迷走冒険者ガルドとリシュア -うっかり東へ-

@hakki1998

第1話 東へ東へ

第一話 東へ東へ



——まったく、この二人には学習というものがない。

神々のどこか退屈な午後、世界を見下ろす高みからそう評しておこう。だが、学ばぬ愚かさがときに運命を動かすことを、我らはよく知っている。





森を追われし少女



フェルエルの森は、昼も夜も変わらずざわめいていた。風が梢を揺らし、光の粒が舞う。人間が「妖精の森」と呼ぶ所以は、いつだってそこに棲む精霊たちが生き物のように息づいているからだ。森の奥深く、苔むした大樹の根の間で、ひとりの少女が両手を振り上げて叫んでいた。


「ちょっと待って! 火の精霊、落ち着きなさいってば!」


小さな火球がぼんぼんと弾け、木の葉が焦げ、鳥が騒いで飛び立つ。少女――リシュア・フェルエルの焦った声をよそに、精霊たちはますます元気に暴れ出した。


「リシュア!」

老いたハイエルフの長が杖を突きながら現れる。

「……また制御を失ったか」

「ち、違います! ちょっと、気が立っただけで……!」

「気が立てば森が燃える。それがお前だ」


返す言葉に詰まり、リシュアは唇をかんだ。彼女は精霊に愛されすぎている――それは誉れでもあり、呪いでもあった。長は深く息をつき、そして言う。


「リシュアよ。お前は森に留まるべきではない。外の世界で学べ。これは追放ではない。修行だ」


そこへ、緑の外套をまとった使者が木立の間から姿を現した。人間――それも、仕立ての良いマント、銀の留め具、王紋の刻まれた印璽。


「フェルエルのリシュア殿とお見受けする。イリヤム王よりの御使いだ。森を出ると聞き、取り次ぎを願いたい」





イリヤム王の依頼



イリヤム王城の謁見の間は、石と陽光の匂いがした。高い天窓から差す光が床の白い縞石に長方形を落とし、衛兵の槍先でちらちらと反射する。

王は痩せた指で玉座の肘掛けを軽く叩き、真っ直ぐにリシュアを見た。


「フェルエルのリシュアよ。森を出ると聞いた……一つ頼み事があるのだが」

「……内容次第です」

「この男を連れ戻してほしい」


王の横で巻物が開かれ、若い男の似顔絵が見える。ぼさぼさの黒髪、緩んだ口元――妙に人を食った風情。

「イリヤム王子、ガルド・イリヤム・バンフォード。二十二になった。酒と賭け事に逃げ、国から目をそらしている。だが、あれはあれで必要な男だ」


「王子を……私が?」

「お前は精霊に愛され、足も頭も立つ。しかも、自由でしなやかだと聞く。重く囲い込めば逃げる男には、堅牢な檻より、気の長い伴走者が効く」


王はそこでわずかに顔を緩めた。

「報酬は一万ゴールド。期限は切らぬ。……ただし条件がある。彼の矜持を折るな。連れ戻すのではなく、帰る理由を一緒に見つけてやってくれ」

「……仕事は仕事、ですが」リシュアは肩をすくめた。「矜持は折りません。折られたら私も困りますから」

「助かる。彼は今、西へ東へと漂い、最近はミナイルや西部諸国に顔を出していると聞く。人の噂は尾ひれがつくが、尾ひれは魚の居場所を教えることもある」


謁見は短かった。退出ののち、長が門の陰で小さく笑う。

「行け。戻る場所は消えぬ」

「まったく……」リシュアは頬を膨らませ、しかし目は輝いていた。「そういう言い方、ずるいのよ」





モナークの街と鉄の樽亭



数日後、モナーク。市場の喧噪は人の匂いでむせかえるほどだ。リシュアは露店の軒先でパンをかじりながら、行き交う荷車と人の会話を拾った。


「黒髪の長身? ああ、あの兄ちゃんなら……」

「《鉄の樽亭》で女と酒に現を抜かしてた、って話だぜ」

「払わねぇツケは……いや、言わねぇでおくか」


噂は尾ひれだらけだが、尾ひれは方向を指す。リシュアは口の端を上げ、背の弓を軽く直して路地に入った。


《鉄の樽亭》は名物の巨大な鉄製の樽を入口にドンと構え、通りがかるだけで酔える香りを放っている。中は油と酒の匂いと笑い声で満ちていた。壁には角の折れた獣の頭蓋、割れた盾、梁には空の酒袋。床は少し粘り、靴底がざらりと鳴る。


