母とわたし、あの吹雪の夜のこと
のんぴ
病室で死の淵をさまよう母がうわごとを言っていた。
「カイロをもっていきなさい。鉛筆をもつ手がかじかむから」
それを聞く家族の中で、わたしだけが意味がわかった。母さん、あなたはあの日のことを言っている。
わたしが中学三年生のとき、母の願いは、わたしが地元の女子高に進学することだった。そこに行くといいお嫁さんになれると言われる伝統校。
けれどわたしは県外の私立に行きたかった。バレーボールの強豪。
家のなかがとてもぎすぎすした時期だったよね。
あなたは、わたしの夢に協力しようとしてくれた家庭教師を罵って辞めさせた。とてもやさしい人だったのに。
強豪校に入部するためのセレクションは、あなたが学校に直接電話をして断ってしまった。
それでもわたしはあきらめなかった。その強豪校の進学コースを受験して、特例として入部させてもらう可能性に賭けた。わたしは中学のとき有望な選手だったから、認められる可能性はあった。
勉強との両立を条件に認めてもらったけれども、あなたは落ちればいいと思っているに違いなかった。
受験の日、そんな人と二人で学校のある町まで電車で向かうことはとても苦痛だった。
向かいの席であなたがわたしを見つめる目はどこまでも冷たかった。
悪いことにその日は数十年に一度の大雪だった。そして県境のなにもないところで電車は立ち往生してしまった。
このままでは明日の朝まで受験会場に着くことはできない。スマホなどなかった時代。絶望的な状況。
「もうだめだ」
わたしは手で顔を覆って泣いた。
これは報いなのだろうか。分不相応な夢の結末。
泣き疲れて顔を上げると、母の姿が向かいの席になかった。どこからか雪をふくんだ冷たい風が流れ込んでくる。
電車の扉が開けられていた。遠くから声が聞こえた。わたしは外に飛び出した。
もの凄い吹雪にあおられながらそのときわたしが見たものは、道路に飛び出して髪を振り乱し叫ぶ母の姿だった。
「お願い、娘を乗せてください。受験なんです」
行く車はどれも通り過ぎて行く。それでも母は叫び続けた。
聞いたことのない母の声だった。
あのとき、どうしてあなたはあのようなことをしたのか。とうとうそれを本人に聞くことはなかった。
その後、結果として、わたしを車で学校まで送ってくれる人が現れて、志望校に合格することができた。
わたしは、自分がもしバレーボールに全力を尽くしたらどれほどの選手になれるのかを確認することができた。
嫌な思い出があなたとの間にはたくさんある。
あなたにめちゃくちゃにされたものがたくさんある。
でもあなたは、わたしがあきらめることを許さなかった人。
そのことを思いながら、わたしは母を見送った。
母とわたし、あの吹雪の夜のこと のんぴ @Non-Pi
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