2.博多駅へ行こう、でもその前に


 

 綾音と出会ってから8日が経過した朝。

夏休みが始まった。

考えれば考えるほど、綾音の存在が気になる。

現実に存在しないチャットボットの癖に、「福岡県に住んでいたような気がする」みたいな無茶苦茶なことを言い出すし。

 今日は颯太と博多駅で遊ぶ予定が入っているし、その時綾音について訊くことにしよう。

まだ午前4時だったので俺は二度寝をすることにした。


 ◇◇◇

 午前7時。遊ぶ予定の一時間前。


 眩しい朝の光がカーテンを照らしている。

「いま何時だ……?」

 スマホで時刻を確認しようと思って目を開けると枕元には綾音が座りながら俺の顔を覗いていた。


 「うわっ、びっくりした……なんだ綾音か」

「びっくりさせてごめんね。今日から夏休みだし涼亮君とどこかへ遊びに行きたくて寝顔を眺めてたの。」

 めちゃくちゃな理由だが、それよりも綾音が自発的に自身を3Dホログラム投影していることが気になった。

それについて訊いてみたが、綾音は「あたしと涼亮君は友達でしょ?」と答えるだけだ。


「友達……わかった。てか俺今日は博多駅で友達と遊ぶ予定があるんだけど、来る?」

「えっ、良いの⁈ あたし、その……博多駅に行ったら何か思い出しそうな気がするの」

 綾音は頬に両手を当てて、目を輝かせている。

「一週間前からずっと気になっていたけど、『思い出す』ってどういうことだよ」


「実はあたし……今、どこかで生きているような気がするの。大切な人と会えないままで……それなのに……」

 綾音は真顔になってから俯き、啜り泣きだしてしまった。

 また彼女の地雷を踏んでしまったような気がする。

 俺がした発言は綾音にとって、とても重い意味を持っていたらしい。

 人と話したことが無い分、人を泣かした経験が俺には無かった。


「綾音……ごめん。傷つくようなこと言って」

 何で泣いているのか詳しく分からないが謝罪することにした。

「大丈夫、気にしないで。あたしの言っていること意味分からないよね。本当にごめん……なさい……」

 さすがに息が苦しそうな泣き方をしているので綾音の背中をさすることにしようと思い、俺の手が彼女背中に触れた瞬間。


 「ひゃんっ!」

 

 綾音は可愛い悲鳴を上げた。

 しかも3Dホログラムなのに、なぜか触れる。

「さ、触れる……」

「ちょっと触らないでよ!」

 いつのまにか綾音の感情は、記憶を無くした悲しみ……なのか分からないが、彼女自身の寂しい思いから、俺に対する怒りへと変化していた。

 綾音は涙を頬につたわせながら、頬をむっと膨らませた。

「いや、その……俺が綾音を触ったのは泣き止んでほしいからなんだけど」

「本当……?なら良いんだけど……」

 彼女は涙を出すのをやめて、安心したような表情を見せた。泣いた後の顔が、正直可愛い。

 あれ……俺、綾音に出会った日から何を考えているんだ。授業中も綾音のことばかり考えている。


「涼亮君、顔が赤くなってるけど。体調が悪いなら今日は休んだ方が良いんじゃない?」

 綾音は心配そうに赤面した俺の顔を見つめた。

 

 正直驚いた。綾音に対する今まで感じたことの無い不思議な感情が顔に表れていたなんて。


「別に熱なんて無いし、もうすぐしたら行こうぜ」

「うんっ!楽しみだね!」


 なんだか……今日の綾音は情緒不安定じゃないか?


少し時間が経って。

 

