16話 思惑

二人の男が、廊下を歩いていた。

陽向ホテル十一階。

十一階は、選手、選手関係者の部屋である。

サングラスをかけたオールバック茶髪の、黒スーツ。

目が吊り上がり、瞳と髪色が黒髪、短髪の同じく黒スーツ。

サングラスの男が、胸ポケットから、煙草を取り出した。

白い箱に、Eightonエイトンと書かれている。

その箱から、一本煙草を出し、口にくわえた。

「矢弓、一本くれ」

黒髪の男が、サングラスの男に言った。

左掌を上に向けて、差し出している。

廊下を歩いているのは、矢弓歩ヤユミアユム白名桂太シロナケイタである。

「佐々木は、どうなるのかね」

「順当にいけば、直属隊から抜けるだろうな」

は厳しめだからなぁ」

藤木辰正直属隊、通称 蛇。

十人程度しかいない少数精鋭の部隊である。

「そういえば、他の奴らも来たんだろ?うちの傘下組の」

桂太が言う。

「あぁ。たぶん全部の組が来てる」

「なんでそんなに?」

「…まぁ、龍だろうな」

歩が、煙草に火をつけた。

「何がいるんだ?」

「黒薔薇組、霊野正和直属の棘。時牧組、時牧礼樹直属の針。野呂組、野呂善助ヤロゼンスケ直属の槍がいるはずだ」

「よくもまぁ、ここまでやれるな」

「だが、わざわざ追加人員を入れる理由がわからん」

「それも、龍のためだろう」


陽向ホテル十二階

白いベッドに、龍一が横になっている。

隣のベッドには、総一郎と聖一が横になっている。

龍一のベッドの下には、凛太が落ちていた。

龍一が寝息を立ててると、扉がノックされた。

最初は軽めだったが、拳でたたいているような音へと変わっていく。

そこでようやく、龍一が目を覚ました。

「…?」

龍一がベッドから起き上がり、パジャマを着たまま靴を履いて、扉を開けた。

そこには、桃色のもふもふとしたパジャマを着た、桜 髙美がいた。

「もうすぐ、夜明けです」

少し、汗をかいている。

「もうですか…」

目を擦りながら、龍一が応える。

数秒、龍一が髙美を見た。

「何でパジャマなんですか?」

「えっと、実は、寝坊していまして…」

髙美がぎこちなく笑う。

「へぇ、可愛いじゃん」

龍一の後ろから声が聞こえてきた。

凛太だ。

「寝坊っつても、まだ六時前だけど」

凛太が腕を組んで笑う。

「では、私は次の所に行かせてもらいます」

急ぐように、髙美が立ち去ろうとした。

その髙美の左腕を、龍一がつかんだ。

「えっ」

髙美が困惑したような姿を見せる。

「寝坊ってのは、嘘ですよね」

龍一が言って、髙美と凛太が驚く。

「どういうことだ?」

「…実は昨日の夜、私が温泉を上がった後、部屋に帰ろうとしたら、話しかけられたんです」

「誰に?」

「二回戦進出者の、空選手です」

「空…」

龍一が、考えながら、髙美の腕を離した。

「空選手に、龍一選手の部屋場所を聞かれたんです」

「部屋場所?」

「はい。ですが、原則で、お互いの同意がない場合、教えられないことを教えると、空選手が、探す、と言って立ち去ろうとしたんです」

龍一が、部屋の聖一に目を向けた。

龍一は、聖一が言ったことを思い出した。

トーナメント構成時、睨んできたと。

仮面で顔は見えなかっただろうが、それでもわかるほどだったのだろう。

「それで私が、探しに行こうとしたのを止めようとすると、空選手の腕が動いて、私は廊下で気絶していたんです」

龍一は、凛太に目を向けた。

「お前、空になんかしたのか?」

「…覚えがない」

龍一が顎に、右手を当てた。

「髙美」

廊下の左側から、声が聞こえてきた。

楼 王宣だ。

「遅れてるぞ。どうした」

「すいません…」

「俺はどうしたのか聞いたが、客様の前ということで、説教はあとだ。全選手起こしておいたからな」

そう言って、王宣は立ち去った。

「私達同い年なのに…」

髙美がむくれている。

「さぁ、行きましょう」

気を取り直し、髙美が龍一に言った。

「先に着替えた方がいいと思いますよ」


龍一たちは、陽向ホテルを出て、絶神プロレス本部に戻っていた。

龍一の試合は、二試合目。

控室でアップやストレッチをしながら、テレビを見ていた。

もちろん、映っているのは試合場。

「須磨陸田、身長百九十五センチ、体重百六十キロ。時牧戦録、十四勝無敗」

陸田が下を向き、脱力している。

「ムード・スロック、身長百八十九センチ、体重百十二キロ。時牧戦録、十二勝無敗」