「だからよぉ! 俺が剣を振ったら、ゴブリンなんざ一発で――ぶっ飛んだんだって!」


テーブルに片足を乗せ、ジョッキ片手に大声を張り上げる男。黒髪はぼさぼさ、鎧は刃こぼれだらけ。だが背丈は大きく、声はやたら通る。――ガルド・イリヤム・バンフォード。二十二歳。見た目はだらしないが、得物を握れば別人だと噂の男。


「また始まった」「いつものだな」

客たちは半分笑い、半分呆れて聞き流す。ガルドはご機嫌で剣をドンとテーブルに置いた。

「こいつが俺の相棒、バスタードソード様だ! まだまだ現役よ!」

「……ただの錆び剣じゃねえか」

笑いが揺れる。ガルドは真っ赤な顔でジョッキをあおった。


リシュアは扉口から一歩だけ進み、静かに名を呼んだ。

「ガルド・バンフォード、ね?」


澄んだ声は喧騒に紛れるはずなのに、妙に通る響きを帯びる。ガルドはジョッキを落としかけ、情けない顔で振り向いた。


「へっ? な、なんで俺の名前を……」


リシュアは人差し指で短く示す。口元だけを動かし、誰にも聞こえない小声で告げた。

「――イリヤム王より。王子をお迎えにあがりました」


それだけ。紙も掲示も取り出さない。


が。


「お、お迎えぇ!? なんで皆の前で言うんだよ!」


ガルドが酒に酔った大声で反応した瞬間、店内の空気が凍る。


「今、王子って言ったか?」「迎え?」「おい、賞金は?」

耳ざとい客の囁きが火種になり、瞬く間に燃え広がった。


「王子様だとよ!」「捕まえりゃ一万だ!」

視線が一斉にガルドへ突き刺さる。金の匂いを嗅ぎつけた獣のように。


「お、おい! ほら見ろ! 皆が聞いてるじゃねーか!」

ガルドは青ざめ、椅子をひっくり返して立ち上がる。

「これじゃあ追手だらけじゃねーか!」


リシュアは眉をひそめ、ため息。

「静かに言ったのに、勝手に大声出したのはあんたでしょ。……まったく、あんたは」


「ぐぬぬ……!」ガルドは剣をつかみ、出口へダッシュ。

「と、とりあえず逃げるぞ! 東だ! 東へ!」

「ここ、北の谷が近いんだけど」

「え、北? いや、こっちが東だろ!」


酔った足取りでふらふら駆け出すガルド。リシュアはこめかみを押さえ、しかし弓を確かめてから追った。


二人が飛び出すと、《鉄の樽亭》に一瞬の静けさ。次の瞬間、椅子が軋み、机が倒れ、冒険者たちが一斉に立ち上がった。


「追え! 一万ゴールドだ!」

「俺が先に捕まえる!」

「いや俺だ!」


鉄の大樽を叩き鳴らすような地響きが、夜のモナークへ広がっていく。



夜の石畳を蹴って走る。屋台の灯りが流れ、焼き串の匂いが背に遠ざかる。追っ手の怒号が路地に反響した。


「やべぇやべぇやべぇ! このままじゃ袋叩きだ!」ガルドが後ろを振り返りながら叫ぶ。呼気は酒臭い。

「だから言ったでしょ。大声で騒ぐからよ」リシュアは息も乱さず、軽やかに並走している。耳許を風が鳴り、弓弦がかすかに震えた。

「とにかく東へ! 街はずれに俺の隠れ家がある! そこに逃げ込むぞ!」


石畳――角――路地――坂。ガルドは自信満々に右へ曲がり、さらに右へ、そして小さな橋を渡り……やがて街灯の少ない谷間に飛び込んだ。


「……おい」リシュアが足を止める。冷たい声。

「ここ、北の谷なんだけど」

「な、なんでだよ!? 俺は確かに東に向かったはずだろ!」

「方向音痴ってレベルじゃないわね」リシュアは額を押さえた。「まったく、あんたは……」


谷の闇の奥から、不気味な気配。黄色い目がいくつも光り、牙を剥いた小さな影がざわめく。

「……ゴブリンの群れ?」リシュアが弓を構える。

「う、うわぁっ!? なんでだよ! めーんどくさいよー!」ガルドは悲鳴を上げ、剣を引き抜いた。刃こぼれの金属臭が夜気に混じる。


「おらぁ! まとめてかかってこい! 剣のサビにしてやる!」

「バカ! 余計なこと言うな!」


リシュアの矢が先頭のゴブリンの目に突き刺さる。悲鳴が合図になり、群れが一斉に飛び出した。湿った土が跳ね、腐葉土の匂いが強まる。


ガルドは舌打ちし、大上段から振り下ろした。剣が風を裂き、三匹がまとめて吹っ飛ぶ。酔いが残っているはずなのに、刃を握った途端に足運びは淀みなく、目も冴える。


「……口だけの大酒飲みかと思ったけど、意外とやるじゃない」

「何か言ったか!?」

「別に!」


数が多い。きりがない。ガルドの挑発でさらに群れが集まる。


その時――リシュアの体から熱気のようなものが立ち上り、空気がざわついた。光の粒がちらちらと舞い、風が不自然に渦を巻き始める。草が勝手に倒れ、冷たい舌先のような風が頬を舐めた。


