第三章 一番バレたくない人にバレた。それも最悪な形で。
第15話 今度、泊まりにきてもいい?
それから、消化試合みたいな夏休みを終え、あっという間に九月になった。
茹だるような夏の暑さもすっかりなりを顰め、朝晩は涼しい風が吹く。
秋になり、いよいよ受験の空気感が急速に増し始め、教室は少しだけ張り詰めたような独特の空気に包まれている。
私も、夏までは茶色かった髪を黒く染め、受験生軍団から浮いて見えないようにしっかりと擬態する。
多少のヤンチャは、やる時にはちゃんとやるからこそ許される。
その他の受験生の反感を買うのはいやだ。ただでさえ私は今のところ学年トップだから。まあ、美月にデバフがかかって弱体化しているせいだけど、クラスメイトのストレスの捌け口として、悪口の標的にはなりたくない。
私は高望みしない。無理せず、そこそこの大学に行ければ別にいい。
目的は進学することではなく、この街を離れて東京に行くことだ。
決して安くはない授業料と仕送りを貰っておきながら、恋愛に勤しむつもりの私の進学動機は些か不純ではあるけれど、今まで同様やるべきことはきちんとやるから、多少は目を瞑っていただきたい。
一年が過ぎてゆくのはあっという間。早いもので、卒業までもう折り返し地点だ。私は残りの高校生活も、美月の「親友」を演じ、卒業まで貫き通すつもりでいる。
友達ですらなかった頃は、喜びもなければ悲しみもなかった。それに比べたら、今は美月の一挙手一投足に毎日振り回されて、ジェットコースターに乗ってるみたいに感情が上下していて、落ち着かない。
あのまま美月をただ遠くで見つめているだけの変わり映えのない日々を過ごしていれば、こんなにも身を焦がすほど美月への想いが膨らんだりはしなかったのかもしれないが、私にとってどちらが幸せだったのかは、まだわからない。
そんなこと、今更考えたところで……結果論でしかないし。
昼休み。私の前の席に座った真希が、黒く染めた私の長い髪に手を伸ばして指先にくるくると器用に巻きつけながら、不満気に唇を尖らせた。
「なーんか、まだ奈々の黒髪慣れないな〜」
慣れないと言われましても。元々髪が黒い純日本人に、黒髪が似合わない人なんているんだろうか。
「真希もそろそろ黒く染めたら?」
「え、染めたよ暗く」
「その色はまだ明るいでしょー……」
胸の下ぐらいの長さの真希の髪はまだまだインナーカラーの色味が全然抜けていない。
どこからどう見ても受験生には見えない出で立ちだ。
「あ、奈々、ピアスも外してる。一気に受験生に染まっちゃってさァ、せっかくあけた穴埋まっちゃっても知らないよー?」
真希が身を乗り出してきて、私の耳たぶを引っ張る。片方四つずつ開いてるこのピアスホールは全て真希があけてくれたものだ。だから真希はたまにこうして耳の状態を確認してくる。
「大丈夫、土日は全部の穴にピアス入れてる。もし埋まったらまたあけるからいいの」
奇抜でド派手な女子高生ファッションを楽しんでいる真希だけど、実は私服姿もなかなかにオシャレで、雑誌から飛び出してきたみたいに輝いている。
ま、真希は私のタイプではないんだけどさ。
私は美月みたいな清楚でかわいいタイプが好きだから。なんちゃって。
真希が手鏡を手にまつ毛にマスカラを絡ませながら、ため息をつく。
大きく開いた瞼から、今にも眼球がこぼれ落ちそうだ。
「……最近、教室が辛気臭くて嫌すぎる。勉強なんていつだってできるじゃん。最後の高校生活満喫しなくてどうすんの?」
「真希はいくら時間があっても勉強なんてしないくせによく言うよ。ねえ大丈夫? 卒業できる? 私が勉強教えてあげようか?」
「いーよ、奈々に勉強教えてもらうくらいなら、加瀬さんに頼んで教えてもらいますぅ」
