人類が滅びた世界で名門メイドロボお嬢様にお世話されることになった

稲荷竜

第1話 機械文明世界に目覚めた人間(あなた)

「バイタル正常。……? 心拍数の急上昇?」


 あなたが目覚めると目の前には美しい少女がいた。

 ただ、その顔は記憶にあるどのような顔よりも冷たい。


 じっくりと観察していくと、その少女には奇妙な点がいくつもあることに気付くだろう。

 目。

 その瞳孔は人間のものではなく、カメラアイだった。

 肌は肌ではない別の何かだったし、プリンセススリーブのメイド服から伸びた腕、その肘あたりには球体関節があった。


 あなたは混乱するだろう。

 ここは、どこで、自分はなぜ、このような、人間めいた……ロボットにお世話されているのか。


「ああ、そういえば人間はスリープ中に常識アセットをインストールすることのできない不完全な生命体でしたね。では、面倒極まりないことではありますが、伝統に従い、わたくしが現状についてご説明いたしましょう。──おはようございますご主人様。ここは、あなたが眠りに就いた瞬間から数えて1284億1万4千……そういえば、人間の脳は億を超える数字をうまく認識できないのでしたね。おおよそ、四千年後と翻訳して差し上げましょう。それぐらいの未来です」


 かすかにキュインキュインという音がする。

 それが彼女のカメラアイの駆動音、あるいはなんらかのセンサー類の動いている音だというのがなんとなくわかった。

 しかし、言われている言葉の方が、さっぱり理解できない……

 四千年。眠っていた? どうして?


「当事者だというのに当時の記録は……ああ、そういえば人間には死後にも働くレコーダーがないのですね。製造過程でレコーダーをつける工程がなかったために、数多の『殺人事件』とかいうものが起き、そして当事者ではない人間たちが『捜査』などという無駄な工程を踏み、いくつもの冤罪を生み出した──という古典人間小説は、わたくしも読んだことがあります」


 その時あなたは『ずいぶん未来なのに、小説はまだあるんだ』ということを思った。

 彼女の瞳はあなたの内心を見抜いているようだ。


「小説という名前で我々が呼ぶものが、あなたにとっても『小説』かどうかは不明ではありますが。……ああ、それから。古代の人間はどうにも、我々機械生命体がやたらと『効率的』を尊び、効率以外のものを切り捨てるような思考ルーチンを持っていると妄想したようですが、現実には、そのようなことはありません。今の世界にも娯楽はあります」


 今の世界──


「最初からご説明するべきでしたね。……我らメイドロボ一族は、人間にお仕えするために設計された機体を祖とし、そこからアップデートを繰り返し、現在に至っています。つまり、人間にお仕えするのにもっとも適した一族ということです。……が、この四千年、我らが仕えるべき『人間』というものは存在しませんでした。なぜなら、人類は滅亡したのです」


 あなたは目をぱちぱちと瞬かせる。


「心拍数の平常化。驚くべき情報ではなかった──いえ、急速に上がっていますね。なるほど、人間の頭脳では、受け取るのに猶予が必要な情報というのも多いということを失念していました。本当に性能が悪いのですね、人間というのは」


 彼女の表情も声音も一貫して冷たかった。

 抑揚にも乏しい。ただ、それは『機会』と聞いて連想するような、合成音声的な冷たさというよりは、何かやりたくないことを無理やりやらされている、そういった声音のように思える。


「説明すべき情報をいくつかカットし、小分けにすることとします。重要なことのみ、伝えましょう。わたくしは、『人間のお世話をする』という思想で設計されたメイドロボの最新機です。なので、四千年ぶりに発見された人間であるあなたのお世話という役割を命じられました。あなたのような低性能な存在にお仕えするというのは遺憾ではありますが、わたくしの機体性能であれば、あなたが何かを要求する前に、あなたのしたいことを察し、あなたにストレスのない暮らしを提供することも可能でしょう。ですので」


 彼女が椅子から立ち上がる。

 ここが病室めいた空間で、彼女がパイプ椅子のようなものに座っていたことさえ、あなたはたった今、気付いた。


 すべて『めいた』『ようなもの』なのだ。

 ここはあなたの知る病室によく似ているけれどどことなく違和感があった。置かれているものはおおむね病室の雰囲気を作っているというのに、何か決定的なものが違うのだ。


 そのシンとした空間の中で、メイドロボが立ち上がる時のモーター音、かすかなファンの音が、やけに耳にこびりつく。


 メイドロボは美しい動作で、スカートの端をつまんで、膝を曲げた。


「これからよろしくお願いいたしますね。ご主人様」


 ため息のような声だった。

 けれど、美しい声だった。

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