第3話


 幅二メートルほどの廊下は、しばらく行くと右に直角に曲がっていた。

 その先は階段になっていて、上に続いている。

 水の流れる音が聞こえていた。

 その瞬間、とても喉が乾いてるのを感じた彼は足を速める。

 階段を上った先に、泉があった。

 円形に囲いがあって、その中に岩山が作られている。

 その頂上からきれいな水が流れ落ちていた。

 彼は泉の中に入り込み、流れ落ちる冷たい岩清水を手ですくって飲んだ。


 目覚めてからどのくらいの時間が過ぎただろう。

 1時間くらいの気もするし、5時間ほどたつような気もする。

 なぜあそこに寝ていたのだろうか。

 それ以前の記憶が、自分にはまったくない。

 それは不思議なことなのだろうか。

 彼は濡れた手のひらを見つめた。


 岩山の奥の方から悲鳴が聞こえた。

 彼はすぐに泉から出て、逆側に回る。

 若い男が一人、転げるようにして泉のホールに逃げ込んできた。

 その男に取り付くように、黒いロボットが襲いかかっている。

 ロボットの腕が振り上げられる。

「首筋だ。ナイフで切れ」

 響いたその音が自分の声だというのに気付くまでしばらくかかった。

 そして、そのときには戦いは終わっていた。


「大丈夫か?」

 あらためて、言葉を発するのが奇妙に思えた。

 憶えている限りでは、生まれてはじめて他人と話をすることになるのだ。

「ありがとう。おかげで助かった」

 整った顔をした若い男は、動きを止めた黒い鉄の塊のしたから這い出てきた。

 立ち上がると、その男は彼よりも少し背が低かった。

 金色の髪は長くしなやかだ。

「僕はジュン、君は?」

 名前? 自分にそんなものがあったのか?

 しかし、考えると同時に答えは浮かんできた。

「エイト……みたいだ」

「みたい? 変な奴だな」

 ジュンの顔がほころんだ。

 笑顔というのをはじめてみた。

 自分の頬も自然と持ち上がってるのを感じた。

 自分も今同じような表情をしてるんだと気づいた。


「実は俺は記憶喪失みたいなんだ。数時間前に目が覚める以前のことはまったく覚えていない、いったいここは何なんだ?」

 目覚めてからずっと抱いていた疑問を吐き出した。

「境遇は僕も同じだよ。変なカプセルの中で目覚めて、やっと部屋を出たと思ったらあの黒いロボットが襲い掛かってきた」

 疑問が解けるかと思った高揚感がしぼんでいく。


「まあ、でも二人の方が心強いな」

 ジュンは言いながら左手で右腕をさすっていた。

「大丈夫か?怪我したのか?」

「たいしたことないよ、軽い打撲だ」

「あそこの泉の水で冷やすといい。そうだ、腹は減ってないか?」

 彼はポケットの中からビスケットを取り出した。

「そいつは助かるな。実は腹ペコだったんだ」

 ジュンが嬉しそうにビスケットをもらってかじりついた。


 同じような境遇だといっても、まったく同じではないのだな、と彼は思った。

 自分のときは、ロボットが襲い掛かってきたのは、別の部屋の中でだった。

「これからどうする?」

 ビスケットを食べて少し落ち着いたジュンが聞いてきた。

「さあな。先に進むしかないだろう。このままここに居ればそのうち飢える」

「そうだね、でもどっちにいく?」

 彼は泉のホールから出て行く道を指差した。

「あれだろうな。俺が来たのが向こうの階段で、お前がそっちの通路だったから、それ以外の道はあそこしかない」

 二人はしっかりした足取りで泉のホールを後にした。

 動かなくなった黒い塊の目だけが、その二人の背を追って動いた。




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