last twinkling|ひかりがひかる★★★★★★★★★★
*
いまでも、おもう。
あれは何だったのだろうかと。
言葉にしようとすればするほど、言葉のもとは野山に漂う霞となり、輪郭はぼやけ、霧と化し、素肌に触れてはちいさな雫の玉となり、掬おうとする手の隙間から、ぽたぽたと溢れてゆく。言葉は儚い夢のようだ。
それでも感じたことがある。
たしかに感じたことがある。
わたしは兄を感じることができた。
わたしの命が覚えている。
命は光だ。
波であり、粒子でもある。互いに重なり合い、もつれ、揺蕩い、広がり、縮む。いずれ、離れ、散り散りになり、薄れ、彷徨い、逍遥し、果てのない旅に出る。ふたたび出逢うそのときまで。
光は闇だ。
闇があるから光が生まれるのではない。光は闇を照らすためにあるのでもない。光は闇で、闇は光だ。両者はひとつだ。裏も表もない。分けてしまうのはわたしたち人間の感知によるものだ。感知は美しさを知るためにある。闇と光の美しさを。両者の美しさはわたしたちの命のなかにある。
闇は宇宙だ。
すべてが始まるための空。なにもない。なにもないが、満ちて、満ちて、満ちて、満ちて、満ちて、満ちてゆく。そして、爆ぜる。爆ぜて広がりが闇となる。遥か彼方まで余白が生まれる。なにをも受けとめ、許容するための余白。
宇宙は音だ。
見えない五線譜のうえで、いや、無限の線譜のうえで、賑やかに、騒がしいほどに、弾み、遊び、跳ねる。ときに、黙もだし、隠れ、休符する。拍子や調号は後からついてくる。まるで音楽だ。音楽は、いつか、終わる。それでも、わたしたちは、わたしたちの命は、音楽を奏でる。用意された舞台で、ふたつとない固有音で和音を鳴らし、開放弦は自在に共鳴し、音楽を奏でる。終わりある音楽を。どれもが愛おしい。
物理学者は、わたしたちの間にある力を万有引力と呼んだ。
詩人は、万有引力は孤独なもの同士が引き合う力と残した。
どちらも目に見ないものを見つけようとするひとりの人間の営為だ。
この世界には、宇宙には、まだ見えないものに溢れている。
可能性は無限にある。
だから命は有限なのだ。
天才と呼ばれた者の生前に残した言葉が印象に残る。
(ただ、天才、というのは、わたしにはどうにもよくわからないのだけど)
__宇宙において最も理解しがたいことは、それが理解可能であるということだ。
確かに。
わたしたちが経験したことは理解しがたいものだった。けれど、わたしには理解できた。それは実際に起こったのだ。わたしに。わたしたちに。
わたしは、それを、愛と呼ぶ。
愛と呼ぶことにする。
きっと、この宇宙は愛に満ちている。見えないだけで。そうでなければ、わたしたちが生まれるはずなどない。
妄想だろうか?
詭弁だろうか?
錯誤だろうか?
そんなことはどうでもいい。
どうでもいい。
わたしは軽々と飛び越えてゆく。
夜空を見上げる。
星々が見える。
わたしへと届けられる那由多の光。
わたしの中にある那由多の光。
こもごもたたえる命のまたたきだ。
わたしはおもう。
弱いわたしも、卑しいわたしも、狡いわたしも、酷いわたしも、貶むわたしも、軽薄なわたしも、いる。ある。なくならない。そんなわたしをわたしは嫌いだ。でも、嫌いは、嘘じゃない。それは紛れもない。ふしぎなことに嫌いを出し尽くしたら、好きが出てきた。嫌いの山の頂に好きが生まれた。嫌いで埋め尽くしたはずのわたしのなかから好きの種が芽を出して、ぴかぴかの双葉が生えた。わたしだけの小さな双葉だ。
時として、人は傷つけあう。
みな、傷ついている。傷を抱えて生きている。ふたつの距離が近ければ近いほど、その傷は、深く、命の間際まで達する。時に致命傷となる。傷からはあかい血が迸ほとばしる。痂皮かひの下で痛みは叫びつづける。それでも命は生きようとする。踠もがき、足掻き、隠蔽し、逃走し、忘却し、なお、生きようとする。それは命の工夫だ。子どもたちが教えてくれた。傷は、癒やされることを待っている。受けとめ、寄り添い、手を当てられることを待っている。簡単なことではない。
けれど、不可能なことでもない。
命はともに生きることを選んだのだから。
双葉のように。
寒さが兆し始める。
吐く息が痛む。眼前に漂う息はほの白い。わたしの体温が外気に熱交換される。ぬくとめるその息は、からだのなかのひとつひとつの細胞の呼吸だ。生きている。わたしは、孤独かもしれないが、ひとりで生きている訳ではない。それは、奇跡だ。
夜が明ける。
この世界は良いものばかりではない。憎悪や嫌悪、嫉妬や欺瞞、理不尽や不平等がある。というか圧倒的に多いだろう。わたしたちの社会は、常に弱者が弱者のまま搾取され続けることが罷り通る。保守と革命は、その都度、現れては滅び、消える。そして、また、現れる。無限に続く雄大な時空の川のなかの泡沫のように。川は流れる。命も流れる。星々は流転する。命も流転する。そこに希望がある。確かにある。星の瞬きに由来する錯覚かもしれないのだけれど、その錯覚を希望に変えて生きていけるのが人間だ。百三十八億年に渡る命の工夫だ。
風が吹く。
葉が戦ぎ、花弁が散る。心は戦ぎ、命は散る。永遠なる反復。煌めき。わたしは、それを綺麗だとおもう。いま、目の前にある、命。わたしの命。こどもたちの命。あなたの命を。ひとつひとつの命が堪らなく愛おしい。流れゆく命。変わりゆく命。いずれ朽ち果てる命。儚い命。まだある命。尊い命。
そのために、わたしは、生きている。
だから、今日も、おみそ汁を作るのだ。
心を込めて。
命を込めて。
大仰だろうか。
それでもいい。
わたしは、わたしにできることをする。
六時六分。
朝の光を浴びて出汁がきらきらと光っている。
子どもたちが起きてくる。
「おはようございます」
「はよー」
「ふぁ…眠む」
「めっし〜」
「はす」
「…はす、とは何ですか?」
ゆきこの問いかけに、みんなが笑う。
子どもたちの笑顔は光っている。
ひかりも笑う。
その笑顔も天照らす光のごとく輝いている。
ひかりの命のなかにあるひかるとともに。
★★
猫が鳴いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます