エピローグ「縁を結ぶ音」
律との一件から、季節は一巡りした。夕凪堂には、すっかり冬の気配が満ちている。囲炉裏で燃える炭が、ぱちぱちと心地よい音を立て、店内の空気を温めていた。
奏は、カウンターの向こうで、小さな木彫りの熊にそっと触れていた。
持ち主は、幼い頃に父親を亡くしたという青年。この熊は、その父親が唯一遺してくれた形見なのだという。しかし、最近、熊を見るたびに悲しい気持ちになるからと、手放すために持ってきたのだ。
奏の耳には、熊の声が聞こえていた。
(……寂しい……もっと、一緒にいたかった……)
それは、熊に宿った、青年の幼い頃の心の叫びだった。父親を失った悲しみに蓋をして、大人になろうと必死だった彼の、置き去りにされた感情。
「この熊は、あなたと一緒に、ずっと悲しんでくれていたんですね」
奏が静かに告げると、青年ははっとしたように顔を上げた。
「そして、今もずっと、あなたのことを見守ってくれていますよ。あなたが、お父さんのことを忘れないようにって」
奏の言葉に、青年の瞳から、堪えていた涙がぽろぽろと溢れ出した。それは、長い間、彼の心の中に閉じ込められていた、悲しみの氷が溶け出す音のようだった。
青年は、売るのをやめます、と頭を下げ、大切そうに熊を抱きしめて帰っていった。彼の背中は、来た時よりもずっと、温かく見えた。
「……また一つ、良い縁が結ばれたのう」
一連のやり取りを静かに見守っていた紬が、温かいほうじ茶を淹れてくれた。その香ばしい香りが、奏の心を優しく包む。
「はい。でも、僕がやったことなんて、ほんの少し、声を聞いて、伝えただけです」
「その『ほんの少し』が、誰かの心を救うのじゃ。お主は、立派な夕凪堂の店員じゃよ」
紬の言葉に、奏は少し照れくさそうに笑った。
窓の外では、ちらちらと雪が舞い始めている。店に並ぶ古道具たちは、囲炉裏の火に照らされて、穏やかな光を放っていた。それらは皆、それぞれの物語を胸に秘め、次の持ち主との出会いを静かに待っている。
神様の声は、今も聞こえない。
けれど、奏はもう、そのことを寂しいとは思わなかった。なぜなら、彼の周りには、こんなにもたくさんの、温かくて優しい声が溢れているのだから。
からん、と店の鈴が鳴った。
新たな客が、何かを伝えたいと願うモノを手に、この店を訪れたようだ。
「いらっしゃいませ、夕凪堂へようこそ」
奏は、柔らかな笑みを浮かべて、客人を迎えた。
モノと人の縁を結ぶ、優しい音色が、今日もこの古道具屋に、静かに響き渡っていた。
神様に見放された僕ですが、モノの声が聞こえるので古道具屋「夕凪堂」で人生やり直します 藤宮かすみ @hujimiya_kasumi
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