第30話 扉の向こう

 


ユナイトアーク庁舎の重厚な扉が、音もなく開かれる。



その向こうで、制服に身を包んだ女性が、まっすぐな姿勢で待っていた。



「おかえりなさいませ、しずく様! ご無事で何よりです!」



明るい声とともに、彼女は深々と一礼する。



どこか懐かしいその光景に、しずくは自然と笑みを浮かべた。



(……初めて、ここへ来たときと同じだ)



変わらぬお出迎え。変わらぬ声。そして、変わらぬ笑顔。



「アンナちゃん……ありがとうございます」



しずくが丁寧に返すと、アンナは嬉しそうに微笑んだ。



「早速で申し訳ありませんが……本日、十星――」



「あ、はい。聞いてます。十星会議ですよね? 午後からですよね。参加します」



しずくが言葉を遮ると、アンナの頬がぷくっと膨れる。



「も〜、なんでもう知ってるんですか。しずく様に連絡を伝えるのが私の大事なお仕事なのに!」



「えっ……ご、ごめん、アンナちゃん……」


しずくが慌てて謝ると、背後のアヤメが「わかる」と言わんばかりに頷いていた。


「……冗談ですっ!」


アンナはぱっと笑顔を咲かせると、姿勢を正して一礼した。


「では、お時間になりましたらお部屋までお迎えに上がりますので!」


そう言って、アンナはにこやかに歩き去っていった。


「わたくしも仕事がありますので、ここで失礼いたします!」


アヤメが元気よく宣言した。


「また、業務終了後に会いに来ます!」


その言葉を残し、彼女は軽やかに足早に去ろうとした。


「アヤメちゃん、待って──!」


思わず声をかけると、足を止めたアヤメが振り返った。


「はい、何でしょうか?」


その笑顔はいつもと変わらず明るかったけれど、しずくの胸には、どうしても気になっていた疑問があった。


「その……私とカレンさんを助けてくれたのって、誰?」


ほんの少しだけ、アヤメの顔が曇る。


だがすぐに、言葉を選ぶようにゆっくりと答えた。


「……お二人は、森の外れにある古い廃墟の中で倒れていました」


アヤメは言葉を切り、ふっと微笑む。


「簡易的な治療が施されていたんです。だから、カレン様も命が助かったんだと思います」


「さすが、しずく様です。どんな極限の状況でも、誰かを守ろうとするその姿勢……私、心から尊敬しています」


「それでは、また後ほど。業務終了後、すぐに参ります!」


小さく手を振って、アヤメは廊下の先へと去っていった。


しずくは目を伏せた。


胸の奥に、あの“光”の記憶がよみがえる。


「あれは……夢じゃなかったんだ」


しずくは一人、自分の部屋に入った。


静かに扉が閉まる。


景色は変わらない。


整えられた室内には、ただ静寂だけが流れていた。


しずくはソファに腰を下ろし、ゆっくりと目を閉じる。


――あの時、光の中にいた人は、いったい誰だったのだろう。


――あの瞬間、手を伸ばしてくれたのは……。


心の奥に、ふいにあの眩しさがよみがえる。


けれど、それ以上の記憶はぼんやりとしていて、輪郭が掴めない。


(……また、あのマガツが現れたら……私は……)


不安と責任とが入り混じった思考に沈んでいく。


だが、その静寂を破るように、控えめなノック音が室内に響いた。


「……っ!」


しずくがはっとして目を開けたその時、扉の向こうから元気な声が聞こえてきた。


「失礼いたします、しずく様!

お時間になりましたので、お迎えに上がりました!」


いつもの調子で、制服に身を包んだアンナが姿を現す。


爽やかな笑顔と共に、礼儀正しく一礼した。


「う、嘘……もうそんな時間……?」


まだ現実に戻りきれていない身体を起こしながら、しずくは思わず呟く。


時計を見れば、確かに会議の時刻が近づいていた。


長い廊下を歩く。


磨かれた床が淡く光を反射し、窓から射す朝の光が足元を照らしていた。


隣を歩くアンナが、どこか楽しげな口調で話しかけてくる。


「しずく様とこうやって歩くのは、なんだか懐かしいですね。

最初に会議の間までご案内した時を思い出します!」


その言葉に、しずくは少し首をかしげた。


「あの時は、そんなに緊張してたかな……?」


「ええ、とっても!

しずく様、まるでうさぎみたいにおびえてらっしゃいましたよ。

かわいくて、つい抱きしめたくなりましたもん」


「う、うさぎ……?」


思わず頬を染めて目を逸らすしずく。


その反応に、アンナはくすくすと笑った。


「でも、いまは堂々とされていますね。……変わりましたね、しずく様」


「そ、そうかな?」


「はい。いまのしずく様も、とってもかわいいですよ!」


その言葉に、しずくは言葉を詰まらせ、わずかに頬を赤らめた。


やがて、ふたりは重厚な扉の前にたどり着く。


アンナが一歩前に出て、取っ手に両手を添えた。


「よいしょっと……!」


ギギ……と音を立てながら、重たい扉がゆっくりと開いていく。


中からは、冷たい空気とわずかな緊張の気配が流れてきた。


「しずく様……いってらっしゃいませ!」


アンナが微笑んで言う。


その笑顔に、しずくも自然と笑み返した。


「ありがとう、アンナちゃん」


目が合う。


アンナが軽く片手を上げて、指で「ぐっ」と親指を立てる。


しずくも同じ仕草で応え、笑みを残して一歩、扉の向こうへと進んでいった。

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