1-3話 尾張国
「ほれ、握り飯だ」
信長は薄汚い少女のそばに近寄るとその背丈に合わせるためにその場にしゃがみこみ、握り飯を差し出した。
少女は小さく首を傾げた。
貧しい子供に食べ物を分け与えるというのはなんの不思議のない行為。だが、この少女は警戒をしているのかなにも反応してこなかった。それはそうである。見ず知らずの男に食べ物を差し出されても必ずしも安心ができる訳でもない。
「……」
きっと少女は警戒をしているのだろう。そう考えた信長は握り飯を手で半分に割り、そのうち片方を口に入れた。
少女にわざと見せつけるようにできる限り美味そうに食べる。
「ほれ、わしが食える分には問題なかろう」
「……」
少女は一言も喋らず、信長の手に一切触れようとはしないった。
まず、清洲城下の民ならば、己の顔を知らない者はいないだろう。信長は毎日のように街を練り歩き、多くの民たちにもできる限り接するようにしている。だが、その少女はその様子が一切ない。
この尾張国には関所が存在しない。故に隣国などから流れてきた流民も多くいる。少女のような孤児も尾張国にいてもおかしくは感じなかった。おそらくこの少女もどこか隣国から流れてきたのだろう。
ここ周辺で起きた大きな戦いと言えば、間違いなく桶狭間の戦いである。この戦いで信長は今川義元を殺したが、それ以外にも重臣や国人などがおり、その誰かの子供だったのかもしれない。格好から親は大した身分でもなかったのかもしれない。
「腹は減っているか?」
「……」
「親は何処だ?」
「……」
信長が何度も話題を変えたりと話しかけても少女は一言も声を発さない。ただ、じっと信長の目を見ているのみ。
そんなに己の目が珍しいか、と馬鹿げたことを考えるほど自惚れてはいない。
信長はじっと少女の瞳を覗き込む。少女の瞳は幼いと言う割には随分と濁った瞳をしているものである。そして、少女の瞳は覗き込めば覗き込むほど惹き込まれる。
濁った瞳だと言うのに惹かれるというのは妙な言い方だ。けれど、その言葉が的を得ているような気がした。
ふと、考えたが、この少女に話しかけたころからなぜだか、寒いと感じるようになった。5月の下旬と言えば、雨が降りやすい時期であるが故に寒いと感じる時はある。だが、本当にそのせいだけであろうか。
「……」
「……」
少女と信長の睨み合い。
常ならば異様と捉えた民が騒ぐか、重臣が無礼だと少女を捉えるはずだ。
だが、この時ばかりは静かであった。市で賑わう街も民が騒ぐ声も聞こえない。
まるで2人だけの世界に入ってしまったようである。
「……見つけた」
しばらくの間、待つと聞こえてきた声。その声音は見た目の年齢相応の幼さがあった。だが、声色は子供とは思えないほど成熟していた。
信長はその異様さをなんと捉えたのか。そう言葉を発した少女をしばらく見つめた後に口を開く。
「一体何を見つけたんだ?」
「……」
「……」
また口を閉ざした少女は信長をじっと見つめた。その瞳が静かに1つ、2つ、3つ、と瞬きをする。
「織田信長、わたしを雇わないか?」
「……ほう」
少女の言葉に信長は小さく息を漏らした。
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