第9話 光の中のライバル
僕たちの奇妙な共犯関係が始まってから、一週間が過ぎた。
昼間の教室では、僕と沙織はまるで他人だ。僕は彼女の存在を意識しないように努め、彼女もまた、僕のことなど視界に存在しないかのように振る舞う。しかし、最後のチャイムが鳴り、教室から生徒が一人、また一人と消えていくにつれて、僕たちの間の見えない糸は、その緊張を増していく。
そして、黄昏に染まる秘密の場所で、僕たちは言葉少なに肌を重ねる。その時だけ、僕は彼女の特別な存在になれる。昼間の世界で彼女が被っている完璧な仮面を、僕だけが剥がすことを許されている。その事実に、僕は暗い満足感を覚えていた。この歪んだ関係が、僕たちの世界のすべてだった。
その均衡が、脆くも崩れ去ったのは、ある日の昼休みのことだった。
その男は、僕とは何もかもが正反対だった。佐藤翼。彼は、教室という名の小さな王国の、誰もが認める王子様だ。サッカー部のキャプテンで、成績も良く、その上、誰に対しても気さくで明るい。彼が笑うと、その周りには自然と人の輪ができる。まさに、光の中に立つために生まれてきたような男だった。
その日も、翼はクラスの中心で、友人たちと馬鹿話をして笑っていた。僕は、自分の席で本を読んでいるふりをしながら、その光景を横目で見ていた。僕と沙織が秘密を育む影の世界とは、あまりにもかけ離れた、眩しい光の世界。
不意に、翼が立ち上がった。そして、迷いのない足取りで、まっすぐに、沙織の席へと向かったのだ。
僕の心臓が、どくん、と嫌な音を立てた。
翼は、沙織の机に軽く手をつくと、悪戯っぽく笑いかけた。
「橘さん、今週末、暇だったりする?」
その声は、自信に満ち溢れている。教室中の視線が、一気に二人へと集まった。もちろん、僕の視線も、だ。
沙織は、驚いたように翼を見上げた後、すぐにいつもの、あの完璧な笑顔を浮かべた。
「佐藤君。どうしたの、急に」
「駅前に新しいカフェできたろ。そこのパンケーキが美味いって評判だから、一緒に行かねえ?」
「パンケーキ?佐藤君が?」
沙織は、楽しそうにくすくすと笑う。その笑い声が、僕の胸をチリチリと焼いた。それは、僕には決して向けられることのない種類の、明るく、無邪気な笑顔だった。
やめろ、と心の中で叫ぶ。そんな風に、そいつに笑いかけるな。お前のその笑顔は、偽物じゃないか。本当のお前は、俺だけが知っているのに。
翼は、そんな僕の心の叫びなど知る由もなく、会話を続ける。
「俺だって、甘いもんくらい食うって。で、どうなの?」
沙織は、少し考える素振りを見せた後、人差し指を自分の唇に当てた。それは、男子を焦らすための、彼女がよくやる計算された仕草だった。
「うーん、考えとく」
その言葉は、事実上の肯定だ。周囲の友人たちが、ひゅーひゅーと楽しげに二人を囃し立てる。翼は、満足そうに笑って自分の席へと戻っていった。
僕は、手に持っていた本のページを、無意識のうちに強く握りしめていた。指先が白くなっている。
光の中の王子と、光の中の姫。誰もが祝福する、お似合いの二人。その光景を、僕だけが、暗い教室の隅から、憎しみに近い嫉妬の目で見つめていた。
黄昏の教室で、僕の腕の中で喘ぐ彼女は、僕だけのものだ。しかし、光が照らす昼間の世界では、彼女は僕の知らない顔で笑う。その事実が、どうしようもなく、僕を苛立たせた。
黒く、どろりとした独占欲が、僕の心の中に、初めてはっきりと形を成した瞬間だった。
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