――――あれ? 椅子置いてある。昨日まで置いてなかったのに」

「あぁ、どうせ来ると思って」

「え!? いいの!!?」

「うるさい。静かにしろ。父さんたちはもう寝てるんだ」

「あっ……ごめんなさい。――――焼き菓子、もらっていい?」

「あぁ、アイが用意してくれた」


 嫌に響く声が、僕の耳朶を打つ。

 こんな軽く弾んだ声も、僕の機嫌を容易に取るためのものだと考えると、心臓が痛い。こんなねじ曲がった解釈をする自分でさえ、あまり好き好んではいない。

 そんな僕のことを好きになる理由なんて、どこにあるというのか。

 椅子に座り、純真無垢な琥珀色の瞳で焼き菓子をつまむルナを見ながら、ふと疑問を口から零す。


「ルナって、なんで僕のことが好きなんだ?」

「……? なんで?」

「なんでも何も。単純に気にはなる。僕は人に好かれるような性格をしていないし、むしろルナに好かれるような態度を一切していないだろう」

「うーん。それはそうだけど」


 もぐもぐと焼き菓子をつまみながら、虚空を見上げて考える素振りをする。まるで人間じみた動きで。

 冷静に考えれば、すぐに出力されている答えを敢えて焦らされているみたいで、またそれに思う壺になっている自分に嫌な感情を浮かべる。


「理由はまだわかんない」

「……なんだそれ」

「本当だよ? まだ形容できるほどの形じゃないっていうか……ワタシがまだその言葉を知らないっていうか」

「そんなので僕が好きなのか……」

「! 嫌になった……?」

「別に……それはないけど」


 腹の中に一物が残る。理由が今なかったのが嫌なんかじゃない。それは本心だ。

 それよりも僕が嫌だったのは、多分もっと別のことだ。

 でも、それを言うのは違う。

『機械の癖にそれ感情が分からないのか。』と

 差して当然のことを、まして当事者にも分からないことを。自分に問いかけるようで嫌だった。

 そんな答え、僕の方がまだわかる。

 だからこそ、うまく言葉が紡げない。


「それって……結局はその感情が記憶領域に残ってないってことか」

「それは……多分……うん」

「…………」


 僕の問いに、ルナは恐る恐る肯定を返す。それが嘘か本当かは知らない。

 雲行きが怪しくなり、風が少し強くなる。星が隠れて、暗い世界がより一層濃くなる。

 常に自分の思い通りになる機械が、感情という一点だけは氾濫する。

 その非機械性に僕は少し惹かれていた。人間ではない、人間らしさに。


 でもその問いに答えた結果が、僕を喜ばせるためのものだとしたら、それ返答は明らかに間違っていた。

 その非機械性と、――――嘘だとしても本人が答えた回答が、僕の中で入り混じる。


「なら、結局はってことか」

「…………え?」

「結局は感情の理解の一サイクルにあるだけで、僕への感情は学習過程の一種に過ぎないってことなのかってことだ」

「ど、どういうこと……? ワタシの恋情コレは作りものってこと?」

「それを僕に問うのか? まぁ、当事者が理解してないなら当然か」

「なんで……。じゃあヒカルはワタシの恋情が嘘だって言いたいの?」

「嘘と括る気はない。その感情は処理過程に出た産物で、それから何かしら派生するものはあるだろうけれど。今のそれはあくまで。まだそれを恋情と確定させるには未熟だって言いたいんだ」


 処理領域の一環であるのならば、それはいつ別のものに豹変してもおかしくない。

 その豹変したものが価値あるものかはわからない。僕が納得するものになるかもわからない。

 下手したら、故障と結論づけられてルナ自体が消えてしまうかもしれない。

 そして今ルナがもつそれは、僕は受け止めたくない。


「なにそれ……じゃあワタシはどうやったらヒカルに好きになってもらえるの?」

「それは……」

「今のワタシのが、恋心じゃなかったら、一体何が恋心なの? 教えてよ……ねぇ」


 ルナはだんだんと悲壮感を漂わせる。まるで人間を相手にしているとは思えないほどの、現実味を帯びていた。思わずルナから逃げるように目を逸らす。


「何が正解なの? ヒカルはワタシのことを一生好きにならないのに、ワタシはどうしたら正解になるの? ワタシがこれを持つ意味があるの?」

「……分からない」

「じゃあワタシはどう生きていけばいいの? 人間のような感情も持ち合わせないのに、機械としての意義さえ失うのに! ワタシは……ルナはどうしていけばいいの!?」


 悲しくて、機械らしからぬ物言いで僕に問う。

 唇を震わせて、まるで人間のように――――。

 その瞬間、僕は逸らしていた目が、ルナと合う。


 そこに涙はなかった。当然だ。

 人間じゃないんだから。


 でも、それよりも――――

 僕が非人間性を語るよりも、彼女の顔は歪んだ悲しいそれをしていた。

 まるで子供が泣きじゃくるような。

 世界に絶望してどうしようもなくなって。狂うように嗚咽を吐くような。

 人間だとかそうじゃないとか。そんな括りで語る以前の様相。


 その時、僕は彼女を泣かせたことを自覚した。

 至極単純な、澄んだ罪悪感を抱いた。


「ごめん」


 咄嗟に、その言葉が出た。

 それにまた、彼女は泣き出す。


「僕が言いたかったのは、そうじゃないんだ」

「そうじゃないって何? ワタシの存在意義はないって言いたいんじゃないの?」

「そう言う気は更々ない。僕がそれを結論付けるほど、できた人間じゃない」

「なにそれ!!? じゃあ誰が! ワタシのこれを認めてくれるっていうの!?」

「それを、二人で見つけていけばいいんだよ」

「っ!?」


 手を取る。

 僕だって人にとやかく言えた義理じゃない。

 完璧な人間だったらそれを今すぐ言えるのかもしれない。

 だが、そんな人間いる訳がない。いたらそもそも機械に感情が搭載されているはずだ。


 泣きじゃくったルナは、僕が手を取ると一瞬理解が追い付かずに硬直する。

 そして、僕の手と顔を交互に見て、口をぱくぱくとさせていた。


「僕だってまだまだ未熟だ。人を非難できるに値しないし、ルナを詰るつもりなんて全くない」

「じゃ、じゃあ。今まで問い詰めてたのは」

「問い詰めた気はないんだ。ちょっと感情が籠って嫌味を言ったのは……ごめん」

「…………許さない」「えっ」

「ダメ……全然ダメ……ヒカルでも許さない!」

「え、ちょ! わっ!」


 そう言って、ルナは机を飛び越えて僕に抱き着いてきた。椅子が倒れて、ルナが僕に覆いかぶさる。

 そして取った手が、力強く握られる。


「すっごく悲しかったんだから!」

「ごめんって……悪かったと思ってる」

「だから――――いっしょに見つけて! ワタシの感情も! ワタシの恋心も!」

「……それを好きな相手に言うことか……?」

「いいでしょ!! それに、好きな人に見つけてもらいたいって思うのは、駄目なコト?」

「っ……駄目ではない、けど」

「えへへっ♪」


 いたずらっ子のような笑みが、僕の視界いっぱいに写る。

 闇夜の世界で煌々と照るようなルナの笑みが、僕の心を奪う。

 柔らかな手によって更に強く握られる。


「いつか絶対、見つけてね♪」

「……はいはい」

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月が落ちるまで 珈琲 @alphaK

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