大嘘つきと恋心

田村 計

第1話

「坂本さん。坂本ノリカさん。どうして、提出物を出さなかった?」

 眼鏡越しに、市川先生が私を見すえた。

「はあ、ええと」

 夕方の職員室は、気が滅入る。

 夏休みの課題をやらなかったのが悪いのだけれど、呼び出されてもできないものはできない。去年の担任みたいに、自分の事なんてほったらかしてくれればいいのに、今年配属されたばかりのこの若い担任は、変にしつこくてやり辛い。

「いろいろ忙しくて。家の手伝いとか、弟の世話とか」

「弟なんていないよね。お姉さんだけでしょ、それも、今は一緒に住んでない」

 しまった。家族構成は把握済みだったか。

この軟弱国語野郎、心の中で毒づいて、市川先生から目をそらす。そらした先は隣のクラスの担任で、チラチラと嫌な目つきでこちらを盗み見ていた。

 また嘘ついてるな、と言いたげな視線。

「毎日暑くって、体調が悪かったし。エアコン壊れてて」

「それ、ずっと? 元気な日はなかったのかな」

「ちょっとはあったけど、ほら、家族旅行とか、バカンスとかあって。沖縄行ったんです」

 ため息とともに、市川先生が眉をひそめる。どうせ今のも嘘だとばれているだろう。そうです全部でまかせです。家族旅行なんて、一度も行ったことありません。

 あきれ顔の担任は、なんと言って叱るだろうか。やり過ごす方法を、頭の中で巡らせる。

 ばさり。市川先生が、机の上に原稿用紙を広げた。

「あ、反省文? また五枚?」

 それなら、前回書いた奴を適当に直して乗り切るんだけど。

 そう思っていると、市川先生はゆっくり首を振った。

「いや。坂本さんには、物語を書いてもらおうと思う」

「は? モノガタリって何? 昔々あるところに、みたいなの?」

「それもひとつだね。小説、映画、漫画のシナリオ、そういうものを一から創作して来てほしい。それで、課題はチャラにする」

「何それ。その冗談、意味わかんないんだけど」

 びっくりして口が半開きになる。チラ見していた隣のクラスの担任も、予想外だったのか目を丸くして私と市川先生を交互に見やっている。

「冗談じゃない。たぶん、坂本には創作の才能がある」

 市川先生は真顔だった。

「物語を書いてみてごらん。創作なら、いくら嘘をついてもいい。どんな作り話でも、自分の自由にできるんだ」

 その顔が驚くほど真剣だったから、私はうっかり原稿用紙を受け取ってしまった。


 何だか意味が分からないまま、帰路に着いた。

 明るいネオンの通りを抜けて、細い路地を右へと折れる。光の隙間の真っ暗闇、そのどんづまりのアパートの扉へ、私は鍵を差し込んだ。あれ、ドアが開いている。

「ママ? 帰ってるの?」

 扉をあけて、中を覗き込む。

 安っぽい銀ラメのハイヒールが、右と左にとっ散らかっている。

「あんた、バカ、いつまでふらふらしてんの」

 バン。不機嫌な声とともに、飛んで来たのはビールの空き缶だった。くしゃくしゃのパーマに赤紫のロングワンピース。時代遅れだし、もうその年じゃ似合わないのに、ママはこの服ばかり好んで着ている。

「ごめんなさい。ただいま」

「さっさと飯の支度して。またすぐ出てかなきゃならないんだから」

 制服のまま台所に向かい、冷蔵庫を開ける。卵とクズみたいなバラ肉を、急いで炒めてテーブルに出す。片手でスマホをいじりながら、ママは晩御飯を貪る。用が済めばこちらを見ることもない。いつもの事だった。

