確率と脳機能及び習慣に関する実験

せとみ透

応用実験〈客観的視点〉

「パンパン」

 仕事から帰る途中で、山の中から音が聞こえた。

 私は直感的に、それが手を叩く音だと認識した。


 最近山形に越してきたばかりの私は、通勤を徒歩で行っている。

 自宅から職場までは歩いて十分もあれば着くのと、何となく気分が晴れ晴れするのが理由だ。

 朝歩けば眠気が覚めるし、帰宅時の夕方に歩けば疲れがリフレッシュする。


 道路わきが森になっているので、歩く場所は木陰ができて常に涼しい。

 それに風が吹くたび木々がサワサワ揺れ、耳に入ってくる音も心地いい。


 その日の私も山の音を聞きながら、仕事帰りの体をねぎらうように一歩一歩を噛みしめて帰っていた。

 金曜日だった。花金だ。

 帰宅後にビールでも飲もうかと思っていると、

「パンパン」

 という音が耳に入ってきた。

 山の方からだ。

 どうにも興味が沸いて、次の日の朝に音のした方へ向かってみた。

 しばらく山中を歩くと、目が赤色の建造物を捉えた。

 鳥居だ。山中に神社があったのだ。

 やしろは小さかったが、見たところ経年劣化は少なかった。鳥居も建てられたばかりのように見えた。


 この地域に生まれたばかりの存在と予想できて、住み始めたばかりの自分と親近感が湧かなかったわけではないが、特に参拝などすることもなく帰った。

 先日の音の正体は誰かが参拝した際に行った「二拍」だと分かったので、それだけで満足したのだろう。

 第一私自身、賽銭箱に金を入れるくらいならコンビニでお菓子でも買っているような人間なので、そういう性格も混ざった行動であった。


 それから、あの「パンパン」という音は私が帰る時間帯に決まって聞こえるようになった。

 つまり、毎日同じ時間に参拝する者がいるということだ。

 たまたま同じ時間に参拝する別の客がいるとも考えたが、さすがに二か月もそれが続いたころには、その考えも消えていた。


 ある日のことだ。

 いつも通り帰っていると、やはり山の中から「パンパン」と音が聞こえた。

 願掛けもここまでくると熱心の度を越えている。

 そんな風に思いながら、通り過ぎようとすると、

「パンパン」

 再び音が聞こえた。

 思わず山の方を向く。


 これまで一度も「二度の二拍」など聞いたことがなかった。

 一度お願いをした後、再び手を合わせ、もう一度願い事をしたのか。

 念入りに、とでも言わんばかりだ。

 少しの間立ち止まって耳を傾けていたが、それ以降は一拍の音もしなかったので、心に引っ掛かりを覚えながらも帰宅した。


 その日以来、徐々に二拍の回数が増えていった。


 次の日は三度の二拍、次の日は四度の二拍、次は五度、六度、七度。

 二週間ほど経った頃には、もはやその面影も消えてしまい、割れんばかりの拍手と言っていいほどの「拍」が道路にまで響いた。


「パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパン」


 私はその道を使って帰るのをやめた。


 それからしばらくしてだ。

 私は再び、あの道を通って帰ることにした。

 あの日、あの音に感じた恐怖と呼べるほどの不気味は、時間が経って興味に発酵していた。


 今、何拍になっている。

 好奇心で浮足立つ帰り道は初めてだった。

 

 そもそも、あの参拝客は――「あの」といっても姿すら知らないが――なぜこのような行動に出ているのか。

 初めのうちは、しっかりした二拍ができていた。

 参拝のマナーを知らないわけではあるまい。

 それが徐々に崩れていったのだ。


 気になる。

 今日は参拝客を出待ちしてでも原因を突き止める。

 私は、気づけばあの神社近くの道に立ち止まっていた。


 参拝客がこれから来るならばその際に話しかければいい。

 すでに神社の方にいるならば、下りて来た時に訳を聞けばいい。

 社で待つ、というのも考えなかったわけではないが、社会人としてのプライドがギリギリで行動を止めた。

 そこまでいったらストーカーになる。おそらく。


 しかし、二十分待ってもあの音は聞こえてこなかった。


 待ち損だったか。もしや、私がこの道を使わなかった間に参拝の習慣を辞めてしまったのか。

 一種の意気消沈をした。

 

