37.
都会の街の様子を映しているだけのライブカメラ映像。
そのど真ん中に、シオリの顔がアップで現れた。そして、手はず通りなら、彼女の手には。
「何故、死亡診断書を持っているんだ!? あれは院長室に保管しているはずだ。私以外が持ち出せるわけがない!」
滑稽な姿を晒しつづける男に向かって、冷や水を浴びせるように言う。
「あんたと同じやり方だ。偽造したんだよ」
「……偽造だと?」
「白紙の死亡診断書であれば、ネットからダウンロードできる。内容のサンプルだっていくらでも見つかる。別に医者じゃなくても、それらしいことを書いて、あたかも本物のように見せかけることは誰にだってできるんだ」
「そんなもの」
画面から目を離したカオリたちの父親が、顔をひきつらせながら言った。
「医師や専門家が見れば、偽物かどうかなんて一発で見分けられる。こんなのは子ども騙しだ」
「つまり、専門家じゃなければ見分けられないってことだろ」
間髪入れず、そう返して。
「裁判で使うわけじゃないんだ。要は、これを見たほとんどの人に、本物かもしれないって、そう思わせるだけでいい。本物かどうかなんて、どっちだっていいんだよ」
「……何を言ってる。こんなことして、一体何になるって言うんだ」
目の前の男は、未だに状況を理解できていないらしい。院長の名の上にあぐらを掻き、自分たちの娘はおろか、世間の流れを追うことさえしていなかったのだろう。
カオリたちの父親に近づき、スマホを取り上げた。音量ボリュームを上げ、再び画面を向ける。
「ここからが本番だ」
シオリの声が流れる。
『私の名前はスナガシオリ。須永医院の院長の娘です。私は二年前、無免許でバイクの二人乗りをし、事故を起こしました。しかしその事故の真実は、他でもない私の父の手によって揉み消され、別の内容に改ざんされました。私はそのバイクには乗っていなかった。どころか、その事故の被害者で、命を落としたことになったのです。私は世間では死亡扱いとなり、家にずっと閉じ込められる生活をしていました。父は、須永家のメンツを守るため、ひいては自分の立場を守るために、そのような陰ぺいを行ったのです。
みなさん、これは嘘やいたずらではありません。真実なんです。私が生きていること、生きているはずの私の死亡診断書があること、その二つが何よりの証明です。お願いです。この事故の真実をどうか、広めて――』
音声が途中で止まる。カオリたちの父親が再びスマホを奪い、画面を乱暴に叩いたからだ。
「何だこれは」
恐ろしく平坦な声。
「何だこれは、何なんだこれは」
繰り返す。壊れた機械のように。
「やめさせろ……すぐに、やめさせろ!」
画面に向かって怒鳴り、あげく、スマホを地面に叩きつける。まるで、鉄格子の柵を掴み、檻の中から喚く囚人のようだった。憐れみを通り越し、もはや何の感情も沸いてこない。
「もう遅いよ」
醒めた口調で言う。
「渋谷に設置されている定点カメラは一つだけじゃない。今からシオリは可能な限り設置個所を巡って、今と同じ訴えを繰り返す。例え明日、あんたが部下や警察を使ってシオリを見つけ出したとしても、もう遅いんだ。その時には、すでに拡散は完了している」
「……それが、どうした」
肩で息をしながら、狂気じみた笑顔を浮かべて、得々と言った。
「冷静に考えれば、深夜帯の定点カメラ映像を観ている人間など、たかが知れている。いくらシオリが訴えたところで、こんな与太話、普通の人間ならまともに受け取らんだろう。結局は悪あがき。隠ぺいが世間に露呈するまでは至らんよ」
「……あんた、本当に何にもわかってないんだな。この映像は、数日間アーカイブされる。つまり、今観ていなくても後で見返すことが可能なんだ。シオリの訴えは、今この映像を観ている人だけに届くわけじゃない」
男は、未だピンときていない表情で、拙い呼吸を繰り返していた。