学年上位と万年赤点最下位がつるんでるなんておかしいと先生にはよくからかいながら言われるが、私は真希の、こういう明るいところが好きだ。
そう、高校生活は短い。
あっという間に青春は過ぎ去っていくのだから、全力で楽しんで「女子高生」しないのは損なのだ。
***
夏休みが明けてから初めて美月の家に行くと、たすくがゆっくりではあるがハイハイするようになっていて驚いた。
「えぇ? たすく、もうこんなに動くの?」
「そうなの。もう全然目離せなくてさ、すごく大変」
ガックリと肩を落とす美月の肩を思わず撫でて慰める。
てちてちと短い手足で縦横無尽に駆け巡り、キャッキャと笑いながらおもちゃで遊ぶたすくは、会うたびにすくすくと大きくなっていく。
「身体が大きくなるにつれて、喉も強く逞しくなってきて、泣き声のボリュームもすごく大きくなってきたから、夜泣きで隣の部屋からクレームが来ないか心配で……」
「そんなにひどいの?」
「うん。夜中に起きたと思ったら、一時間ぐらい泣きっぱなしだよ。夏休みの間はお昼に眠れたからいいけど、今は学校があるからすごく大変。本当、地獄だよ」
「そっか……。たすく、だめだよ、ちゃんとお姉ちゃんを寝かせてあげないと。大事な時期なんだからね」
わかってるんだかいないんだか、たすくは私を見てにっこりと笑う。
たすくが動くようになったからなのか、今までベビーベッドだけ置かれていた部屋の様子が、よりいっそう子育て仕様に様変わりした。
ブラウンとクリーム色のジョイントマットを交互に敷き詰めた床は、もちもちとしていて歩くと不思議な感触がする。
「……日に日にたすくのハイハイが速くなっていってる気がする。目を離した隙にいろんなところに行ってるから怖くて。この間なんて、スリッパ食べてたんだよ……!」
なるほど、だから今まで美月の家にあったはずのスリッパが忽然と消えたのか。
赤ちゃんってなんでも口に入れちゃうって言うし、ころころ寝返りを打っていただけの頃よりも動き回る今の方がずっと神経を使うに違いない。
夏休み中は比較的元気だった美月も、学校が始まればまた夏休み前の状態に逆戻りして、少しは戻ったはずの体重も、また減ったようだった。
母親が仕事でいない日の夕飯は作り置きをしてもらっているものを温め直して食べることになっているらしいが、食事を忘れて寝てしまうこともあると言っていた。
え、食事を忘れることなんてある?
と、育児をしたことがない私は最初、にわかには信じがたかったが、よく考えてみれば一人でたすくのめんどうを見ながらではゆっくり食事なんて摂れるわけがないし、自分のことを疎かにしてしまうのも当然のことなのかもしれない。
「……夜も手伝ってあげられたらいいのにな」
たすくと音が出るリモコンのおもちゃで遊びながらぽつりと言うと、美月が驚いたような顔をして私を見た。
「えー、やめといた方がいいよ。たすくの夜泣き本当にすごいんだから。抱っこしても全然泣き止まないんだよ」
「そんなに?」
「天使と悪魔が同居してるの、この小さい身体のなかに」
私には天使にしか見えないけれど。でもそこまで言うならむしろ見てみたい。泣き魔王の本気ってやつを。
「……ねえ美月」
「なーに?」
「今度、泊まりにきてもいい?」
「えっ、本気……? 私はうれしいけど、いいの? うるさくて眠れないかもよ」
「大丈夫。土日に来れば、万が一徹夜になっても平気だし」
この時は、少しでも美月の力になれればと、本当に軽い気持ちで提案したんだけど、後になって気が付いた。
美月の家に泊まると言うことはつまり――たすくが寝静まった後も、夜通し美月と同じ部屋で過ごすことになるのだという、当たり前のことを。
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