19.


 プロフィール写真には、無邪気に笑ってピースサインをする一人の女の子が映っていた。一つ結びにした黒髪に、気合の入ったスカジャン姿。耳には、大きな星のピアスをしている。

 確かめるまでもなかった。『夜中のカオリ』だ。

「この子、そうなのか?」

 ショウタが問うも、僕はモニター画面を凝視したまま、返事を返さない。喉が詰まり、声を上げることができなかった。

 その無言を、ショウタは肯定と捉えたようだった。「そっか。やっぱり」椅子に背を預け、腑落ちしたように言う。

「同じ名前で同じ顔の人間が同じ街にいる可能性は、著しく低い。でも、親戚だったら顔が似ているのは納得だし、同じ名前っていうのも、字が違えばありえなくはない」

 僕はショウタの言葉を聞き流していた。

 真実が、さらに一歩、僕の背後ろに近づく。夜中と朝の境目がわからなくなる。

「最終更新日は、三年前。三年前の十月一日」

 ショウタが先ほど同様、淡々と言った。そのまま静かに画面をスクロールさせ、僕もそれを目で追う。

 プロフィールの基本情報に書かれている情報から、『須永香織』の生まれ年が僕やショウタと同じだとわかった。つまり、この記事を投稿していた三年前の彼女は、高校生だったことになる。また、『須永果生莉』のそれとは違い、ページが頻繁に更新されていたようだった。今日は家のお稽古が大変だったとか、近所で見かけた猫と遊んだとか、日常をつづった日記のような内容が主だった。

「この子、友達いなかったんかな」

 僕が気づかなかった視点で、ショウタが呟く。

 確かに言われてみると、『須永香織』の投稿記事には、本人以外の人物が登場せず、写真のアップロードもなかった。

 ショウタが、最後に更新された記事の「さらに表示」をクリックした。その記事には、翌日誰かと会う約束をしていて、それを楽しみにしている旨が書かれていた。感嘆符を多く使用したその文面から、興奮している様が伝わってくる。



 今からドキドキして眠れません! 寝不足の顔を見せて、嫌われちゃったらやだな。感想はまた明日、報告します。では皆さん、おやすみなさい――



 その日以降、『須永香織』がFacebookを更新している気配はない。

 ショウタが無言のまま、ブラウザの戻るボタンをクリックする。先ほど確認した、須永果生莉――『夕方のカオリ』の方の追悼記事を改めて開いて。

「……三年前の、十月二日」

 ぐわんと、頭が鳴った。

「この追悼記事が書かれたの、『須永香織』が最後の投稿をした日の、翌日だな」


 否応なく、僕の心は認識してしまった。

 心の奥底にずっとあったその可能性を、もう無視することができない。

 僕は囚われていたのだろうか。無人で動く遊園地に、理想郷を具現化したような並行世界に。

 あるいは、ひとときの魔法が許される月夜の晩に。


「ダイスケ、ダイスケ」

 ショウタの声掛けにハッとなる。僕の顔を覗き込む彼が、心配そうに眉を寄せていた。

「お前、すごい顔してるぞ。大丈夫か」

「ああ、うん。……平気」

 と言いながらも、僕は無意識に腕をさすっていた。全身に嫌な汗が纏わり、店内の冷房がやけに寒く感じる。

 少し間が空いた後、ショウタが出し抜けに立ち上がって言った。

「ちょっと、付き合えよ」




 店を出たショウタは非常階段を上がり、「関係者以外立ち入り禁止」の文句を無視して屋上の扉を開けた。暗がりの空と灰色が連なる地面、無機質な景色が僕たちを迎え入れる。

 ズボンのポケットからタバコを取り出したショウタが、慣れた手つきで火をつけ、一吹きした。


「あのさ」手すりに腕をかけ、サングラスを外して言う。

「カオリちゃんについて調べるの、もう止めないか?」

 僕もショウタに習い、手すりに体重を預ける。隣合った二人が、都会の光に塗れる街の風景を見ていた。

「どうして?」

「いや」

 一呼吸の間に、タバコの煙がゆらめく。

「俺から焚きつけておいてなんだけど、その、世の中には、知らなかった方がいいことって、あるだろ」

 珍しく、弱々しい声音だった。

「だから、このへんにしておいても」

「止めないよ」


 もう、決めてしまったから。

「本当のことを知るまでは、何があっても、止めない」

 そういう呪いを、自分自身にかけたから。

 ある意味これは、思考放棄であり、逃げの一手なのかもしれない。でも、そういう衝動を、僕は今まで持ったことがなかった。理屈や根拠を抜きにして、ただ疾走する人の愚かさは、僕にはじめて人生を与えている気がした。


「そう、そっか」

 心を吞みこんだようにショウタが言う。手すりから身体を離し、地面に灰をこぼし落としながら、空に向かって煙を吐き出した。面を下げ、力なく笑う。

「お前がそう言うなら、俺も止めねぇよ」

 サングラスの外れた彼の表情は、飾り気のない彼の本心がそのまま現れているように見えた。

 信頼と、そしてやるせなさが、僕の心に同居している。

「ごめん、ありがとう」

「何で謝るんだよ」

「何でだろう、わかんない」

「何だそりゃ」


 吸殻を携帯灰皿にしまったショウタが、改まった顔で言う。

「『夕方のカオリ』と『夜中のカオリ』は別の人物。それぞれ、違う『カオリ』の名前を持っていた。お前が夜中に会っていたカオリちゃんは、一般的な漢字のカオリの方。……ここまではいいか?」

 僕はショウタの目を見ながらうなずく。

「彼女のFacebookの更新は三年前のある日を境に止まっている。最後の投稿で、翌日また更新する旨が書かれていることから、飽きて止めたとかって理由じゃなく、彼女の身に何かあったと考えるのが普通だ」

「彼女の身に、何か」

 ショウタの言葉を繰り返す。ぐっと拳に力を込めた。

「事故とか事件。そういう、よくないことが起こった」

「そう……そうだな」

 ショウタが僕から目を外し、遠慮がちに同調する。

「もう一度、『夕方のカオリ』に会ってみようと思う」

 僕がそう言うとショウタは視線を戻し、驚いたような顔を見せた。

「今のままじゃあ、あれこれ推測することしかできない。二人がFacebookで繋がっていた以上、やっぱり彼女たちは関係していたんだ。彼女なら……『夕方のカオリ』なら、『夜中のカオリ』の正体について知っているはずだ」

「でもよ」とショウタは肩をすくめて。

「『夕方のカオリ』はお前のことを警戒してるんだろ。おいそれと教えてくれないんじゃねぇか」

「けど、他に手段がない」

「それは、まぁ」口元に手をやったショウタが、考え込むような表情を作って。

「……現場を押さえるっていうのは、どうだ?」

「えっ?」

「『夕方のカオリ』は、『夜中のカオリ』の存在を知っていたのにも関わらず、お前に嘘を吐いていた。だから、彼女が自分の嘘を認めざるえない状況を作って、本当のことを吐かせるんだよ」

「なるほど。……でも、どうやって?」

「それは」再びショウタが天を仰いで、こぼす。

「……色々と、下準備がいるな」

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