対してムードは顔を上げ、笑っていた。

「Hey,Muscleman.Conditionが悪いのかい?」

「減らず口は、叩き潰すに限る」

二人を心配そうに見つめ、夢坂が咳払いをした。

「審判は私、正 夢坂が務めます」

夢坂は、二人の間に手を出した。

「それでは、始めぇ!」

夢坂が手を振り上げた。

二回戦が始まった。

まず、ムードが仕掛けた。

体制を低くした、タックル。

組むか、倒すか。

どちらもできそうなスピードだ。

ムードが狙うのは、組み。

陸田が倒されないよう、体勢を下げ踏ん張ったところに、肩を壊しに行く。

その予定だった。

だが、予定は崩れる。

陸田が体を動かさなかったのだ。

このままでは、体勢が崩れ、陸田は後頭部を床に打ち付けることになるだろう。

なのに、動かない。

ムードは考えた。

この状態では、組むに組めない。

なら倒す。

全力で突進した。

鉄の棒さえ歪む、ムードの渾身のタックル。

陸田は、依然動かなかった。

例え、突進が当たっても。

陸田の足は、一歩も揺るがなかった。

直立状態の足腰で、ムードの突進を耐えきったのだ。

ムードの全身に、汗がにじむ。

陸田が右手で、ムードの左腕を掴んだ。

上腕部分である。

ムードの焦りが進行する。

「シュッ」

息を吐き、陸田が右手に力を込めた。

その瞬間、陸田の体からムードの両腕が離れた。

そして、ムードの体が、宙に浮く。

両足が上を向くと、ムードの体が急降下し、地面に叩き落された。

落ちる寸前、ムードは体を捻り、背中から落ちれた。

だが、ダメージは絶大。

ムードの呼吸が浅くなった。

そのムードに、陸田が足を振り下ろしてきた。

ムードは左手を、顔の右につき、回転して起き上がった。

そして、飛んで逃げた。

陸田は目で追い、ムードに走っていった。

だが、迂闊だった。

直進で走ってくる陸田の首の右側に、左ハイを放った。

ムードの左足の甲は、首と僧帽筋を打ち、陸田を蹴り飛ばした。

ムードが追い打ちをかけようと、今度こそ体制を低くする。

ダンッと、地響きのようなものが鳴った。

陸田だ。

陸田が左足で、床に踏み込んだ音である。

ムードの渾身の左ハイを受けて、陸田は倒れなかった。

倒れないどころか、体勢を崩す程度で、踏み込みが弱まってもいなかった。

ムードの体は、それを認識してから、自然と体制を高くしていた。

そんなムードを、陸田が赤くにらんだ。

そして、左足をムードに向けて踏み込み、右拳に精一杯の力を込め、前に勢い良く突き出した。

右拳は、ムードの顔面に直撃。

その瞬間、ムードが吹き飛んだ。

陸田は、振りかぶった勢いで右手が地面につきそうになるが、右足を前に出して踏みとどまった。

ムードの背は、リングロープによって止められた。

頭が、だらりと垂れる。

意識はあった。

倒れてはいない。

しかし、ダメージが大きすぎる。

すると、目の前が赤く滲んだ。

どうやら、殴られたときに額が切れ、目に血がかぶってしまったらしい。

だが、それを拭おうとはしなかった。

動けなかった。

両手がロープにかかっており、持ち上げるのさえキツそうだった。

陸田が、ムードに一歩ずつ近づいている。

ムードは朦朧とした意識の中で、陸田を認識はした。

ただ、抵抗ができない。

そんなムードを、リング下で間近に見てる男がいた。

ハリッドだ。

何かを発するわけではなく、ムードの背中を、ロープ越しに見上げている。

めらめらと、ムードの背中に焼き付いてきた。

ムードも、後ろにハリッドがいることに気づいたようだった。

ムードが、大きく息を吐いた。

陸田はいつの間にか、ムードの目の前に迫っていた。

右腕を、ゆっくりと持ち上げる。

歯を食いしばり、右手を振り下ろした。

瞬間、ムードの体が動いた。

陸田の腰に、両手を組み合わせる。

意表を突かれたのか、陸田の体が、ようやく倒れた。

ムードはマウント状態だが、なるべく、自分の胴と陸田の胴を近づけている。

離した瞬間、陸田に攻撃されるからだ。

だが、近ければ、相手は思うような攻撃ができない。

そして、ムードは右拳を、陸田の左肋に打ち込んだ。

「かっ」

一瞬、陸田の体から息が漏れ出す。

しかしその瞬間、空気を一気に肺に取り込み、呼吸を止めた。

陸田が、右肘を持ち上げる。

ムードの左肩甲骨に、打ち下ろした。

「ッ…!」

ムードは声を漏らしそうになるが、歯を強く噛み締め、声を抑えた。

