第12話/制作発表会見
ついに、その日が来た。
映画『闇の狩人』の制作発表会見。
ホテルの大広間を借り切った大規模な会見で、マスコミ各社が殺到し、テレビカメラが林立している。
壇上には、ずらりと主要キャストが並んだ。
山田剛、山上ローラ、鏑木一誠、そして敵役に大御所・矢田藤七。脇を固める豪華俳優陣に、客席からざわめきが漏れる。最後に監督・藤堂亮がゆっくりと姿を現した瞬間、フラッシュが爆発的に焚かれた。
司会者の合図でマイクが回り、まず山田が立ち上がる。
「こうして再び『闇の狩人』に関われることを光栄に思います。皆さんに熱い時代劇を届けたい」
彼の落ち着いた声に、会場が静まり返り、拍手が送られた。
続いてローラが、やや緊張した笑顔で前を向く。
「テレビシリーズから続けて出演できるなんて夢みたいです。撮影は厳しいですけど、全力で挑みます!」
その言葉に会場が和んだ。だが俺は、隣で山田の表情が硬直しているのに気づく。記事の件が影を落としているのだろう。
鏑木は堂々たる口調で、まるで舞台挨拶のように声を張る。
「今回はシリーズとは一味違う“闇”を見せられると思います。どうぞ期待してください」
矢田藤七がマイクを持つと、空気が一変した。
「私は敵役を任されました。大名としての重みを背負い、堂々と悪を演じ切ります」
重厚な響きに、記者たちのペンが一斉に走った。
そして、最後にマイクが藤堂に渡った。
「今回の映画は、これまでの時代劇の概念を覆す作品になります。血と汗、そして人間の生き様を、真正面から描きます。生半可なものは一切撮りません」
藤堂の言葉は、会場全体を圧倒するように響き、記者たちは一斉にシャッターを切った。
俺は後方からその様子を見つめながら、胃の奥をきりきりと刺す痛みに耐えていた。
――頼むから、余計なことは言わないでくれ。そう心の中で祈りながら。
だが祈りは届かない。
質疑応答で記者の一人がマイクを握り、唐突にこう切り込んだ。
「監督、今回の作品はかなり過激な描写になると伺っています。時代劇で“血飛沫”を全面に出すことに、抵抗はありませんか?」
会場がざわつく。
そして藤堂は、あの鋭い眼で一言、言い放った。
「抵抗? ありません。むしろ、それこそが時代劇の本質でしょう」
――俺の頭の中で、田代の赤ペンの嵐が再び吹き荒れた。
「それでは、質疑応答に移らせていただきます」
司会者の声が響き、いくつかの手が挙がった。最初は無難な質問が続いた。作品のテーマ、役作り、撮影の意気込み――壇上の面々は堂々と答えていく。
だが、その空気は一瞬で崩れた。
「山上さん! 先日発売された写真週刊誌について、お答えいただけますか?」
最前列の記者が声を張り上げた。
会場の空気が凍りつく。司会が慌てて割って入る。
「本日は作品についてのご質問に――」
「作品に関係あるから聞いてるんだ!」
「主演と監督の親密交際疑惑、現場に影響は出てないんですか!」
「山田さん、どう思われますか!?」
怒号のような質問が相次ぎ、司会者の制止は無視された。
カメラのフラッシュが怒涛のごとく焚かれ、ローラの顔は青ざめていく。マイクを持つ手が震えていた。
「そ、それは……誤解で……」
か細い声がマイクに乗るが、記者たちの追撃は止まらない。
「誤解? じゃあ実際に食事はしてたんですか!」
「監督、あなたはどうなんですか!」
「視聴者を裏切るような関係だとすれば、映画の信用問題ですよ!」
壇上の藤堂は腕を組んだまま、無言で記者たちを睨みつけていた。
だがその沈黙が、逆に火に油を注いでいるように見えた。
山田は口を一文字に結んでいる。
記事の存在は知っている。だが詳細は何も知らされていない。記者たちが次々に自分の名前を呼ぶたび、堅い表情のまま、拳だけが膝の上で握られていく。
司会は必死に「ご質問は作品に関して」と繰り返すが、記者たちは止まらない。
会場はまるで戦場のような騒ぎになり、フラッシュが雪崩のように光り続けた。
壇上のローラは、泣き出す寸前だった。
俺は後方のスタッフ席で胃の奥がひっくり返るのを感じながら、ただ「誰か、もうやめてくれ」と心の中で叫んでいた。
怒号とフラッシュが飛び交う中、壇上の一角で藤堂がゆっくりとマイクを手に取った。
その瞬間、ざわめきが一瞬止まる。
「――もういいだろう」
低く、しかしよく通る声だった。
会場全体に張り詰めていた空気が、刃物で切られたように凍りつく。
藤堂は記者たちをひとりずつ射抜くように見渡し、言葉を継いだ。
「あなた方が追及しているのは作品ではなく、ただの噂に過ぎない。我々がここにいるのは、観客に誠実に映画を届けるためだ。――それを忘れては困る」
記者席の数人が言い返そうと身を乗り出したが、藤堂は遮るように声を強めた。
