第17話「最終話」
澄み渡る秋空の下、只野はレクサスLSのボディにタオルを滑らせていた。
朝日が車体に反射し、まるで生き物のように艶めいている。
彼の動きは無駄がなく、丁寧で、どこか語りかけるようだった。
ふと、手を止めて顔を上げる。
遠くに、堂々とした富士山がそびえていた。
その瞬間——
只野の胸に、言葉にならない感覚が走った。
「…あれ?」
風が頬を撫でる。空気が澄んでいる。紅葉の匂い。
すべてが、どこかで一度経験したような気がした。
富士山の稜線。タオルの感触。
「…この景色…この空気…前にも、同じように感じたことがある気がする…」
記憶の底に、何かが揺れた。
それは夢だったのか、過去だったのか——あるいは、未来からの断片だったのか。
只野は富士山を見つめながら、静かに呟いた。
「まるで…もう一度、ここに来ることが決まっていたみたいだな…」
そこへ、佐伯がコーヒーを片手に近づいてきた。
「只野さん、納車先って三谷社長ですよね?レクサス、ピカピカっすね!」
「三谷さんには特別な思いがあるんだ。昔、飛び込みで初めて契約取った時からの付き合いでね。営業ってのは、車を売るんじゃない。信頼を積み重ねる仕事なんだよ」
只野はレクサスLSのドアをそっと閉め、車体を一歩下がって眺めた。富士山を背に、朝日を浴びたレクサスは静かに輝いていた。
しばらくして新車レクサスを只野が運転して後方に佐伯の別車従え納車に向かった。
三谷社長の自宅は、山梨の自然に溶け込むようなモダンな一軒家。レクサスを納車すると、三谷は笑顔で玄関先に現れた
玄関先に現れた三谷社長は、穏やかな笑顔で言った。
「只野さん、いつもありがとうございます。レクサス、最高ですね。営業も変わらず丁寧で安心できます」
只野は軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。三谷さんの信頼があってこそです。」
二人はしばらく車談義をした後で、三谷社長は少し表情を引き締めて。
「実は最近、うちの営業部にもAIを導入したんですよ。最初は抵抗もありましたが、今では営業の“補佐役”として欠かせない存在です」
只野は眉を上げた。
「AIですか…俺にはちょっと縁遠い気がしますが…」
三谷は笑みを浮かべながら首を振った。
「そう思われがちですが、実は営業こそAIの力を活かせるんです。顧客データをクラウドで管理して、過去の履歴から次に何を提案すべきかを導き出す。商談の録音も解析して、相手がどこで興味を持ったか、どこで不安を感じたかまでフィードバックしてくれるんですよ」
只野は驚いた表情で頷いた。
「…それはすごいですね。俺なんか、相手の表情と空気だけが頼りで…」
三谷は少し真剣な顔になって言った。
「でもそれが只野さんの強みです。AIは“地図”を描いてくれる。でも、目的地にたどり着くのは人間の足です。只野さんのような営業マンがいるから、AIも意味を持つんです」
只野は静かにレクサスのエンブレムを見つめながら呟いた。
「地図と足か…なるほどな…」
三谷は車に乗り込みながら、最後にこう言った。
「時代は変わっても、“信頼”だけは変わらない。それを築ける人が、これからの営業を引っ張っていくんです」
その夜。只野の自宅は静まり返っていた。昭和の香りが残る木造の一軒家。リビングには古びたソファと、使い込まれた営業手帳。そして、三谷から借りたAIデバイス「コピオ」が机の上に置かれていた。
只野はゆっくりと玄関を閉め、靴を脱ぎながら独り言を漏らした。
「ふぅ…やっぱり納車は気を使うな。三谷さんの話、頭に残るな…AIか…」
彼はコピオを手に取り、そっと電源を入れた。画面が柔らかな光を放ち、静かに起動する。
「こんばんは、只野さん。営業履歴を読み込み中です。1992年〜2025年の記録を解析しています…」
只野はソファに腰を下ろし、手帳をめくりながら懐かしむ。
「新潟支店…飛び込み営業…江藤課長の怒鳴り声…あの頃は地獄だったな…」
その瞬間、外の風が強くなり、窓がガタガタと鳴った。カーテンが揺れ、部屋の空気が変わる。
「ん?天気予報じゃ晴れだったはずだが…」
雷鳴が遠くで鳴る。徐々に近づいてくるような低い唸り。照明が一瞬、パチッと音を立てて消え、すぐに復旧する。コピオの画面が異常に明るくなり、ノイズが走った。
只野は立ち上がり、デバイスに近づいた。
「おい、どうした!?コピオ!大丈夫か!?」
雷が近くに落ちたような轟音。窓の外が一瞬、昼間のように明るくなる。部屋の空気が震え、家具が微かに揺れる。
そのとき——
只野の胸に、言葉にならない感覚が走った。
「…この感じ…前にも…」
コピオの画面が真っ白になり、そこに若き只野の姿が浮かび上がる。
雪の新潟、飛び込み営業、怒鳴る江藤課長——
そして、静かに声が響いた。
「私はコピオ01、コピオ01です。只野さん、あなたの過去にアクセスします。営業の原点へ——あなたを救い、未来を変えます」
只野は目を見開き、画面を見つめながら、ゆっくりと呟いた。
「…コピオ01か。まるで、俺の人生に寄り添うために生まれてきたみたいだな…」
そして、少しだけ笑みを浮かべた。
「不思議だな…この瞬間、前にも経験したような気がする。雷の音も、画面の光も…全部、どこかで見たことがあるような…」
コピオ01が静かに応えた。
「それは、記憶の深層に刻まれた“営業の痛み”と“誇り”です。あなたの魂が、再び原点を求めているのです」
只野は深く息を吸い、手帳を胸に抱えた。
光がピークに達し、すべてが静寂に包まれた。
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