Who Are You?

田村 計

第1話

ねえ、話があるのよ」

「ごめん、今日は勘弁してくれ。明日話を聞くから」

「今日はって、いっつもゲームじゃない。聞いてくれたことなんてない癖に」

 不満そうな妻、弘江に向かって拝み倒すと、大場敦は自室の扉を閉めた。すぐにパソコンの電源を入れる。すぐに起動音がして、個人用にしては大きめのディスプレイに画面が映し出される。

 慣れた手さばきでキーボードを叩くと、クラシック調の音楽とともにドット絵のゲームのログイン画面が表示された。『キック19』そう記載されたアカウントをクリックし、すばやくオンラインゲームにログインする。

 それは、いた。

「誰だ、こいつ」

 じっと画面を見つめ、敦は警察署で口にしたその言葉を繰り返す。

 目の前に広がるのはゲームのフィールドだ。少し広めに作られたお城の中のような場所で、目立つ正面に狼の図柄の旗が掲げられている。いわゆるギルド、簡単に言えば敦が所属するゲーム内のチームの目印だ。剣を手にした黒髪の鎧姿が、敦の使用しているキャラクターだった。

 と、スマホが鳴る。グループ通話をスピーカーにして、電話を受ける。

「さっきぶりです。いますねえ、ハル38」

 若い男のぎこちない声がした。

「そうですね、ログインしてますね」

 返す敦も言葉が硬い。電話の向こうのこの男が、今自分の右側で竪琴を奏でている吟遊詩人だと知ったのは、ほんの数時間前。

「でも、ハルさんではないんですよね」

 続けて入るのは不安そうな女性の声だ。左側で鉄の斧を振っている屈強なキャラクターがこの女性と知ったのも、そうして、自分たち3人の前で軽快なステップを踏んでいる踊り子、『ハル38』が誰なのかを知ったのも、ちょうど数時間前の話だった。


 薄曇りの夏の午後。

 電話で警察署に呼び出された敦は、エアコンの効きすぎた殺風景な部屋で、彼ら二人と顔を合わせた。

「ご足労をお願いしてすみません。この写真を見てもらえますか」

 挨拶する間もなく、刑事が示す写真をのぞき込む。写真の中にいたのは、初老に足を突っ込んだ、うだつの上がらないポロシャツ姿の男だった。

「誰だ、こいつ」

 口をついて声が出る。

「ご存じないですか」

「こんな人見たことないですよ、刑事さん。見覚えないし、帰っていいですか」

「まあまあ待ってください。ハル38、と言ったら分かりますか」

「は? ハルさん? この人がハルさん!?」

 叫んだのは敦だけではなかった。無言で写真を見ていた若い男も、心細そうに身を固くしていた女性も、あんぐりと口を開けて写真を見つめていた。

「ハル38さん、女性じゃなかったんですか、オレてっきり」

「てことは、もしかしてあなたもギルドのメンバーですか。僕、キック19です。大場敦って本名です」

「オレ、みーくん47です。三島って言って、大学生やってます」

「滅鬼51、です。日野佳代子です」

「滅鬼さん女性だったんですか!? 斧ぶん回してるし、てっきり男だと」

 お互いにお互いを指さし、目を丸くする。

 敦がやっているのは、老舗のオンラインゲームだ。今どきのゲームなら『ボイスチャットでやりとりしながら』だろうから、性別が分からないなんてことは少ないだろうが、ベテランばかりの古いゲームだけに、普段はチャットでの会話のみで、男か女かすらわからなかった。オフ会をやることもなかった結果、メンバーの顔も名前も一致してなどいなかった。

「それにしても、ハルさんが、男性とは」

 ハル38は、メンバーの中でも一番の古株だ。ツインテールの踊り子で、可愛らしい口調と軽快な動きで、ギルド外の者からも人気だった。敦のキャラクターとは特に仲が良かったから、カップル扱いされる事も多かった。