そのまま、汗を顎から垂らしながら、陸田の左腕に、右腕を組んだ。

自分の脇に、相手の上腕を入れるような組み方である。

自分の体を左に倒し、陸田の左腕を引き込んだ。

ミキッと、骨の軋むような音が、ムード右腕の骨から伝わってきた。

ムードの口が緩み、歯を見せた。

所詮、まともに食らったのは一撃。

時間が立てば、こちらが優勢になる。

ムードはそう考え、陸田の腕を引き続けた。

「ハァッ」

陸田が息を吐いた。

先ほど止めた分だ。

その音が、ムードの耳に入った時、陸田は地面に向かって、右肘を打ち下ろしていた。

ガンッと聞こえた次の瞬間、陸田の体が左に回転し、ムードとの立場が入れ替わった。

陸田が上、ムードが下である。

ムードは、今何が起きたのか、理解できていないようだ。

それを見て、陸田は左腕を振り上げた。

拳は、縦拳である。

ここから予測できる攻撃は、ただ一つ。

鉄槌。

落ちた。

顔面だ。

顔面への二発目。

とてつもなく響く。

視界がゆがむ。

次も鉄槌なのかさえ、見えないレベルだ。

ただ、ムードの本能が直感する。

両腕を、顔の前で固めた。

落ちてきた。

両前腕に。

やっぱり鉄槌だ。

何発も、何発も打ち下ろしてくる。

両前腕に、段々と響いてくる。

陸田が、左腕を振り上げた。

その瞬間、ムードの右拳が、陸田の顔を打った。

陸田の力が緩み、ムードが下から抜け出した。

息が上がっている。

極度の緊張状態によるものだ。

ムードが、息をのむ。

陸田が、腰を上げた膝立ちの状態で、ムードを睨んでいた。

ゆっくり、立ち上がる。

うつむいた状態で息を吐き、力を込め、全身の筋肉を絞めた。

ムードが警戒し、右足を一歩下げた。

それと同時に、陸田が一歩進む。

ムードが下がると、陸田が進んでいった。

いつしか、下がる場所がなくなってくる。

ムードが一瞬後ろを確認し、陸田に目を向けた。

もう下がることはできない。

進む以外の選択肢を、見つけられなかった。

だが陸田は、ムードに、戻るとも進むとも違う選択肢を与えた。

陸田が右肩を前に出し、ムードに向かって突進してきたのだ。

ムードは咄嗟に両腕を前に突き出す。

その両腕が陸田の体に触れると、両腕が一気に曲がった。

ロープと陸田に、体を挟まれる。

肋が音を立て、ムードが血を吐いた。

痛みと衝撃で、前に倒れていく。

陸田は、落ちていくムードの顎に向かって、右アッパーを打った。

ムードの体が、逆に曲がる。

そして、ムードの頭を鷲掴みにし、後ろにぶん投げた。

ムードが、背中から床に落ちる。

陸田が近づいていき、止めを刺そうとした。

その時、ムードが右足で陸田の右足をからめとり、陸田の体を後ろに向けて倒した。

マウントポジションを再び手に入れたムードは、陸田のように、鉄槌を振り下ろした。

陸田は最初の数発を顔面に受け、途中から両腕で守り始めた。

ムードは、たとえ呼吸が切れようと、体力が底をつきようと、決して鉄槌を止めない覚悟でいた。

だが、ムードの鉄槌が、振り下ろす途中で止まってしまった。

嫌な気配を感じ取り、咄嗟に止めてしまったのだ。

ムードの嫌な気配、それは、陸田の両腕の隙間から感じ取れた。

燃えつくような、ギラギラとしたもの。

陸田は何をしようとしてるのか。

一瞬、ムードの脳裏に、そのようなことがよぎったが、すぐに考えをなくした。

何をしようとも、鉄槌を打ち続けられば、いずれ倒せるだろう。

例え、先ほどの自分のように、下から殴ろうとしていても、右手で止められる自信がある。

今すべきことは、鉄槌を浴びせ続けながら、相手の行動を制すこと。

そして、振り下ろす途中だった左拳を、もう一度振り上げ、落とした。

左拳が、陸田の腕を叩いた。

すると、ムードの体が前に倒れた。

左手が、陸田の両腕の間に、挟まれていたのだ。

その状態で引っ張られ、体勢を崩している。

ムードは右手で、陸田のこめかみを叩こうとした。

右手が陸田の頭に触れるか否かのとき、その瞬間。

ムードの体が跳ね上がった。

浮き上がったムードの腹に、陸田の左肘が刺さる。


16話 思惑 終

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龍道 栄光の平橋 @eikounohirahasi

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