第二章

「今日で最後」の提案

 僕は次の日も早朝から学校に来ていた。ただ昨日よりは少し遅かった。僕が教室に来た時には、もう担任が鍵を開けていた。


 誰もいない教室。しかし、昨日の夜とは全く別物の景色。


 どうして夜にしか、千秋は姿を見せてくれないのだろうか。僕は疑問を抱えながら、花瓶を持ち上げる。花瓶の中にある花はもう限界という感じに枯れてしまって、僕は気を病みながら、枯れている花をゴミ箱に捨てた。そして、まだギリギリ咲いている花のみを残して、水を変える。教室に戻ると、川井がいた。


「おはようございます」


 川井が僕に挨拶をしてくる。僕は一度会釈して、花瓶を千秋の机に置く。


「水換え、毎日やってるんですか?」

「うん、でも何本か枯れちゃった」

 僕は花瓶置きながら答える。


「仕方ないですよ。花はいつか枯れますから」


 川井は僕を慰めるように、悪意を持たずに言う。

 川井は仕方ないというが、そんなことは無いのだ。僕ではなく、もっと花について詳しい人間がこの花に水をやれば、僕ではなくもっと良い人間が千秋のことを見ていたなら、枯れることは無かった。それこそ川井のような人間が行えば、もっと結果は違ったかもしれない。


「……仕方ないか」


 僕はそれ以上、何も言えなかった。ここで僕が思っていることを川井にぶつけたとしても、花が生き返るわけではない。生き返らせるには明日の夜、ここで人を殺すしかないのだ。


「川井さんは、人間もいつか枯れてしまうと思う?」

「人間は自分では枯れませんよ。でも、他人は人を枯らします」


 川井はまるで何かを思い出すように外を見ながら答える。

 その様子はまるで絵画から出てきた女神の様で、美しいさと儚さの両方を孕んだような横顔だった。


「そうかもしれないね」

 僕は枯れた笑顔を浮かべた。


「好きだったんですね。石川さんの事が」

 外から視線を戻さないまま、川井は僕の本心を当ててくる。

 ドキッと心臓が跳ねた。千秋は今、僕たちの会話を聞いている。だから正直に言うわけにはいかなかった。僕は彼女を生き返らせてから気持ちを伝えたかった。


「僕は別にそんなんじゃないよ」

 川井は不思議そうに僕の顔を見つめていた。

「あら、そうなのですか?」

 僕はこくりと頷く。

 

 川井は思い出したように

「じゃあ、今日も勉強教えてくださいよ」

 と言って、教材を取り出した。


 僕は坂本の事を思い出した。


「わかった。でも、僕が勉強を教えるのは今日で最後にしよう」

 僕はそう提案した。川井はまた不思議そうに僕の顔を見つめた。そして、一呼吸置いてから合点がいったように

「もしかして、坂本君ですか?」

 と申し訳なさそうに聞いてきた。


 僕が頷くと、彼女は血相を変えて謝ってきた。

「申し訳ありません。私のせいで巻き込んでしまって」

「いやいや、川井さんが謝るようなことじゃないでしょ。悪いのは坂本だし」

「いえ、対応しなかった私のミスです。本当に申し訳ありません」

 川井さんは椅子から立ち上がって、深々と僕に頭を下げている。


「私は後藤君に勉強を教えてもらえなくなるのは困ります。なので、後藤君が嫌でなければ、坂本君にきちんとお話をしようと思うのですが、よろしいでしょうか?」


 川井は頭を上げない。僕はどうすればいいだろうか。川井と仲良くしたくないわけではない。しかし、川井が坂本と話をして、僕への態度がよりひどくなる可能性もある。


「必ず坂本君の態度は改善させてみせます。ですから、どうぞよろしくお願いします」

「……そこまで言うなら」


 僕は断り切れずに、川井との勉強を継続することに決めた。


「ありがとうございます」


 川井は顔を上げて笑った。

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