リンゴの姉妹ができた話
@chased_dogs
リンゴの姉妹ができた話
町から少し離れた森の近く、川から少し離れたところに、一軒の家がありました。家の傍には大きなリンゴの木が一本あり、その奥に小さな窓が覗いています。その中に、一人の女の子がありました。
女の子はその家に一人で住んでいます。しかし、はじめからそうだったわけではありません。その家には、お父さんがいて、お母さんがいて、それから女の子の三人がいました。ついでに家の下にはネズミの家族が暮らしていて、ときどき女の子の遊び相手になっていましたが、何にせよ、女の子にはお父さんも、お母さんもいなくなってしまったのでした。
それにはこういうわけがあったのです。
ある秋の頃、女の子は言いました。
「ああ、お姉ちゃんがほしい」
それは言おうとして言ったのではなく、考えていたことが、気づかぬうちに口から溢れてしまったのでした。お父さんとお母さんは、困ったような曖昧な笑みを浮かべ、お互いの顔を見つめ合いました。そして少し間をおいてから、お父さんが言いました。
「妹だったらできるかもね」
ドスン! そのとき外で何かが落ちる音がして、女の子はびっくりして震えました。窓に駆け寄り様子を見ると、リンゴの木の下に大きなくぼみができています。重たくなった実が落ちたようでした。
それから何日か経ったある日、晩に大雨が過ぎ去った後、澄んだ冷たい川の中で、お父さんが魚釣りをしていると、
しばらく後、お父さんが帰ってこないので、お母さんが様子を見に来ました。お父さんがいつも釣りをするあたりにたどり着くと、そこで、大きなリンゴがプカプカと、お父さんの釣具といっしょになって、川岸に浮いているのが見えました。夕陽を浴びてなお瑞々しく、甘く誘うような香りは離れていても鼻腔をくすぐりました。
「ああ、甘い」
お母さんはリンゴを網に背負い、ドスドスと川沿いを歩きました。太陽の赤さが背中のリンゴにすっかり吸いつくされるまで。目に火花をちらしながら、お母さんは懸命にお父さんを探しましたが、結局見つかりませんでした。仕方なく、お母さんは釣具とリンゴとともに、家へ帰ることにしました。
家に帰ると、お母さんは全身から血の気が引き、すっかり体が萎えてしまいました。両脚はくたびれた人形のように折れ曲がり、両肩から指先から、鉛の血液が詰められたようでした。
「ヒューッ、コヒューッ」
もう息も絶え絶え。それと同時に、ものすごく空腹だったことに気がつきました。手に持ったリンゴを見ると居ても立ってもいられず、普段は開けない大口で、
「ああ、甘い!」
バリバリムシャムシャ!
「甘い! 甘い!」
バリバリムシャムシャ! と食べてしまいました。その音で驚いた女の子がやってきたときには、バタリ! お母さんは大きなリンゴの芯を喉につまらせて、死んでしまっていました。
こうして、町の人に手伝ってもらってお母さんをお墓にいれた後には、女の子は一人ぼっちになっていたのでした。
それから次の日のことです。いつものように、家の下のネズミの一匹に焼けた炭を食べさせて遊んでいると、他のネズミがやって来て、鼻をヒクヒク、焼けたネズミを連れ去ってしまいました。
「ああ、お姉ちゃんがほしい」
一人になった女の子は、今度ははっきりと、心の底から言いました。でもそれを聞いてくれる人はもういません。壁に立てかけてあったリンゴの芯だけがガタリと頷きました。
女の子はふと、リンゴの芯が自分とちょうど同じくらいの大きさであることに気がつきました。それで、手と足と頭を付けてやり、タンスにしまっていた洋服を着せてやると、リンゴの芯はすっかり人間の女の子に早変わり。
「私、あなたのお姉ちゃんよ」
リンゴの女の子は言いました。その顔は姉妹で見分けがつかないほどにそっくりです。こうして女の子は、リンゴの妹になったのです。
リンゴの姉妹はそれから一年、とても楽しく過ごしました。どこへ行くにも二人一緒です。森へ遊びに行くときも、川へ魚を捕りに行くときも、町へお出かけするときも。
町の人たちは、女の子にそっくりの姉がいたことに驚きました。いなくなった父親が置き土産に連れてきたのだとか、どこからか娘にそっくりの別の娘を拐ってきたのだとか、座敷牢に入れられていたのを妹に助け出されたのだとか、あれこれ言い合いました。それが本当でないことは誰でも知っていましたが、皆、理由もなく姉が出てきたことに言い難い不安を感じていたのでした。
それでも、姉の様子のどこにもかわいそうなところのないのを見ると、町の人々はすっかり安心し、姉妹を迎え入れたのでした。
