2.私を、あなたの最も忠実な信者にしてください

結局...


こっちが固唾を飲んで、何か言おうと身構えていたというのに、彼女はあっさりと酔いに任せて眠りに落ちてしまった。


「よいしょ……っと」


俺とエルスは、完全に酔い潰れたペルフィを二階の寝室まで運び上げた。


いや、正確には俺が運んで、エルスが横で「頑張れ」とか「もう少し」とか応援していただけだが。


女神様、せめて重力軽減魔法とか使えないの?


「ふぅ……」


ベッドにペルフィを寝かせ、俺は額の汗を拭った。エルフは見た目通り軽かったが、それでも階段を上るのは一苦労だった。


部屋を出て、一階のリビングに戻った俺は、ソファを見つめて深いため息をついた。


「今夜はここで寝るのか……」


「仕方ないじゃないですか」


エルスがあっけらかんと言った。


「ここは商住一体型の建物で、二階には寝室が一つしかないんです」


「いや、それにしても転生初日から床寝はきついだろ」


「ソファがあるだけマシですよ」


それはそうだけど。


俺はソファに腰を下ろした。クッションは意外と柔らかい。まあ、寝れないことはなさそうだ。


「そういえば」


俺は思い出したように言った。


「この店、もし繁盛したら増築とかできるの?」


「もちろんです! お金さえあれば、いくらでも改築できますよ」


「お金か……」


そうだ!


「なあ、エルス」


「はい?」


「女神なら、こう、ポンッとお金を出現させるとか——」


瞬間、エルスの顔が真っ赤になった。


「だ、ダメです! 絶対にダメです!」


「え、なんで?」


「いいですか、但馬さん」


エルスは急に真面目な顔になった。そして、深呼吸をしてから語り始めた。


「お金というものは、労働の対価として得るものです。汗水流して働き、人々の役に立ち、その結果として報酬を得る。これこそが人間の尊厳であり、生きる意味なのです」


「そもそも、貨幣というものは信用の象徴です。金貨一枚には、それを鋳造した国家の信用が、銀貨一枚には商人たちの約束が、銅貨一枚には庶民の日々の労働が込められているんです」


長くなりそうだ。


「あの——」


「聞いてください!経済学の基本をご存知ですか? 需要と供給のバランス、貨幣流通量の適正値、マネーサプライの調整機能——これらは全て、緻密な均衡の上に成り立っているんです!」


経済学まで出てきた!?


「さらに言えば、労働の価値を軽視することは、人間の存在意義を否定することと同じです。働くことで得る達成感、仲間との協力、困難を乗り越える喜び——これらは全て、お金では買えない価値なんです!」


「分かった分かった」


俺は手を振って彼女の演説を止めた。


「つまり、できないんだな…」


「で、できないわけじゃありません!」


エルスが慌てて否定した。


「ただ、してはいけないだけで——」


「じゃあ、やってみて」


「え?」


「一円でいいから、出してみて」


「そ、それは……その……」


エルスがもじもじし始めた。


「あの……今は……ちょっと……」


ああ、なるほど。


俺は確信した。


「できないんだな」


「ち、違います!本当はできるんです!ただ、道徳的に——」


「はいはい、分かりました」


俺の女神様、ちょっと残念すぎない?


透明化魔法は失敗するし、お金は出せないし、精神感応は音量調節できないし。


「う、うるさいですね!私だって万能じゃないんです!」


「心読むなよ」


「読んでません!顔に書いてあるんです!」


それはそれで嫌だな。


「ちょっとトイレ行ってくる」


俺は立ち上がった。


「一階の奥です」


エルスが不機嫌そうに教えてくれた。


トイレは思ったより綺麗だった。この世界の文明レベルがよく分からないが、水洗式のようだ。


用を足して手を洗い、ふと鏡を見た。


そして、固まった。


「……誰だ、こいつ」


鏡に映っているのは、見覚えのない美青年だった。


深緑色の髪が肩まで伸び、瞳は琥珀色に輝いている。顔立ちは整っていて、なんというか……


イケメンじゃないか!


俺は慌てて自分の顔を触った。鏡の中の美青年も同じ動きをする。


間違いない、これは俺だ。


でも、俺って確か30代の冴えない男だったはず……いや、記憶が曖昧だけど、少なくともこんなイケメンじゃなかった。


年齢も明らかに若い。どう見ても18歳くらいだ。


「マジか……マジかよ!」


俺は鏡に近づいて、まじまじと自分の顔を見つめた。


これは……モテる!絶対モテる!


テンションが上がった俺は、試しに髪をかき上げてみた。


「ふっ……」


うわ、キマってる!


調子に乗った俺は、乙女ゲームの王子様キャラがやりそうなポーズを取ってみた。


壁に手をついて、流し目。


「君の瞳に、乾杯……」


鏡に向かってウインク。


「今夜は、君だけを見つめて——」


「うぇっ」


自分で自分に気持ち悪くなった。


慌てて洗面台に顔を近づけ、口をゆすぐ。


何やってんだ俺。イケメンになったからって調子に乗りすぎだ。


リビングに戻ると、エルスが不思議そうな顔をしていた。


「なんで口を拭いてるんですか?」


「え?」


「まさか、トイレで何か食べました?」


どういう発想だよ。


「違うわ! ていうか、もっと重要なことがあるだろ!」


俺は自分の顔を指差した。


「この顔!この見た目!これ、あんたがやったの?」


「ああ、それですか」


エルスは当然のように頷いた。


「はい、私が設定しました」


「設定?」


「だって、元のあなたの見た目はちょっと残念——」


——残念!?


俺の心に怒りが湧き上がった。確かに前世の俺は冴えない見た目だったかもしれないが、面と向かって残念とか——


「——だったので、患者さんとのコミュニケーションを円滑にするため、見た目を良くしました」


「え?」


「心理カウンセラーは第一印象が大事です。清潔感があって、信頼できそうで、話しやすい雰囲気。これらを考慮した結果、このような容姿に」


エルスは得意げに胸を張った。


「ちなみに、異性からの好感度も考慮して、いわゆる『イケメン』属性を付与しています。ただし!」


彼女は人差し指を立てた。


「ハーレムは禁止です。あくまでも仕事のための——」


俺は床に膝をついた。


両手を合わせ、深々と頭を下げる。


「エルストリア様」


「え?」


「私を、あなたの最も忠実な信者にしてください」

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