 これ以上待っていても無駄かもしれない。

 興味に折り合いをつけ、諦めを意識して、私は立ち去ることにした。

 一歩遠ざかり、二歩遠ざかり、三歩、四歩、


「ぅぅぅぅ……」

 

 山中からの音が耳を掠めた。

 体は敏感に反応した。

 すぐに足を止め、胴を山へ向け、鼓膜に意識を集中させた。


「ぅぅぅぅ……」

 

 聞こえる。

 やはり音がする。

 手を叩く音ではないが、女性のうめき声のような音が山中から聞こえている。


 なんだ?

 もしや、参拝客が怪我をしたなどで動けずにいるのでは。

 社へ向かうまでの道には、苔が生えている所もあった。

 あの植物は滑りやすい。踏むとつるりと転んでしまう。

 参拝客はあれに足を滑らせ、膝を擦りむいたか腰を打ったかしたのではないか。


 良心が体を動かすのに、さほど時間はかからなかった。

 私は自分自身も転ぶことがないように、慎重に、だがなるべく速く歩いた。

 自分でも、見ず知らずの人間に対してここまでの行動に出られるとは思わなかった。


 だが、社に着くと私の予想はすべて的外れだったと分かった。

 一人の女が賽銭箱の前で、膝と肘を着き項垂うなだれるようにうずくまっていた。

 おそらくだが、泣いている。

 泣く声と混ざるようにうめき声をあげている。

 

 彼女の姿で最も目立つのは服装だった。

 ぱっと見ただけで、高い服だと判断できた。

 私の務め先が洋服関係の会社なので、職業柄、ある程度遠くから見ても服の質感や厚みが分かる。

 生地自体は薄いが、ふんわりと柔らかみのあるブラウスだ。

 スカートに関してもほとんど同じ特徴を持っている。


 ただ、そのファッションに上品さがない印象を持った。

 適当に高い服を選び身に着けているだけといった、一貫性のなさ。

 そういえば、髪の毛もバサバサだ。

 服の値段に似合うオーラを放っていない。


 そこで、自分が女性の体をまじまじと見ているという事実に気づき恥ずかしくなった。

 見たところ怪我はなさそうだ。

 怪我をしているならば、大抵その箇所を手で押さえているものだが、どうやらその様子もない。

 つまり、泣いているのは何らかの精神的問題だろう。

 さすがに社まで歩き、見なかったことにして帰るというのは気が引けたので、彼女へ話しかけることにした。

 

 不安感を与えないよう大きな音は出さず、しかし気配はあるように意識して近づく。


「うわあああああああああ!!」


 女が叫んだ。

 体制はそのままに、こちらに気が付く様子もなくいきなり金切り声を上げた。

 驚いたが、何とかそれを表に出さないようにする。

 しかし、私の足は止まっていた。

 

「どうしてよおおおおおおおおお!!」


 再び女が叫んだ。

 関わるべきではない、と冷静に思った。

 ゆっくりと後ずさりし、ある程度距離ができたところで、逃げるように走った。

 無我夢中、という感じではない。

 恐ろしいものを見たが、恐怖しているわけではない。

 道路に着くと、少し息があがった。

 傾いた日がオレンジ色に燃えていた。

 

 私はその日以来、あの道を通っていない。

 数日後、近くに住む後輩に聞いたことだが、あの山から一日中「拍」の音が聞こえた日があったらしく、あまりに不可解なので警察に通報したようだ。

 

 後日警察が向かったころには「拍」の音は無かったらしい。

 ただ、その代わりと言っては難だが、脱水症状に見舞われた女性が山中の社で発見された。


「先輩、僕は先輩みたいにビビりじゃないので、まだあの道は使っているんですけど」

 失礼な奴だな、と思いながらも話を聞く。

「最近また、音が聞こえるんですよ」

「音?」

「はい。二拍の音が神社の方から聞こえるんです」


「パンパン」


 後輩が手を二度叩き、こちらを見た。

 その音が耳に入って、少しだけ、身震いした。

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