もう交じり合わない再会

 その年の夏、酒造りのオフシーズンでもあり、「今日の京の酒蔵と和紙所」展示会とカンファレンスの開催にこぎつけた。関東の旧来のお付き合いのバイヤーさん、新規のバイヤーさんなどの取引先に招待状を出した。また、一般の方にも酒造り、和紙づくりを知ってもらおうと新聞広告も出した。義父は義母の面倒もあり参加できず、私の亭主とパパ、兄は二日遅れで参加する。展示会を回すのは、私と義妹と女将さんたち。女の時代よ。


 私は、婚家の酒蔵のブースと実家の和紙のブースを行ったり来たりして、社員の応対を補佐していた。酒蔵のブースでは、酒枡をピラミッドにしたりして、見た目にもかなり凝ったつもりだ。展示品は、一升瓶の汎用製品の日本酒の他に、低温殺菌の純米酒を当時は珍しかった500ml、720mlのグラスに詰めたものも展示していた。これは冷酒で飲んで欲しい。試作品の純米大吟醸酒も展示した。

 

 むろん、展示だけではなく、試飲もしていただく。初見さんのお客様もいれば、関東地方のバイヤーさんなどもいて、顔見知りのお客様だと試飲が試飲でなくなってしまって、ぐい呑で何杯もお代わりをされる方もいた。私もマズイなあとは思いつつ、お客様と盃を交わしてしまい、少々酔ってしまった。

 

 昼過ぎになり、昼食時間でお客様も多少まばらになった。私は、酒蔵のブースを義妹にまかせ、和紙は私が見るということで、他のスタッフを昼食に送り出した。

 

 和紙のサイズは、半紙判という333x242ミリから、画仙紙全紙だと1366x670ミリまである。今回は、さまざまな原色を組み合わせて、画仙紙全紙を十二単のような扇状に展示していた。元美術部だから、補色とかいろいろ考えてしまう。お客様にご覧になっている内に扇形が崩れてしまったので、私はそれを整えようとしていた。画仙紙全紙は大きいので、綺麗に扇状にするには手間がかかった。展示テーブルに俯いて、和紙をなんとか元通りに直していた。

 

 急に照明が遮られて影が和紙に射した。あら、お客様かしら?と思った。私の上から声が降ってくる。「あの、作業中に申し訳ありませんが、和紙の製法についてお聞きしたいんですが・・・」とその声は言う。聞き覚えのある声だった。私は上体を起こした。

 

 立ち上がって背を正して、お客様と向き合った。「いらっしゃいませ。どのような製法について・・・」と言いかけて、私は言葉を飲み込んでしまった。三年ぶりの懐かしい人の姿が正面に立っていたのだから。

 

 彼も驚いていた。偶然にしても出来すぎじゃない?ただ、彼の隣には彼女らしい背の高いスラリとした女性の姿もあった。私も彼も見つめ合ったまま、言葉が出ない。

 

 何秒か、だったのだろう。でも、それが無限に続くかと思われた。彼の隣の女性が怪訝な顔で私たちを見ているのがわかった。私の顔をジッと見て、彼の顔を見比べている。「あら、お知り合いだったかしら?」と彼女が言う。

 

 彼女はブースの上の実家の店名を見ていた。「小森・・・」と首を傾げて、思い出そうとしていた。「・・・あなたは、もしかすると・・・雅子さん?」と彼女が言う。なぜ、この見も知らない女性が私の名前を知っているんだろうか?


 急に彼に言語能力が戻ってきたみたいだ。私の言語能力は退化したままだった。彼が「雅子・・・」と私に呼びかける。その時、ブースに実家の社員が戻ってきて、「若女将、昼食終わりましたので、どうぞ、代わりに行って下さい」と私に言う。


「え?昼食ね。今、このお客様が・・・」と社員の女の子に言いかけると、彼が「そうですか。これから、昼食ですか。私もご一緒しても構いませんか?ねえ、絵美、あの昼食を・・・」と彼が彼女を振り返っていいかけた。