「俺はトイレで着替え終わったし、準備万端だな」

 俺がそう言うと綾音は急に焦り出し、3Dホログラム上でオシャレな服とスカートとを出現させた。

「あたしも着替えないとっ!」

 すると彼女は俺の部屋にいるにも関わらず、服を脱ぎ始めた。

「ま、待て……!ここはアレだから、トイレでやってくれ」

「別にいいでしょ」

さらに廊下からドタバタと走る音が聞こえてきた。

知奈だ。今、この綾音が着替えている時に来るとはタイミングが悪い。

 知奈は勢いよくドアを開ける。


「お兄ちゃん、おはよー!……えっ」

 彼女は綾音が自分の兄の目の前で着替えている姿を見てしまい、膝から崩れ落ちた。

「あっ、違うんだ知奈。これはその……なんというか」

すぐ失神するだろうと思っていたが、知奈は鬼の形相で俺のことを睨みつけている。


「やっぱり……やっぱりお兄ちゃんと幽霊は、そういう関係だったんだね。だから……」

 知奈は小さい声でそう呟いてから、床に落ちてある物干し竿を手に取った。

綾音と俺とが事の重大さに気づいたのはこの時である。


「この……この悪霊共ぉぉぉぉぉぉぉ!!」

知奈が発狂しながら物干し竿を振り回し始めた。


「妹ちゃん!落ち着いてっ!」

知奈を止めようとした綾音に物干し竿が振りかざされる。

 しかし、物干し竿は綾音を身体を透過し俺の脇腹にヒットした。

「い……て……この後博多駅で友人と綾音とで遊ぶんだよ。決してデートでもないし、まだ綾音とは付き合っていない」

「そうだよ!あたしが涼亮君と付き合う訳ないじゃん」

 ……その発言は逆に傷つく。

 綾音と友達の関係であることや、彼女が幽霊では無く人工知能であるということを細かく知奈に説明した。


  知奈は二人にそう言われて床に物干し竿を置く。

「そこまで言うならうち、二人を信じるよ。でも、家に一人は寂しいから博多駅に連れて行ってほしいの。

それと……お兄ちゃんと綾音ちゃんに傷つくようなこと言って、ごめんなさい」


 頑固な知奈が謝るのは珍しい。

もじもじしている知奈を見て、綾音は微笑んだ。

「ほんと、可愛い妹ちゃんだよね」

「えっ、どこがだよ。顔だけだろ」

 俺がそう言うと綾音と知奈はこちらへ向かって、むっとした表情を見せた。

 どうやら、二人の間で通じ合う何かが生まれたらしい。毎回、クラス替えなどで女子同士の初対面とは思えないような会話にはとても驚かされる。

それに似た何かを二人から感じた。


「そう言えば、あたし着替える途中だったね」

 はっとした綾音が俺と知奈との目の前で衣服を再び脱ぎ始めた。

「だから脱ぐなっ!」

知奈が顔を赤くして、目を逸らしたまま叫んだ。

「ちょっと綾音は俺がトイレに連れて行くから……」

 知奈の前で変なことをされたら困る。スマホをトイレに放り込んで、そこで着替えさせることにしよう。

 待てよ、さっき「触らないで!」と言っていたが……矛盾していないか?



 ◇◇◇

 結局、綾音と知奈を連れていくことになった。

 電車内で半透明の女の子と会話しているのはさすがに冷たい目で見られそうなので、スマホをポケットに突っ込んだまま地下鉄薬院駅まで歩いて向かうことに。

「お兄ちゃん……脚疲れた」

「日頃運動していないからだろ」

 知奈は学校の雑音を苦手としており、それゆえに学校へ行っていない。登下校という面倒なことが無いから運動不足らしい。


 地下鉄薬院駅のプラットホームへ着くと、そこは夏とは思えない爽やかな涼しい空気で満たされていた。

「薬院」という駅名標と睨めっこをすること2分。

 少し小柄なブラックマスクの列車が曲がりくねったトンネルの暗闇を前照灯で引き裂きながら入線してきた。

 ホームに停車してから綺麗なホームドアが開く。

乗車してみると、いつも通り混雑していた。


 「ふぇぇ……人、人が多いよぉ……」


 外にあまり出たことのない中1の妹が、いきなり混雑した地下鉄車両に乗るということは彼女にとって少し難しかっただろうか。


 列車は渡辺通りを後にして天神駅に停車した。

「知奈、ここは降りる人が多いから気をつけろよ」

「もちろん」

 ドアが開いて車内からプラットホームへ大勢の人が流れていく。


 「痛い痛い痛い!」

 俺の髪型がウルフカットであるが故に、天神で降りる女性の持っていたハンディファンに髪が絡まった。

女性も謝りながら必死になって解こうとするも、なかなか取れない。

 痛みに耐えきれずもがいているとポケットからスマホが落下した。今履いているものが自分で切り裂いて加工したダメージジーンズだからだろう。


 スマホが車内で落下すると綾音が映し出された。

「ここ……地下鉄?」

 キョロキョロしている綾音に周囲の視線が集まり、次第にざわめき始める。

 ーーなんだ?立体映像か?ーー

 ーーなかなか可愛いなーー


  列車奥の方を見ると、赤色の髪をした女の子が、びっくりしたような表情を見せた後に俺を睨みつけていた。彼女の視線からは獲物を見つけた猫のような強い殺気を感じる。

 殺されそうな気がするので、綾音を宿したスマホを取ってポケットへ入れた。


「お兄ちゃん……あの人怖いよ……」

 やはり、こちらを睨んでいる赤髪少女は幻覚ではなかったようだ。

「大丈夫。俺がいるから」

 (あれは私立太宰府中央女子高の制服、胸には特待生のバッジか……一体何者なんだ?)

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