第20話 二人の絆
アパートに帰った私は、できるだけフォーマルな服に着替えて家を出た。
バスに揺られながら、胸の高鳴りが止まらない。
ホテルのロビーで待っていると、河内さんが現れた。
「ちゃんと来たな」
私は小さく頷いた。
気まずい沈黙の中、私は彼の後を追って客室に向かった。
ドアが静かに閉まると、外の世界から完全に遮断されたような気がした。
河内さんはソファに座り、隣を指した。
「ここに座れ」
私は少し距離を置いて腰を下ろす。
河内さんはウイスキーのボトルとグラスを持ってきて、テーブルの上に置いた。
久しぶりに感じる、あの日々。
私はグラスにお酒を注いで差し出した。
河内さんはそれを一気に飲み干す。
そして静かに口を開いた。
「なぜあの日、消えた」
来ると思っていた質問。
ちゃんと言わないといけない。
「……限界だったんです」
河内さんの表情が変わった。
「限界?」
「頑張ろうとしていました。でも、もうこれ以上は無理だって……あの日気づいてしまったんです」
あんなに大切に想ってくれていたのに。
この人と一緒に歩む未来を切り拓こうとしたのに。
「自分が幸せなのかも、河内さんが私といて幸せになれるのかも、もうわからなくなってしまって……」
しばらく重い沈黙が続いた。
河内さんの手が、私の髪に触れた。
優しい手つきで。
「いなくなったのに、毎月毎月金を振り込んできて……それが俺の唯一の支えだった。振り込みが来るたび、お前が無事でいることがわかって安心した。でも返済が終わるのが怖かった。繋がりが完全になくなってしまうから」
河内さんは立ち上がって窓の外を見た。
「この三年間、俺はずっとお前の気持ちを考えようとしていた。部屋に残されたお前のドレスや着物を見るたび、あの時のお前の表情を思い出した」
胸が詰まった。
河内さんの横顔が、あの時より遠く感じる。
その時、河内さんが私の方を見た。
「あまり変わってなくて安心した」
その優しい表情を見ると、胸が苦しくなった。
「ごめんなさい……」
「茶道も続けてるんだな。俺への未練か?」
図星だった。
「俺が今日までどんな思いをしていたか、わかるか?」
河内さんの声が震える。
「お前のことを恨んだよ。信じていたのに、突然いなくなって。でも……やっとわかった。俺がお前を追い詰めていたんだ。お前が限界だったって言葉を聞いて、やっと気づいた」
河内さんの目に、深い後悔の色が浮かんだ。
「俺は自分の気持ちばかり押し付けて、お前の心の状態を見ていなかった」
私の頬が、そっと包み込まれた。
「もう追い詰めない。今度は、お前の気持ちを一番に考える」
河内さんの優しさに、涙が溢れそうになった。
「でも……河内さんは私のこと、許してないですよね」
河内さんは、会えなかった時間を埋めるかのように私を優しく抱きしめた。
「お前を愛してるなら、お前が幸せでいることが一番大事だろ」
許してもらおうとは思っていない。
ただ、私はこの人の手をもう二度と離したくないと、強く思った。
「今日はここに泊まれ」
「え……と」
「大丈夫だ。何もしない」
三年ぶりだからか、とても緊張する。
でも、私も今夜は一緒にいたかった。
「はい」
私は、この人と再会できた喜びに浸りながら眠った。
◇
目を開けると、窓の向こうは白かった。
カーテンの隙間から差す光が、薄く部屋を照らしている。
河内さんはもう起きていて、スーツの上着を片手に、窓際で雪を見ていた。
私は立ち上がって、河内さんの横に立った。
「……本当は、今すぐにでも東京に戻ってきてほしい。でも、無理にとは言えない。今度は、お前の心が決まるまで待つ」
テーブルに名刺が一枚置かれた。
裏には電話番号が手書きで添えてある。
「ありがとうございます」
自分が断った繋がりが、再び戻ったみたいで嬉しかった。
「ただ、三年待った。もう限界なんだ」
河内さんの瞳はとても弱々しかった。
おそらく誰にも見せない顔だった。
河内さんも、一人で頑張っていたんだ。
私だけじゃなかった。
「ちゃんと考えます。もう突然いなくなったりしません」
河内さんは私の手をそっと包んだ。
「待つ。だから、必ず戻ってこい。俺のところに」
頷くと、彼はようやく上着に袖を通した。
ドアの前で一度だけ振り返る。
「ごめん。苦しかったのに、気づけなかった」
扉が静かに閉まった。
残された部屋で、名刺に書いてある電話番号を携帯に登録した。
短いメッセージを送る。
『来てくれてありがとうございます。優美』
三年離れてわかった。
私たちの気持ちは変わらない。
ずっと繋がっていた。
河内さんは、置き去りにした私を探しに来てくれた。
私は今度こそちゃんと決めないといけない。
自分の未来を。
◇
「申し訳ありません。一身上の都合で、今月いっぱいで退職します」
私は上司に頭を下げた。
上司は難しい表情をしている。
「藤田さんはとてもよく頑張ってくれて、とても支えられていたから残念だよ」
「いえ……私の方がここの職場に救われていたんです」
河内さんと離れた三年間、なんとかやってこられたのも、この職場の人たちのおかげだ。
「実家に帰るの?」
「いえ……別のところに」
「次の職場は決まってるの?」
「いえ、まだです。これから探そうと思ってます」
「どこか教えてくれれば、うちの会社の別の支店が近くにあるか調べてあげるよ。そしたら辞めなくて済むからね」
優しい。
ここに就職できて本当によかった。
私は引っ越し場所を伝えた。
上司が調べたところ、運よく通勤圏内に別の支店があった。
「じゃあ、人事に言っておくよ」
「ありがとうございます!」
涙が溢れそうになった。
「じゃあ、それまでまたよろしくね」
悩んでいた就職先の問題は解決した。
ここでの最後の日を迎えるまで、恩を返そうと仕事に励んだ。
◇
仕事が終わった後、携帯を見たらすごい通知の数だった。
全部河内さんだった。
折り返し電話をかけた。
通話がつながった瞬間──
「なんで電話に出なかった」
いきなり三年前に戻ったかのようだった。
「仕事をしていたんです」
「仕事をしていてもスマホぐらい見られるだろう」
「接客中なのでできません」
「接客……?」
「はい。不動産会社の事務をやっていまして」
「そうか……」
河内さんが頭の中でもやもやしているのが、なんとなくわかる。
「……ところでいつ引っ越してくるんだ」
「異動が決まり次第、引っ越し準備をします」
「異動……また働くのか。うちの会社に戻らないのか?」
「戻りません。同じ
「……わかった」
本当は仕事中も側にいてほしいと思っているのも伝わる。
「でも、俺はそんなに長くは待てない」
私は再会した日からいろいろ考えて、河内さんの元に帰ることを決めた。
でもあの会社に戻る気はなかった。
だから、せめて一緒に暮らそうと思った。
でも、ただ一緒に住むのではなくて、私はちゃんと自分の足で立ちたかった。
なぜなら、まだ借金を返し切れていないのと、ただ甘やかされているのは性に合わないからだ。
「今度またそっちに行く」
「え、また来てくれるんですか?」
じゃあその時は──
私は河内さんをあの場所に連れて行こうと決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます