第六話「竜の灯火と、守り人の誓い」
律が夕凪堂を訪れてから、数日が過ぎた。店には以前と変わらない穏やかな時間が流れていたが、奏の心の中には、兄が残していった不穏な影が、澱のように溜まっていた。
(兄さんは、また来るだろうか……)
(この店や、紬さん、琥珀に何かあったら……)
そんな不安を打ち消すように、奏は仕事に没頭した。持ち込まれる古道具の声に耳を澄ませ、その想いを繋ぐ。その行為だけが、奏の心を少しだけ軽くしてくれた。
その日の夜、奏は夕食の片付けを終えた後、縁側で一人、月を眺めていた。琥珀がそっと隣に寄り添い、ゴロゴロと喉を鳴らしている。その温かさに、少しだけ心が安らいだ。
「奏」
背後から、紬の静かな声がした。振り返ると、彼女は真剣な表情で、一つの小さな桐の箱を抱えていた。
「少し、大事な話がある。ついてきてくれんか」
紬に導かれ、奏は店の奥、普段は誰も入ることのない一室へと足を踏み入れた。そこは、がらんとした畳の部屋で、中央に質素な祭壇が一つあるだけだった。
紬はその祭壇の前に正座し、桐の箱を厳かに置いた。
「奏。お主の兄が狙っておるのは、おそらく、これじゃ」
紬が箱の蓋を静かに開ける。中には、柔らかな真綿に包まれて、拳ほどの大きさの、透き通るような青い宝玉が鎮座していた。それはまるで、月の光を閉じ込めたかのように、内側から淡い光を放っている。
「これは……?」
「『竜の灯火(ともしび)』。この街の霊的な均衡を保つ、要となる宝玉じゃ」
紬の話によると、この街は古来、地下を流れる龍脈の力が非常に強い土地なのだという。竜の灯火は、その強大なエネルギーを鎮め、安定させるための楔(くさび)の役割を果たしていた。そして、夕凪堂は代々、この宝玉を守り、祀る「守り人」の役目を担ってきたのだと。
「では、紬さんは……」
「わらわも、この宝玉に宿る想いから生まれたようなもの。この宝玉が力を失えば、わらわも、この店も、存在できなくなる」
紬は、静かに、しかし力強い口調で語った。
「お主の兄は、神主としての己の力をさらに強めるため、強い霊的な力を持つ道具を探しておる。この竜の灯火の力を手に入れれば、神具としてこれ以上ないほどの力を得られるじゃろう。じゃが、もしこの宝玉が持ち去られ、龍脈の力が乱れたら……この街は、大きな災いに見舞われることになる」
奏は息を飲んだ。兄がやろうとしていることの重大さを、改めて思い知らされた。兄は、自分の目的のためなら、街の人々がどうなろうと構わないというのか。
「なぜ、その話を僕に?」
「お主には、知っておいてもらう必要があると思うたからじゃ。そして……力を貸してほしい。この店を、この街を、共に守ってほしいのじゃ」
紬は、まっすぐに奏の目を見て言った。その瞳には、不安の色と、しかしそれ以上に強い決意が宿っていた。
奏は、迷わなかった。
「……はい。僕にできることがあるなら、何でもします。ここは……僕の大切な居場所だから」
その答えを聞いて、紬はふっと表情を和らげ、優しく微笑んだ。
「ありがとう、奏」
その時だった。
店の外から、微かだが、甲高い笛の音が聞こえてきた。それは、神社で祭事の際に使われる、神聖な音色。しかし、奏の耳には、どこか不吉な響きを伴って聞こえた。
「この音は……?」
「……罠、じゃな」
紬が、はっとしたように顔を上げた。
「街の結界の一部が、何者かによって破られようとしておる。おそらく、わらわを店の外へおびき出すための……!」
律の狙いは、竜の灯火を守る紬を、夕凪堂から引き離すことだった。店の核である紬がいなくなれば、夕凪堂の守りは格段に弱まる。
「行ってください、紬さん。ここは僕と琥珀で守ります」
「じゃが、奏……!」
「大丈夫です。信じてください」
奏の迷いのない瞳を見て、紬は一瞬ためらったが、やがて固く頷いた。
「……分かった。すぐに戻る。それまで、頼んだぞ」
そう言い残し、紬は嵐のような速さで店の外へと駆け出していった。
部屋には、奏と琥珀、そして淡い光を放つ竜の灯火だけが残された。
「さて、と。坊主、覚悟はいいか?」
琥珀が、いつになく低い声で言った。その瞳は、猫のものではなく、歴戦のあやかしの鋭い光を放っている。
「……ああ。やるしかない」
奏は、祭壇の前に座り、竜の灯火を強く見つめた。
心臓が、早鐘のように鳴っている。けれど、不思議と恐怖はなかった。守るべきものができた人間は、強くなれる。夕凪堂での日々が、奏にそのことを教えてくれていた。
笛の音が、徐々に大きくなっていく。律の気配が、すぐそこまで迫っているのを感じた。
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