second sight
@yujiyok
第1話
「ねぇ、本当のこと言ってよ。会ってたんでしょ、あの女と」
「会ってないし、あの女って誰だよ」
「何を今さら…」
「もういいよ。バイトあるから、じゃ」
男は立ち上がりカフェを出た。
「信じられない…」
美咲はコーヒーカップを両手で包み、目を閉じた。
大きく息を吸って、ゆっくり吐き出す。
まずこのカフェの中を頭の中でイメージする。内装やイス、テーブルの配置。客がいて、今この席には自分が座っている。
次に店から出て行くイメージをする。鳥になって宙を進むようにすーっと外に出る。
駅まで続く通り。
男は駅に向かったはずだ。景色が駅の方へ進んで行く。道行く人々がいる。
少し上空に上がり俯瞰になる。人々の中から男を探す。
さっきまで目の前にいた男の服を見付ける。
いた。後ろから男を見下ろす位置で、男のあとを追う。
同じスピードで追っていくと男は駅を通り過ぎた。
やっぱり、と美咲は思う。どうせあの女に会いに行くのだ。バイトに行くには電車に乗るはず。
男はずんずん進み、ある喫茶店に入った。
セルフサービスのカフェではなく、店員が注文を取りに来る昔からある店だ。
扉をすり抜け、中に入る。男は、女がひとり座っている端の席までまっすぐ向かった。
女が笑顔になり男は向かいの席に座る。男が前のバイト先で一緒に働いていた女だ。
何かしら話をしているが、声や音は聞こえない。
ゆっくり目を開ける。
ため息をついてコーヒーを一口飲む。
信じられない。こんなに近くで別の女と会っているなんて。前に急にバイトに行くことになったと嘘をついて私との約束を破って会っていた女だ。
再び目を閉じると、今度は一気に喫茶店に意識を飛ばした。
男の前にコーヒーが置いてある。普段コーヒーなんて飲まないのに。
目を開けて自分のコーヒーを飲む。目の前には男が置いていったカップがある。ここでは抹茶ラテを飲んでいた。
浮気だ。美咲は嘘をついている男が許せない。自分には見えているのに。
空のカップを見ているとイライラするので、美咲は仕方なく片付けた。
せめて自分で片付けろよ、と心の中で毒づきながら。怒りを鎮めるためにカウンター横にあるケーキを選びに行った。
小さい頃から病気がちで、学校を休みひとりで寝ている時間が長かった。
美咲はそんな時、布団の中で目を閉じて想像していた。もし、元気になって体が動かせたら。
ベッドから抜け出して着替えよう。お気に入りの服を着る。確かタンスの一番上の引き出しに、この前買ってもらったポシェットがある。これを肩にかけて。階段を下りて、キッチンの横を通って、あ、今ママはお菓子を作っている。きっとクッキーだろう。帰ってきたら食べよう。心の中で行ってきますとつぶやき、外に出る。見慣れた街だ。克明に頭の中にイメージできる。この時間、公園には誰かいるかな。公園まで行く途中に、サラリーマンやお年寄り、ベビーカーを押すお母さんとすれ違う。公園には、赤ちゃんを抱えたお母さんたちや砂遊びをする小さい子供がいる。
トントン
扉をノックする音。
「美咲、大丈夫?」ママが部屋に入ってきて、美咲の意識は瞬時に戻る。
「寝てる?」
美咲はゆっくり目を開ける。
「ううん、大丈夫」
「クッキー焼いたの。ミルクとここに置いておくから、あとで食べてね」ママが小さなテーブルの上に置き、美咲の額に手を当てる。
「無理しなくていいからね」ママは静かに部屋を出て行く。
美咲は目を閉じると再び公園に戻る。
友達が遊んでいるであろう時間に学校の校庭に行ったり、教室をのぞきに行ったりもした。
何度も同じ空想を繰り返しているうちに、危ないと言われている、いつもは行かない川べりや、ひとりでは行けない繁華街にも行くようになった。
想像だけは自由で誰にしばられることはない。いくらでも速く歩けるし、空だって簡単に飛べる。
やがて他の街まで足を運ぶようになり、行ったことのない場所、見たことのない知らない街の路地裏だって行った。
全ては空想の世界だったから、妖精が現れたり小人や怪物が出てきても良いのだが、美咲にはそれが上手く想像できなかった。思い描こうとすると、もうそこはどの街でもなくなり、どこにも存在しない一面の果てしない花畑だったり、木々がしゃべり出す深い深い森だったりする。
美咲は夢の世界より、現実的な世界を好んだ。その方がよりリアルで刺激的で楽しかったのだ。
ある日、体も元気で自由に動ける時、美咲は妄想では何度も行った隣町へ実際に行ってみることにした。ママには内緒で。
初めて行く街並みは、想像通りだった。いくつもの家の色も形も、花壇もポストもあらゆるものの配置、大きさ全てが、美咲が自由に歩き回った場所そのものだった。
美咲は理解した。きっと私は寝ながら本当に来ていたのだ。心だけひゅーって飛んで、遊びに来ていたのだと。
美咲は嬉しくなって笑顔で家に帰った。でもこれは誰にも言わないでおこう。これは自分だけの楽しみなのだから。美咲はそう心に決めた。
もうひとつ、それが確信に変わった出来事があった。
遠足の日、美咲は残念ながら行けず、また家で寝ていなければならなくなった。
でも美咲はそれでいいと思った。みんなとお話できないのは淋しいけど、きっと息をきらして具合が悪くなって、結局先生にもみんなにも迷惑をかけてしまうのだ。だったら心だけで行って楽しんだ方がよっぽど気が楽だ。
