twinkling 2|わかな★★★
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神崎さんとの面接はいつもこんな感じだ。
無口なあたしがひと月分の言葉を発する。神崎さんは、その間、黙ってあたしの話を聴いている。頷いたり、相槌を打ったり、ときどき質問したりするけれど、ほとんど聞き役に徹している。面接は定期的にある。いまは学期に一度くらい。イレギュラーな面接があるときは、あたしか、ほかの子か、GHに何かあったときだ。今回の面接は、何かの方。その何かとは、ジンジャーの件。GH内では、ジンジャー事件とも、生姜事変とも呼ばれている。なんだか、子どもたち以上に職員の方が浮き足立っているようにみえる。当然かもしれない。GH開設以来の初めての珍事が起こったのだから。
あたしとの面接を終えた神崎さんは、職員とすこし話をしてから帰って行った。
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ジンジャー事件後、GHにはキャットタワーが設置され、猫ちぐらや猫砂や爪とぎが用意された。ほかにも、猫用のキャリーバッグや猫用のおもちゃが買い足され、ジンジャーを飼うための環境が整えられていった。猫一匹で、大騒ぎだなとはおもったけど、そういうあたしも満更ではない。なにより、ゆきこの言葉と表情が増えたのが驚きだった。ジンジャーもゆきこに懐いているようにみえた。あのとき必死で守ろうとしたんだから、あたしにも懐けよ、と心のなかで嫉妬の炎が燃えていた。いや、冗談だけど。いや、本音を言うと、すこし燃えていた。ただ、それ以上に、GH全体の変化を好意的に感じていた。つまり、
居心地が良くなったのだ。
たぶん、それは、あたしやゆきこだけでなく、ほかの子や職員も含めて感じているはずだ。なにしろ、みんなこぞって、ジンジャーの世話を焼きたがるのだから。自然と会話が増えて、笑顔も増えて、なんか良い感じだ。もし、これが続くなら、猫一匹で大騒ぎするのも悪くない。もう、ジンジャー様様だ。
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午後十時を過ぎたので、あたしたちは、スマホとタブレットを保管場所にしまって、各自の部屋へ行く。ここでの決まりのひとつだ。部屋割りは、一階の奥の部屋が、ゆきことみちこの部屋。二階の八畳の部屋が、なぎさとたまみの部屋。六畳の部屋があたしに割り当てられている。部屋に入ると鞄のなかからスマホを取り出してホーム画面をひらく。これは、学校のレイちゃんから支給されているスマホだ。そのスマホに入れてあるアプリの鍵垢にDMが届いている。そこには、暗号のようなメッセージが来ている。
『土イチナナ、尺イチ、P3よろ。』
パパ活の案件だ。これは土曜日の十七時に、一時間の案件。3は常連さんの通し番号。レイちゃんは、あたしの通う学校のパパ活案件の元締めをしている。詳しいことはあたしも知らない。かなりヤバい案件もあるらしいと言うことは聞いたことがあるけど、あたしの場合は指定の場所に行って、指定の人と指定の時間、ご飯するだけ。からだやお金のやり取りはない。今年になって誘われてから、何度か、案件を受けている。まあ、それだけならいいかという感じだ。レイちゃんを敵にすると面倒なことになるってのもある。それに、どうせ、あたしはあたしに期待してないし、わすれんぼーなんだから、まあいいかと、あんまり深く考えないようにしている。
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土曜日、指定の場所に行くと、すでに案件の相手は来ていた。今回の相手は意外と若い。と言ってもおじさんに変わりはない。アラサーといったころ。「若くみえますねー」というと、相手のアラサーさんは満更でもなさそうに喜んだ。何でも食べていいと言われたけれど、今回は時間が遅めだったから、抹茶のサンデーにした。本当はパフェが良かったけれど、この店にはなかった。まったくわかってないなと、心のなかで嘯いた。アラサーさんの話に聞いて、適当な相槌を打って、指定の時間を過ごした。今回の案件も、ミッション・コンプリートだ。店を出たところでバイバイして、レイちゃんにメッセージを送ったら、秒で既読ついて返信が来た。こわ。インド人が「おつカレー」と満面の笑みをしているスタンプだった。おもわず、CoCo壱かよと呟いた。さ、帰ろ。
すでに太陽は沈んで、辺りは薄暗い。GHは郊外にあるため駅からだいぶ歩く。駅へと南下する大通りから脇道に逸れれば、電灯の数もぐっと少なくなる。おまけに畑や空き地ばかりだから、人気もない場所だ。いつもなら、なるべく大通りを優先して帰るのだけど、夕飯の時間に間に合わせるために脇道へ入る。こうすると五分くらいショートカットすることができる。
電灯の明かりを頼りに早足で歩く。ぽつん、ぽつん、、ぽつん、、、と次の電灯までの距離は次第に開いていく。(暗っ!こんなとこ若い娘がひとりで歩くところじゃないわ)と自分に言い聞かせながら、歩く速度を上げる。茶畑を通り過ぎる。ぽつん、、、ぽつん、、、ぽつん、、、産廃物の中間処理場を過ぎたそのときだった。わかなの背後からぬっと影がまわり込み、わかなの顔を覆う。不意を突かれたわかなの頭は、真っ白になる。自分の身に何が起こったかわからないまま、わかなの口は影に塞がれる。えっ、とおもった瞬間から、わかなのからだは強い力で後方へと引っ張られていく。影からは機械油特有の臭いに混ざって、ヤニ臭さが付着した体臭の臭いがする。(やば、襲われてんじゃん、あたし)、事態を把握したわかなは、口を塞いでいる影を両手で引き剥がそうと試みるが、影は強力な粘着テープのように剥がれる気配がない。(だれか、たすけて!)叫ぼうにも、ぴったりと塞がれた口からようやく出た声は、んんんーっという無声音だけだった。焦りがわかなの思考を奪って行く。逃れようと無理矢理からだを捻ったとき、腹部に衝撃があり、遅れて激痛が走った。呼吸が荒くなり、からだから力が抜けて行く。(あー、人生詰んだ。さっきオムライス食べとけば良かった)と、遠のく意識で場違いなことをおもった後、わかなは気を失った。
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急にGHを飛び出したジンジャーとゆきこの後を、ひかりは必死に追う。もう勘弁してよ、わたし、体力には自信あるけど、足は遅いんですけど!「ゆきこ、待って!」と叫ぶも、聞こえているのか聞くつもりがないのか分からないまま、ふたり…いや、一匹とゆきこは走り続ける。ひかりが追う。逃走中のハンター役なら、完全に不適格の烙印を押されるだろう。ジンジャーとゆきこは風を切り、ぐんぐんと駆けて行く。てか、ゆきこって、足速かったんだと初めて知る。ジンジャーとゆきこは、普段なら通らない裏道へと進む。おいおいおい、襟巻きがあったら、おもいきり捻りたいところだ。薄暗い細道を一匹と二人の足音が、規則的な音を立てる。
(…もう無理ぃーっ!)
と諦めかけたとき、前方の中間処理場に人影が見えた。え?人?しかし、様子がおかしい。揉み合っている?違う、引き摺られているんだ。よからぬイメージが頭に浮かんだのと、影のひとつが誰だかわかったのは同時だった。
「わかな!?」
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