第4章 世界と魔力《ユウ》 1
その夜。
あたしは前世でも今世でも初めて、両親とベッドに川の字になって眠った。
大人二人でギリギリのダブルベッド。両親に挟まれるように寝かされて、少し狭いが、安心できるぬくもりと、優しいパンの香りにあたしは目を閉じてすぐに眠ることができた。
*
「…はっ……」
次に目を覚ますと、目の前には真っ暗なモニターがあった。どうやら一条の言った通り、外の世界で就寝したことでこちらに戻ってくることができたようだ。
安堵するようにホッとため息を吐くと、椅子から立ち上がる。半日程度座りっぱなしだったはずだが、身体に痛みや違和感はなかった。
やはり、これはただの椅子ではないのだろう。
「…あ、八白木さんおかえり〜」
呑気な声がして振り返ると、一条は自分の部屋のベッドで横になり、あたしが外に出る前に読んでいたのとは別の少年漫画を読んでいた。
《優等生》の肩書きが全く似合わない一条のダラけぶりに、あたしは少し腹が立って、一条の傍らへズカズカと歩み寄った。
「…あんた、途中からあたしの手、離したろ」
「んー?あぁ、だって、何かあった時のためにって話だったけど、大丈夫そうだったから。それに、さすがに何時間も立ちっぱなしは疲れるし」
「そりゃ、そうだろうけどさ……」
はぁ、とため息を吐き、呆れるように答える。
まぁいいか。確かに何もなかったし、両親も良い人そうだし。
諦めるように心の中でそう呟くと、自分の部屋へと向かい、ベッドをそっと触れる。そういえば、この部屋が出てきてからまだきちんと確認していなかったと思い出した。
慎重にベッドの淵に座ると、ギシッ、と音を立てる。
シーツの手触り、少し硬いマットレス。前の世界で使っていたものと、全く同じ質感だった。
気を張りすぎて疲れていたのか、ゴロン、とベッドに横たわると瞼に重みを感じた。
「……いい人そうだったね」
一条の静かな声が聞こえて、あたしは閉じかけていた瞼を再び持ち上げる。一瞬独り言かと思ったが、あたしに向けられた言葉なのだろうと思い、力なく「うん」と答えた。一条は言葉を続ける。
「優しそうだった」
「…そうだね」
「……ねぇ、矢白木さん」
「何?」
「…『また嫌われる』って、どういう意味?」
「…っ……」
思わぬ質問に、あたしはガバッと起き上がって一条を見た。一条はこちらを一切見ず、マンガを読みながら寝転がっている。
「……聞こえてたの」
「うん」
慎重に尋ねると、一条は即答した。そして静かにマンガを閉じると、身体を起こしてベッドの淵に腰掛ける。ヘラヘラとした呑気な笑顔ではなく、氷のように冷たい目つきでもない、真剣な目つきでこちらを見てきた。
あたしの返事を待っているようだ。
なんとなく一条の目を見たくなくて、逃れるように目を逸らす。しかし、一条の視線は、逃すまいとこちらを向けたままだ。
あたしが答えるまで、逃すつもりはなさそうだ。
大きくため息を吐くと、あたしはそのまま口を開く。
「…言葉の通りだよ。あたしは、前の両親から嫌われてた。……いや、違うな。興味すら向けられていなかったんだ」
あたしの告白に、一条が軽く息を呑むのが聞こえる。あたしは一条を見ないまま、ポツリポツリと話し始めた。
あたしの父親は、優秀な外科医だった。毎日夜遅くまで働いて、休日も呼び出しがあれば病院へ向かう。家のことなど顧みない、典型的な仕事人間だった。
あたしは、父親とまともに話したことがない。それどころか父親の記憶といえば、夜中に病院から呼び出されて家を出て行く後ろ姿だけ。
そして母親は、そんな男にしがみつくだけの惨めな女だった。
小学生の頃、母親は《暴力》という形であたしに関わってきた。中学になってあたしの背が元々低身長だった母親のそれを超えると、《暴力》はなくなったもののその代わりあたしに一切関わってこなくなった。
専業主婦なのに家事をせず、父の金でエステやら買い物やら、自分磨きとブランド物集めに忙しい女。家のことは家事代行に任せている。
あたしは、母親のご飯を食べたことがない。家事代行で来る知らないおばさんが用意しておいてくれた食事を、自室に持ち込んで一人で食べていた。
高校に上がるまでは、勉強をして、いい成績を取って、父と同じ医大に入って……、そうすれば、きっと両親はあたしを見てくれる。そう思っていた。
