深契

詩乃

プロローグ

 春の午後、修学旅行で訪れたのは、帝都の外れに残る旧侯爵邸——いまは資料館として公開されている館だった。

 若葉の香りをのせた風が石造りの外壁を撫で、古びた鉄の門扉をわずかにきしませている。


「うわ、でっか……」

「あ、見て、ドレス展示あるって!」


 友人たちの弾む声が列のあちこちで飛び交う。


「ばえる~、写真撮ろうよ!」


 笑い合う声に混じって歩いていた私は、正面に聳える館の姿を目にした瞬間、足を止めた。

 白壁の上に蔦が影を落とし、尖塔からは陽光を弾いた硝子が煌めく。

 見上げるほど大きな屋敷なのに、不思議と懐かしい。

 胸の奥を締めつけるような感覚に、思わず息を詰めてしまった。


 館内に入ると、赤い絨毯の廊下がまっすぐに伸び、光をはね返す水晶のシャンデリアが頭上で滴るように輝いていた。

 指先で階段の手すりをなぞる。磨かれた木の感触に、古びた傷が一筋走っている。

 触れたことのあるはずのない傷を、なぞっただけで胸がざわめいた。


「はぐれないでよー!」


 友人の声に振り返る。

「わかってる」そう答えながらも、どうしても足が遅くなる。


 ふと目に留まった肖像画。額に収められた一人の青年が、淡い微笑を浮かべてこちらを見ている。

 見知らぬはずの顔なのに、鼓動がひどく速くなる。指先が震え、視線を逸らした。

 さらに進むと、扉脇のプレートに刻まれた文字が目に入った。


 ——「董子とうこ」。


 私は思わず首を傾げた。


「……え?」


 偶然とはいえ、自分と同じ名。背筋に冷たいものが走る。


 その部屋に足を踏み入れると、レースのカーテンが春風に揺れ、窓辺から柔らかな光が射し込んでいた。

 ひどく懐かしい。胸の奥をかき乱すような懐かしさ。

 不意に、窓際に人影が見えた気がして振り返るが——誰もいない。


「……なんで、こんなに懐かしいの」


 誰にともなくつぶやいた声が、静まり返った室内に溶けて消える。

 私は肩をすくめ、友人たちの姿を追って歩き出した。

 けれど、背中にまとわりつく感覚は拭えなかった。


 ——この館の奥に、自分を待つ何かがあるようで。


 そして物語は、はじまりの邂逅へと繋がっていく。

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