「な、なんだよこれ!?」ガルドは思わず一歩引く。「お、おいリシュア! お前……なんかヤバいオーラ出てるぞ!」

「……っ!」胸にこみ上げる熱。怒りが臨界へ。「くっ……ダメ、また……!」


精霊たちのざわめきが大きくなり、周囲の木々までもが勝手に揺れた。

「うわぁ!? マジかよ! 爆発するんじゃねーの!?」

「まったく、あんたは……全部あんたが煽るから!」


リシュアが矢を放つと同時に――風が爆ぜた。小さな竜巻が幾重にも広がり、ゴブリンの群れをまとめて吹き飛ばす。悲鳴と土煙が谷を埋め尽くし、乾いた岩肌に風がきしむ音が残った。


やがて、静寂。散乱するゴブリン。湿った土の匂い。まだ舞う光の残滓。


「……はぁ、また……暴走……」リシュアは膝に手をつき、肩で息をした。指先がかすかに震えている。

「いやいや! 助かったって!」ガルドは肩で笑い、親指を立てた。「お前が吹っ飛ばしてくれなかったら、俺ひとりじゃ面倒だった!」

「褒めてるつもり?」

「もちろん!」


にかっと笑う顔に、リシュアは呆れ――そして少しだけ肩の力を抜いた。

「……まったく、あんたは」



谷の奥に小さな洞窟。獣臭と血の匂いが重く淀む。ゴブリンが盗んだらしい袋やら壊れた武具やらが散乱している。

「隠れ家どころか、ゴブリンの倉庫かよ……」


ガルドが鼻をつまんで進むと、壁に立てかけられた一本の剣に目が止まった。

「おお、ここにも財宝発見!」


それは、見た目こそ刃こぼれと汚れだらけのバスタードソード。だが、柄には四つの穴――宝石か何かをはめ込むための不自然な窪みが刻まれていた。


「……これは……」


ガルドの表情が一瞬だけ引き締まる。手に取った剣はずっしりと重いのに、不思議と掌に馴染んだ。油と鉄の匂いの奥に、冷たい石の匂いが微かにする。


「おい、それ持って帰る気?」リシュアが怪訝そうに覗き込む。「またガラクタ拾って……」

「いや、まぁ……なんでもねぇよ」


ガルドは肩に背負い直し、にやりと笑ってごまかした。柄の四つの穴を、指先でそっとなぞる。


(こ……これは……。マジかよ……)


喉の奥にため息が溜まる。



夜更け、モナークの安宿。薄い藁のベッドに倒れ込んだガルドは、拾った剣を枕元に置いた。ランプの灯りが揺れ、壁に四つの小さな影が並ぶ。


「……いい感じの剣じゃん、って言いたいけどよ」


穴を見つめ、ガルドは額を押さえた。

「マジかー……めーんどくさいよー」


小さな声。酔いと疲れと、それからほんの少しの諦めが混じっている。


(四本の聖剣。その一本。柄に、四つの魔晶石をはめる穴。――覚醒すれば、封印を開く鍵にもなる。そんなもんを、よりによって俺が……)


ベッドの隣で腕を組んでいたリシュアが、冷ややかに見下ろす。

「まったく、あんたは……。そんなボロ剣、枕元に置かないでよ。錆びがシーツにうつるじゃない」


「いいだろ、俺の自由だし。……自由って、いいよな」

「ふん。自由は責任とセットよ。払うものは払ってから言いなさい」

「めーんどくさいよー」

「あと一万ゴールド。忘れないで」

「……聞こえなーい」


言い合いはぐだぐだ続き、やがて二人は口を閉じた。

外では夜警の笛が遠くを過ぎ、誰かの笑い声が石壁に跳ね返る。油の焦げる匂いも、酒の甘い残り香も、少しずつ薄れていった。


こうして――

家出王子と精霊暴走ハイエルフの、迷走の旅は幕を開ける。東へ行くつもりで北に行き、北で拾った剣は、東へ向かう理由のひとかけら。


まだ誰も知らない。

“うっかり”が、ときに運命の名前で呼ばれることを。

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