「ハル38、本名は大柴貫太郎さんですが、数日前胸を刺されて亡くなりました」

「数日前? そんなはずはないです」

 敦がそう言い返すと、他の二人も大きく頷く。

「大場さんの言う通りっす。だって、昨日も、ねえ滅鬼さん」

「日野、です。はい、昨日も私と三島さん、それに大場さんは」

「ハルさんとゲームの中で、会っています」

 そう、確かに、ログインしていたのだ。


 そうして今も、ハル38は目の前でステップを踏んでいる。

 と言っても、本来のハル38、大柴貫太郎はすでに亡くなっているのだ。となると、目の前で動いているこれは、彼のゲームアカウントが勝手に使われていると考えた方が妥当だ。その相手が大柴を殺したかどうかは別にして、少なくとも死人のアカウントを奪った事は間違いない。

「どうしましょう、大場さん、三島さん」

 か細い女性の声で、日野が問いかけて来る。

「話しかけてみます。いつもの感じで」

 意を決してそう返答すると、敦はグループのチャットに文字を打ち込んだ。

『おはよう、ハルさん』

『わーい、おはよ! ってもう夜だよ? こんばんわーじゃないの?』

 チャットの最後に大笑いのアイコン。いつもの調子と変わらない。入れ替わった事が分からないくらい、いつも通りだ。

 でも、そんなはずはないのだ。大柴は死んだと刑事は言ったのだから。

『ハルさん、今日は何してたの?』

『今日? んーとね、うちにいたよ。お買い物とかね、結構忙しかったんだ』

『そっか、家にいたんだ。ハルさんって学生さんだったっけ?』

 問いかけると、キャラクターがくるくる回る。ひらひらと赤いチェックのスカートが揺れて、可愛らしく花をまき散らしている。

『んーと、どうだったかな?』

『あれ? ちがった? 社会人? 忙しいってどんな事してたの?』

『お、どうしたキック? ハルちゃん様のこと気になりまくり?』

 スピーカーから三島のため息が聞こえた。

「オレ怖くなってきましたよ。この人、なんでこんなにハルさんの真似が上手いんですかね」

「それは僕も知りたいです、三島さん。まるで、ずっと見ていたみたいだ」

 もしや、自分たち以外のギルドのメンバーなのだろうか。いや、自分のアカウントを持つ者がわざわざ他人のアカウントを乗っ取る必要はない。万が一人気者のアカウントを手に入れたいという不届き者がいたとしても、こんなに上手に似せることが出来るだろうか。

『うん、気になる。ハルさんが、誰なのか』

 思い切って、敦はそう切り出した。

 ぴたりとステップが止まる。その沈黙に、緊張で汗が噴き出る。

『そっかー。そうだよね、誰なのか、気になるよねー』

 うん、うん、と頷く仕草。エミュレートするにしても、度が過ぎていた。

『ワタシね、後ろからずーっと見てたんだ。踊ってるとこ。一緒に戦ってるとこ。キックと楽しそうに話し込んでるとこ。だから、そっくりでしょ? 気づかなかったでしょ?』

 ニコニコのアイコンと投げキッス。後ろ? どこのだ? 首を傾げ、それから気づく。

『てっきり、女性だと思ってたよ。キックが本気で好きな人に違いない! って』

「まさか」

 思わず出た声が震えている。背筋がぞっと冷たくなった。

『会いたいって言ってみたら、中年男性が現れるとは思わなかったなあ』

『君は』

『でもおかしいよねー、ハル38の姿をしてるだけで、キック、敦はお話したいって言ってくれるんだもん』

身を凍らせて、敦は振り返った。

 ついさっき閉めたはずの扉。それが、ほんの少しだけ開いている。

 いつからそうだったのだろう? 自分が部屋に引きこもる度に、そのわずかな隙間が開いていたというのか。

 そっと、敦は扉を開く。

『ねえ、話があるのよ、ってあんなに言っても、聞いてくれなかったのに』

 ノートパソコンを手に抱え、妻が静かにそこに立っていた。

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