 絵美と呼ばれた彼女は、「私、ちょっとまだ見ていくから、小森さんさえ構わなければ、二人で先に行かれたらどうかしら?外に出て左に行くと明神様の御門の正面に明神そば屋さんがあるわよ?あそこではどうでしょう?」とテキパキと私と彼の顔を見ていった。


 彼が「・・・うん、じゃあ、絵美、そうさせてもらうかな。小森さん・・・ああ、小森さんは旧姓でしたね。齋藤さんかな?齋藤さん、どうでしょう?その明神様のおそば屋さんに行ってみませんか?」と私に言う。


 私はまだ言葉が出ない。頷いてお辞儀をしてしまった。それで、彼に誘導されるようにして、ブースを離れて、おそば屋さんに向かった。足元がフワフワして、和服の裾がうまく裁けない。よろけてしまう。彼が肘を支えてくれた。


 そば屋さんに行く間も言葉が出ず、彼も何も言わなかった。そば屋さんの奥の板の間のテーブルに着いた。しばらく、テーブルを見つめていて、顔を上げると彼が私を見つめていた。「雅子、三年ぶりだね。不意打ちだ。こんな所で会うなんて」と優しく言う。昔よりも声が低く太くなったかしら?


「あ、明彦・・・」懐かしい、面映い、そして、二度と会うとは思わなかった。言葉が続かない。「結局、雅子とぼくが行くプラド美術館の夏は訪れなかったね」と彼が言う。こら!明彦!私が泣くようなことを言うな!泣いちゃうじゃないか!バカモノ!


 ミキちゃんの言葉がたくさん思い出された。


「二人の運命のめぐり合わせは交差しなかったのよ。二人共が最終ゴールじゃなくて、通過点だったということ」


「明彦にとって、雅子は、通過儀礼だったのよ。人間が成長していく過程で、次の段階に移行する期間で、どうしても通らねばいけない儀式だった。大人になるための儀式。それが、雅子にとっては明彦だった。明彦にとっては雅子が儀式だったのよ。ある意味、私も二人の儀式なのかな?でもね、雅子、あなたと明彦は未来でも二度と交差しないと決まっているのよ」


 ミキちゃんの嘘つき!『未来でも二度と交差しないと決まっている』って何よ!目の前に今その交差している本物がいるじゃない!馬鹿野郎!


 私は、着物の袂からハンカチを取り出し、目尻に当てる。彼が言葉を続けた。「ミキちゃんも電話をしてきた。彼女がキミの最近の話をしてくれた。彼女も言っていた。雅子も同じだわって。ぼくのことを聞きたがっているって。ミキちゃんは伝書鳩みたいだね」お願い!それ以上言わないで!涙が止まらなくなるわよ!

 

 私が涙を堪えていると、絵美さんがやってきた。チェアを引いて音もなく座った。彼女が身を乗り出してテーブル越しにハンカチを握りしめている私の手をそっと包み込んだ。「雅子さん、私はあなたのことをよく知っているんです。明彦から聞いています。ミキちゃんともお電話でお話ししたことがあります。私ね、あなたに嫉妬しちゃったの。たった、数ヶ月のお付き合いで、この明彦があなたについてたくさん話せることがあるんだと。私だったら、そんなに話せることはないんじゃないかしら?って、妬けちゃった」


 私は顔を上げて彼女を見た。さらさらした長い髪、体つきはしなやかで背が高く、スラリとしたウェストと小ぶりな胸。日本人にしては高い鼻。テーブル越しでも強靭な意志と聡明さを感じた。おいおい、明彦、私、彼女に負けてる。

 

「ミキちゃんが言っていた・・・御茶ノ水の明大の小講堂で明彦が出会った女性がいるって。あなたが、森、絵美さん?」

「はい、森絵美です。小森・・・齋藤さんか。齋藤雅子さん、どうぞよろしく」

「絵美さん、会えて良かった。でも、複雑な気持ちなのよ」

「わかるわ。元カノと今カノという単純な話じゃないものね?困っちゃうなあ。それはおいておいて、少し遅れてやってきましたけど、二人共、二十分くらい、お通夜してたのね?三年前のお通夜を。それで、オーダーもまだしていないんでしょう?明彦、食事のオーダーくらいしなさいよ。それとも胸が一杯で食事も喉を通らないの?」

