心読み 〜感情のアンテナ〜

天笠唐衣

第1話 プロローグ

 台風一過の夕暮れ。墨をこぼしたような滲んだ灰色の空に、電波塔の紅白だけが鮮やかに浮かび上がっていた。

 僕は、高校以来の友人、友哉と久しぶりに顔を合わせていた。

 

「よう、久しぶり」

「元気にしてたか?」

 

 建設会社に勤める友哉は、地元のショッピングモール開発のため、東京から戻ってきているのだという。

 挨拶もそこそこに、駅前で評判の焼き鳥屋へと足を運んだ。

 

「昇進したんだって?」

「まあ……ね。でも、大したことないさ」

「謙遜すんなよ。おめでとう」

 

 グラスを打ち合わせ、二人は乾杯した。

 けれど、昇進の話をしているのに、どこか引っかかるものがあった。

 彼の表情が、到底晴れやかに見えなかったからだろうか?

 それとも――?


「バスケも続けられそうなの?」

 僕が切り出した。

 友哉は、中学の頃からずっとバスケットボールを続けており、バスケが続けられる、実業団チームを主催している企業に就職していた。

 「……時間的には少なくなるけど、まだチームには所属できてるよ」

 友哉は、焼き鳥を頬張りながらそう答えた。

 「なら、よかったね」

 「うん」

 友哉は口の端を脂で光らせながら微笑んだ。


 話は懐かしい昔話で盛り上がり、先ほどの違和感は、忘れてしまっていた。


 ――――友哉と会ったのは、それが最後だった。


 ◇

 

 僕には、特殊な能力がある。

 誰も信じてはくれないが、他人の「裏の感情」を感じ取れてしまうのだ。子供の頃から、ずっと。

 

 そのせいで、人との距離はいつも遠かった。

 例えば、近所のおじさん。お菓子をくれたり、色々教えてくれたり、声は優しいのに、背後からじわりと冷たい湿気が染み込んでくるような感覚を感じ、逃げるようになった。

 例えば、中学のとき。好きな子が自分に対する、侮蔑する感情を抱いていることを知ってしまい、胸が締め付けられ、その場にいられなかった。

 

 思い返せばキリがない。いい思い出など、ひとつもなかった。

 ――ただ一人、友哉を除いては。

 

 彼は真っすぐで、裏表がなく、僕も心を開ける数少ない存在だった。


 高校のカンニング事件のときも、僕を庇ってくれたのは友哉だけだった。


 学期末の数学の試験中、僕は消しゴムを床に落としてしまった。

 普通なら手を挙げて先生に拾ってもらえばいいのに、慌てた僕は自分で通路に出て拾いに行ってしまった。

 そのとき、つい前の席の同級生の答案をチラッと見てしまったのだ。

 

 すぐに先生がやってきて、僕の手首をつかんだ。

 そのまま職員室へ連れて行かれる。容疑は晴れたものの、再テストなどで解放されたのは夕方だった。


 昇降口に立つ友哉の姿を見て、僕は驚いた。

 僕が戻るまで、ずっと待っていてくれたのだ。

 

 歩きながら、友哉は言った。

「気にすんな」

「……」

 僕は何も言えなかった。ただ下を向いて歩いていると、友哉は自分の失敗談をいくつも話してくれ、僕を笑わせようとした。


 気づけば、気持ちが少しずつ軽くなっていた。

「今日はありがとう」

「何言ってんだ。友達だろ」

 友哉は、いつものように朗らかに笑った。 


 ――またある日のこと。部活帰り、偶然一緒に帰ることになった。

 普段は違う部活で帰りが合うことは滅多にない。


「よう、今帰りか」

 いつもバスケで遅くまで残っている友哉が声をかけてきた。

 僕は、彼の笑顔を見た瞬間、思わず弱音を吐いてしまった。

「大会で負けてさ……悔しくて、ずっと練習してたんだ」


 一方の僕はというと、人と向き合うのが苦手だったから、祖父に教わった将棋に打ち込んでいた。


「そうか。でも全国大会に出たなんてすごいよ。出場するだけですごいじゃん」

「ありがとう」

 僕は少し照れくさく笑った。


「……」

 沈黙が訪れる。勇気を振り絞って、口を開いた。


「僕、普通の人とちょっと違うんだ」

「え、どういうこと?」


 僕は、自分の能力と、これまでの出来事をかいつまんで打ち明けた。

 友哉はしばらく黙り込んでいたが、やがて明るい声で言った。

「俺の前の聡は、変わらないだろ。

 出会った頃から聡は聡だよ」

「それに、普通じゃないのはむしろ俺の方だと思う」

 急に真顔になって、友哉は話し始めた。


「入学した時、俺って強面で、しかもこのナリだから、誰も話しかけてくれなかったんだ」

 そうだ。友哉は身長が百九十センチを超える大男で、みんな怖がっていた。

 けれど僕は、人の「裏の顔」をどうしても探してしまう性分で、友哉にはそれがまったく見えなかったから、素直に話しかけることができた。


「僕には、みんなが話しかけない理由が、全くわからなかったけどな」

 僕は、友哉ににっこり笑いかけた。

 友哉も、照れたように微笑み返した。

 お互い部活もあって、なかなか話す機会は多くなかったが、よく気の合う友人だった。

 

 ――――友哉があんなことになろうとは、この時は全く考えもしなかった。

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