百回願えば

みそ

百回願えば

「そう言えばお母さん、お百度参りしたことあるわよ」

やっぱり実家って落ち着くなあと思いながら、居間でまったりお茶をすすっていた。そうしたら洗濯物を畳んでいたお母さんが唐突に言い出した。

テレビのワイドショーではお遍路さんが取り上げられてて、そこからインスパイアされて思い出したのだろう。あたしの知る限り現実主義者のお母さんと、お百度参りという神頼みの最たるものがどうにも噛み合ってこない。水と油みたいな気がしてならない。

「お百度参りなんて、いつしたの?」

腰が痛い膝が痛いと、電話をかけてくるたびに愚痴っている最近のことでないのは間違いない。

年季の入ったこたつテーブルに肘をついて顔を向けると、お母さんは私の下着を見つめていた。畳んでもらってるからしょうがないんだけど、そんなマジマジと見ないでほしい。

「あんたが生まれる前の話よ」

「ふーん。あっ、ひょっとしてあたしを授かりますようにって願掛けしてくれてたとか、そうゆう感動系の話?」

ドライな感じのするお母さんがそんなことをしてくれていたのかと思うと、ちょっと目が潤んできちゃう。ホルモンバランスが崩れてきているせいか、最近はやけに涙もろかったり怒りっぽい。

「違うわよ。むしろその逆」

「逆?」

大きく首をひねってしまう。逆ってなに、授かるの逆なんてある。

「そう、逆」

お母さんは洗濯物を畳み終えてテーブルにつくと、せんべいをバリンとかじった。急須から湯呑にお茶を淹れてあげると、ありがととそっけなく言われた。まだ熱いと思うのにゴクゴクと飲んでいる。

ほうと息をついて、お母さんはさっきよりもそっけない声で言った。

「あんたを授かっちゃったから、自然に流れてくれますように、って願掛けしに行ったの」

「ふーん、えっ!?」

さらりととんでもないことを言われたような気がする。聞き間違いだよね。聞き間違いであってほしい。あってください。

「あの、それは、どういう意味?」

と思うもののまっすぐ聞くのも怖くて、遠回りになってしまった。

「だってねえ、中絶するのも嫌でしょう。進んで殺すみたいで、それは絶対に嫌だった」

「う、うん、そうだよね」

お腹にそっと手を当てて同意した。それはよく理解できる。自分の中に芽生えた命を摘み取るなんて、よっぽどの理由がなければしない。

「だから中間択みたいな感じで、お百度参りにかこつけて自然に流れてくれないかなあって」

「なんで?」

「なんでって?」

純粋にわからない感じの目で首を傾げられている。お母さんがちょっとサイコパスみたいに見えてきた。

「いや、だからさ、できちゃったもんはしょうがないんだから産もうよ。いや、産んでくれたからあたしはここにいられるわけなんだけどさ。なんでそんなこと思ったの?何か問題でもあったの?」

「なんもないわよ。お父さんとはもう結婚してたし、経済面も年に二三回くらいは旅行できる程度には余裕があったし」

「それなら、どうして?」

お母さんは考えるような顔をしてお茶を一口すすった。あたしもなんだか喉が乾いてきて、ほどよく冷めたお茶をすすった。

もしもお母さんの目論見通りに、自然に流れちゃってたらこのお茶を味わうこともできなかったのかと思うと甘露のように感じられてくる。最安値の茶葉でもありがたみが増してくる。

あたしは今、生きているぞ。生きて茶をすすっているぞ。

「やっぱり怖かったから、かなあ」

ぼんやりした目をテレビに向けながら、ポツリとつぶやいた。

「出産が怖かったし、母親になるのだって怖かったし、自分の中に別の命が宿っているっていうのも、怖かった」

「それはまあ、わかるけど」

私も怖いと思うことはたびたびある。ふと目が覚めた夜とか、家に一人でいて何もすることがない時間とか、そんな隙間に忍び寄ってくる。自ら望んで授かったのだからと心の奥底にしまい込んできた、誰にも言えないでいた怖さや不安があった。だから私はそれを紛らわすために四六時中人がいる実家に戻り、里帰り出産することに決めた。

それにしてもお母さんは現実主義者で何事にも淡々と対処していくイメージがあったからすごく意外だ。お母さんの怖いものなんて物価高と老後の問題くらいかと思っていた。

「うん、怖かった。何もわかんないし、夜とか心配ばかりが頭に浮かんできてずっとビクビクして眠れないことだってあった。私なんかが母親になっていいのかって、誰も責めたりなんかしてないのに責められてるような気持ちになってた」