勉強は苦手だったが、必死に努力して、自分の偏差値よりもわずかに高い高校に合格した。同時に受験していた有名校は落としてしまったが、あたしの努力を、両親は多少なりとも認めてくれる。褒めてくれると思った。
けれど、勇気を持って合格発表の通知を見せた時、両親は………何も言わなかった。
視線すら向けず、耳も傾けず、まるで空気のように扱った。
その時、あたしは唐突に理解した。
あぁ、無駄なんだ。何をしても。何を言っても。
この人たちの目が、あたしに向くことは決してないのだ。
この人たちは、あたしの《親》ではないんだ。
それからあたしは自暴自棄になったように黒かった髪を金髪に染めて、痛そうで興味すら持てなかったピアスを開けた。入学した高校にも出席日数ギリギリしか通わず、家を出るためにバイトを始めた。
バイトのない土日は、家にいても安らげないので街をあてもなく一日中ずっとブラブラしていた。
…弱い者イジメや卑怯者を見ると、自分より体が小さかった頃のあたしを殴っていた母の姿と重なって、吐き気がする。
相手が自分よりも弱いと分かった上で暴力を振るたり、一人に対して大勢で詰め寄るような人間を見ると、顔が沸騰しそうなほどの怒りを覚える。
あたしが喧嘩を始めたのは、そんなくだらない理由だ。
喧嘩が原因で、バイトを変えざるを得なかったこともある。
分かっているんだ。あたしだって。
怒りを暴力でぶつけたら、それはあたしが嫌悪している母親と同じことだって。
そんなことをしても、自分が損をするだけなのに。
そんなことをしても、両親の目があたしに向くことは一生ないのに……。
「……」
長々と、ダラダラと語り終えると、あたしは肺の中が空っぽになる程に大きく息を吐いた。
自分のことを誰かに話すのは、これが初めてだ。理解されないと思っていたし、理解されなくてもいいと思っていたから。
父は確かにあたしに一切関わってこなかったけど、職業柄収入はかなりあった。母親の浪費があっても、あたしの学費や生活費、家事代行の費用も父が全て出していた。通信量は自分のバイト代から出しているが、スマホの本体は父の金で勝手に買った。その時も、気づいていないわけはないはずなのに何も言われなかった。
だからあたしは、生活面で困ったことが一度もない。それだけ見れば、あたしの環境は恵まれていると言える。だというのに、親からの関心が得られないから家を出たいなんて、我儘な願いなのかもしれない。
一条はしばらく何も言わずにいたが、遠慮がちに、力なく「そっか」と呟いた。
「過干渉もけっこうしんどかったけど、全く干渉されないっていうのも、なかなか辛いね」
「…っ……うん」
否定されないどころか共感までしてくれた一条の言葉に、あたしは一瞬息を呑んだが、小さく答えた。
「私たち、全く正反対だと思ってたけど、親っていう存在にあまりいい思い出がないって点では、似た者同士なのかもね」
「……そうかもね」
自分の口から出たとは思えないようなか細い声。優等生だと思っていたクラスメイトとの意外な共通点に、あたしの身体から緊張が消え、安堵するように力が抜ける。
チラリと一条を見ると、相変わらずベッドの淵に座ってこちらを向いている。しかし視線だけはこちらではなく、わずかに下の方を見てボーッとしていた。
と思うと、何か思いついたようにバッと顔を上げる。
「ねぇ、私たち友達にならない?」
「…は?」
「嫌?」
「いや、別に嫌とかじゃないけど…突然すぎてびっくりした」
さも名案、とばかりの一条の言葉に、あたしはひどく困惑した。そんなあたしに、一条は満面の笑みで続ける。
「よかった!嫌ではないんだね。…ほら、私たちって今までまともに話したことなかったけど、同じ事故で死んで、こうして同じ人間として生まれ変わったでしょ?文字通り不離一体で、この先この世界で死ぬまでの間ずっと一緒なんだし、仲良くなった方がいいと思ったの」
「…そりゃ、まぁ」
「それにさ、今矢白木さんの家の話を聞いて、私たちって実は似たところがあったんだって知って、仲良くなれるかもなって思ったの。駄目?」
純真無垢という言葉がよく似合う、キョトンとした顔で一条はあたしの返事を待つ。
これは、先ほどと同じくあたしが何かしら返答するまで逸らすつもりはないという、断固たる目つきだ。