「わ、わかったよ、絵美。雅子、何を食べる?」とテーブルの上にあったメニューを開いて私に渡した。


 先にメニューを開いていた絵美さんが「う~ん、おそば屋さんは、おそばにするか、ご飯物にするか、いつも迷うのよねえ。うなぎもある。天丼とお蕎麦というベタなチョイスもある。鴨南蛮にカツ丼、どれにしましょう?天丼と鴨つけそばかしらね?そうしましょう。雅子さんは何にする?」と聞かれた。


「え?私は・・・」そうだ。会場の準備で、朝食もとっていなかったのだ。急にお腹が空いたのに気づく。絵美さんも二品注文したことだし、私だって二品でもおかしくないわね?って、どうも京都の癖で、何かと他の人を気にする癖が付いてしまったようだ。「私は、カツ丼と鴨つけそばにします」と答えた。グゥ~っとお腹がなった。明彦もウナ丼と鴨つけそばを注文した。「ついでに、ビールもいいだろう?二人共?」とビールの大瓶を三本注文してしまった。まあ、ビールくらい良いかな?


 料理が来た。話の糸口がつかめない。絵美さんのことを聞いてみようか?


「絵美さん、さっき私の実家の和紙ブースの上にあるウチの店名を見られて、『小森』から私の名前を思い出されたようですけど、明彦から私のことをどのくらい聞いていたんですか?」

「ウフフ、雅子さん、気になる?気にならないほうがおかしいわよね?」と頬杖をついて絵美さんは私の顔をジッと見た。「前に付き合っていた人の話が話題に出て、明彦は『あまり趣味が良くない話題』と言っていて渋々だったけれど、私が根掘り葉掘り聞いたのよ。彼の話を聞いていて、明彦がお付き合いした女性の中で、あなたが特に印象に残ったの。あ!ミキちゃんもね」


「明彦!」と私は彼を睨みつけた。

「雅子、ぼくとキミの間もそうだったけど、ぼくと絵美の間も隠し事なしだ。もちろん、彼女に聞かれたから話した。プライバシーに関わることだけど、キミには二度と会えないとも思っていたからね。ミキちゃんは気にしなかったよ。面白がっていたよ」

「明彦!」


―――――――――――――――――――――――――――――――――


 展示会の開催されている明神様の会館の道すがら、絵美さんが私の腕を握って歩いた。あ、この人とはお友達になれそうと思った。会館のエントランスに入って、絵美さんが立ち止まる。

 

「雅子さん、あそこの柱の後ろ、見える?あそこなら、誰にも見られないと思わない?」と絵美さんが言う。

「え?」何の話?

「ほぉら、明彦とあそこに行って、隠れて、彼にハグしてもらっちゃわない?もう、こういう機会はないかも。三年前、東京駅で別れてから、二人共モヤモヤしてるんでしょう?私、気にしないから。最後に、二人で封印しなさいな」などととんでもないことを言い出す。


「絵美、なんてことを・・・」「絵美さん、私は亭主持ちで・・・」と明彦と私が言いかける。


「あらら、一生、後悔するわよ。私が良いっていうんだから、雅子さんの旦那さんの了解はないけど、すればいいじゃない?雅子さん、明彦、しなさいよ。私、あなた方が誰にも見られないように、見張っていてあげるから・・・」と私と明彦の肩を突いて、柱の陰に押し込んでしまった。絵美さんは、エントランスの中央に行ってしまって、ブラブラしている。


「・・・」

「強引なんだよな、絵美は。あのさ、雅子、どうする?」

「どうするって・・・いまさら、私に、そんなこと聞くの?」こいつの鈍感さはたまに頭に来ることがあった。今もそうだ。何も聞かずにキスすれば良いんだ。私が最後のキスを欲しがっているのがわからないのだろうか?


 彼が私の腰に、私が彼の首に腕を回した・・・これで、本当におしまいなんだな・・・私は彼に抱かれて、キスをしながら思った。


 もう、交差しないのだ、私たちは。

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