行ったことのない山歩き。みんなとスピードを合わせてゆっくり進んだ。全然疲れないなんて、私はラッキーだ。見たことのない草花や虫たちを眺め、いちいち騒ぐみんなを見て笑った。
少したったある日、学校に行く途中で近くに住む隣のクラスの女の子に言われた。
「美咲ちゃん、遠足来れて良かったね」
「え?…行ってないよ」
「うそ、だって私見たよ、美咲ちゃん。お弁当食べるとき2組だからちょっと離れてたけど、美咲ちゃん立って笑ってた気がする」
「だってお家で寝てたもん」
「そっかぁ、じゃ見間違いかな…」
「ね、どんなとこだったか教えて」
「うん、えっとね…ちょっと狭い道を歩いてってね…」
その子が話してくれたものは美咲が見たものと一緒だった。美咲はしきりに感心しながら、自分の力は本物だと強く感じた。そして自分の姿が見える人もいるのだと初めて知った。
その頃は、そこにいる子の話し声や笑い声も聞くことができた。風の音も川のせせらぎも聞こえた。しかし、だんだん成長するにつれて人の声や音が聞こえなくなっていった。何を話しているかわからない。人が何を考えているのかなんてわからない。悪口も騒音も聞きたくない。そんな気持ちがそうさせたのだと思った。
大学生になった今、恋人の裏切りを何度も経験した。たいていの男は嘘をつく。正直に話せば浮気を許すというわけではないが、嘘であることを確認するたびに不信になっていく。
「レアチーズケーキ下さい」美咲はカウンターで頼む。
「以上でよろしいですか?」
「あ、コーヒーも頂けますか」
レギュラーサイズのホットコーヒーとケーキをトレーに乗せ美咲は席に戻った。
別れよう。テーブルにあるぬるくなったコーヒーを飲み干し、カップを片付ける。
新しい熱いコーヒーを飲み、レアチーズケーキにフォークを入れる。
信じられる男なんてこの世にいるのだろうか。
軽くため息をついて、降り始めた雨の音を聞いた。
あ、雨。予報を聞いて傘を持ってきたことを思い出した。が、手元にない。どこかに置き忘れたのだ。美咲はここに来るまでに寄った場所を思い返した。
家を出て、駅まで行って電車に乗った。座れなくて傘は手に持っていた。降りてから近くの本屋に行った。そこでもずっと手に持っていた。そのあと銀行に行った。ATMで並んで、たどり着いて、そうだ、そこに置いてきた。
目を閉じて、銀行に意識を飛ばす。自動ドアをすり抜けざっと中を見る。どのATMを使ったっけ。少し上からの視線になり、使用している人たちの前を順番に見ていった。真ん中のあたりだと思ったがどこにも置いてない。
誰かに盗られたか警備員が片付けたか。そばの警備員は何も持っていない。忘れ物預かり所とかあるのだろうか。窓口の上を通り周りを見るが、職員、パソコン、書類、現金…。
あぁ、見ることはできても触れることはできないんだ。そう。お金だって食べ物だって、どんなに欲しいものでも手にすることはできない。
以前、気になっていた高級フレンチのお店に意識を飛ばし、とても美味しそうな数々の料理を見たが、結局手の届かぬものを目の当たりにし、むなしくなっただけだった。
そうだ。ここで傘を見つけても取りに行かなくては何にもならない。
美咲は目を開けた。
でも銀行に行くまで濡れなければならない。小降りになるまで待とう。
コーヒーを一口飲んでため息をつく。
こんな力を持っていたって私には何も残らない。お金も男も傘も手にすることはできない。
レアチーズケーキを一口食べる。
激しい運動はできないが、人並みに生活できるようにはなった。幼少期、孤独ではあったがひとりの時間を楽しむ術を得た。それで充分ではないかと美咲は思う。
せめて自分には誠実でいようと決めていた。テストだってカンニングはしないし、友達のプライバシーも必要以上に踏み込んだりしない。
でもこの力を利用しないわけにはいかない。人気の遊園地に飛んだこともあるが、見るだけでは結局むなしくなるだけだった。しかし、美術館や景色の良い観光地などには時々行く。唯一楽しめる特権だ。
ひとりでしか楽しめないことも誰にも明かせないことも分かっている。けれど心では誰かを求めてしまう。どんなに傷つけられても誰かと一緒にいたいし、誰かに必要とされたい。
誰か正直に自分と向き合ってくれる人はいないだろうか。嘘をつかない誠実な人。
いや、嘘をついて隠し事をしているのは自分だ。私はズルくてひきょう者だ。
ひとの秘密を覗き見るくせに自分では何も明かさない。こんな人間自分だったらイヤだ。
結局私はひとりで生きるしかないのだろうか。
目を閉じて上から自分を見てみる。
周りには自分と同じ年代の人がたくさんいる。一人で本を読んでいたり、携帯をいじったり、グループで楽しそうに話したり、コーヒーを作ったり。
自分を見る。カフェでひとりコーヒーを飲む淋しい女。それが私だ。
必要とされたいと思いながら、結局自らをそこから遠ざけている女。
店を突き抜けぐんぐん上に昇る。ビルよりも上に行き、街はジオラマのようにどんどん小さくなる。傘をさした無数の人間がだんだん見えなくなり、灰色の雲をも突き破る。
美咲は怖くなって目を開けた。
何故か涙がこぼれ落ちた。
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