気まずいような沈黙。居心地が悪くて、あたしはボリボリと頭を掻いた。
確かに、一条の言う通りだ。断る理由はない。しかし今まで友達と呼べる人があまりいなかったので、なんだかむず痒い。
あたしはプイッと視線を逸らして、ぶっきらぼうに答えた。
「…好きにしなよ」
「やった!よろしくね、矢白木さん」
嬉しそうに声を弾ませてそう言うと、次の瞬間また何かに気づいたように「あっ」と声を漏らす。
「友達なら、いつまでも『矢白木さん』じゃ他人行儀すぎるよね。今日からは『ユウ』って呼ぶことにする!」
「…いきなり呼び捨てかよ」
「そっちだってそうだったでしょ。ユウも私のこと『優香』って呼んでいいからね」
「…そりゃどうも」
一条……もとい優香の押しの強さに、あたしはどっと疲れて逃げるようにベッドに潜った。忘れていた眠気が戻ってきて、身体がベッドに沈むような感覚を覚える。
「ユウ、もう寝るの?」
「うん…疲れた」
「そっか、おやすみ」
「……おやすみ」
呟くように返答すると、あたしは目を閉じた。優香はまだ寝るつもりはないのか、少ししてから再びペラ、ペラ、ページを捲る音が聞こえてくる。
日中の疲れと、紙を捲る音の心地よさのせいか、お蔭か、数回呼吸をしている間にスーッと眠りに落ちたのだった。
*
「……ん?」
ほとんど瞬きの間だった。朝日のような眩しさを感じて、ゆっくりと目を覚ます。
あたしがいたのは、優香と一緒に出した個人スペースのベッド………ではなかった。
一面真っ白な空間。どこまでも続く地平線の他には、何もない地面の上に、あたしは横になっていた。
……見覚えのある、場所だ。
「…は!?」
わずかに残っていた眠気も吹き飛ぶような光景。あたしは思わず立ち上がった。
ここは、優香と会う前にいた場所だ。
どうして、またここに……?
絶望のような恐怖を覚え、あたしは自分の頭から血の気がサッと引くのが分かった。
「…っ、優香っ……!」
探さないと、優香を。あの場所を。
そう思い一歩踏み出した途端、目の前の景色が急に変わったような気がした。しかし、構わずあたしは叫ぶ。
「優香!」
「はぁい?」
呑気な返答に、あたしはようやく我に返る。
気付くと、あたしは自室のベッドの上に座っていた。困惑して、辺りをキョロキョロ見渡す。中央の椅子、上空のモニター、木目の床と大理石の床とで二分された二つの部屋。
あたしの探し人は、あたしの部屋の本棚の前に膝をつき、マンガをしまっている最中だった。
怒鳴るような声で名前を呼ばれたためか、目を丸くしてこちらを見ている。
「おはよう、ユウ。ごめんね勝手に入って。昨日借りたマンガを返しに来たの」
「いや、それは別に、いいんだけど」
「ん?どうしたの」
「…あたし、さっき……」
言葉を詰まらせながら、寝ボケて上手く回らない頭で考える。
これは、現実?さっきまでは夢?
いや、夢にしてはやけにリアルだった。
そう考えていると、優香は思い当たることがあるらしく、「あぁ」と声を上げた。
「もしかして、ユウもあの地平線の場所にいた?実は私も。昨日マンガ読んだまま寝落ちしちゃって、起きたらあそこにいたの。で、ユウもいないし、どうしようって思って探そうとしたら、またここに戻ってきたんだ。不思議だよねぇ」
「あ、そう……そういう仕組みなのね」
苦笑しながら答えると、ハーッと大きく息を吐く。
焦った。本当に焦った。
「……ていうか、今何時?」
「……んー?…えっと……六時。《お母さん》はまだ寝てるけど、《お父さん》は一時間前に起きたみたいで、音がしたよ」
「そう」
まだドクドクと音を立てている心臓の音を誤魔化すように、あまり興味もない時間をあえて尋ね、また大きく息を吐く。
なんとなくいつもの癖で、手櫛で髪を整えようとしたが、ここがそう言う
なんて便利な場所だ。
あたしはベッドの淵に座ると、次に読むマンガを選んでいる優香に「あのさ」と声をかける。
「んー?」
「どっちか一人は外に出ないと、この身体を操れないでしょ?だから、外に出る順番というか、ルールを決めた方がいいと思うんだけど」
「ルール?」
あたしの提案に、優香は手を止めてキョトン、とした目をこちらに向けてくる。
あたしたちはそのまま、
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