「家の事もできないなら、学校なんて行くのやめな」

「ごめん、ちゃんとするから」

 学校は嫌いだった。みんな嘘つきと陰口をたたくし、勉強だって宿題だってしたくない。

それでも、ここよりは少しマシだ。

 スマホのベルが鳴る。私には見せない甘ったるい笑顔で、ママが電話を受ける。猫なで声で相槌を打つと、炒め物を犬みたいにかきこんでゆく。猫だか犬だか分かりゃしない。

 出かけようとするママの背中に、声をかけた。

「お金。冷蔵庫、もう空っぽなんだけど」

「はあ?」

 振り返ってにらみつけると、ママは千円札を私に投げつけた。くしゃくしゃのそれを拾って顔を上げれば、もうどこにも姿がなかった。

今度は、いつ帰ってくるんだろう。

 誰もいない部屋には、食べ散らかした皿だけ。そんなものしか、ここにはなかった。

 薄暗い部屋にひとり残り、私は原稿用紙を取り出した。

 どんな嘘でも、書いていい。市川先生はそう言った。

 だったら、思いっきり書いてやろう。幸せな家族と、おいしい食事と、行けるわけがない沖縄旅行。でたらめな作り事でも、物語なら許される。大嘘つきなら大嘘つきらしく、ありもしない話をつづってやろうじゃないか。

 それくらい、したっていいだろう。本当の私には、この何もない部屋しかないのだから。

 逃げ場を求めるように、私は初めて書く物語に没頭した。


「面白いね、いいじゃないか」

 それから私は、物語を書いては市川先生に見せるようになった。

「どこから宇宙妖精なんて思いついたの」

「ええと、それは」

 でたらめの沖縄旅行の話に始まって、恋愛もの、はてはファンタジーや宇宙ものまで、思いつくままに物語を綴っては、市川先生のもとに持ってゆく。他にしたいこともなかったから、次から次に話をひねり出した。いくら嘘を盛っても叱られない世界があるなんて、それまで思ってもみなかった。自分で書くようになると、他人の物語も気になるもので、図書館で小説を借りて研究するようにすらなった。上手く書けると誇らしいし、何より市川先生が褒めてくれるのが、嬉しかったからだ。

「妖精は、恋をしてるんだね」

「うん、まあ、そんな感じ。変かな」

「いや、可愛らしくていいと思う」

 可愛らしい、とか。顔に火が付きそうなところを、無理やり押しとどめる。

「せっかくだから、枚数を増やして何かに応募してみるのもいいね」

「応募? 私が?」

「うん。言ったろう、坂本さんには才能があるって」

 市川先生が、そう言って笑ってくれる。

「そうかな。だったら、頑張ってみようかな」

 優しい笑顔。眼鏡の奥のその笑顔を独占したいから、私はたくさんの嘘を生み出した。自宅は相変わらず空っぽで何にもないままだけど、熱中する事があるせいか、それもだんだん気にならなくなっていた。今の私には、帰って来ないママより、真っ白い原稿用紙の上で妖精をどう動かすかの方が重要だった。

 添削してもらった物語を両手でしっかり抱え、教室に戻る。クラスメイトのひとりが顔をあげて笑いかけた。尾上さん、ショートカットのこの図書委員とは、図書室に行くようになって距離が近くなった。

「坂本さん、先週要望出してもらってた小説だけど」

「うん、入荷しそう?」

「来月には入るじゃないかって、図書の先生が。あ、その手のやつ、新作?」

「そう。今、市川先生に見せてきたんだ。尾上さんも読んでくれる?」

 原稿用紙を机に広げる。クラスメイトは嬉しそうにそれを手に取ってくれる。私の書いたでたらめを、好きだと認めてくれる人がいる。

取り繕うだけだった私の嘘は、私の世界を変える力になっていた。

「ねえ、この、妖精の好きな人間、市川先生に似てない? 口調とか」

 尾上さんの鋭い指摘に息を飲む。そういえば少し似てしまったかもしれない。市川先生本人に気づかれなかったのは幸いだった。先生を好きだなんて、そう簡単に、気づかれるわけにはいかない。

そう自分に言い聞かせ、素知らぬ顔で笑顔を作る。

「眼鏡だけじゃない? 話し方は、ちょっと似ちゃったかもしれないけど」

「似てると思うけどなあ。それに、主人公の妖精は、坂本さんに似てる気がする」

「そんな事ないよ。だって妖精だし、私羽根とか生えてないし。それより、物語の続きなんだけど、聞いてくれる?」

 話を向けると、尾上さんが身を乗り出してくる。まだ見ぬ物語に目を輝かせるクラスメイトを見返しながら、私はほっと胸をなでおろす。

 恋心くらい隠し通してみせるとも。私は大嘘つきなのだから。

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