第25話侍女長とルナシー

 「ルイーズ様、お疲れさまでした。こちら、汗を拭くためのタオルです。お使いになってください。」

 「ありがとう、ルナシー。まさか、いきなり決闘を仕掛けられるとはね。」


 ふわふわで汗をよく吸いそうなタオルからは、ほどよいハーブとソープの爽やかな香りがする。


 本当にいい匂い。一般的なフローラルな花の匂いも嫌いではないけど、強烈なのよね。

 少なくとも疲れている体には刺激が余りにも強すぎて、目を回してしまったのを思い出す。


 「でも、どうしていきなり騎士団長様はそうしたのでしょう。いくら、いても突っかかる必要はないのに。」


 彼女が何でもないようにそう言った瞬間、時が止まった。


 今、間違いなく『あなたが鮮紅令嬢と呼ばれて』って言ったわよね?

 昨日姫君たちのところにいた者たちは私をそう認識していなかったのに、いつ知ったのだろう。


 「え、ちょっと待って。いつからそう認識していたの?」

 「最初からですよー。ルイーズ様が到着したとき、ちょっとした騒ぎになっていましたでしょう?その時に初めてあなたのことを見たのです。」


 あ、そうか。確かに到着したとき、兵士たちが野次馬のように騒いでいたのが脳裏に浮かぶ。

 決して少なくない人数だったから、『何事か?』と見に来る人もいるだろう。


 とりあえず、変な理由じゃなくてよかった。


 「でも、不思議ですね。その一日でまさか主従関係になるとは思ってもいませんでした。」


 嚙みしめるように昨日起きたことを述べる彼女に、初めて会った時のような陰りはもうなかった。


 「それもまた人生よ。私たちはどう転ぶかも分からない縄の上を歩いているの。それすらも、楽しんでいきましょう。」

 「もちろんです、ルイーズ様。……ふふっ、久しぶりにいっぱい笑った気がします。」


 実際、そんなこと誰だって分からないもの。

 どれだけ賢くても、どれだけ勘が鋭くとも、自分の身に起こることを全て正確に予測なんてできない。


 それに何もかも思い通りになることほど、つまらないものはない。だからこそ、私はこの人生を謳歌していきたいのだ。


 改めてルナシーに案内してもらって図書館に行くことに。

 しかし、それはルナシーに声をかける者によって阻まれた。


 「ルナシー、探しましたよ。まさかが取り柄のあなたが仕事をさぼろうとするなんてがっかりです。」

 「侍女長様。……仕事をさぼったとは一体どういう意味でしょうか?」


 ルナシーはどこか冷めたような視線を自身の目の前にいる女性に向ける。

 表面上はニコニコしているけど、明らかに目が笑っていない。


 一方、侍女長と呼ばれる黒髪黒目の女性は嫌味ったらしく、ルナシーに接する。

 

 『真面目だけ』が取り柄、ルナシーが?そんなわけないでしょう。


 まだ一日しか仕えてもらってないけど、彼女の仕事は早いだけじゃなくて正確でさりげない心遣いも所々にこめられている。

 そんな彼女の取り柄が『真面目だけ』なわけがない。


 そもそもそんな風に言っているけど、侍女長さんは人のことが言えるのかしら?


 仮にも皇族に仕える侍女たちが、マナーも礼儀もまともに守れていないのは考えられないことだ。


 彼女たちは自分たちの行動になにも罪悪感を抱いていないのが、人として終わっている。


 ルナシーや姫君たちの部屋の片隅で固まっていた者たちを見るに、最初から腐っていたわけではないらしい。

 つまり、そうなってしまうような環境の温床だというわけだ。


 それを認識もせず放置し、悪化させたこの人は本当に侍女長としての役目を果たしているとは言えない。

 今の時点では少なくとも、そうだ。


 「そのままの通りです。あなたに課していた洗濯、料理の配膳、宮殿の掃除、何一つしていないではありませんか。」


 ちょっと、待って。それはおかしい。侍女と言う者の存在にあまり明るくない私でもわかる。


 洗濯、料理の配膳、宮殿の掃除。これらは全てそれ専門の者たちがやる仕事ではないの?


 侍女とはあくまでも主君の補佐を行う職だ。

 仕える対象が皇族であれば、一役人にも等しいというのに、そんなことまかり通っていいはずがない‼


 ルナシーは侍女であって、下女ではない。

 あまりにも横暴すぎる。この女は他の侍女たちを自分の奴隷か何かだと思っているのか。


 「申し訳ございませんが、侍女長。昨日貴女自身が私に対し、解雇通告をいたしましたよね?それなのに、どうしてやる必要があるのでしょうか?」


 そういえば、昨日雇用契約を行うときに宰相様に一枚の紙を複製して手渡していた。


 あまりにも粗末で、今にも破れそうな紙だった。でも、そこには確かに『解雇通告』と書かれていた気がする。


 「私がしたのはあくまでもの侍女としての解雇であり、殿の侍女としての解雇ではありません。」


 なんて屁理屈を言うんだ。いや、もしかしたら事実はそうかもしれないけど。


 鼻で笑いながら見下し気味でそう言うのはだめだろう。


 無理だ。すでに侍女長のことが嫌いだ。

 こうやって高圧気味な態度で接してくる人は自分が絶対だと思っている。故に、接するうえで面倒なことしかない。


 「だから、今すぐ戻って掃除を済ませなさい。そうすれば、折檻を無しにして差し上げます。……全くどこぞの馬の骨の小娘に仕えるなんてどうかしているわ。」


 本当に偉そうにふんぞり返っているな、この侍女は。


 あと、侍女を折檻して楽しむ悪習を作ったのはこの女だな?

 そうでなければ、あんなに自然に言うことはできないだろう。


 どうかしているのはルナシーじゃなくて、この女の方だ。ろくに人員配分もできないのに何をいけしゃあしゃあと。


 吐き気を催す邪悪とはこのことを言うのね。……いや、王妃の方が酷かったわ。


 それに、どこぞの馬の骨ですって?

 確かに姫君たちに比べたら格式は低い。それでも、リュミエールと言う決して小さくはない隣国の、エキャルラットと言う中枢貴族の娘なのは事実だ。


 それを、初対面で、その人がよく分からない状態で馬の骨ですか。

 随分といい度胸をなさっていること。


 「お断りします。あなたの話を聞く義理などもうありませんので、失礼します。」

 

 ルナシーのその凛と芯の通った声が反響する。


 侍女長は驚きを隠せないような顔をしているが、ルナシーはそれを無視して私にここから去ることを促す。


 「ごめんなさい、醜いものを見せてしまって」と苦笑いする彼女は、昨日涙目になっていた少女ではない。


 吹っ切れた人間ってここまで強くなれるんだ。


 「ま、待ちなさい、ルナシー・メドベージェフ‼」


 

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