第12話 決裂の言葉


 週末は、地獄だった。

 土曜日も、日曜日も、僕の頭の中は、沙織と佐藤翼のことで埋め尽くされていた。今頃、二人はどこで何をしているのだろう。翼の、あの自信に満ちた笑顔を、沙織は今、隣で見ているのだろうか。光に満ちた世界で、二人だけの時間を過ごしているのだろうか。想像するだけで、腹の底から黒い嫉妬がせり上がってくる。


 そして、その想像は、最悪の形で現実のものとなった。

 日曜の午後、頼まれた買い物のために駅前の商店街を歩いていた僕の目に、信じがたい光景が飛び込んできたのだ。カフェのテラス席で、楽しげに笑い合う沙織と翼の姿があった。僕は咄嗟に、店の柱の影に身を隠す。


 二人は、どこからどう見ても、幸せな恋人同士にしか見えなかった。翼が何かを言うたびに、沙織は僕の知らない、無邪気な顔で笑う。僕が知っているのは、涙に濡れた顔か、快感に溺れる顔、あるいは感情を消した無垢な顔だけだ。あんな風に、心の底から楽しそうに笑う彼女を、僕は知らない。


 やがて、二人は店から出てきた。僕は、見つからないように、距離を置いてその後をつける。そして、見てしまった。沙織の家の近くの人通りの少ない道で、翼が、彼女を優しく引き寄せ、その唇にキスをするのを。

 沙織は、それを受け入れていた。

 その光景は、僕の目にはスローモーションのように映った。世界から、音が消える。僕の心臓が、大きな音を立てて砕け散った。


 月曜日の放課後。僕は、沙織に「いつもの場所で」とだけ書いたメッセージを送った。

 古い用具室で彼女を待つ僕の心は、凍てついていた。やがて、沙織がやってくる。彼女は、いつもと同じように、何も言わずに僕に近づき、身体を預けようとしてきた。

 僕は、その手を、そっと押し返した。

「え……?」

 沙織が、怪訝な顔で僕を見る。

「どうしたの、健太」

「……昨日、佐藤といるのを見た」

 僕の言葉に、沙織の表情が凍りついた。彼女は、視線を逸らす。

「キス、してたな」

 僕は、続ける。声が、自分でも驚くほどに冷たく、低い。


「俺たちの関係は、何なんだ」

 僕は、ずっと胸の中にあった問いを、ついに彼女にぶつけた。

「俺は、お前のことを、ただの遊び相手だなんて思ったことは一度もない。俺は……」

 僕は、彼女の肩を掴んだ。震える声で、すべての想いを、言葉にする。

「俺は、沙織のことが、好きだ。本気で、好きなんだ。だから、これは遊びじゃない」


 僕の告白を聞いた沙織の瞳が、大きく揺れた。ほんの一瞬だけ、その瞳に、苦痛と、哀れみのような色が浮かんだのを、僕は見逃さなかった。

 しかし、次の瞬間、彼女はそのすべての感情を消し去り、能面のような、完璧な無表情を作った。そして、僕が今まで聞いた中で、最も冷たい声で、言った。


「勘違い、しないで」


 その言葉は、僕の心臓を、氷の刃で貫いた。

「私たちは、ただのクラスメイトでしょ?これは、二人だけの、秘密の遊び。最初にそう言ったのは、そっちじゃない」

「……っ!」

「あなたが、私の涙を見たから。私が、弱ってたから。ただ、それだけ。あなたも、気持ちよかったんでしょ?それで、いいじゃない」

 彼女は、僕の心を、一言一句、的確に殺していく。僕が今まで彼女と積み重ねてきたと思っていた、すべての時間が、ただの「勘違い」と「遊び」に成り下がっていく。


「だから、もうやめて。そんな風に、私を本気だなんて目で見ないで。気持ち悪い」


 それが、最後の一撃だった。

 僕の心は、完全に、壊れた。

 沙織は、僕の腕を振り払うと、一度も振り返ることなく、部屋から出ていった。

 一人残された僕は、その場に崩れ落ちる。決裂の言葉だけが、がらんとした部屋の中で、いつまでも、いつまでも木霊していた。

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