「記事の真偽については、私がすでに説明したはずだ。これ以上同じ質問を繰り返すなら、それは記者の仕事ではなく、ただの野次馬根性だ」
会場の奥でカメラのシャッター音が途切れた。
藤堂の言葉には、怒りでも弁解でもない、圧倒的な迫力があった。
「山上ローラはこの作品に全身全霊を捧げている。彼女の努力と才能を、安っぽいスキャンダルで貶めることは絶対に許さない」
一瞬、ローラが驚いたように藤堂を見上げた。
その頬に光が差し込み、涙が今にもこぼれそうに潤んでいた。
藤堂は最後に、深く言い切った。
「――質問が映画と関係ないなら、この場を打ち切る」
沈黙。
さっきまで荒れ狂っていた記者たちは、互いに視線を交わすだけで、誰もすぐには次の質問を発しなかった。
壇上の空気は、藤堂の一言で完全に掌握されていた。
壇上を包んでいた重苦しい沈黙を、ふいに軽く咳払いする音が破った。
山田だった。
彼はマイクを握り、少し緊張気味に笑みを浮かべる。
「……ええと、皆さん。僕らがここに集まっているのは“芝居”を語るためであって、ゴシップを裁くためじゃありません」
言葉の調子は穏やかだったが、その裏には固い決意がにじんでいた。
「正直に言えば、僕も記事を見て驚きました。でも、現場で一緒にいる僕には分かります。ローラは嘘をつくような人間じゃないし、藤堂監督も作品を裏切るような人じゃない。だから……僕は仲間を信じます」
記者席がざわつく。
それでも山田は一歩も引かず、視線を前に向けたまま続けた。
「僕たちは、この映画を命懸けで作っています。大げさに聞こえるかもしれませんが、真実です。撮影が始まってから、誰も楽な思いをしていない。それでもやり続けているのは、観客に“本物”を届けたいからです」
山田の声が会場に染み渡っていく。
さっきまでの怒号とは違い、その響きはまるで静かな火のように、じわじわと広がっていった。
「記事に興味を持つのは自由です。でも――僕は、観客がこの作品を見た時にどう感じるか、そこだけを信じたい。だからお願いです。僕らを作品で評価してください」
壇上のローラが小さく息を呑み、目を伏せた。
桐谷も、腹の奥に沈んでいた重苦しさがわずかに解けていくのを感じていた。
記者席の最前列で、長年映画を取材してきた老記者が静かに頷いた。
その仕草が合図となったように、別の記者がようやく映画に関する質問を投げかける。
場の空気は、ようやく会見の本筋へと戻り始めていた。
会見はどうにか終わった。
あの怒号の渦を切り抜けたのは、山田の落ち着いた受け答えと藤堂の冷徹な一言だった。あの二人の言葉で、記者たちはようやく矛を収めた。表面上は成功だったのかもしれない。
だが控室に戻ってからが、本当の地獄だった。
ローラは椅子に腰を下ろすなり、長いため息をついた。鏡を覗き込みながら化粧を直していたが、その手は小さく震えている。
「……ごめんね、みんなに迷惑かけて」
その声はかすれていて、俺の耳にだけ届いたように思えた。
俺は何も言えなかった。励ます言葉なんて見つからない。
虚しい慰めを並べても、状況が変わるわけじゃない。真実を語れば、誰かをさらに傷つける。どちらにせよ出口はない。俺はただ立ち尽くすことしかできなかった。胃の奥がずっときしんでいる。
一方の山田はどうだ。
会見では役者らしく堂々と答えていたが、仮面の裏で何を抱えているかは俺にも分かる。記事の写真――ローラと藤堂が並んで食事をしていた、あの一枚。理屈で考えれば意味のないスキャンダルだ。ローラには山田がいる。
それでも、男の心に刺さった棘は抜けない。
山田が廊下の片隅で拳を握りしめていたのを、俺は見てしまった。彼は誰にも聞かれないように呟いていた。
「俺は信じるって言った。でも……」
あの声が俺の耳から離れない。
藤堂だけは別の生き物だった。
「騒音は消した。あとは撮るだけだ」
冷たくそう言い切る彼の顔を見た時、背筋が凍った。人間関係も、役者の心も、彼にとっては瑣末なことなんだ。すべては映像のため。血飛沫が舞い、観客を圧倒する画を撮るために、彼は迷わない。
翌日から撮影は再開された。
だが現場の空気は、前よりもさらに重かった。
ローラと山田の距離は明らかに遠い。芝居で触れ合うはずの手が、どこかぎこちない。視線が合わない。台詞の間も、ほんの少しずれている。
監督席から藤堂の声が響いた。
「まだ足りない。芝居じゃない。もっと命を削れ」
その言葉は鋭い刃物のように俺の鼓膜を切り裂いた。
俺は胃を押さえながら心の中で叫んだ。
――誰か、俺を殺してくれ。
現場は回っている。だがその歯車の中心にあるのは、信頼じゃない。疑念と痛みだけだ。
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