「あぁー…」

それもよくわかる。あたしも同じような気持ちになっている。

「だからもう、いっそ神様に決めてもらおう!って気持ちになったのよねえ」

でもそこはわからない。いや、わかるような気はするけど、やっぱりわからない。何と言うか、いろいろすっ飛ばしている気がする。さすがお母さんだ。

「まだまだ身重ってほどではなかったんだけど、流石にキツかったわあ。体力ってやっぱり自分でも気が付かないうちに年々落ちてるのね、秋葉坂神社あるじゃない。あそこにお百度参りに行ったのよ」

「ああ、あそこ」

境内に上がるのに五十段くらいの石段がある神社だ。秋になると名前の通りに紅が鮮やかな、モミジの名所。

「十週くらいまでは久しぶりに身体を動かすのが楽しかったんだけど、二十週もするとうんざりしてくるのよね。あれ、私なんでこんなことしてるのって思ってきて。ほんとにお腹の子が流れちゃったら、どうしようって思って」

「ああ、それで止めてくれたんだ」

よかった。あたしはお百度参りの末に生まれた子どもではなかったらしい。

「いや、続けたわよ。途中で止めるのもバチが当たりそうで気持ち悪かったし」

「当てるかなあ、そんなことで…」

神様ならむしろ身体を労りなさいとか言ってくれそうだけど。

「五十週を超えたくらいだったかなあ。なんか唐突に、あっ、私、母親になるんだって自覚が湧いてきてね」

「あっ、今度こそストップしてくれたんだね」

「ストップしないわよ。むしろ無事にこの子が産まれてきますようにって、願掛けしなきゃって使命感が湧いてきたの」

自覚に奮い立たされちゃったのかあ。お母さん一度やると決めたことは最後までやりなさいってうるさかったけど、自分にもそうだったんだな。

「お百度参りを成し遂げたときはもう汗ダラダラ足はガクガクで、意味もなく泣けてきたわね。誰もいない境内でうおおおって叫んで、鈴ガランガラン鳴らしてやったわ。神様ちゃんと見てたかー!?って気持ちでいっぱいだった」

「そんな成人式のヤンキーみたいなはしゃぎ方…。お百度参り達成したのは凄いけど、お参りの作法とか節度とかは守ろうよ」

身内としてすごく恥ずかしい。今すぐ神様にお詫びに行きたい。

「だってこっちはお百度参りしてやったのよ。もう何でもアリでしょう」

「お客様は神様ですじゃないんだから…」

「まあでも最後には厳粛な気持ちになって、ちゃんと二礼二拍手一礼してやったわよ。そのときに思いついたのよね」

「何を?」

この人またとんでもないことを思いついて実行したんじゃないだろうな。

「あんたの名前。ふと女の子だってわかって、じゃあ百々子しかないな、ってなったのよね」

「あっ、あたしの名前の由来ってお百度参りだったんだ」

そんなのさっぱり知らなかった。そういう理由で桃じゃなくて百々だったんだ。

「お遍路さん由来の子だったら遍子になってたかもね」

「う、うん、お百度参り由来の子でよかったよ」

無事に産まれて来られて、変な名前も付けられなくて良かったと思う。心の底から、本当に。

「あっ、そう言えばお百度参りの帰りにちょっと不思議なことがあったのよね」

母の思考回路からしてすでに不思議でいっぱいなのに、まだなにかあるのか。

「帰りはもうふくらはぎパンパン、膝もガクガク震えててねえ。当時はあの神社の階段手すりなかったからさあ、こわごわと下りてたのね。そしたらあと五段くらいのところで枯れ葉を踏んで足滑らせちゃってさ」

「えっ!?」

「あっ、これヤバイなって思いながらお腹だけは庇わなきゃって、身体を丸めようとしたのよね。そしたら階段の下の方からふわあって抱きとめるみたいに優しい風が吹いてきて、身体を持ち上げて支えてくれたの。そのとき金木犀みたいないい匂いがしてねえ。あれは神様が助けてくれたのかなあって今でも思っているのよ」

「へぇー、神様もお百度参りのせいで大惨事になったら目覚めが悪かったのかもねえ」

「確かに、そうかもね」

顔を見合わせて、風が吹いたようにふふっと笑いあった。この人の子どもに生まれて良かったなって、なぜだか今しみじみと思った。

「あっ、せっかくだし百々子の子ども、金木犀にちなんだ名前つけたら。縁起が良いかもよ」

「それは遠慮させていただきます。ちゃんと夫と相談しておりますから、ご心配なさらずに」

「そう?いいじゃない、金千代みたいな名前付ければ。お金持ちになれそうで」

「あのねえ、あなたの孫になるんだからね」

呆れて言うと開け放した窓からやわらかい風が吹いてきて、お腹の子がトンって動いた。

風には庭に植えられた金木犀の甘い香りがまじり、それに反応したのかもしれない。あたしと同い年の、金木犀の香りに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

百回願えば みそ @miso1213

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