お姉ちゃんがやってきて一年が過ぎる頃、女の子はふと、帰ってこないお父さんのことを思い出しました。町の人はみな、死んだものと思っているようでしたが、誰も死んだお父さんを見た人はいないのです。だから、もしかしたら、お父さんはどこかで生きて、しかし帰れずに暮らしているのかもしれないと、女の子は思ったのです。
「お父さん、どこへ行ったんだろう……」
女の子が言うと、普段は優しいお姉ちゃんが、怖い顔をしました。
「お姉ちゃんがいれば、いなくてもいいじゃない」
お姉ちゃんは言いました。女の子は少し間をおいて、ゆっくり頷きました。お姉ちゃんの言うことだから、きっと正しいのでしょうし、お姉ちゃんと言い合いになるのも嫌でしたし、それにやっぱり少しだけ、お姉ちゃんが怖かったからです。
しかしそれですっかり納得できたわけではありません。気持ちは燃えさしのように燻って、時とともにまた燃え上がるのでした。
そしてある日、女の子はお姉ちゃんを川遊びへ誘いました。川を下って、お父さんの足跡を辿ろうというのです。リンゴにビスケットにサンドウィッチに、カゴいっぱいに詰め込んで、ハンカチと水筒を持って、洗濯物をしまったら、さあ出発です。
お父さんはどこへ流されたでしょう。葉っぱの小舟をこさえたら、流して追いかけてみましょう。きっとお父さんみたいに流されるでしょうから。
小舟を追いかけ歩いていくと、池のように水のとどまったところに行き当たりました。小舟はそこの中ほどでとどまりました。「きっとこのあたりで岸から揚がったんだ」と女の子は思いました。
女の子が川から離れて行こうとすると、お姉ちゃんが呼び止めました。
「そろそろおやつにしましょうか」
女の子が振り向くとすっかり準備が整っていました。お腹の音を聞きながら、女の子は土手を駆け下りると、お姉ちゃんと一緒におやつを食べました。
「舟、とまっちゃったね」
お姉ちゃんが池の方を見ながら言いました。女の子は口いっぱいにリンゴを頬張りながら生返事をしました。
「取りに行かないの?」
お姉ちゃんが池の方を見ながら言いました。女の子は口いっぱいにビスケットを頬張りながら生返事をしました。
「ほら、釣り糸もあるよ」
お姉ちゃんが釣り糸を差し出しながら言いました。女の子は口いっぱいにサンドウィッチを頬張りながら「ありがふぉお」と釣り糸を受け取りました。
サンドウィッチを食べ終えると、女の子はすっくと立ち上がり、釣り糸を池の真ん中に投げ込みました。釣り針は舟の横をかすめ、ゆっくりと沈んでゆきます。女の子が糸を手繰り寄せようとすると、何かに引っかかってしまいました。重たい袋を引っ張っているような感触です。糸が切れないようにゆっくりと力を込めると、段々と力が伝わって勢いがついていくのを手に感じました。
勢いを殺さないよう慎重に糸を引っぱると、水面に何かが浮かんできました。それは空の灰色を集めたような色をしていて、川底の石のようにつやつやと光っています。ウナギかヘビか、カワカマスか何かでしょうか? 女の子がそれを引き揚げると、ああ、なんてことでしょう! ぷっくりと膨らんだ顔はなんだかニヤけ顔で、手足から何からぶよぶよに太っていましたけれど、それは間違いなくお父さんでした。
「それ、どうするの?」
お姉ちゃんが後ろから声をかけました。
「連れてく。お母さんのところ」
女の子は振り向かずに答えました。
そしてお父さんを担ぎ上げようとしたときでした。女の子は泥に足を滑らせ、
「あぁっ!」
そのまま池へ真っ逆さま。水から出ようとするほどお父さんがしがみつき、ニヤニヤしながら引き込もうとします。池の魚たちはみんな、それを横目で見るだけで、通り過ぎていきます。それでもなんとか水面に顔を出し、女の子はお姉ちゃんに助けを求めました。
「助けて!」
けれどもお姉ちゃんがいたところには、頭に大きなリンゴを被った女の人が立っていて、やさしく手を振るだけでした。
女の子が池に沈むのを見送ると、リンゴの女の子はスカートの裾をちょこんとつまみ、丁寧なお辞儀をしました。そうかと思うと、
「ランタラッタランララッタ♪」
バタバタとスカートの襞を翻し、踊るようにリンゴの木の家へ帰りました。
「ランラタッラタンタラッタ♪」
家へ帰ると家族が減っていて、すこしがらんとしています。リンゴの女の子は言いました。
「ああ、妹がほしい」
すると風が吹いて、庭のリンゴがぼどぼどと実を落としました。それらはすくすくと育ち、人間のかたちをとると、みんな可愛らしい妹たちになりました。
リンゴの姉妹ができた話 @chased_dogs
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます