4.メモリー・イレイザー!

「エルス!門を封印しろ!」


俺は吐瀉物まみれの服のまま叫んだ。


「え?」


「玄関のドア!昨日ペルフィに蹴破られただろ!今も半壊状態なんだ!」


エルスの顔がさらに青くなった。


「あ、あの……」


「早く!」


「その……実は……」


エルスがもじもじし始めた。


なんだこの嫌な予感は。


「魔法には……クールタイムがありまして……」


「は?」


「さっきトイレに使ったばかりなので、あと十分は使えません……」


俺は天を仰いだ。


なんでこの女神、肝心な時に使えないんだ!ゲームじゃないんだからクールタイムって何だよ!現実の魔法にそんな制限があるのか!?


「すみません!誰かいますか!?」


ドアの向こうから、また声が聞こえる。どんどん近づいてくる。


「とりあえずトイレの封印を解け!」


「はい!」


エルスが慌てて手を振ると、トイレのドアが開いた。


俺は意識朦朧としているペルフィを抱えて、トイレに駆け込んだ。


「うぅ……まだ……」


ペルフィが再び吐き始めた。俺は彼女の背中をさすりながら、外の様子に耳を澄ませた。


玄関のドアが開く音。


「いらっしゃいませ~!」


エルスの営業スマイル全開の声が聞こえる。


いや、心理カウンセリング店で「いらっしゃいませ」はおかしくないか?コンビニじゃないんだから。


「あ、すみません。朝早くから」


男の声だ。まさに異世界ファンタジーの主人公みたいな、爽やかで正義感に溢れた声。


「僕、冒険者パーティー『銀の風』のリーダー、レオンと申します」


レオン。名前まで主人公っぽい。しかも『銀の風』って、中二病全開のパーティー名じゃないか。


「実は、うちのパーティーメンバーを探していまして」


「はあ……」


エルスの相槌が完全に他人事モードだ。


「金髪のエルフで、ペルフィという名前なんですが」


「ペルフィさん、ですか」


エルスの声が少し震えている。


「ええ。今夜……いや、昨夜ですね。みんなで打ち上げをする予定だったんですが、途中で急にいなくなってしまって」


「打ち上げ……」


「はい。大型のゴブリン討伐に成功したので、お祝いをしようと思ったんです」


ゴブリン討伐で打ち上げって、どんだけ弱い敵なんだ。まあ、この世界の基準が分からないけど。


「それで、ペルフィも最初は楽しそうにしてたんですが、ルナが『今日のレオンさんの指揮は素晴らしかったです』って言った瞬間に——」


「うっ!」


ルナという名前を聞いた瞬間、ペルフィの体が硬直した。


「み、水……」


ペルフィが弱々しく呟いた。


「ちょっと待ってて」


俺は蛇口を捻って、コップに水を汲んだ。


『但馬さん、どうしましょう』


エルスの心の声が頭に響いた。


『まだ吐いてる。適当にごまかして』


『分かりました』


「あの~、申し訳ございませんが、そのような方は見かけていませんね」


エルスが白々しく答えた。


演技下手すぎだろ。声が震えまくってるじゃないか。


「そうですか……」


レオンの声に落胆が混じる。


「でも、確かにうちのパーティーの祭司、ルナが『ペルフィがこの辺りに入っていくのを見た』って……」


「ルナ……」


ペルフィが水を飲みながら、恨めしそうに呟いた。


「あの女……いつも……隊長の隣に……」


おい、声に出てるぞ。


そして——


「おえええええ!」


今までで一番大きな嘔吐音が響いた。


しかも今度は床に。俺の靴にもかかった。最悪だ。


「今の音は!?」


レオンの声が鋭くなった。


「誰か具合の悪い人がいるんですか?しかも、この声、どこかで……」


『やばい!』


俺とエルスの心の声が重なった。


「い、いえ!何でもないです!」


エルスが慌てて否定する。その声は明らかに動揺していた。


「あの、実は……その……」


『何か言い訳を!』


俺が心の中で叫ぶ。


「妊婦さんがいまして!つわりで!」


は?


妊婦?つわり?


なんでそんな無理のある設定を!?


『おい!なんでそんな言い訳を!宿酔でいいだろ!』


『だって!』


エルスの心の声が必死に弁解する。


『ペルフィさん、きっといつも酔っ払ってるんでしょう?だから隊長さんもここまで探しに来たんです!もし宿酔の女性の声がしたら、絶対疑われます!』


なるほど、確かに一理ある。でも妊婦はさすがに無理があるだろ。


『天才だな』


『えへへ……って、今はそれどころじゃないです!』


「妊婦さんですか。それは大変ですね」


レオンの声が心配そうになった。


やった、信じてくれた——って、信じるなよ!普通に考えておかしいだろ!


「朝からつわりがひどいんですか?」


「は、はい!朝が一番ひどいんです!」


エルスが必死に嘘を重ねている。


「でしたら、僕が助けましょう」


は?


「実は僕たちのパーティーには、優秀な祭司がいまして」


「え、いえ、結構です!」


「遠慮しないでください。ルナの回復魔法は本当にすごいんです。つわりの苦しみも一時的に和らげることができます」


「うっ……」


ペルフィがまた吐き始めた。今度は感情的なものらしい。


「ルナ……なんで……いつも……」


「大丈夫?」


俺が小声で聞くと、ペルフィは涙目で首を振った。


「大丈夫ですか!」


エルスが突然、レオンに向かって言った。


「え?」


レオンが一瞬きょとんとした。


「あ、いえ、その……妊婦さんの心配を……」


「ああ、心配してくださってるんですね。優しい方だ」


レオンがあっさり納得した。


これでいいのか?こんな適当な会話で納得するなんて。


…あ、しまった。


俺の心の呟きが、もう一度エルスに届いたらしい。


「いいのか?」


エルスが思わず口に出してしまった。


「え?」


「あ、いえ!その、本当にいいのかなって……」


「ああ、僕の申し出を遠慮されてるんですね。大丈夫ですよ、ルナも人助けが大好きな子なので」


このレオンって奴、ポジティブすぎないか?それとも天然なのか?


「でも本当に大丈夫です。ルナは治癒魔法のエキスパートで、去年の武闘大会では準優勝したんです」


準優勝かよ。優勝じゃないのか。


「彼女の『聖なる癒し』は範囲回復魔法の中でも最高峰で、一度に10人まで同時に治療できるんです」


10人も!?それはすごい……って、今はそれどころじゃない!


「さらに『女神の祝福』という上級魔法も使えて、これは状態異常も全て解除できる万能魔法なんです」


「そ、そうなんですか……」


エルスの声が引きつっている。


「はい!ルナは本当に素晴らしい祭司で、性格も優しくて、料理も上手で——」


「っ!うぅ……料理も……」


ペルフィの顔色がどんどん悪くなっていく。


どうやらこのレオンという男、無自覚にペルフィの地雷を踏みまくっているらしい。


「昨日の打ち上げでも、ルナが作ってきたサンドイッチが絶品で、僕なんか3個も食べちゃいました」


「サンドイッチ……私だって……作れるのに……」


ペルフィが震え始めた。


「もう……無理……」


ペルフィが立ち上がった。


いや、待て——


バン!


トイレのドアが勢いよく開いた。


「あんたなんかーーーー!」


ペルフィが叫びながら飛び出した。髪は乱れ、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃ、服には吐瀉物が付いている。完全にホラーだ。


「ルナなんかより私の方が先に出会ったのに!私の方が長く一緒にいるのに!なんでいつもルナルナルナってええええええええええええ!」


「ぺ、ペルフィ!?」


レオンが驚愕の表情を浮かべた。


「え!?なんで?どうしてペルフィがここに?しかもその格好は——」


「大っ嫌いいいいいい!馬鹿!鈍感!朴念仁!しね!!」


ペルフィが泣きながら叫び続ける。


俺とエルスは一瞬、目を合わせた。


これはもう、アレしかない。


そして、同時に動いた。


「ごめん!」


俺がレオンの背後に回り込む。


「ごめんなさい!」


エルスがペルフィの横に立つ。


「え?ちょっと、何を——」


「メモリー・イレイザー!」


二人同時に手刀を振り下ろした。

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