第6話 錆びた弦と逆さまに映る景色

大雅はゆっくりとリモコンを手に取り、テレビを消した。

部屋が一気に静まり返り、耳鳴りがするような感覚に包まれる。


誰もいない部屋。

けれど、先ほどの優輝の言葉だけが、まだ空気の中に残っているようだった。

まるで、自分の背中を押してくれたような、あるいは、背を向けられたような。

どちらともとれるその言葉が、大雅の胸をぐるぐると掻き回していた。


「……優輝ちゃん、泣いてたかもしれないな」


言葉にした瞬間、込み上げる後悔と、どうしようもない虚しさが押し寄せる。

だけど、もう電話は繋がらない。番号さえ、知らない。


ため息混じりに冷蔵庫を開け、ビールを取り出した。

けれど飲む気にもなれず、そのままテーブルの上に置く。


机の片隅に置かれたビー玉が、かすかな光を反射していた。

それを手に取ると、大雅はじっと中を覗き込んだ。


景色が逆さまに映る。


まるで今の自分みたいだと思った。

裏返った想い、届かなかった言葉、逃げてしまった過去。

逃げてばかりじゃ、何も手に入らない。


大雅はビー玉をそっとポケットにしまった。

そして、ギターケースに手を伸ばす。


ほこりをかぶったケースを開けると、少し錆びた弦が目に映った。

それでも、音はまだ、そこにあるはずだ。


「……俺、まだ終わっちゃいないよな」


ギターを抱え、静かにコードを鳴らした。


優輝が言っていた。


「大雅くんの歌、好きだったよ」


その言葉を胸に刻みながら、大雅は静かに歌い始めた。


「卵1パック190円ですねそのままで宜しかったでしょうか!」


「はい!!大丈夫です!」


「緑のテープ、バーコードの所に貼って置きますね!!ありがとうございました!!」


「ありがとうございます」


「お次の方どうぞ蜂蜜が1点食パンが1点きつねうどんが1点おにぎりが1点合計4点で528円ですね」


「IDで支払います!!」


「ブルーに光ってるとこにカードかざして頂いて宜しいですか?こちらレシートでございます…」



店内に流れる穏やかなBGM。

レジ横の冷蔵ケースからは微かに冷気が漂い、大雅は卵のパックを片手に店を出た。


外はほんのり夕暮れ。

沈みかけの太陽が街並みにオレンジ色のグラデーションをかけている。

風に揺れる木の葉、遠くで子どもが笑う声。


歩きながら、大雅は考えていた。


昨日の優輝との電話。

ミオと偶然出会ったレンタルショップ。

久々に触れたギターの弦の感触。


「日常って、こんなに静かだったっけか……」


そう思いながら、ふと見上げた空はどこまでも広く、どこまでも変わらない。

でも、自分の中では何かが、確実に少しずつ動き始めている気がした。


家の前に着くと、自転車の後輪の空気が抜けきっていたのを思い出す。

苦笑いしながら玄関を開け、冷蔵庫に買ってきた卵を入れた。


いつも通りの風景、いつも通りの生活。

だけど、心の奥に少しだけ熱を持ったビー玉が、今日もポケットの中で静かに転がっていた。


駅に着くと駅員と切符を買おうとした女性が揉めていた。大雅は横目でちらっと見て改札を抜ける。


「駅員さんちょっと!!1000円2枚挿れたのに1000円しか発券機に表示されないんですけど?」


「ただいま確認しますね!!」


アナウンス「ガタッゴトッ次は東福寺、東福寺。この先電車揺れますのでご注意ください!!」


「お母さん電車乗り換えるの?」


「ゲームばっかしてないで次の駅で降りるよぉ!!」


JR奈良線の中で京都駅に次ぐ規模のターミナルがあるのが隣駅の東福寺であるが乗り換えが少し複雑である。


東福寺駅の構内は、夕方の人波でやや混雑していた。

観光客がスマホを片手に案内板を見上げ、部活帰りの学生たちが笑いながら通り過ぎていく。


その雑踏の中、大雅は無言で改札を抜け、バイクのある駐輪場へと向かう。

胸の奥で小さく疼く感情を、ヘルメットの内側に押し込むようにしてエンジンをかけた。


バイクが静かに唸りを上げる。

風を切って、街の灯りを駆け抜ける。

脇目も振らず、大雅はまっすぐ――優輝のいる場所へ


優輝のバイト先・ブックカフェ『Café Lumière(カフェ・ルミエール)』。


木製のドアを押すと、ほのかな珈琲の香りとジャズのBGMが出迎えてくれた。

落ち着いた雰囲気の店内には、本棚と観葉植物が点在し、静かに時間が流れている。


カウンターの中には、見慣れた後ろ姿。


黒髪ロング、赤のグラデーション。

白シャツにベージュのエプロンを身につけた、松本優輝。


彼女は気づかない。

大雅は入口付近で立ち止まり、ひと呼吸ついてから声をかけた。


「……優輝ちゃん」


彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに微笑んだ。


「いらっしゃいませ………一瞬誰かと思ったよ髪切ったんだ、なんか違和感あるね笑」


「スーパーで卵買った帰りにバイクとばして来た。………アイス珈琲1つ下さい。じゃなくて、あ~、えーっと匠に、バイト先聞いたんだ。」


「そうなんだ……久しぶり、ですね。この前は電話勝手に切ってゴメンなさい。ゆっくりしてって下さいね」


優輝はタメ語混じりの敬語で大雅に対してどう接するか躊躇いながらも電話の件を謝る。


「ううん、あの日泣いてたの?電話で少し鼻声だったから……。あれからなんか気になって急に来てゴメン。また来ていいかな。」


「………うん。また電話するね!!注文アイス珈琲だけでいい?何か食べていきます?」


「じゃあピーナッツバターとハチミツのサンドイッチ1つお願い」


「りょーかいです」


「暑いね」


「………夏だね海行きたい」


優輝の言葉に、大雅は少し笑みをこぼした。


「……海、いいね。なんか、優輝ちゃんがそんなこと言うの、意外。」


「え、そう?私そういうの言いそうじゃない?」


「いや……なんとなく、もっと冷めてるっていうか。達観してるっていうか。」


「それ、大体の人に言われるやつだ(笑)……でもほんとは、はしゃぎたい時もあるよ。花火とか、砂浜とか、浴衣とかさ。」


大雅は黙ってアイスコーヒーのストローをくるくると回しながら、彼女の横顔を見ていた。

照明に照らされた横顔が、少しだけ寂しそうで、でもどこか楽しそうにも見える。


優輝はカウンター越しに軽く驚いた顔をし、ふっと目を細めて微笑み、彼女はサンドイッチを作りに奥の厨房へ向かった。


BGMのジャズが静かに流れるなか、

大雅の胸の内に、ようやく小さな風が吹いたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る