「例えば、たまたま観ていた一人が面白がって、自分のSNSにアーカイブのリンクを張る。それを見て興味を持った別の誰かが、同じことをする。やがて、まとめサイトやら個人のブログでも取りざたされるようになる。そうやって、情報はどんどん広がっていく」
事の重さをようやく理解したのか、男の表情から色が消えた。
「そうなったら、元の映像配信を止めても遅い。スクリーンショットやらローカル保存された映像データまで完全に消し去ることは不可能だから。いくらあんたがことの揉み消しに奔走しようが、少なくとも、須永医院に付いた黒いイメージを完全に払しょくすることはできないだろう。
さっきあんた、言ってたな。あの事故の真相を嗅ぎまわっている記者がいるとか。そういったジャーナリストにとって、世間の噂は追い風になるだろう。好奇の目にさらされている渦中じゃあ、あんたは表立って圧力をかけることもできないからだ。世間の興味がピークに達したとき、確固たる証拠を掴んだメディアがスクープする。もしそんなことになったら、さすがのあんたでも逃げきれないんじゃないか?」
「黙れ」
男が言う。
今にも息絶えそうな、か細い声で。
「そんな事態には絶対にならん。あの事故の真相を知っている者たちは、軒並み口止めしている。メディア連中が証拠を掴むことなど、絶対に」
「いるよ」
俺は、穏やかに言った。
「あのバイク事故の真相を隠してたことを、ずっと後悔していた奴が。例え親父に一生恨まれようが、もう嘘を吐くのは止めよう、本心をごまかすのは止めようって、そう決意している奴が、あんたの目の前にいるよ」
はじめて、男が俺の顔を見た。
「お前まさか」
ハッと表情を変える。
「あの事故のとき、シオリを後ろに乗せてバイクを運転していた、シオリの」
今更おせぇよ。俺も、あんたも。
「今になってツケが回ってきたって、それだけの話だろ」
誰に向かってでもなく、こぼす。
「本当はあのとき、こんなのおかしいだろって、誰かが言うべきだったんだ」
意味なんてない。あるとしたら、自己満足だ。
「あんたが自分で気づくでもいいし、俺やカオリでもよかった。だけどみんな、何をしたら誰のためになるのか、理屈で正解を探そうとしていたから、こんなおかしなことになっちまった」
ホント、笑い飛ばす気にもならない。
「もっとシンプルで良かったんだ。死んでない人間を死んだことにするなんて、普通に考えておかしいだろって、そういうんで」
自分のことを責めつづけて、どんどん自分を嫌いになっていく。そんな負のループに耐えられなくなって、俺はシオリのことを考えるのをやめた。
でも、完全に忘れるなんて無理だったんだ。テレビで流れた無関係のバイク事故のニュースがうっかり目に入ったとき、そっくりな双子の姉妹を街中で見たとき、それらが、フタをしていた過去とリンクして、俺を後悔の渦へと追いやる。
それこそ、夜中みたいに真っ暗で静かな、何にもない世界に逃げ込まないと、やってられない。
カオリたちの父親は、そのまま何も言わず、よろよろとおぼつかない足取りで移動し、背中からソファに倒れ込んだ。もう、悪態をつく元気も無くしてしまったようだ。
カオリが男にそっと近づく。
「お父様。これは終わりではありません。むしろ、はじまりなんです」
母親のように、柔らかい声。
「時間はかかるかもしれない。けど、やっていきましょう。私は逃げません。一緒に、須永家を一からまた、築き上げていきましょう。今度は、途中で道を間違えないように」
男は、カオリの言葉に一切の反応を見せず、呆けた表情でただ天井を見つめていた。
もう、今この場所で俺たちにやれることは何もない。あとは結果を待つだけだ。俺は後ろから、カオリの肩をポンと叩いて言った。
「お疲れ」
振り返ったカオリがきょとんとした表情を見せたが、すぐに顔を緩ませ、「ショウタさんも」と柔らかく笑んでいた。
「シオリは、大丈夫でしょうか」
「大丈夫だろ」
頭の後ろに両手を回して。
「アイツが傍についてんだから」
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